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#398 絶対的に優秀な能力を持った人はいない②採用面談で起きている2つの問題 26/3/6

みなさん、こんにちは

前回は、従業員の配置転換において、同じ人が文脈によってまったく異なる評価を受けるという事例をお話ししました。40代後半の女性が、前の部署では「主体性不足」と評価されていたのに、異動先では「プロジェクトをリードする存在」と評されたという事例です。

今回は、採用面談の現場で起きている問題を見ていきます。ここでも、配置の現場と同じ構造——「能力を個人の固定的属性として扱ってしまう認識の枠組み」——が見えてきます。

採用面談における2つの構造的問題

採用面談における能力評価の問題は、大きく2種類あります。

一つは、選考時の評価と、入社して配属された後のパフォーマンスにギャップが生まれる場合です。もう一つは、1次選考と2次選考など、多段階の選考がある際に、面接官によって180度真逆の評価が生まれることです。

どちらも、日常的に起きている現象です。そして、どちらも「能力は個人に内在する固定的なもの」という前提から生じています。

問題①:低解像度の評価が生むバッドサイクル

まず、選考時と入社後のギャップについて見てみましょう。

この問題の大きな要因は、面接官の多くが、候補者のこれまでの仕事経験を解像度高く認識せずに評価してしまっていることです。職歴書をなぞるだけの面談と評価になっているのです。

たとえば、こんな場面を想像してみてください。

候補者の職歴書に「新規事業の立ち上げを担当」と書かれています。面接官はそれを見て、「立ち上げ経験があるからGood」と評価します。面談でも「立ち上げの際に大変だったことは?」「どんな成果が出ましたか?」といった質問をして、候補者から「チーム一丸となって取り組み、予定通りローンチできました」といった回答を得ます。

面接官は「新規事業の立ち上げ経験がある、すなわち立ち上げに必要な能力が備わっている」と判断します。

しかし、ここには決定的な解像度の不足があります。そのプロジェクトにおいて、その候補者自身がどんな役割を担っていたのか。プロジェクト全体のディレクションをしていたのか、それとも特定の機能開発を担当していたのか。チームは何人で、その中での立ち位置はどうだったのか。

誰とどんなチームワーキングを行い、どんな対立や衝突を乗り越えたのか。そこでどんな感情があり、それをどうやって適応させていったのか。プロジェクトで任された役割の中で、何を問題と置いて課題設定したのか、どう課題解決したのか——こうした具体的な状況や環境、パフォーマンスを生み出す前提条件にアンテナが立っていないと思われるのです。

職歴書の「新規事業の立ち上げ」という言葉と、面接での「チーム一丸となって取り組んだ」というビッグワードだけで、評価が完結してしまいます。

バッドサイクルの始まり

そうして低い解像度で評価付けをしてしまうと、入社して配属する際には「新規事業の立ち上げ経験があるメンバー」という大雑把な申し送りになります。

現場のチームメンバーや上長は、その言葉から受ける印象のまま、知見やパフォーマンスに期待をかけます。「立ち上げ経験がある人なら、ゼロイチのフェーズもリードしてくれるだろう」「プロジェクトマネジメントもできるはずだ」。こうした、過度な、あるいは誤った期待です。

しかし、実際には、その候補者は前職で立ち上げプロジェクトの一部機能を担当していただけかもしれません。プロジェクト全体を統括した経験はなく、むしろ明確に定義されたタスクを確実にこなすことが強みだったかもしれません。

新しいメンバーは、期待に応えるパフォーマンスを発揮できません。周囲は段々と「期待値と違う」「前評判と異なる」と懐疑的になっていきます。

さらに悪いことに、最初の評判が「立ち上げ経験がある優秀な人」だったため、「この人は優秀だから大丈夫だろう」と、オンボーディングに必要十分な支援関係を構築してこなかったということが起きます。丁寧に役割を説明したり、社内の意思決定プロセスを伝えたり、困ったときに相談できる関係を作ったり、そうした基本的な支援が不足してしまうのです。

そのため、ますます距離感が生まれてしまいます。新しいメンバーはある種の孤独な立場に置かれ、支援も少なく、期待値はおろか、本来のその人の標準的なパフォーマンスすら発揮できなくなってしまうのです。

こうしたバッドサイクルによって、選考時の評価・期待と、現場に配属してからのパフォーマンスに大きな乖離が生まれます。そして、「採用ミスだった」「面接では良く見えたのに」という結論になってしまうのです。

問題②:面接官の好みが生む評価のブレ

もう一つの問題は、1次面接官と2次面接官など、面接官によって評価が180度異なるケースです。

これは端的に言うと、面接官の好みによって引き起こされると考えています。

掘り下げていくと、コミュニケーションの好き嫌いです。会話のリズムやテンポ、使われる言葉の選択、考え方のパターンや癖。もう少し言えば、自分と同じような価値観や考え方の基盤にありそうだと思えるか、いわば同質性です。

わたし自身も含めてですが、やはり自分と同じようなフィールド、同じ「かいわい」で共有されている価値規範に、どこか類似性を求めてしまいます。それが好き嫌いとして、評価判断に出てしまうのです。

たとえば、ロジカルシンキングを重視する面接官は、候補者が論理的に整理された回答をすると好印象を持ちます。一方で、共感力や人間関係構築を重視する面接官は、同じ候補者の論理的な回答を「冷たい」「機械的だ」と感じることがあります。

もう一つは、質問に対して上手い返しができたかどうか、を判断してしまうことです。簡単に言うと、面接官から見て「大喜利一本!」といった回答ができると、コミュニケーションの位相が合う、ウマが合うといった感覚が生まれ、高く評価してしまう傾向があります。

面接官が「当社の課題をどう捉えていますか?」と聞いたとき、候補者が面接官の期待を上回る切り口で課題を整理して見せると、「この人は理解力が高い」「優秀だ」という評価になります。しかし別の面接官は、同じ回答を聞いて「表面的だ」「現場を知らないのに分かったような口を利く」と感じるかもしれません。

面接官によってこれらの好みが千差万別ですから、候補者の回答が同じだったとしても、その受け手である面接官の好みによって、ハマる場合とそうでない場合で真逆の評価が生じうるのです。

1次面談でA評価、2次面接でC評価、あるいはその逆、という現象は、決して珍しくありません。そして、その評価のブレは、候補者の能力が変わったからではなく、面接官の好みが違うからです。

共通する問題の本質

この2つの問題、低解像度の評価によるギャップと、面接官の好みによるブレ、に共通しているのは何でしょうか。

それは、「能力を個人の固定的属性として扱ってしまう認識の枠組み」です。

「この人は立ち上げ経験がある=立ち上げ能力がある」という判断も、「この人はロジカルだ=優秀だ」という判断も、どちらも能力を個人に内在する固定的なものとして見ています。

しかし前回の配置の事例で見たように、能力は文脈依存的です。その人がどんな環境で、誰と、どんな課題に向き合うかによって、発揮される能力は大きく変わります。

採用面談でも、本来は「この人はどんな文脈でどんな力を発揮してきたのか」「その文脈と、当社の環境は似ているのか、違うのか」を見極める必要があります。しかし、低解像度の評価では、文脈が捨象されてしまいます。面接官の好みによる評価では、候補者の文脈ではなく、面接官自身の好みという別の文脈で判断されてしまうのです。

次回は、この能力観の問題がどこから来ているのか、その源泉にある学習観の問題を掘り下げていきます。「学ぶとは何か」という問いが、実は能力観と深く結びついているのです。
それではまたり

<meta>採用面接、評価のブレ、解像度、面接官バイアス、能力観</meta>

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