高天原 から 久士布流多気 そして 黄泉の国 の入口へ
【写真】: 葦原の向こうに 八方ヶ岳 (高天原)
いよいよ私の説も佳境に入ってきた感がある。
8月16日は熊本県山鹿市で山鹿燈籠祭りが開催され「千人燈籠踊り」はもとより、「上がり燈籠」と言われる燈籠祭の中で最も重要な神事が大宮神社で行われた。(と思っていたが、今年は雨の影響で中止になったらしい。)
私はまだ一度も山鹿灯篭祭りを見たことがなく、今年こそはと思っていたが、結局見に行く事が出来なかった。
さてこの大宮神社、山鹿市では一番由緒があり最も有名な神社であるが、実は当初私は全く興味が無かった。しかし、色々調べるうちに無視できない存在となってしまったのである。
🔶 なぜ大宮神社は今の場所に建てられたのか
”Grok” に聞いてみたところ、「第12代景行天皇の筑紫(九州)巡行の際、この場所に仮の御所(行宮)を設営したことが起源」らしい。
景行天皇についての話は置いておくとして、ではなぜ景行天皇はこの場所に御所を設置したのだろうか。
実はこの疑問に対する答えこそが私の説を確たるものにしてくれた。
ではこの謎解きを説明していこう。
◆【レイライン】
私の得意芸でもある、こじ付けレイラインがここで本領を発揮する。
別記事の「志々岐神社とスサノオと寒言神尊利根陀見と」内にも書いたが私の説の中では、
・ 高天原 = 八方ヶ岳
・ 久士布流多気 = 不動岩
・ 黄泉の国 = 茂賀の浦 の湖底
としている。
まずこの「茂賀の浦」であるが、縄文時代は大きな湖であり、弥生時代にかけて徐々に湖面が下がっていき、最終的に今の菊池川となっている。湖面の高さを標高でみると、縄文時代当初は標高約45mぐらいで徐々に約30mほどまで下がり、弥生時代には更に水面は低下していった。弥生時代の遺跡である方保田東原遺跡の場所で現在、標高30mほどである。
前置きはこれくらいにして、早速下の地図を見て頂きたい。

前不動から尾根までの距離( 約460 m)
ちょっと見づらいかもしれないが、「大宮神社」と「八方ヶ岳山頂」を結んだラインである。
見事に前不動の「頂」を通っている。
(※ 不動岩は、前不動・中不動・後不動に分かれており、シンボルとなっているのは前不動である。その昔、実際に前不動の頂に登って神事が行われていた可能性が高いと私は考えているので今回は敢えて前不動の名称を使用する。)

では、実際に御所(大宮神社)から八方ヶ岳が見えたのか、また八方ヶ岳から御所が見えたのかを計算してみよう。

( 4.24 km)
◆【距離】
・ 14.56 km(大宮神社 ー 八方ヶ岳)
・ 4.24 km(大宮神社 ー 前不動)
・ 460 m ( 前不動 ー 尾根)
次に標高を「国土地理院」の地図で確認。

( 42.7 m)

( 220.8 m)

( 339.6 m)
◆【標高】
・ 42.7 m(大宮神社)
・ 300.8 m(前不動の頂)
220.8 m(前不動の足元)
+80 m(前不動の高さ)
・ 339.6 m(不動岩がある山の尾根)
・ 1,052 m (八方ヶ岳)

見づらい図で申し訳ないのだが、是非皆さん御自身で計算してみて頂きたい。
大宮神社(御所)から前不動の頂を観ると、尾根の向こうに八方ヶ岳山頂を拝む事が出来る、はずだった。
実際には前不動ではなく、後不動の頂が八方ヶ岳の頂上と大宮神社を結ぶ接点となっており、大宮神社から八方ヶ岳山頂はギリ見えないようだ。ただ、後不動の頂からは両方みえるので、やはりそこで何かしら合図を送っていたに違いない。
これが意味するところとは・・・
そう、御所がこの場所に建てられたのには十分すぎる理由があったのである。
どういう神事が行われていたのかは分からないが、この御所と八方ヶ岳の距離であれば、不動岩を間に挟み、交信手段として「狼煙」ではなく「鏡」が使われていた可能性が高いとみる。
🔶 「御所」の存在意義
さて、この御所にはもう一つ重要な意味があったと推測している。
それは御所(標高42.7m)が建てられた時、茂賀の浦はまだ御所の目の前まで広がっていた可能性があるのだ。広島県の厳島神社のように・・・。
そしてその御所には「黄泉の国(茂賀の浦の湖底)」への入り口があったはずである。
(勿論、そういう「設定」ということだが)
・ そう言えば、茂賀の浦の「浦」は浦島太郎
の「浦」と同じだなぁ。
・ そう言えば、隣の玉名市に「浦島海苔」
って会社があったなぁ。
・ そう言えば、隣の和水町に「トンカラリン」
っていう遺構があったなぁ。
・ そう言えば、そのトンカラリンがこの場所
にあればちょうどマッチするなぁ。
・ そうか、実際のところ御所にトンカラリン
を造りたかったけど造れなかったので今の
場所に造ったのかぁ。
・ そうか、トンカラリンは黄泉の国(湖底)
へ行くための遺構だったのかぁ。
あまり閃きすぎても仕方ないのでこの辺りにしておこう。
🔶 邪馬台国論争の終焉
邪馬台国論争は何百年も続いているようだが、私含めこの記事を読まれた方はもうそんなに時間は残されていないのではないだろうか。出来る事なら自分が生きている内にその答えに辿り着きたいと考える人が殆どだろう。
理由はないが、この私の説に乗っかってみては如何だろう。残りの人生で楽しみが一つ増えるかもしれない。
◆ 最後に
理由はないと書いたばかりだが、絶対に間違いないと確信を持っていることがある。
それは、シャーマン卑弥呼が居た場所からは、
絶対に「阿蘇山」が見えたはずである。
