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職場の「やる気」はなぜ奪われるのか? 20年PMが教える「空気を重くする人」の構造と組織設計

正直に言う。

私は長いあいだ、職場のやる気は、本人の問題だと思っていた。

やる気のある人と、ない人がいる。
頑張れる人と、頑張れない人がいる。
それは、その人の性質だと。

ところがある時期から、奇妙なことに気づきはじめた。

同じ人が、ある場所では生き生きと働き、別の場所では死んだ目をしている。

人は変わっていない。
変わっているのは、その人がいる「部屋」のほうだ。

そして、もっと厄介なことにも気づいた。

その部屋の空気を重くしているのは、たいてい、能力の低い人ではない。
むしろ、それなりに有能で、声が大きく、悪気のない人であることが多い。

五十を過ぎた今でも、白状すると、自分がその「空気を重くする側」に回っていないか、ときどき怖くなる。

今日は、人のやる気を静かに奪っていく構造について、私にとっても少し痛い話をしたい。


やる気は、与えるものではなく、奪われないものである

まず、ひとつ思い込みを外しておきたい。

私たちは、やる気とは上から与えるものだと考えがちだ。
励ます。鼓舞する。目標を語る。

だが、現場を長く見ていて、確信したことがある。

人のやる気は、与えられて上がるより、奪われて下がることのほうが、はるかに多い。

人は、もともとそれなりにやる気を持って、その場所にやってくる。
新しい仕事に、最初は前向きに向き合う。

その初期値のやる気が、日々、少しずつ削られていく。

つまり、リーダーの仕事は、やる気を注入することではない。
すでにある初期値を、無駄に削らない環境を設計することだ。

やる気は、ガソリンのように足すものではない。
バケツの底の穴を、塞ぐものである。


空気を重くする人には、二つの種類がある

ここで、ひとつ切り分けをしておきたい。

部屋の空気を重くする人、と一言で言っても、性質の異なる二つの型がある。

ひとつは、明らかに攻撃的な人だ。
怒鳴る。責める。圧をかける。
これは分かりやすい。
分かりやすいぶん、周りも警戒し、距離を取れる。

もうひとつは、悪気のない人だ。
本人は良かれと思っている。
正しいことを言っているつもりでいる。
むしろ「自分は組織のために尽くしている」と信じている。

人のやる気を、いちばん深く削るのは、後者のほうだ。

向かう先がはっきりした攻撃には、身構えられる。
だが、善意の顔をしてじわじわ削ってくるものには、対処のしようがない。
こちらが反発すれば、「正しいことを言っているのに、なぜ反発するのか」となる。

空気を重くする人の多くは、悪人ではない。
良かれと思って、人のやる気を削っている人である。


なぜ、悪気のない人が、やる気を奪うのか

では、悪気のない人は、どういう構造でやる気を削っているのか。

これも性格ではない。構造だ。
いくつかの典型がある。

ひとつは、要求はするが、責任は取らない構造だ。
「もっとちゃんとやって」「普通はこうでしょう」と言う。
だが、自分では決めない。現場にも立たない。
すると周りは、何のために頑張っているのか分からなくなる。
評価だけする人の下では、人は挑戦をやめ、怒られないことだけを目的に動きはじめる。

ひとつは、目的を忘れて、手段に執着する構造だ。
資料はこう作るべき。順番はこう説明すべき。
何のためにそうするのか、という目的は消え、やり方だけが命令になる。
すると現場は、仕事をしているのではなく、怒られないように仕事をしている状態になる。

ひとつは、人を信じない構造だ。
うまくいかなかったとき、「なぜできなかったのか」と原因を人に問う。
信頼のある場所では、人は失敗を覚悟で挑戦できる。
疑われる場所では、失敗しないことが最大の目的になり、誰も挑戦しなくなる。

これらに共通するのは、本人の余裕のなさだ。

人は、自分に余裕がなくなると、周りをコントロールしたくなる。
細かいことが気になり、人を思いどおりに動かそうとする。
その制御欲が、悪気のない圧として、部屋に充満する。

人は命令で動くのではない。
納得で動く。


だが、その人を「やばい人」と決めつけてもいけない

ここで、二重否定を置きたい。

空気を重くする人に出会ったとき、あなたはその人の人格を恨まなくていい。
その振る舞いの多くは、本人の余裕のなさという構造から出ている。
あなたが我慢が足りないわけではない。

だが――自分のセンサーも、過信しないほうがいい。

すべてを「あの人がやる気を奪う構造だ」で説明しきると、今度は、自分自身が同じことをしている可能性を見落とす。

要求はするが責任は取っていないか。
目的を忘れて手段に執着していないか。
余裕がなくて、誰かを細かく制御していないか。

空気を重くする人を裁く視点は、そのまま、自分に向けるべき鏡でもある。

人を責めない。
だが、自分が同じ構造に陥っていないかは、静かに点検する。


では、どう設計すればいいのか

切り分けたあとに来るのは、具体的な設計だ。
ここでも、気合は出番がない。

第一に、要求と責任を、同じ人に置く。
何かを要求するなら、その結果の責任も引き受ける。
評価だけして去る立場をつくらない。
これだけで、現場の「何のために」が回復する。

第二に、手段ではなく、目的を渡す。
やり方を細かく指定する代わりに、何のためにやるのかを伝える。
目的さえ共有できていれば、手段は相手に任せられる。
任された人は、怒られないためではなく、目的のために動きはじめる。

第三に、失敗の問いを、人から構造へ変える。
うまくいかなかったとき、「なぜできなかったのか」ではなく、「どういう構造がそれを起こしたのか」と問う。
主語を人から構造へ移すだけで、その場の空気は驚くほど軽くなる。
人を責めない問いは、それだけで挑戦の余地を残す。

そして、これらすべての土台に、ひとつの考えがある。
人を管理するのではなく、努力が積み上がる構造を設計する、ということだ。

人のやる気を上げようと管理するほど、たいてい空気は重くなる。
やる気が削られない設計を整えるほうが、結果として人は動く。


エネルギーを奪う人より、元気にする人を

長く組織のなかにいて、何度も見てきたことがある。

能力より怖いのは、エネルギーを奪う人だ。

特別に優秀でなくても、その人がいると周りが少し元気になる人がいる。
逆に、能力は高いのに、周りの挑戦をすべて止めてしまう人がいる。

組織全体で見れば、損失が大きいのは、後者のほうだ。

そして、人が職場を去る本当の理由も、ここにある。

人は、仕事が大変だから辞めるのではない。
自分の努力が、意味を持たないと感じたとき、静かにやる気を失う。

要求だけされ、責任は取ってもらえず、手段を縛られ、信じてもらえない。
そういう場所では、どれだけ頑張っても、努力が積み上がらない。
積み上がらない努力を続けることほど、人を静かに枯らすものはない。

そう見えるようになってから、私は、リーダーの仕事の定義を変えた。

リーダーの仕事は、人を管理することではない。
人の努力が、無駄に流れ落ちない構造を、設計することだ。

そして、これこそが、気合や根性ではなく、構造として自分を運用する、ということなのだと思う。
人を責めるより、構造を見る。
その視点をリーダーが持てたとき、部屋の空気は、ようやく軽くなる。

やる気は、上司が与えるものではない。
やる気が奪われない環境を設計すること。
それが、リーダーの本当の仕事である。


この記事は、「人生の後半戦の教科書」という連作の一編として書いている。
人生の一周目を終え、人を率いる側に回った人へ。
やる気という曖昧なものを、人格の問題ではなく構造として読み直すための道具を、ひとつずつ束ねていく。

気合や根性ではなく構造として自分を運用する。
人を責めるより、構造を見る。
自分を責めるより、構造を見る。
優しいまま、壊れないこと。
誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。
短期評価ではなく長期残存価値である。

次回は、自分が「空気を重くする側」に回っていないかを、どう点検するのか、を書きたい。
人を裁く視点を、静かに自分へ向ける話を続けたいからだ。

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©shiraco|PMPおじさんの実践ノート @NoteCcm42090

構造学。──人を責めず、構造を見る。
問題は、人ではない。構造が、人をそう動かしている。

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