#401 絶対的に優秀な能力を持った人はいない⑤可能性を開くためにわたしたちにできること 26/3/16
みなさん、こんにちは。
前回は、本当の学びとは何か、それは自分の前提やパースペクティブをアップデートし続けるOS更新だということ、そしてその学習観に基づいた構造化面接の実践について見てきました。ただし、組織への浸透は道半ばであることも正直にお伝えしました。
今回、この連載の最終回では、冒頭に掲げた問いに立ち返ります。
「絶対的に優秀な能力を持った人はいない。あるのは、自分の矮小化された思考の前提である」。この前提が何を引き起こすのか、そしてわたしたちには何ができるのかを考えます。
レッテル貼りが閉じる可能性
「人の能力に優劣がある」という前提は、何を引き起こすでしょうか。
それは、レッテル貼りと決めつけ、と考えます。
「この人は主体性が不足している」
「あの人は能力が低い」
「優秀な人材を採用しなければ」
こうした言葉は、人の可能性を閉じ、狭めるものだと強く思います。
第1回で紹介した配置が変わった女性従業員の事例を思い出してください。40代後半の彼女は、前の部署では「主体性不足」との評価(レッテル)を貼られていました。もしそのレッテルが固定化され、「この人はこういう人だ」と決めつけられていたら、異動の機会すらなかったかもしれません。
「主体性が不足している人に、新しいプロジェクトを任せるのはリスクだ」
「等級も低いし、期待できない」
そんな判断がなされていたら、彼女が異動先で花開く可能性は、永遠に閉ざされていたでしょう。
しかし実際には、文脈が変われば彼女は「プロジェクトをリードする存在」になりました。レッテルは、その人の固定的な能力やもっと卑近な言い方をすれば価値を表しているのではなく、ある特定の文脈における一時的な状態を切り取ったものに過ぎなかったのです。
第2回で見た採用面接の事例でも、同じことが起きています。
「この人は優秀だ」と過度な期待をかけることも、別の形でのレッテル貼りです。その期待が現実と乖離したとき、今度は「期待外れだった」という新しいレッテルが貼られます。そして、適切な支援を受けられないまま孤立していく。そんなバッドサイクルが始まるのです。
最初のレッテルが「優秀」であっても「能力不足」であっても、レッテルを貼るという行為そのものが、その人を固定化し、絶対的な存在として見てしまうことになり、可能性を限定してしまいます。
「能力に優劣がある」という前提は、人を固定化し、分類し、序列化します。そして、その分類に基づいて、機会を与えたり与えなかったりする。これが、どれだけ多くの可能性を閉じてきたでしょうか。
能力観が生む組織の硬直化
この問題は、個人のキャリアだけでなく、組織全体にも影響を及ぼします。
「優秀な人」を採用し、その人に重要なプロジェクトを任せ、その人を昇進させる。こうした人事施策は、一見合理的に見えます。しかし、「優秀」という判断基準が、実は特定の文脈における特定の評価者の好みに過ぎないとしたら、どうでしょうか。
組織は、同質的な人材ばかりを集めることになります。同じような価値観、同じような思考パターン、同じようなコミュニケーションスタイルを持つ人たち。そうした人たちは、確かに協働しやすいかもしれません。会話のリズムが合い、阿吽の呼吸で仕事が進むでしょう。
しかし、環境が変化したとき、どうなるでしょうか。これまでの成功パターンが通用しなくなったとき、同質的な集団は適応できるでしょうか。
第3回で見たように、本当の学びとはOSの更新、それは自分の前提を問い直し、新しいパースペクティブを取り入れることと定義しました。しかし同質的な集団では、互いの前提を問い直すことが難しくなります。なぜなら、みんなが同じ前提を共有しているからです。
多様性が失われた組織は、だんだんと学習能力を失います。新しい視点を取り入れられず、古いOSのまま動き続け、やがて時代遅れになっていくのです。
わたしたちにできること
では、わたしたちには何ができるのでしょうか。
まず、自分自身の中にある「能力なるものが、わたしたち1人ひとりに絶対的、固定的に内在化している」「能力(人)に優劣がある」という前提を疑ってみることだと考えます。
もしあなたが「この人は能力が低い」と感じたとき、それは本当にその人の問題でしょうか。それとも、その人が力を発揮できる文脈が整っていないだけではないでしょうか。
そう自己内対話をしてみるのも良いのではないでしょうか。
もし、その人が別の環境、別のチーム、別の役割だったら、まったく違う評価になるかもしれません。第1回の女性の事例が示すように、同じ人が180度異なる評価を受けることは、決して珍しくないのです。
「能力が低い」と決めつける前に、「この人が力を発揮できる文脈は何だろう」と考えてみる。これだけでも、大きな違いが生まれます。
「優秀な人がほしい」と思ったとき、それは何を前提にした「優秀さ」でしょうか。あなたの部署の、わたしの価値観における「優秀さ」ではないでしょうか。
もしかしたら、あなたが「優秀」だと感じる人は、あなたと同質的な人、たとえば同じような考え方、同じようなコミュニケーションスタイルを持つ人、かもしれません。しかし、組織に本当に必要なのは、あなたと、わたしとは異なる視点を持つ人ではないでしょうか。
学習観を問い直す
次に、自分自身の学習観を問い直してみることです。
「学ぶ」ということを、スキルの習得だと捉えていませんか。研修を受けて知識を得ることが、学びだと思っていませんか。もちろん、それも学びの一形態です。
ただしながら、第3回で見たように、スキル習得型の学習観には限界があります。動機なき学習はサステナブルでなく、スキルはすぐに陳腐化し、単線的なスキルでは複雑な現実の問題を解けません。
学びとは、自分の前提を問い直し、パースペクティブをアップデートし、自分のOSを更新し続けることではないでしょうか。その視点にわたしは重きを置きたいと思います。
そう定義したときに、その学びは一人では難しい営みです。他者との対話、他者からのフィードバック、他者の視点、こうしたものを通じて、初めて自分の持っている前提が見えてきます。
ですから、学びとは社会的なプロセスの中で生じると考えます。孤立した個人がスキルを習得するのではなく、他者との関係性の中でOSを更新していく、そんな学習観を持ちたいものです。
組織のリーダー・管理職の方へ
そして、組織のリーダーや管理職の立場にある方には、特にこう問いかけたいのです。
あなたのチームで「パフォーマンスが低い」と評価されているメンバーは、本当に能力が低いのでしょうか。それとも、その人が力を発揮できる文脈や環境を、あなたが提供できていないだけではないでしょうか。
配置を変えてみる。役割を変えてみる。チーム構成を変えてみる、そうした文脈の変更によって、「パフォーマンスが低い」と思っていた人が、実は大きな力を発揮するかもしれません。
あなたが「優秀な人材を採用したい」と考えるとき、その採用プロセスは、候補者の可能性を開くものになっているでしょうか。それとも、あなたの好みに合う人を選別しているだけではないでしょうか。
第4回で紹介した構造化面接のように、面接を「能力の見極め」から「相互理解とリフレクション」の場へと転換することはできないでしょうか。候補者が自分自身を理解し、自分で判断できるような場を提供することはできないでしょうか。
あなたの組織は、スキル研修に投資し続けることで人が育つと思っていませんか。それとも、メンバーが自分の前提を問い直し、OSを更新し続けられる学習システムを作っていますか。
1on1の面談は、単なる進捗確認の場になっていませんか。それとも、メンバーが自分の経験をリフレクションし、自分の前提に気づく場になっているでしょうか。
チームの会議は、情報共有だけの場になっていませんか。それとも、互いの前提を問い直し、多様な視点を取り入れる対話の場になっているでしょうか。
文脈を変えれば、誰もが活躍できる
最後に、もう一度強調しておきたいことがあります。
絶対的に優秀な人はいません。
文脈を変えれば、誰もが活躍できる可能性を持っています。
わたしが10,000時間以上かけて実行してきた膨大な配置の実践知から、自信と確信を持って言うことができます。ある文脈で「物足りない」と評価されていた人が、別の文脈で「期待以上」と評されることは、決して珍しくありません。
必要なのは、「この人は能力が低い」と決めつけることではなく、「この人が力を発揮できる文脈は何だろう」と考えることです。
必要なのは、「優秀な人を見つける」ことではなく、「この人が成長できる環境を一緒に作る」ことです。
必要なのは、スキルを習得させることではなく、自分のOSを更新し続ける謙虚さと柔軟性を育むことです。
あなたは、どちらを選びますか
人の可能性は、わたしたちの思考の前提によって、閉ざされもするし、開かれもします。
「能力に優劣がある」という前提に立てば、人を分類し、序列化し、レッテルを貼ることになります。その結果、多くの可能性が閉ざされていきます。
「能力は文脈依存的だ」という前提に立てば、文脈を変えることで可能性を開くことができます。その結果、これまで見えなかった力が発揮されるようになります。
どちらの前提に立つかは、あなた自身が選ぶことができます。
そして、その選択は、あなた自身の可能性にも関わってきます。
もしあなたが「自分は能力が低い」と思い込んでいるとしたら、それは本当にあなたの問題でしょうか。それとも、あなたが力を発揮できる文脈にまだ出会っていないだけではないでしょうか。
もしあなたが「もう成長できない」と感じているとしたら、それは本当にそうでしょうか。それとも、スキル習得という学習観に囚われているだけで、OSを更新するという別の学びの道があるのではないでしょうか。
終わりに
この連載を通じて、わたしが伝えたかったのは、「能力観を変えれば、見える世界が変わる」ということです。
「優秀な人がほしい」という言葉への違和感から始まり、配置と採用の現場で実際に起きていること、その背後にある学習観の問題、そして学びとは何か、こうしたテーマを、5回にわたって掘り下げてきました。
わたし自身、人事として十数年間、この問題と向き合い続けてきました。構造化面接という実践も試みてきました。しかし、組織全体の能力観・学習観を変えるというのは、まだまだ道半ばです。
それでも、一人ひとりが自分の前提を問い直し、「能力とは何か」「学ぶとは何か」を考え直すことで、少しずつ変化は生まれると信じています。
あなたは、明日から何を変えますか。
自分の中にある「能力に優劣がある」という前提を疑ってみる。チームメンバーに対するレッテルを外してみる。面談の場を、リフレクションの機会に変えてみる。採用面接の質問を、相互理解のための対話に変えてみる。
小さな一歩でも構いません。その一歩が、誰かの可能性を開くきっかけになるかもしれません。
人の可能性は、わたしたちの思考の前提によって、閉ざされもするし、開かれもします。
あなたは、どちらを選びますか。
それでは、また。
