『タッチ』柏葉英二郎は、なぜ「悪役」になったのか——20年PMが読む、傷ついた人が「同じ構造」を再現する瞬間
リード文
『タッチ』の柏葉英二郎を覚えているだろうか。
サングラス。
ヒゲ。
竹刀。
そして、選手たちを容赦なく追い込む「鬼監督」。
子どもの頃に見た私は、単純に怖い人だと思っていた。
でも、50代になってもう一度この人物を見ると、少し違って見える。
怖いのは、柏葉英二郎という「人」ではない。
彼を、そういう人間にしてしまった構造のほうだった。
これは『タッチ』の人物紹介ではない。
ひとりの人間が、過去に受けた傷を抱えたまま組織に戻ってきたとき、何が起きるのか。
20年PMとして、人と組織を見てきた視点から、柏葉英二郎という人物をもう一度読んでみたい。
『タッチ』柏葉英二郎はなぜ「鬼監督」になったのか?20年PMが解剖する組織の「負の連鎖」
プロローグ|正直に言う。柏葉英二郎が、昔は怖かった
正直に言う。
子どもの頃の私は、柏葉英二郎が嫌いだった。
明青学園野球部に現れたときの、あの雰囲気。
サングラスをかけて、竹刀を持っている。
そして、選手たちに猛烈な練習を課す。
「なんで、こんな人が監督なんだよ」
たぶん、当時の私はそう思っていた。
ところが、20年ほどPMをやって、いろいろな組織を見てきた。
すると、ある日ふと思った。
「あれ?」
柏葉って、本当に悪い人だったのか。
もちろん、やっていることを正当化するつもりはない。
理不尽な指導は理不尽だ。
人を追い込むことが教育になるわけでもない。
でも、それとは別の話として。
なぜ彼は、そこまでしてしまったのか。
ここが気になった。
人間は、突然「悪役」になるわけではない。
その人の中には、その人なりの経緯がある。
そして、その経緯を辿っていくと、
「ああ、だからこの人は、こうなったのか」
と思える瞬間がある。
柏葉英二郎には、それがある。
第一章|「兄の代わり」に呼ばれた男
物語の後半、西尾監督が病気療養に入り、明青野球部には代理監督が必要になる。
そこで呼ばれることになったのが、柏葉英一郎。
明青野球部のOBとして知られた人物だった。
ところが。
やって来たのは弟の英二郎だった。
兄と弟。
同じ柏葉家の人間なのに、人生はまるで違う。
英一郎は、野球部で評価される側。
英二郎は、その兄の影にいる側。
しかも英二郎には、明青野球部に対する深い恨みがあった。
過去に野球部を追われた経験。
兄との確執。
そして、自分の人生で「野球」が途中で奪われたという感覚。
作品内では、英二郎が兄・英一郎にまつわる出来事の身代わりになったことや、その後に明青野球部を離れることになった過去が描かれている。原作とアニメでは細部の描写に違いがあるため、ここは一枚岩の設定として読むより、「英二郎が自分の過去をどう受け止めているか」に注目したほうが面白い。
つまり。
彼は、久しぶりに自分の過去へ戻ってきた。
しかも今度は、
指導する側として。
これが、最初のパズルのピースだった。
第二章|復讐するはずだった男
英二郎が明青に戻ってきた理由は、きれいなものではない。
「野球部を強くしてやろう」
ではない。
むしろ逆だった。
自分を追い出した野球部を、今度は自分の手で苦しめる。
そんな復讐心を抱えていた。
だから練習は厳しい。
いや。
厳しいという言葉では足りない。
選手から見れば、
「なんで、そこまでやるんだ」
というレベルだった。
ここで少し、PMの仕事に話を移したい。
プロジェクトでも、ときどき似たような人を見る。
昔、自分が苦労した人がいる。
新人時代に上司から無茶を言われた。
徹夜で資料を作らされた。
意味の分からないレビューを何度も受けた。
そして数年後。
その人が管理職になる。
新人が入ってくる。
「俺も昔はこれくらいやった」
と言う。
私は、これを見てきた。
そして、何度も思った。
「あなたも、嫌だったんじゃないの?」
でも、本人に悪意があるとは限らない。
むしろ本人は、
「これが成長につながる」
と本気で信じていることすらある。
ここに、二つ目のピースがある。
第三章|ところが、選手たちは強くなっていく
ここが柏葉英二郎という人物の面白いところだ。
彼の指導は、単純な「悪」では終わらない。
過酷な練習によって、明青の選手たちは鍛えられていく。
もちろん、だからといって理不尽な指導を肯定していいわけではない。
でも、結果だけを見ると奇妙なことが起きている。
復讐のためにやっていることが、チームを強くしてしまう。
この矛盾。
私はここが好きだ。
人間は、そんなに単純ではない。
動機が100%きれいでなくても、行動の一部が誰かを救うことがある。
逆もある。
「みんなのため」という正しい動機から始めたことが、組織を壊すこともある。
PMをやっていると、こういうことは珍しくない。
だから私は、
「この人は善人か、悪人か」
という見方を、だんだんしなくなった。
代わりに、
「この人を、こう動かしている構造は何だろう」
と考えるようになった。
柏葉英二郎を見るときも、同じだ。
第四章|実は、三つとも同じだった
ここまでの話を並べてみる。
ひとつ目。
英二郎は、兄の影の中で生きてきた。
ふたつ目。
自分が傷ついた明青野球部に、復讐するために戻ってきた。
三つ目。
その復讐のための厳しい指導が、結果として選手たちを強くしていった。
一見すると、別々の話に見える。
でも。
ここに共通する構造がある。
それは、
「自分が受けた扱いを、自分が立場を得たときに再現してしまう」
という構造だ。
これ、会社でもある。
学校でもある。
家庭でもある。
そして、たぶん人生でもある。
第五章|柏葉英二郎が「悪役」になった本当の理由
ここで、最初の問いに戻る。
柏葉英二郎は、本当に「悪役」だったのか。
私は、少し違うと思っている。
彼は、
「悪役になった」のではなく、「傷ついた人間が、傷ついたときに覚えたルールで世界を動かそうとした」
のではないか。
これが、私が柏葉英二郎から読む構造だ。
自分が苦しめられた。
だから、苦しさに耐えられる人間を作る。
自分が認められなかった。
だから、厳しさに耐えた者だけを認める。
自分が野球を奪われた。
だから、野球を甘い気持ちでやる人間を許せない。
こうして、
「自分を傷つけた構造」が、自分の中の判断基準になる。
怖いのはここだ。
人は、自分が嫌だったものを、そのまま嫌い続けるとは限らない。
ときには、
自分が嫌だったものを、自分の中に取り込んでしまう。
そして、次の世代に渡してしまう。
これを私は、仕事の現場で何度も見てきた。
第六章|会社でも、同じことが起きている
たとえば、こんな会話がある。
「俺たちの頃は、もっと大変だった」
「新人は、まず自分で考えろ」
「昔は誰も教えてくれなかった」
「このくらいできないと、プロとは言えない」
一つひとつは、間違っていないかもしれない。
問題は、その経験が、
「次の人にも同じ苦労をさせる理由」
に変わった瞬間だ。
本来なら、
「自分は苦労した」
↓
「だから、後輩には同じ苦労をさせない」
でもいい。
ところが組織によっては、
「自分は苦労した」
↓
「だから、後輩も苦労すべきだ」
になる。
この二つ。
似ているようで、まったく違う。
前者は経験の継承。
後者は傷の継承だ。
PMとして見ると、これは「人の問題」ではない。
評価制度、権限、成功体験、組織文化、上司部下の関係。
そういうものが組み合わさって、人をその方向へ動かしている。
だから、
「この上司はひどい」
だけでは、問題は解けない。
その人がいなくなっても、次の「柏葉」が現れるからだ。
第七章|では、自分は何を次に渡しているのか
ここで、少し嫌な問いを置いてみたい。
あなたが仕事で苦労したこと。
若い頃に怒られたこと。
上司に理不尽に扱われたこと。
組織に裏切られたこと。
その経験を、あなたは次の世代に何として渡しているだろう。
「同じことをしないための知恵」だろうか。
それとも、
「これくらい耐えろ」という基準だろうか。
私自身も、偉そうなことは言えない。
20年も仕事をしていると、
「自分のときは、もっと大変だったぞ」
と言いたくなる瞬間はある。
たぶん、何度もあった。
でも、その言葉を飲み込んで考える。
苦労したことと、苦労させることは、別だ。
ここは、かなり大事な違いだと思う。
経験は、そのままコピーするものではない。
一度、自分の中で翻訳するものだ。
「自分は何に苦しんだのか」
「なぜ苦しかったのか」
「その経験から、本当に残すべきものは何か」
「逆に、次の人には渡さなくていいものは何か」
そこまで考えて初めて、経験が知恵になる。
エピローグ|傷は、次の人に渡さなくてもいい
柏葉英二郎の物語を、私は「怖い監督の改心物語」としてだけ読みたくない。
もっと静かな話だと思っている。
人は、過去から逃げられない。
でも、
過去から受け取ったものを、全部そのまま次に渡す必要もない。
これが、柏葉英二郎という人物から私が受け取ったものだ。
傷ついた経験は消えない。
悔しかったことも消えない。
理不尽だったことも、なかったことにはならない。
でも、その経験から何を次の世代へ渡すかは、少しだけ選べる。
厳しさを渡すのか。
知恵を渡すのか。
傷を渡すのか。
それとも、
「自分が苦労したからこそ、あなたは少し楽にしていい」
というものを渡すのか。
PMとして20年、人と組織を見てきた。
その中で、最近よく思う。
人間は、自分が受けたものを、そのまま返してしまう生き物なのかもしれない。
だからこそ。
どこかで一人くらい、
その流れを止める人がいてもいい。
柏葉英二郎の物語を閉じたあと、もし少しだけ考えることがあるとしたら。
それは、
「自分は、何を次の人に渡そうとしているんだろう」
という問いなのかもしれない。
経験は、受け継げる。
でも、傷まで受け継ぐ必要はない。
優しいまま、壊れないこと。
それは、自分のためだけではなく、
自分の次にいる誰かのためでもある。
最後に
『タッチ』は、野球と恋愛の物語として読める。
でも、年齢を重ねてから読むと、少し違う景色も見えてくる。
兄弟。
才能。
嫉妬。
組織。
評価。
過去。
そして、次の世代への継承。
柏葉英二郎は、その全部を背負った人物だったのかもしれない。
だから私は、彼を「悪役」と呼んで終わりにしたくない。
人を見ていると、
「この人は、なぜこんなことをするんだろう」
と思うことがある。
そんなとき、一歩だけ引いてみる。
その人を責める前に、
「この人を、そう動かしている構造は何だろう」
と考えてみる。
答えが見つかるとは限らない。
でも、問いを変えるだけで、世界の見え方は少し変わる。
そしてたぶん。
それが、構造を見るということなのだと思う。
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各シリーズは以下のマガジンにまとめています。
・現場PMの実践ノート:https://note.com/quiet_emu2080/m/mb3eda5b30688
・キャリアマガジン:https://note.com/quiet_emu2080/m/mf96a1ab04ea6
・人物で読む、長期残存価値シリーズ:https://note.com/quiet_emu2080/m/me8d794a161df
©shiraco|PMPおじさんの実践ノート @NoteCcm42090
構造学。──人を責めず、構造を見る。
問題は、人ではない。構造が、人をそう動かしている。
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