志々岐神社とスサノオと寒言神尊利根陀見と
熊本県山鹿は不思議な地だなぁ〜
と改めて感じている。
まだまだ色んな事を突き詰めていきたいと思っているが、まずは山鹿の地において現時点で気になっている事を挙げてみた。
【001】
人吉球磨を治めていた相良氏は、なぜ遠く離れた泉荘内田村(現山鹿市菊鹿町)を領したのか?
・泉本荘にある十字剣神紋の高橋八幡宮とは?
・稲田村とクシナダ姫
・吾平山陵
・松野連系図
・人吉城と天叢雲剣との関係
(別記事「六芒星 in三種の神器」参照)
【002】
八島八柱神社に伝えられる「八岐(ヤマタ)の大亀」とは?
「茂賀の浦」の水が引いた場所に葦の原野が広がっていたことは容易に想像できる。八岐の大亀が居た茂賀の浦の底が「黄泉の国」であったとするならば、「葦原中国」「高天原」はそこから見える場所にあって然るべきだろう。
・三種の大祓詞の一つ「寒言神尊利根陀見
(かんごんしんそんりこんだけん)」は
なぜ消されたのか?
・出雲の「国引き神話」と不動岩の「首引き
伝説」
・不動岩は久士布流多気?
・八方ヶ岳は高天原?
・やたらと目に付く「八」の文字
【003】
出雲神話はいつの話なのか?
・出雲大社の創建は8世紀初頭?
「古事記」「日本書紀」をもとに建てられた?
・「肥河」とは菊池川ではないのか?
・出雲神話の元ネタは「山鹿神話」?
【004】
蘇我氏と九州王朝と阿蘇の関わり
蘇我氏の「蘇」と阿蘇の「蘇」は同じ漢字だけどたまたまなんだろう、と小学生の頃思ったことがあったけど、大人になった今、改めて追求してみたくなった。
【005】
志々岐神社の本来の主祭神は「大国主命」であり、志々岐神社は「一宮」だったのか?
消された場所には何があったのか?
(別記事: 「標高でみる邪馬台国(卑弥呼の墓を探る)」参照)
参道を通り、階段を登ると目に入る景色は違和感の連続である。私だけではなく、ほぼ皆が抱くであろう一番の違和感は、シンメトリーではないことだろう。

【006】
球磨郡球玖郷(くくごう)
ちょっと山鹿の話から外れるが、私の中で関係ないわけではない。
もとはと言えば、魏志倭人伝に書かれてある狗奴国の「狗古智卑狗」について、多くの人が狗古智卑狗はククチヒコと読み、「菊池の彦」であると結論づけ、 山鹿〜菊池地域 が狗奴国に比定されている事に対し、私には頷けない部分があったことが記事を書き始めた理由である。
ククチヒコと読むのであれば、「球玖の地の彦」でククチヒコの方が無理がない。という事で球磨郡球玖郷とは何処? と色々調べるうちに球磨はとんでもない歴史ある地である事が分かり、また阿蘇も山鹿もスゴい地である事に気付かされたのである。
・球磨の地について、私は説明出来ないけれど、
宮原さんのこれを読めば概ね理解出来る。
私にとってのバイブル。
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12435195732.html
【007】
邪馬「壹」国(魏志)か、
邪馬「嘉」国(翰苑)か、
邪馬「臺」国(後漢書)か
「邪馬台国 = 山鹿市」押しの立場としては翰苑の邪馬嘉国が都合良かったが、ここにきて八岐(ヤマタ)の大亀が現れたことで邪馬臺国(ヤマタコク?)でもいいかなと思うようになってきた。一方、魏志の邪馬壹国の(ヤマイ)については、日本語の起源ではないかと言われているドラヴィダ語で「亀」を意味する言葉があるようだが、もうそこはどうでもよくなってしまった。
最後に・・・
多くの地域に「言伝え」や「伝説」があるだろうが、肥後国ほど色々な話が揃っている地は他に無いように思う。それはやはり「阿蘇山」の存在、及び阿蘇山がもたらした自然の恵みに因るところが大きいのだろう。
また九州王朝は実際にあったであろうし、古事記、日本書紀で消せなかったその痕跡が至る所に残っているのも今となっては面白く感じている。
