見出し画像

見習いの手が、お客様に触れるまで

ある日のおなじみさんから、お孫さんの話を聞きました。
美容師を目指しているそうです。

そのお孫さんが、とてもユニークな方で。
アルバイト先の回転寿司店で、こんなことがあったそうです。

お客様から、ネギトロの注文が入りました。
ところが、お孫さんはネギをのせずに出してしまった。

理由を聞くと、
「自分がネギを嫌いだから」
だったそうです。
それは店長さんに叱られます(笑)


おなじみさんは、少し心配そうに言いました。
「そんな孫だけど、美容師が務まるのかな」

私は、こうお伝えしました。
そのおおらかな発想とユニークさは、きっと
お客様に可愛がられると思いますよ、と。

もちろん、仕事には覚えなければならないことがあります。
守らなければならない決まりもあります。
でも、どこか人に覚えてもらえる空気を持っている。

それは、接客の仕事では案外大きな力になるのです。


その話を聞きながら、私は自分のことも思い出していました。

私は、婿養子になってから理容師になりました。
最初からこの道を歩いてきたわけではありません。
事故査定員をして、工場勤務もして
それから理容の世界へ入りました。

今でこそ鋏を握っていますが、当時の両親から見れば、
「本当にこの仕事が務まるのだろうか」
という気持ちは、きっとあったと思います。
言葉にはしなかっただけで。

お孫さんを思うおなじみさんの優しさに触れて
あの頃の親の心配も、少しだけ見えたような気がしました。


ここで、少し制度の話をしておきます。

理容師、美容師になるまでの流れは、時代によって変わってきました。
今から20年以上前。
2002年、平成14年3月末まで、「実地修練」という制度がありました。
いわゆる、現場での修行期間です。

昔は学校を卒業しても
すぐに免許を手にできるわけではありませんでした。
一定期間、現場で実地修練を積み、その後に試験を受ける。
そういう流れがありました。
今の感覚で言えば、かなり現場主義です。

お客様のいる空気。

道具の音。

先輩の立ち居振る舞い。

学校だけでは分からないものを
日々の営業の中で身につけていく仕組みでした。


もちろん、現場で学べることは多いです。
私自身も、店の中で覚えたことは数えきれません。
ただ、その一方で、制度には難しさもありました。

本来は技術を学ぶための期間なのに
厳しい労働環境の中で都合よく
使われてしまうケースもあったと聞きます。

学校を出てから
免許を手にするまでに時間がかかるため
若い人にとっては経済的にも心理的にも負担が大きい。

そうした背景もあり、実地修練制度は廃止されました。

理美容師の教育は現場での修行を前提にした形から
学校教育で基礎をしっかり学ぶ形へ移っていきました。

現在は、養成施設で必要な課程を修了し
国家試験に合格して免許を得る。
それが基本の流れです。


制度が変わると、店の中でできることも変わります。

よく聞かれるのが、
「まだ免許を持っていない学生さんは、どこまでお店の仕事をしていいのか」という話です。
これは、とても大事なところです。

受付。
掃除。
タオルの準備。
器具の片付け。

そうした美容行為、理容行為にあたらない仕事は
店を知る大切な入り口になります。

でも、お客様の髪を濡らす。
シャンプーをする。
カラー剤を塗る。
ドライヤーで仕上げる。

こうしたお客様の身体や髪に直接関わる仕事は、免許が必要です。

「見て覚える」ことと
「お客様に触れて仕事をする」ことの間には
はっきりした線があります。


ここは、少し冷たく聞こえるかもしれません。

若い人に経験を積ませたい。
現場を知ってから就職してほしい。
そういう気持ちは、店側にもあります。

けれど、理容師や美容師の仕事は、お客様の身体に直接触れる仕事です。
刃物を使います。
薬剤も使います。衛生管理もあります。
だからこそ、国家資格としての線引きがあります。

これは若い人を遠ざけるためではなく
お客様を守るための決まりでもあります。


とはいえ、何も触れずに学校を卒業し
就職してから初めて現場の重さを知る。

それもまた、若い人には厳しいことです。

「思っていた仕事と違った」
そう感じて、早く辞めてしまう人もいます。

ですから、学校のカリキュラムに基づく実務実習など
一定のルールの中で現場を知る機会は大切だと思います。

ただし、アルバイトだから大丈夫
見習いだから少しくらい大丈夫
という話ではありません。
そこは、あいまいにしてはいけないところです。

お客様の身体に触れる仕事には責任がついてきます。
鋏を持つ前から、その責任は始まっているのだと思います。


ネギが嫌いだから、ネギトロにネギをのせなかった。

聞いた瞬間は笑ってしまう話です。
でも、そこには「自分の感覚で動いてしまう若さ」もあります。
仕事は、そこから少しずつ変わっていくのだと思います。

自分が好きか嫌いかではなく、お客様が何を求めているのか。
自分ならどうするかではなく、目の前の人に何が必要なのか。
その切り替えを、毎日の仕事の中で覚えていく。

理容師も美容師も、たぶんそこから始まります。


おなじみさんのお孫さんには
夢を持ったまま、この道へ進んでほしいと思いました。
そのユニークさを失わずに。
でも、決まりと責任も少しずつ覚えながら。

いつか、お客様の髪に触れたとき、
「この人にお願いしてよかった」
そう思ってもらえる職人さんになってくれたら嬉しいです。

ネギは、ちゃんとのせて。

それでも、その人らしさは残したままで。


技術だけでなく、理容師としての本音も書いています。



いいなと思ったら応援しよう!

白石俊之|静岡・吉田町で鋏を握り、言葉を綴る 守り神こんぺーが見守る理容白石の、小さくてあたたかい物語をお届けしています。サポートはこんぺーの幸運のコンペイトウに変わって、またあなたのもとへ戻っていきます