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標高でみる邪馬台国(卑弥呼の墓を探る)

「四神相応の地(熊本県山鹿市)」の記事でも取り上げたが、熊本県山鹿市は他に類を見ない特異な地であり、日本の歴史を知る上でも最も重要な地の一つである。
実は、私は邪馬台国を熊本県山鹿市(一部菊池市も含む)に比定している。
今回その前提で表題の通り「標高」を視点に邪馬台国、及び卑弥呼の墓を探ってみることにした。

まずはその視点から山鹿市におけるポイント地点を挙げる。

熊本県山鹿市のポイント地点


◆  ポイント地点

⓪ 八方ヶ岳            :標高1050m ・・・・・E
① カニのハサミ岩:標高 800m ・・・・ D
② X 地点        :標高 180m ・・ B
③ 木野神社      :標高 59m ・・ A
④ 吾平山稜      :標高 270m ・・・ C
⑤ 不動岩(中) :標高 270m ・・・ C
⑥ 熊野坐神社     :標高 53m ・・ A
⑦ 志々岐神社        :標高 57m ・・ A
⑧ 岩倉立石巨石群:標高 180m ・・ B

※ ”台(うてな)遺跡” も木野神社南側すぐ近くにあるが、今回は「卑弥呼の墓」の推測のためそれらしき古墳が見当たらない台遺跡(標高:75m)は省くことにした。

◆ グループ A :③、⑥、⑦  
  グループ B :②、⑧
  グループ C :④、⑤

標高を基準にするとD、Eを除き、上記三つのグループに分けることができる。

◆ ライン ①―②―③
  ライン ④―⑤―⑥
     ライン ⑦―⑧

見ての通りこの3本ラインはほぼ “平行” で鬼門方向を向いており、延長した先には金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が発掘された「ダンワラ遺跡」や、遥か遠くには「出雲大社」も確認出来る。また何より、当時活発だった「阿蘇山―くじゅう連山―由布岳」を結ぶ火山帯ラインともほぼ平行である。

八方ヶ岳と「阿蘇山―くじゅう連山―由布岳」を
結ぶ火山帯ライン


次に下の図を見て頂きたい。

雲仙・阿蘇中岳の方向

◆ ライン ①―⑤―⑧

このラインは雲仙に繋がっている。
つまり、カニのハサミ岩、不動岩、岩倉立石巨石群は遠い昔に雲仙の大噴火がもたらした巨石である可能性が高い。

◆ 熊野坐神社(地点⑥)からみる阿蘇中岳

方保田東原遺跡周辺
熊野坐神社からみる鞍岳・阿蘇中岳
(靄でちょっと見えづらいが確認できる)

地図上に直線を引くのは簡単だが、実は山鹿市のどこからでも阿蘇中岳が見えるわけではない。東の菊池側に寄れば寄るほど鞍岳(標高 1118m)の尾根が邪魔して見えなくなる。方保田東原遺跡内にある熊野坐神社からは鞍岳の尾根の奥に阿蘇中岳が見える。もし方保田東原遺跡から阿蘇中岳を見ることが出来なかったら、私は山鹿市を邪馬台国に比定していなかった。卑弥呼のシャーマンとしての存在意義がそこにあると私は確信している。

隣町の菊池市七城には、こちらも有名な「台(うてな)遺跡」があり、邪馬台国論者の中には台遺跡こそ邪馬台国の本拠地と比定する人が一定数いるが、残念ながらここからは阿蘇中岳を見ることが出来ない。しかし、台遺跡も邪馬台国の一部だったと思っている。

台城址
(古墳の上に建っていた)
台城址 案内板

※台城の土台となっていた古墳は小さかったため今回のポイント地点からは省いたが、「ライン ①―②―③」の延長上にある。


🔶  天孫降臨

◆ 八方ヶ岳

八方ヶ岳
(灰塚展望所から撮影)
八方ヶ岳 山頂
八方ヶ岳 山頂
(意外と広い 神事が行われていたはずである)


邪馬台国の話とは別の話になるが、山鹿市はもう一つ重要な神話の発祥地でもある。
それは「出雲神話」
バカげたことを、と思われるかもしれないが、私は八方ヶ岳こそ天上界の「高天原」だと確信している。不動岩(玄武=久士布流多気)をも超える八方ヶ岳の存在感は現地でしか味わえないので是非訪れてみて欲しい。


◆  八方ヶ岳(高天原)と火山群の位置関係

前段でも載せたが、お気に入りの図なので再掲。
「見事!」としか言いようがない。それぞれの山の噴火に対し祈祷するにはもってこいの場所である。

八方ヶ岳(高天原)と火山群の位置関係

3〜4世紀は、由布岳・鶴見岳・くじゅう連山の噴火が特に活発だったらしい。


🔶 卑弥呼の墓

熊本県山鹿市のポイント地点

さて、話を戻そう。仏教の世界では「須弥山」があり、その頂上から下に降りるに従って位の低い仏様が位置づけられ上下関係はきっちりしているようだが、神道においては「高さ(標高)」はあまり関係ないのだろう。
▣ 伊勢神宮 ・・・ 標高 : 約20m
▣ 出雲大社 ・・・ 標高 : 約10m

しかし、高天原は天上界とされていることからもその周辺に於いては「高さ」はそれなりの意味を持っていたと推測する。


◆ 「グループA」
こちらは一番人間界に近い位置にある。

木野神社(青龍)

木野神社については「四神相応の地(熊本県山鹿市)」の記事で説明したように、前方後円墳と思しき場所に隣接している。

木野神社周辺

熊野坐神社

実はこの熊野坐神社周辺には古墳が数基あり、「馬見塚古墳群」と称されている。

熊野坐神社
熊野坐神社の隣にある古墳


志々岐阿蘇神社(白虎)

この志々岐の地についても「四神相応の地(熊本県山鹿市)」で詳しく説明しているので、そちらを参照して頂きたい。神社近くに古墳は見当たらないが、少し足を運べば熊本県立装飾古墳館があり、近くに古墳時代の様々な古墳が存在する。

志々岐阿蘇神社
(点線部は隠されてしまった)



◆「グループB」
こちらは青龍・白虎よりも高い位置にあるのがポイント。

X地点

さて、この場所は何処からきたのか、何を根拠に推定されたのか不思議に思う方もいるだろう。
この考え方は、「六芒星 in 九州」の記事でも同様な推測で大分県佐伯市に強力なパワースポットがあるとした理屈と同じである。つまり地図上のレイラインを根拠とした、私オリジナルの推定地。
ただこの推測こそが私の真骨頂。

X地点
円墳を造るため周りの土が削られている
X地点

通常は果樹園でブラインドされていて分かりづらいが、落葉した冬場にはそれも叶わず、綺麗な円墳と思われる姿が現れる。

岩倉立石巨石群

「菊池川流域文化財調査報告書(熊本県文化財調査報告 第31集)1978.3 熊本県教育委員会」という「天岩戸岩陰遺跡」「トンカラリン」について調べ書かれている文献があるが、その中に「八方ヶ岳・金峰山・倉永山を結ぶほぼ正三角形を「聖線」とし、その線上あるいは中線上に位置する信仰遺跡の可能性の強い地点」という文章がある。その正三角形の中心に位置する地点こそ岩倉立石巨石群である。
しかし、山の奥深くにあり場所的に卑弥呼の御墓とは関係ないと思われる。

◆ 「グループC」
こちらは天上界に近い位置。

不動岩(玄武)

山鹿市のシンボル。ニニギノミコトが天照大御神の命を受けて降り立った地(久士布流多気)でもあると推測。

不動岩

吾平山陵

神武天皇の父、ウガヤフキアエズの陵とされるが宮内庁参考地に留まる。

吾平山陵
(この社の裏に円墳がある)

さて、上記でみてきた通り「墓」と関係する場所は ②、③、④、⑥ の4カ所に絞られる。
そのうち卑弥呼の墓として推定するに当たり、人間界に近いグループA の③、⑥は候補から省きたい。何故なら台与が王として選ばれるまでの経緯を考えれば、卑弥呼は死後も神格化されていたに違いないからだ。
残る②、④の2カ所については本当に判断が難しい。④をウガヤフキアエズではなく卑弥呼の墓とした場合、同じグループCである「不動岩(久士布流多気)」の設定との整合性がとれなくなってしまう。ただ、それは「卑弥呼=天照大御神」という前提の話。
むしろシャーマン卑弥呼は当時、不動岩(玄武)よりは下層に位置しており、卑弥呼の死後グループBまで引き上げられたと推測する。

話を纏めよう。

🔶 卑弥呼の墓 ・・・ ② X地点
🔶 台与の墓  ・・・ ③ 木野神社横

これが私の結論である。

②X地点は八方ヶ岳にも近く、卑弥呼としても嬉しい場所に違いない。
また金印、銀印等については台与に引継がれたのではないかと推測している。存在するとすれば③地点の方が可能性は高いのではないだろうか。

金印や銅鏡などの現物が発掘されない限り、今後も邪馬台国の場所が特定されることはないかもしれない。しかし、熊本県山鹿市が選ばれし地である事は間違いなく、皆さんにも少しはご理解頂けたのではないかと思う。
他に山鹿市のおすすめスポットとして「神社」を推したい。他地区の神社とは一味違い、特に猿田彦の石碑が多数鎮座しており見応えがある。
また、時間に余裕がある方は「百嶋神社考古学」にも目を通して頂ければ「神社」に対する見方が変わり、より楽しく参拝出来るようになるだろう。他にも山鹿市には「松野連系図」も伝えられており奥が深い。

混沌とした世界に突き進む中で皆さんがどこかに避難しなければならなくなった時、是非、熊本県山鹿市を検討して頂きたい。(温泉もたくさんあるし)
まさか自分が生きている内に大きな世界大戦に巻き込まれる時代がくるとは思ってもいなかったが、どうも避けられそうにない。
皆さんもどうぞご自愛ください。

最後に、上記は私の勝手な推測に過ぎないので現地を訪問する際は地元の方々にご迷惑がかからないようにして頂きたくお願いしたい。
最後までお付き合い頂き有難うございました。

※その他参考写真

鞠智城(山鹿市)
右隣に八方ヶ岳(高天原)
雲仙
台(うてな)遺跡から撮影

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