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ラーメンと批評

批評に興味がある人で読んでいないのであればぜひとも読むべきと思わず言いたくなるのがこの『ラーメン発見伝』シリーズ、とりわけ「ラーメンハゲ」の不本意な呼び名でネットに広く知れ渡っている、芹沢を主人公とした『らーめん才遊記』以降の一連の作品であり、今回取り上げる6月発売で最新となる13巻を含んだ「再遊記」編は、全体の第三シリーズ目にあたる。

13巻に限ったことではないが、本作のテーマは「ラーメンと批評」、就中「批評」そのものである。それはもう、ずっと前からそうなのであり、それを体現する人物が芹沢であった。

もちろん、本作はラーメンをテーマにする中で批評と批評についての思考を展開するため、極めてアクチュアルかつわかりやすくなっている一方で、たとえば文学や芸術などを題材に展開するものとは毛並みが違っているようにも見える(たとえば『ブルーピリオド』と比較せよ)のだが、それは料理(食)というもっとも原初的なものを対象にしていることと、作り手の側に比重をおいて語られているからだと言える。たとえば『神の雫』であれば、ワインの味わいの言語化にその多くの言葉が割かれており、製法や産地の話もなされはするが、全体としてその主体は作り手ではない。しかしこのシリーズは作り手が主役であるため、ある意味で理想的な理念と現場の往還がある。他方、批判されがちだと言える「批評の批評」にも独特の味わいがあり、かつ、現実にこの営みの蓄積が「批評」を作ってきた面もあるため、このレイヤーの不在が味わいの違いに見えるのだと思う。

本当に、私にとってはこのマンガは、趣味的にはそこまで合うわけではないのだが、主義主張として愛さざるを得ず、第一シリーズであった「発見伝」がドラマとして素晴らしかったことも含めて、ずっと楽しんできたマンガである。単に文学批評みたいなものを抱き合わせ的にマンガに導入しているのではなく、おそらく監修者がゼロ年代批評の読者であったことによって成立している言葉遣いであり、実際、繰り返し本シリーズでは「ゼロ年代」という特別な呼称が用いられていた。私個人の趣味でいえば、第三シリーズからは朝倉未来を中心としたRIZINやUFCなどの総合格闘技に関するネーミング仄めかしが多用されており、実はそれは最新刊にまで引っ張られていて、ホテルが「ペレイラ」なのもそうだが、会長が「試合決定ね」という仕草はご存知BreakingDownである。BreakingDownは令和最大の現象の一つであり、単なる趣味を超えてここに登場した意義があるとも言えるだろう。本当に。いずれそれについては書く。

さて、そこに来てこの13巻は、まさに作り手と批評家(語り手、YouTuber含む)が直接ラーメン対決をするという、まさにラーメンBreakingDownが開催されるという驚くべき展開となった。その結果は次回に持越しなのだが、めちゃくちゃ沸騰するテーマだと言える。

そこではむしろ、理想主義的で極端に近視眼な職人(笑)的作り手に対する強烈な批判と、「語り手」陣営からの逆襲が描かれる。これは、驚くべきことである。なぜならば、これまでの世相はまさに「批評」の存在を横にどけることでここまで来たようなものだからだ。問題点の厳しい指摘とそれに伴う口撃は、私にとっては不得意なことだが、それこそ「推し活」にしかならないような「読解」しか存在しない提灯的世界の資本主義的結託を批判する「批評の自由」への希求が訴えられたような内容だった。それは本当に眩いようなものに思える。

私がこのシリーズをまともに取り上げるのはこの13巻が初めてのようなものだから、過去にさかのぼって芹沢の素晴らしさを語りたくもなるのだが、それはさすがに、少なくとも今回のような扱いの記事にとっては手に余る。なのでそこについてはまた別の機会にして任せたいが、かいつまんで最後に紹介しておきたい。

第一シリーズにおいては、いわば芸術家の理想と現実が描かれる。それは本当によいものと、人々が評価するものの対決である。そのジレンマにいち早く直面していた芹沢は、理想の「淡口らぁめん」を作ったが、その味わいを大衆は真に評価することができず、客足が遠のく中で、芹沢がジャンクな「濃口らぁめん」を作ったことで大衆の評価を得ることに成功した。しかし、そのとき芹沢は大衆に絶望することになった。大衆は「情報を食っているんだ」という伝説のセリフが登場するのはそのような流れの中においてである。第一シリーズの主人公である藤本は、飲食の仕事をしつつ、脱サラを目指して夜はラーメン屋台を引いていた。彼もまた理想のラーメンを目指していたのである。そして、理想を目指す中では、芹沢が通ってきた全ての障害に直面することになる。美味しさを競うのが料理という商品なのだから、みんなに喜ばれるものが理想の着地点ではないのか。そもそもみんなに喜ばれるものとは何なのか。それは一番美味しいものなのか。その全ての問題に衝突しながら、藤本は芹沢と激突し、そして最終的に自分の店を出すに至る。その店は、のちのシリーズでそこに意図せず訪ねた芹沢から「本物のラーメン屋だ」と評価されることになる。

このように敵方として登場した芹沢だったが、その溢れ出る魅力は彼を物語から逃さなかったようである。第二シリーズでは、主人公として自社に迎えることになる天才・汐見ゆとりの後見役として振る舞うのだが、味方側になったことも踏まえると、実質的な主人公となっているとすら言ってよい。そこではゆとりの直感的天才性に翻弄されながらも、圧倒的に研ぎ澄まされたラーメンに関する批評理念によって、自分たちが取り組むラーメンとは一体何であるかという問題を明らかにしてゆく。その物語は、ゆとりと、天才料理人でありラーメンを批判するゆとりの母との対決において頂点に至る。

そして満を持して完全なる主人公として再見したのが第三シリーズだが、それは始まりからして批評的であった。正直、ドラマ的には第二シリーズでかならい収まるところに収まっており、我々は約束された続きを待っていたわけではなかった。しかしそれは始まってしまった。始まったとき、芹沢は「中年の危機」に襲われ、やりがいを失い、燃え尽きていた。そしてこの第三シリーズでは、それまでのシリーズを彩っていた人たちの退場や引退のようなものも描かれ、物語の加齢を強く表示していた。その中でも芹沢の復活を描くことから始めたのが、この最新作なのであった。それは第一巻第一話から極めて素晴らしく、大きな感動を持って読んだことが私の中には強く記憶に残っている。

今更いうまでもないことだが、これはただのラーメンマンガではない。ラーメンが文化現象であることを強く意識し、文化史的視点を持って同時代文化を描きながら、それを把握する視座としての批評を行使するという、極めて奇跡的なマンガなのである。あと、ラーメンが食べたくなる。

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