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何もしていないのに評価される人の正体。20年PMが見た「観測されない労働」の構造学

正直に言う。

私は長いあいだ、それを「世渡りのうまさ」だと思っていた。

特に何かを成し遂げたわけでもない。誰よりも遅くまで残っているわけでもない。会議で鋭い発言をするわけでもない。なのに、なぜか評価される人がいる。上司は彼を信頼し、同僚は彼を頼り、いざというときには彼の名前が挙がる。

二十年、ITコンサルタントをやってきた。炎上したプロジェクトも、静かに沈んだプロジェクトも見てきた。そのなかで私はずっと、この種の人間を「実力ではなく要領で生きている人」として、心のどこかで軽く見ていた。

だが、五十代になって、ようやく分かった。

私が見ていなかったのは、彼の要領ではない。彼が動かしている「プロセス」のほうだった。

一 まず、何を見ていなかったのかを切り分ける

結論を急ぐ前に、切り分けをしたい。

「何もしていないのに評価される人」という言い方には、二つのまったく違う現象が混ざっている。ひとつは、本当に何もしていないのに評価される人。これは単なる政治的な振る舞いの結果であり、構造というより一時的なバグだ。放っておけばいずれ落ちる。

もうひとつは、何もしていないように「見える」のに評価される人。こちらが本題だ。

サーバーを思い出してほしい。画面上では何も起きていないように見えるのに、裏ではいくつものバックグラウンドプロセスが静かに走っている。ログを定期的に整理し、不要なデータを掃き出し、メモリの断片化を防ぎ、障害の予兆を監視している。利用者はそれを一切見ない。見ないからこそ、システムは「何も起きていない」という最高の状態を保てる。

何もしていないように見えて評価される人とは、要するに、組織のバックグラウンドプロセスを一人で回している人のことだ。

問題は、バックグラウンドプロセスは定義上、観測されないという点にある。CPU使用率のグラフには出てこない。だから私のような人間は、それを「何もしていない」と読み違える。

二 観測されない労働は、なぜ観測されないのか

ここで一つ、技術者なら誰もが知っている事実を持ち出したい。

システム障害のほとんどは、「何かをやったとき」ではなく「何かをやらなかったとき」に静かに育つ。バックアップを取らなかった。証明書を更新しなかった。ディスク容量を監視しなかった。やらなかったことは、その瞬間には何の音も立てない。

だから、「やらなかったことによる事故を未然に防いだ人」は、永遠に評価されない。なぜなら、防がれた事故は起きなかったからだ。起きなかった事故は、誰の記憶にも残らない。彼の功績は、何も起きなかったという「無」のかたちでしか存在しない。

評価とは、本質的に「差分」を見る仕組みである。前と後で何が変わったか。プロジェクトが進んだ、売上が伸びた、問題が解決した。差分が大きいほど、評価は大きくなる。

ところが、観測されない労働は差分を作らない。むしろ、差分を「生ませない」ことが仕事だ。場の空気が荒れる前にそっと整える。会議が脱線する前に一言で軌道を戻す。誰かが孤立する前に、何気なく話を振る。これらはすべて、悪いことが起きるはずだった未来を、起きなかった現在へと書き換える作業である。

書き換えられた未来は、もう存在しない。存在しないものを、誰も評価できない。

私はかつて、これを「地味な人」と呼んでいた。今なら分かる。彼は地味なのではない。組織の単一障害点を、自分の身体で黙って肩代わりしていたのだ。

三 では、なぜ「彼」は評価されたのか

ここまで読むと、矛盾に気づくはずだ。

観測されない労働は評価されない、と私は書いた。なのに、冒頭の彼は評価されていた。これはどういうことか。

答えは、評価する側の「解像度」にある。

私のように、目に見える差分しか読めない人間にとって、彼は「何もしていないのに評価される謎の人」だった。だが、彼を評価していた上司は、私には見えていなかったプロセスが見えていた。会議が荒れなかった理由、若手が辞めなかった理由、隣のチームと揉めなかった理由。それらの「起きなかったこと」の裏に、彼の手が動いていたことを、その上司は読めていた。

つまり、観測されない労働は、観測できる人にだけ観測される。

これは残酷な結論だ。あなたがどれだけバックグラウンドで組織を支えていても、それを読む解像度を持った上司の下にいなければ、あなたの労働は永遠に「無」のままだ。逆に、解像度の高い人の下にいれば、あなたが意図的にアピールしなくても、ちゃんと見つかる。

評価とは、自分の努力の関数ではない。自分の努力と、観測者の解像度の、掛け算の関数である。

そして、ここに多くの人が苦しむ理由がある。私たちは「努力すれば報われる」という一次関数を信じて育った。だが現実は掛け算だ。観測者の解像度がゼロに近ければ、あなたの努力がどれだけ大きくても、積は限りなくゼロに近づく。

四 観測されないあなたのための、三つの設計

では、観測されない労働をしている人は、ただ運の悪い上司を呪うしかないのか。そうではない。構造として打てる手がある。三つ提示したい。

第一の設計は、プロセスを「ログ」に変えることである。バックグラウンドプロセスが評価されないのは、ログを吐かないからだ。ならば、吐かせればいい。「今週、こういう揉めごとの芽があったので、こう動いて未然に防ぎました」と、起きなかった事故を言語化して残す。これは自慢ではない。監視ログである。サーバーが障害を未然に防いだとき、それを黙っているシステムは優秀ではない。ちゃんとアラートとして記録するシステムが優秀なのだ。あなたが防いだ未来を、防いだ瞬間に記録する。それは決して、はしたない行為ではない。

第二の設計は、観測者を選ぶことである。あなたの努力を読めない上司の下で消耗するのは、性能の低い環境にハイスペックなサーバーを置くようなものだ。本人の問題ではなく、配置の問題だ。環境を変えることは、逃げではない。プロフェッショナルとしての耐久設計である。読める人のいる場所へ、自分というプロセスを移す。それは降伏ではなく、最適化だ。

第三の設計は、自分自身の解像度を上げることである。これがいちばん効く。なぜなら、観測されない労働を黙ってこなしている人ほど、他人の観測されない労働にも気づける目を持っているからだ。あなたがチームの誰かのバックグラウンドプロセスを見つけて「あれ、助かってます」と一言かける。その瞬間、あなたは組織の解像度そのものを一段上げている。観測されない労働を観測する人が一人増えることは、組織にとって監視カメラが一台増えることに等しい。やがてその文化は循環し、いつかあなた自身の労働も、誰かに観測される。

評価は掛け算だと書いた。ならば、自分の努力という片方の因数を増やすだけでなく、組織全体の観測解像度というもう片方の因数を、自分の手で押し上げればいい。

五 最近、「すごいですね」と言われなくなったなぁ

少し、構造から離れた話をして終わりたい。

若い頃、私は「すごいですね」と言われたかった。派手な提案をして、難しい数字を並べて、クライアントの前で場を支配したかった。差分の大きい仕事をして、観測されたかった。

最近、その「すごいですね」を、めっきり言われなくなった。

最初は寂しかった。だが、ある日、長く一緒に仕事をしてきた若手が、ぽつりとこう言った。「shiracoさんがいると、なんか、揉めないんですよね」と。

すごいですね、ではなかった。揉めないんですよね、だった。

それはつまり、私が二十年かけて、観測される人から、観測されない人へと、静かに移行したということだった。差分を作る人から、差分を生ませない人へ。前に出る人から、何も起きない場所を守る人へ。

かつての私なら、それを「劣化」と呼んだかもしれない。今は違う。それは劣化ではない。役割の移行だ。組織にとって、派手に新機能を追加する開発者と、何も起きない安定稼働を守る運用者は、どちらも欠かせない。私はただ、後者になっただけだ。

何もしていないように見える人を、私はもう軽く見ない。彼が守っている「何も起きていない」という景色が、どれほどの労働の上に成り立っているかを、ようやく自分の身体で知ったからだ。

そして、もしあなたが今、「何もしていないのに評価されない」と感じているなら、覚えておいてほしい。あなたは何もしていないのではない。あなたの労働が、観測されていないだけだ。それは、あなたの価値の問題ではなく、観測の問題である。

気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。


この記事は、いずれ一冊の本にまとめたいと考えているテーマの一つです。気合や根性で乗り切る時代を生きてきた私たちが、これからを構造として生き延びるための実践ノート。その一章として、この文章が誰かの本棚に残れば嬉しい。

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