なぜ、昔の曲で、私たちは泣くのか
正直に言う。
先日、車を運転していたら、二十年以上前の曲がラジオから流れてきた。
たいして好きでもなかった曲だ。
なのに、信号待ちで、私は少し泣いていた。
五十代の男が、一人、車の中で。
はた目には、ただ渋滞にうんざりしているおじさんだ。
だが、私の中では、まったく別のことが起きていた。
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不思議だった。
新しい曲では、こうはならない。
どんなに名曲と言われても、初めて聴く曲で、こんなふうに涙は出ない。
古い曲だけが、こうさせる。
しかも、好きだった曲とは限らない。
むしろ、当時は聴き流していた曲のほうが、不意打ちで刺さる。
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なぜだろう。
懐かしいから、で片付けてしまえば簡単だ。
だが、それでは何も説明していない。
懐かしいとは、何が起きている状態なのか。
なぜ、音の並びが、五十代の男を泣かせるのか。
本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。
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一 私たちは、曲を聴いていない
まず、一般的な見方から始めたい。
昔の曲で泣くのは、思い出があるからだ。
多くの人はそう考える。
私もそう思っていた。
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だが、よく考えると、おかしい。
思い出そのものは、音楽がなくても存在している。
写真を見ても思い出す。
昔の場所に行っても思い出す。
なのに、音楽のときだけ、涙の出方が違う。
写真では、なつかしいな、で終わる。
だが音楽は、なつかしいを飛び越えて、いきなり感情の芯に届く。
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ここに、一つの違和感がある。
写真は、あの頃を思い出させる。
音楽は、あの頃に戻してしまう。
思い出すことと、戻ることは、違う。
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写真は、外から眺める窓だ。
あの頃の自分を、いまの自分が、外から見る。
だから、距離がある。
だが音楽は、窓ではない。
音楽は、あの頃の自分に、いまの自分を上書きしてしまう。
聴いた瞬間、私は五十代ではなくなる。
その曲が流れていた頃の自分に、一瞬、戻っている。
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つまり、こういうことだ。
私たちは、昔の曲で泣いているのではない。
昔の曲によって呼び戻された、昔の自分を見て、泣いている。
古い曲は、思い出を再生する装置ではない。当時の自分を、再起動させる装置である。
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二 なぜ、音楽だけが自分を連れ戻すのか
では、なぜ音楽にだけ、この力があるのか。
構造として考えたい。
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音楽には、二つの特徴がある。
一つは、時間そのものだということ。
写真は、一瞬を切り取る。
止まった時間だ。
だが音楽は、流れる。
始まって、続いて、終わる。
音楽は、時間の形をしている。
だから、聴いているあいだ、私たちはその時間を、もう一度生きてしまう。
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もう一つは、意味を持たないということ。
言葉には意味がある。
だから、頭で処理される。
だが、メロディそのものに、意味はない。
音の高低と、リズムがあるだけだ。
意味がないから、頭を素通りする。
そして、意味を処理しない場所に、直接届く。
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私たちの記憶には、二つの引き出しがある。
一つは、覚えている記憶。
何年に何があった、という、頭で管理する記憶だ。
もう一つは、覚えているつもりのない記憶。
その頃の空気。
その頃の不安。
その頃の、まだ何者でもなかった自分の感触。
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言葉や写真は、前者の引き出しを開ける。
だが音楽は、後者を開けてしまう。
自分でも忘れていたつもりの、感情の引き出しを。
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だから、当時好きでもなかった曲が刺さる。
好きだった曲は、頭で覚えている。
だが、聴き流していた曲は、頭の管理を通っていない。
その頃の空気と一緒に、意味を持たないまま、こっそり保存されていた。
だから、不意に流れると、防ぎようがない。
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私たちは、その曲を覚えていたのではない。
その曲が流れていた頃の空気ごと、体が覚えていた。
音楽が連れ戻すのは、記憶ではない。記憶と一緒に保存された、感情である。
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