映画「ボタニスト 植物を愛する少年」は、草木と風の恋愛物語なのだ。
テアトル梅田で「ボタニスト 植物を愛する少年」を観てきた。芸術的で詩的な映像に、ボーイ・ミーツ・ガール的な物語、そして今の新疆の空気感を寓話的に描いた作品、と言えばいいのだろうか。
新疆の大自然に触れると、人は誰しも哲学的な思考をせざるを得なくなるのだと思う。
多分ボクも実際に訪れ、何かしらの出来事に遭遇したら、一端の哲学をぶちかますに違いない。w
実は、かつてボクは新疆を目指したことがある。憧れの地だった。
だが、その時は叶わず、ネパールへと舵を切った。それもまた運命だったのだと思っている。行けなかったことも含めて。

以下ネタバレを含む。
そんな、かつて新疆を目指したボクにとって、「今の新疆の風景」を見せてくれるだけでも、この映画には十分価値があった。
荒涼とした新疆の山
草木が生える川
青すぎない空
吹き荒ぶ風
以前も、どこかで似た風景を映画で観た気がする。
「ブラックドッグ」が、ゴビ砂漠周辺の、開発から取り残された荒涼とした土地を描いていたとすれば、「ボタニスト」は、これから開発によって変わっていく土地の物語にも見えた。
今後、漢族の流入や開発がさらに進み、民族も自然も変化していくのだろう。
これまでは若者が都市へ出稼ぎに向かっていた。だが、これからは逆に、資源を求める側がこの土地へ入ってくる。
石油、天然ガス、金、レアアース――。
資源豊富なこの地域は、今後さらに大きく変化していくのだろう。

地域に昔から住むカザフ族は、自然信仰が強い。自然と共に生きてきた民族だ。
だから彼が、学校だけではなく、民族伝承や自然そのものから人生を学んでいるように見えるのも、とても自然だった。
草木が彼の教師であり、風景が彼の学校なのだ。
時には羊や馬ですら。

黒い馬は、彼が尊敬していた叔父の象徴なのだろうか。
彼が困難に直面した時、的確なタイミングで現れ、彼の迷いを断ち切る。
だが実際には、それは彼自身の成長の表れなのかもしれない。
自分で決断し、自分で答えを導けるようになった。ただ彼はまだ未熟だから、それを「黒い馬」という形で認識しているのではないか。

少女との出会いから別れの間の付きつ離れつの機微は非常に丁寧に細かく描かれている。
初恋とはこういうモノだろう。
純情とはこういうモノだろう。
未熟な人間の行動は一貫しない。矛盾もする。
でも、向かう方向だけは何となく決まっている。だけど、どうしていいか分からない。
そんな危うさが、とても繊細に描かれていたように感じた。
今の中国では、中央に対して批判的すぎると、映画製作そのものが難しくなるだろうし、将来的な活動にも影響しかねない。周囲にまで影響が及ぶ可能性もある。
そう考えると、単純な行動に出るのは得策ではないのだろう。
映画表現は芸術的であるべきで、「今」はあまり露骨に思想を出しすぎない方がいい。そういう空気感も感じる。
その上で、この映画が最低限「今の新疆」を映像として残そうとしていることには感謝したい。
さてさて。
来場者特典として、ヘアオイル・シャンプー・トリートメントを頂いた。
「ボタニスト」特製なのだろう。有難いことである。
だが、それをボクに手渡してくれた職員さんは、どのような心持ちだったのだろうか。
スキンヘッドのオッサンに、それを渡す役をさせられて……。
気の毒である。

