トン トン トンカラリン〜 と♪
となり組〜♪
耳に残るこのフレーズ。「ド、ド、ドリフの大爆笑〜♪」でもお馴染みだ。
この歌詞のトンカラリは熊本県玉名郡和水町にある遺構の「トンカラリン」とは関係ないのだろうか・・・? まぁ関係ないか。
さて、下記の別記事でもトンカラリンについて触れていたので、今回はもう少しトンカラリンについて私なりの深堀りをしてみたいと思う。
◾️「標高でみる邪馬台国」
◾️「高天原から久士布流多気 そして黄泉の国 の入口へ」
🔶 はじめに
今回は下記2資料から一部抜粋させていただいた。
◾️『菊池川流域文化財調査報告書 1978.3』
◾️『和水町文化財調査報告 第2集 2006』
私自身、トンカラリンの写真は撮っていないので現況を詳しく知りたい方は上記『和水町文化財調査報告 第2集 2006』がオススメである。
🔶 トンカラリンの概要
◾️所在地: 熊本県玉名郡和水町瀬川
◾️全長: 464.6m
(トンネル部: 269m 溝部: 195.6m)
◾️高低差: 37.35m
以上、『菊池川流域文化財調査報告書 1978.3』より

トンカラリンは清原台地と鶯原台地の間に狭苦しい感じで築造されている。

トンカラリン全体にA〜Mのポイントを設定。各ポイントの標高、及びポイント間の距離が測定されている。

「全長 445.1m」「高低差 36.37m」とあり前述の数値と差異があるが、この数値は『和水町文化財調査報告 第2集 2006』から抜粋しており、現状崩壊している「A~B区間」が計測されていない。

国道16号(玉名山鹿線)を境に東側にトンカラリン、西側には国宝の銀象嵌銘大刀で有名な江田船山古墳がある。
🔶 トンカラリンの用途
一般的には大きく分けて2つの説がある。
① 排水路説
② 信仰遺跡説
①については、途中の高低差の矛盾や、大きな湾曲が排水路としては不適当とされている。
となると私も推す②の「信仰遺跡」とみて間違いないだろう。
この信仰遺跡説に関して、田淵実夫 氏(関西民俗学研究会長)が唱えている説に共感したので紹介したい。
【死者の霊は地下に入る。地下の心霊に会い。その託言を聞こうとすれば、地下への通路を渡って、冥界(ネニクニ・ヨモツクニ)の入り口に達し、そこに死霊を呼び戻さなければならない。冥界への入り口は里山の奥深いところにあるはずである。そこに至って死霊を迎え、託言を聞き得る者は巫女よりいない。トンカラリンは冥界への通路であり、巫女の渡り道であり、祖霊との交会場所ではなかったろうか。
古来肥後の地は死霊信仰の濃厚な地帯だったことは、数多い古墳・横穴遺跡もそれを裏書きしている。「菊池」の古名ククチは潜霊(くくち)、地下霊魂の意味であったかもしれない。】
以上。

さて、『この謎解きに挑戦して』と書いてあるので早速挑戦してみよう。
🔶 トンカラリンの長さ
私が最初に違和感を感じたのは、トンカラリン全体の形状である。両サイドに台地があるため台地に沿った形状になっているのは分かるが、なぜグニャグニャと湾曲させてまでもそこまで伸ばす必要があったのか。【図A】【図B】
それが必然であったのならば、その理由は
「その長さが絶対的に必要だったから」
に他ならないと推測する。その長さ
◾️「464.6m」
この距離にピンときたのは私ぐらいではなかろうか。
別記事「高天原から久士布流多気 そして黄泉の国 の入口へ」に記載したが、大宮神社(御所)には黄泉の国(茂賀の浦の湖底)への入口があったと私は推測している。
(※ココだけ読んだ人は何のことだかサッパり分からないと思うので前記事に一度目を通していただければと思う。)

464.6mは、大宮神社の「鳥居」から現「前田排水樋管」付近までの距離とマッチする。
トンカラリンの築造年代はハッキリと分からないようだが、当時茂賀の浦(湖)は既に今の菊池川の形状に近かったのではなかろうか。
つまり、トンカラリンは黄泉の国・龍宮へ繋がるための信仰遺跡で天孫降臨の時代よりずっと後の時代に造られた遺構であり、山鹿市の現地には造れなかったため、少し離れた和水町に造ったのかもしれない。
(※実際には現地に建造を試みたものの、水がドンドン入ってきたので造るのを諦めた可能性もある。)
となると「何故今の場所に?」となってくるわけだが、正直言って分からない。
分からないがそこはアレ、私の得意技で一説唱えてみたい。
🔶 レイライン

八方ヶ岳山頂と江田船山古墳を結ぶラインは、「不動岩」と「大宮神社(御所)の鳥居」を通る(真芯じゃないけど)。これも別記事でお馴染みになってしまった感があるが、現実である。
◾️ 八方ヶ岳 = 高天原
◾️ 不動岩 = 高千穂(久士布流多気)
◾️ 大宮神社(御所) = 黄泉の国への入口
◾️ 茂賀の浦(の湖底) = 黄泉の国
◾️ 江田船山古墳 = ???
🔶 結論
トンカラリンは、大宮神社(御所)と菊池川(茂賀の浦湖底、黄泉の国)を結ぶことを仮定した遺構であろう。
江田船山古墳とも何らかの関係性があり、トンカラリンの築造時期は江田船山古墳のそれと同時期と推測。
となってくると、その「何らかの関係性」とは何なのか。
「銀象嵌銘大刀」にも繋がりそうで興味が湧いてきた。
※(追記)
初めて江田船山古墳に足を運んでみた。古墳祭が近いこともあってか、キレイに清掃されていた。
江田船山古墳に近づき八方ヶ岳方面に目を向けたところ、なんと八方ヶ岳山頂がハッキリと確認できた。てっきり手前の山に隠れて見えないと思っていたので驚きとともに、確信めいたものが湧き上がってきた。
「トンカラリン」については、スズメバチが出てきそうな気がしたので近寄らなかった。
ただ「菅原神社」に参拝したところ、菅原神社はあちこちにあるが、ここには神様の気配を感じた。最近では宮崎の「都農神社」以来かな。

