カッコよくなるために
マイケル・ウェスティンと芹沢、この2つの「かっこいい!」にずっと引っかかっている自分がいる——このモヤモヤをちゃんと言語化しておきたくて、この記事を書いています。
妻が「かっこいい!」と叫んだマイケル・ウェスティン。
初めての彼女が「かっこいい!」と叫んだ、クローズZERO冒頭で芹沢がパトカーに乗り込むシーン。
どちらも、女性の口から出た「かっこいい」。
でも、自分の中に残った手触りはまったく違いました。
ひとつは「こうなりたい」と思えるロールモデル。
もうひとつは、なぜかうっすらとモヤっとする感覚。
この違いは何なのか。
なぜ自分は、一方に憧れ、もう一方にはどこか距離を感じるのか。
せっかくなので、この違和感ごと、掘り下げてみます。
1. 妻の「かっこいい!」から始まったロールモデル選び
以前 note に「格好良くなる方法」を書いたとき、自分の中でロールモデルとして選んだのが『BURN NOTICE(バーン・ノーティス)』のマイケル・ウェスティンでした。
その選定の決定打になったのが、妻の一言です。
チャージャーから降りてくるマイケルを見た妻が、思わず
「かっこいい!」
と叫んだ瞬間。
その時、自分の頭の中でこんなスイッチが入った感覚がありました。
「あ、これが妻にとっての『かっこよさ』なんだ」
そこから先は単純で、
だったら自分は、この『かっこよさ』を追いかけてみよう、と決めました。
見た目や佇まい
立ち振る舞い
空気の読み方、場の収め方
全部ひっくるめて、「マイケル・ウェスティン的な格好よさ」をロールモデルにすることにしたわけです。
2. 初カノの「かっこいい!」が、ずっとモヤモヤしていた
一方で、自分の記憶にはもう一つ、強烈に残っている「かっこいい!」があります。
それは、まだ若かりし頃。
当時付き合っていた彼女と一緒に観た『クローズ』。
冒頭、芹沢がパトカーに乗り込むシーン。
警察に連行されていくような、あの瞬間に、彼女がボソッと
「かっこいい…」
と漏らしたんです。
そのときの自分の感情は、正直に言えば
嫉妬
焦り
「自分とはまるで違う世界の人」に対する劣等感
そんな、あまり綺麗ではない感情が入り混じったものでした。
なぜかモヤっとして、
なぜかザワザワして、
でもそれを上手く言語化できなくて、そのまま記憶だけが残っていた。
今回、マイケル・ウェスティンの話を書いたことで、この芹沢の記憶がふっと甦ってきたんです。
せっかくなので、この2つの「かっこいい」を比較してみることにしました。
3. マイケルと芹沢、何が違うのか?
ここからは、自分なりの解像度を少しずつ上げていきます。
3-1. 背景にある「暴力」と「責任」
まず大きな違いとして感じたのは、2人の「暴力」との距離感です。
芹沢:不良高校のトップとして、ケンカ・暴力の世界にいる人
マイケル:元スパイとして、暴力も使うが、基本は「守るため」に動く人
どちらもフィクションであり、暴力シーンはあります。
でも、自分の中での線引きとして、
暴力そのものがカッコよさの中心に置かれているか
暴力はあくまで手段であり、目的は別にあるか
ここが大きく違うな、と感じました。
芹沢の「かっこよさ」は、ある種の「壊しっぷり」や「危うさ」込みでの魅力。
それに対して、マイケルの「かっこよさ」は、危険な世界にいながらも、どこか常に「状況をコントロールしている」ような落ち着きがある。
同じ「アウトロー寄り」でも、
破壊を楽しむアウトロー
守るために動くアウトロー
このニュアンスの差が、自分の中ではかなり大きいのだと思います。
3-2. 彼女/妻が見ていた「かっこよさ」と、自分が感じた「不安」
もう一つ、違う視点を足してみます。
彼女が芹沢を見て「かっこいい」と言ったとき
妻がマイケルを見て「かっこいい」と言ったとき
彼女たちは、それぞれ何を見ていたのか。
そして、自分はなぜモヤったのか。
ここには、多分こんな構図があったように思います。
当時の自分:学生、等身大の延長線上に芹沢を見てしまう
「自分はああいう世界では戦えない」
「あの『不良的な強さ』は一生手に入らない」
「自分が選んでこなかった世界の象徴」
つまり彼女の「かっこいい!」は、自分の「できなさ」を突きつけられたように感じてしまった。
一方で、今の自分がマイケルをロールモデルにする時は、
「年齢を重ねても、こういう落ち着きと余裕は身につけられるかもしれない」
「立ち振る舞い・判断・会話の仕方は、真似から入ってもいい」
「全部は無理でも、方向性として追いかける価値がある」
つまり、
自分の延長線上にある「かっこよさ」として見られるかどうか。
ここが、モヤる/モヤらないの分かれ目なんだろうなと、今は思っています。
4. 「ロールモデルにできるかどうか」が境界線
ここまで書いてきて、自分の中で一つ、しっくりくる言葉が見つかりました。
ロールモデルにできるかどうか。
芹沢的なかっこよさ:
作品として見るなら最高にかっこいい。
でも、自分が「こうなる」とはまったく思えない。
だから、距離のある「憧れ」で終わる。
そして、その「距離」が劣等感やモヤモヤを生む。
マイケル的なかっこよさ:
もちろんフィクションだし、全部コピーは無理。
でも、立ち振る舞いや判断軸、服装や動きは、要素分解すれば真似できる。
「自分もこっち側に近づけるかも」という希望が持てる。
だから、「ロールモデル」になり得る。
この違いは、
「人物のかっこよさ」そのものというより、自分との距離感の問題なのだと思います。
5. 自分が追いかけたい「かっこよさ」の輪郭が、少し見えた
今回、2つの「かっこいい」を並べてみたことで、自分が本当に追いかけたい「かっこよさ」の輪郭が、前より少しだけハッキリしてきました。
5-1. 自分の中の「かっこいい」チェックリスト
「守る側」「支える側」としての強さがあるか
危険な状況でも、どこか余裕を失わない落ち着きがあるか
「収める」「着地させる」力があるか
見た目だけでなく、判断や言葉に一貫性があるか
「自分もいつか、この方向性には近づけるかも」と思えるか
完璧なリストではないけれど、自分の中のジャッジ基準として、こういう項目があると気づけました。
5-2. 「妻のかっこいい」と「自分のかっこいい」を重ねていく楽しさ
面白いのは、
妻の「かっこいい」
自分の「かっこよくなりたい」
この2つの輪を少しずつ重ねていく作業そのものが、けっこう楽しい、ということです。
妻が反応したポイント
自分が「ここ真似したい」と思ったポイント
これを言葉にしておくことで、「目指す方向性」がブレにくくなります。
6. モヤモヤをそのままにしないで、言語化しておく意味
最後に、このnoteを書いてみて感じたことを一つ。
昔のモヤモヤを、そのまま放置しないで、一度ちゃんと言語化しておくと、思っていた以上に「今の自分」に効いてくる。
学生時代に感じた「芹沢へのモヤっとした感情」は、その当時の「等身大の自分の限界」を、そのまま映したものだった気がします。
あれから時間が経ち、今は「ロールモデルとしてのマイケル」を追いかける自分がいる。
その間に、
何に憧れ、
何にコンプレックスを感じ、
何なら自分もやってみたいと思えるのか
が、少しずつ更新されている。
この変化をちゃんと可視化しておくことって、「これからどう格好よく歳を重ねていくか」のヒントになるんじゃないか、と感じています。
おわりに
彼女が「かっこいい!」と言った芹沢
妻が「かっこいい!」と言ったマイケル・ウェスティン
同じ「かっこいい」でも、自分の中に残った感情はまったく違いました。
その違いを丁寧に解きほぐしてみたら、
自分は、「ロールモデルにできるかどうか」で、かっこよさを選びたいんだ。
という、1本の芯のようなものが見えてきました。
これからもきっと、映画やドラマの中で、いろんな「かっこいい」に出会うと思います。
そのたびに、
これは、ただの「遠くから眺めるかっこよさ」か
それとも、「自分の延長線に置けるかっこよさ」か
を、自分なりの言葉で確認していく。
そのプロセスそのものが、「自分なりの格好よさを育てていく」ということなのかもしれません。
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