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【連載】C-POPの歴史 第20回 台湾の’00年代-2 台湾のバンドのゼロ年代。またはメイデイ(五月天)の時代

中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。前回は、台湾のゼロ年代(2000〜2009年)のうち、女性ソロと女性グループに絞って紹介しました。特に、ジョリン・ツァイ(蔡依林)という台湾でバカ売れした超人気シンガーの楽曲をどどどっと紹介しました。

20回目となる今回は、同じく台湾ゼロ年代より、バンドに絞って紹介しようと思います。現代の台湾音楽の特徴として様々な種類のインディーズバンドが存在することが挙げられますが、00年代ではまだ黎明期といった趣で、それほど盛り上がってなかったように思います。逆にいえば、この時期から活躍していたバンドは現在では重鎮のような扱いを受けてるケースが多く、台湾の音楽シーンにおいて重要なバンドばかりと言えるかもしれません。どんなバンドがいたのでしょう。さっそく振り返ってみましょう! もちろん、台湾が誇るスーパーバンド、五月天(メイデイ)のこともね!


台北のライブハウスカルチャーの黎明期

その前に台北のライブハウスの話を。台北に「河岸留言」というライブハウスがオープンしたのが2000年。かつては、台北の学生街、公館にありました(公館は下北沢みたいな場所だと思ってください)。その後移転し、現在は台湾の一、二を争う繁華街、西門に移動し、現在も営業を続けています(河岸留言西門紅楼展演館)。さらに、同じく公館に「The Wall」というライブハウスができたのも2003年。どちらも古くから台湾のインディーズシーンを支えてきたライブハウスです。また、現在も営業を続ける女巫店(Witch House)は、Wallや河岸留言より小さめですが、1996年にはライブハウスを開始しています。このように、現在老舗となっているライブハウスの多くはゼロ年代にはしっかりと台北の街に根を下ろしました。

東京にだってたくさんライブハウスはあるし、台北よりも歴史は古いです。ですが、東京よりも台北のほうがより、なんとなくですが人々の音楽との接点が身近な気がします。そのような状況が醸成されているのは、台北のバンド、演奏する人たちだけでなく、ライブハウスの存在もかなり大きいと思います。そんな状況も整ってきたなかで、様々なバンドがこの時期に活躍しました。この項目では、ゼロ年代を代表するバンドを、メジャー、インディーズ問わず紹介したいと思います!

メジャーからインディーズまでさまざまなバンドが登場

淚橋/伍佰(Wu Bai) & China Blue(2003年)

まずは、90年代のバンドシーン(第11回)でも取り上げた伍佰(Wu Bai)のゼロ年代の曲を紹介したいと思います。すでにこの時代にはベテランの域すら感じさせます。相変わらず泣かせるサウンドが得意な伍佰。なかでもこの曲は特別泣きメロだと思います。

このアーティストは日本でいえば誰のような存在なのかという遊びをしたいのですが、私の中で伍佰は宮本浩次、伍佰&China Blueはエレファントカシマシです。どうでしょう。キャリアの長さとか知名度や人気も申し分なく、なんか個性はめちゃくちゃ溢れ出ているんですけど、意外とストレートに胸に響くような曲を作るという意味で近いと思います。

Believe in music/蘇打綠(Sodagreen)(2004年)

蘇打綠(Sodagreen/ソーダグリーン)は金曲奨を何度も獲っていて、台湾においては五月天(メイデイ)の次ぐらいにメジャーなバンドと言えるかもしれません。この「Believe in music」という素直なメッセージが込められた曲は、結成当時のライブなどでは必ず演奏されるいわば代表曲のような位置付けでした。メンバーのほとんどは國立政治大學という大学出身。キャンパスロックですね。

蘇打綠(Sodagreen)が優れていた、あるいはラッキーだったのは、レコード会社は大手ユニバーサルと契約しながら、制作に関しては林維哲という音楽プロデューサーの傘下で行われ、レコード会社は配給のみを行うという契約だったため、独立性が保たれたというのが一つ大きいと思います。彼らがマネジメントや政治や法律などを学ぶ大学出身だったから、大手とうまく交渉できたのでしょうか(邪推)。

蘇打綠(Sodagreen)の音楽性としてはオルタナティブロックだと思います。この時期、世界的にオルタナティブロックの風が吹いていたのですが(ストロークスとかアークティック・モンキーズとか)、蘇打綠(Sodagreen)はその潮流の中にあるバンドだと思われます。

朋友之歌/雀斑(Freckles)(2007年)

雀斑(Freckles)は、台湾インディーズシーンの重要バンド。現役でシーンで活躍してるので、改めて年号を確認して、こんな前からやってるのかと思いました。結成は2003年だそうです。長い。

このバンドの魅力はヴォーカルの林以樂(Ben Ben)のキャラクターに寄るところが大きいです。雀斑とは「そばかす」という意味ですが、JUDY AND MARYのそばかすという曲が好きだったからという命名理由だそうです。『MUSIC MAGAZINE 2020年4月号 台湾音楽の30年』では、Ben Benをはじめ、透明雑誌、DSPS、イルカポリスなど台湾インディーズ音楽シーンのメンバーが勢揃いした対談が掲載されていますが、JUDY AND MARYが特に台湾のBen Benの世代のミュージシャンに影響した大きさが語られています。それは音楽性もそうだし、YUKIのキャラクター性も大きいと思います。

ちょっと独特だけどかわいい少女性を押し出したヴォーカルという路線は、確かに90年代日本のYUKIから現代台湾のイルカポリスの伍悅まで連なるのですが(ここで登場したバンドは第33回で紹介しています)、日台のこのような影響を考えるのも面白いですね。

月牙灣/F.I.R.(飛兒樂團)(2007年)

F.I.R.(飛兒樂團)は、ライブハウスやストリートが生み出したバンドではなく、どちらかといえばユニットという雰囲気ですが、バンドですのでこの項目で紹介させていただきます。

月牙灣とは、台湾のちょうど真ん中あたりにある日月潭という大きな湖のほとりの湾をさしています、、、だと思うんですが、歌詞にはシルクロードとか、規模の大きな話が出てくるのでひょっとしたら別の場所を指しているのかも?? MVもどうみても台湾ではないどこかですし。仮にシルクロードの話と仮定するとこのあたり(月牙泉)を指しているのかもしれません(C-POPの話に関係ないですが、楽園の地図は旅メディアなのでこういう地名の話題には正確でいたい)。

このバンドの魅力はやはり、ヴォーカルの詹雯婷(フェイ)の魅力によるところが大きいと思います。しかしメンバーチェンジを経てヴォーカルがいなくなってしまい、以降はあまり大きなヒットを飛ばすこともなくなってしまいました。残念。

晚安台灣(Good Night Formosa!)/滅火器(Fire EX.)(2009年)

Fire EX.(滅火器)も息の長いバンドで、なんと2000年結成。台湾の南部にある台湾第二の都市、高雄を代表するバンドです。「滅火器」のこの印象的なロゴはこのころから健在だったんだと思います。

このバンドはどちらかといえば激しいパンクロックが多い印象ですが、この「晩安台湾」(Good night! Formosa!)では、台湾愛をストレートに表現した楽曲だと思います。

パンク、ロック、インディーズロックなどの男臭くてうるさい音楽がなぜあるのか。それは普段目を背けて見ないようにしている感情に気づかせてくれるからだと思います(これは特定のジャンルに限らず、音楽全般に言えることかもしれません)。それはある時は怒りだったり、悲しみだったり、欲や嫉妬という負の感情だったりもするでしょう。いずれも厄介な感情ゆえ、日常生活では心の奥にしまっておくべきものです。でも、たまには開放しないとストレスにやられてしまいます。そんな感情を開くために、うるさいパンクは存在します。この曲で表現されている感情はズバリ、「恐れ」だと思います。Formosa(フォルモサ/台湾の愛称。日本をジパングと呼ぶようなもの)の恐怖とはなんでしょう。その恐怖とは、はっきりいえば海峡の向こうに広がる恐怖です。この曲が何を歌っているのかわからなくなる日まで、滅火器の演奏は止まりません。

台湾の源流を表現する。少数民族と客家

ここからは、ゼロ年代のバンドの曲の中でも、特に民族音楽、原住民の要素を多分に含んだバンドを紹介します。

等無限時批/新寶島康樂隊(New Formosa Band)(2000年)

新寶島康樂隊は、台湾語(中国語と異なる台湾独自の言葉)や客家語(中国の広東省東部や福建省南部などがルーツの方言、伝統的に台湾には客家人が多い)を駆使した音楽を表現するグループです。90年代でも紹介しましたね(第11回)。

ところでこの曲、第11回の90年代で紹介した伍百の愛情限時批にそっくり。愛情〜が1995年、等無〜が2000年なので、陳昇(新寶島康樂隊のリーダー)は伍百をパクったのかなと思われても仕方ありません。公式に発表されてる作曲者のクレジットには陳昇の名前があります。つまり、表向きはカバーという扱いではありません。一方で、タイトルを「限時批」と結んでいるので、コソコソというよりはどうどうパクってみたんでしょうか??

この激似の2曲について、のちに2人は舞台上でネタにしながら仲良く歌っているので、この件については当人たちの中では問題なさそうです。

風神125/交工樂隊(Labor Exchange Band)(2001年)

こちらも客家語/客家人に関連したバンド。元々は美濃という高雄・台南の近くにある客家の村に建設されることになったダムに反対するために結成されたバンドです。反対運動の甲斐もあってか、ダム建設は無事中止されますが、その後も交工樂隊は音楽を続けます。

彼らが歌いつづけたのは、客家をはじめとした少数グループや、農村の問題を世の中に広めるため。2003年には活動を休止しますが、その後もメンバーはグループを変えながら活動を続けます。

この曲は、「農村にいても何もいいことはないから都会で頑張んなさい」と息子に声をかける母親の語りからスタートします。母の言い伝えも守りながら都会で頑張るも、残念ながら報われません。そうして、125ccのバイクに乗って農村に戻ってくる若者を歌に歌っています。なんて侘しい歌なのでしょう。でも、こういう曲もあるから、台湾の音楽界は深く、幅広く、つまり魅力的になっているのだと思います。

數數歌/查勞・巴西瓦里(Chalaw Basiwali)(2007年)

こちらはバンドではないですが、民族系ということで紹介しましょう。查勞・巴西瓦里(Chalaw Basiwali/チャーロウ・バシワリ)は、アミ族のミュージシャン。一聴すると、中国系というよりも、ハワイアンとか太平洋っぽい感じがしませんか? さっきの曲のような暗さは消えて、つい踊りたくなってしまうような素敵な音楽です。大海原のイメージ。

台湾にはさまざまな少数民族が暮らしていますが、アミ族は20万人弱いるとされ、人口規模では、台湾最大だそうです。アミ族のミュージシャンには、第11回で紹介した郭英男(Difang)、これから紹介する張震嶽(A-Yue)、以莉·高露(Ilid Kaolo)など、素敵なミュージシャンが多いんですよ。

台湾って旅行をしててもわりと外国人であっても何人でも分け隔てなく付き合ってくれる人が多い印象ですが、それは古くから少数民族との付き合いがあったからかもしれません。民族の多様性はちょっと羨ましい気もします。

魏如萱(Waa Wei/ワー・ウェイ)と自然捲(Natural Q)

坐在巷口的那對男女/自然捲(Natural Q)(2004年)

さて、自然捲(Natural Q)というバンドがいました。自然捲は日本語ではいわゆる「天然パーマ」の意味なのですが、自然捲っていい名前ですね。日本語の「天パ」より素敵な気がします。

このバンドは2003年に結成され、こちらは2004年のファーストアルバムから。アルバムタイトルは「C'est la vie」とフランス語のタイトルで、この曲の雰囲気もフレンチポップ、あるいは日本の渋谷系の音楽を彷彿とさせる音楽です。歌詞の内容も、2人の男女がお互いに夢中になって周囲が見えなくなる、みたいな可愛らしい内容です。

このバンドのリーダーは奇哥で、この曲の作詞・作曲も彼が行っています。ヴォーカルは娃娃(WaWa)といいます。非常にいいバンドだったと思いますが、残念ながらヴォーカルの娃娃がこの一枚のアルバムの発売のあと、喉の治療に専念するという理由で脱退します。

と、思ったんですが・・・。

世界末日的某個角落(A Corner of World's End)/魏如萱(Waa Wei)(2007年)

娃娃は、喉を治すという理由で香港に行き療養しますが、ちょくちょく台湾に戻ってきては生計を立てるためにヴォーカルの仕事をやっていたそうです。

そして2007年、彼女はソロデビューします。バンド時代から名前を変えて、魏如萱(Waa Wei/ワー・ウェイ)として。 

正直にいえば、仕上がったアルバムで評価するなら彼女のソロのほうが出来がいいと個人的には思います。この曲とか特に最高ですよね。喉の治療がうまくいったのか、ヴォーカルのスキルはあきらかに向上していると思います。この曲は第15回で紹介した中国本土・青島のバンド、卡奇社(Carrchy)が提供した曲です。このアルバムは、インディーズながらじわじわと売り上げを伸ばしていきました。

それにしても、自然捲(Natural Q)のメンバーは、この娃娃のソロデビューをどのように考えていたんでしょうか。他人事ながら気になってしまいます。

買你/魏如萱(Waa Wei)(2008年)

翌2008年、ワー・ウェイは映画の出演をきっかけに陳建騏というアレンジャーに出会い2人は意気投合。EPを発売します。もはや自然捲(Natural Q)は完全に過去のものという感じでしょう。そういやワー・ウェイの髪は人一倍ストレートだし(関係ないか)。

彼女は自分の活動を優先するためにバンドを裏切ったのでしょうか、あるいはバンドに大きな問題があって、彼女は逃げてきたのでしょうか。私はそういう人間関係を詮索するつもりはありません。ただ、その後も彼女は活躍を続け、2024年現在は歌に女優に司会になんでもこなすマルチタレントでありシンガーソングライターでもあるという素晴らしい活躍ぶりです。きっかけはどうあれ、彼女がインディーズバンドのボーカルにとどまっていたら、このような活躍はないとは言えるでしょう。

曲の話をしましょう。この曲は彼女自身による作詞作曲。歌詞の内容は、いつもうかない彼に対して、彼女が一緒に楽しくご飯を食べて、笑顔を見たいから、あなたの不幸を買ってもいいですか? と問いかけている歌です。なんて可愛らしい歌なのでしょう。自然捲の曲よりもグッと、等身大の彼女に近づいた気がします。私が思うに、誰かにプロデュースされ、自分と少し違うキャラを演じるというのは他人が見るよりもとてもストレスがかかることだと思います。彼女は、自分の感覚や才能や歌声をもっとストレートに世の中に問いたかった。きっとそう考えたんじゃないかな。この曲を聴きながら、そんなことを考えていました。

あ、ちなみに、狭い台湾音楽業界。ワー・ウェイと奇哥は仲直りしたのか、のちに奇哥のアルバムで、2人で仲良くヴォーカルをしています。よかったよかった。

台湾最強のバンド、五月天/メイデイ

溫柔/五月天(Mayday)(2000年)

さてお待たせしました。ここからは、ゼロ年代のみならず、台湾最強のバンドと言える五月天(Maydey/メイデイ)を紹介します。メイデイは、第10回の90年代の項目で1曲だけ紹介しましたが、ゼロ年代に大きく飛躍します。

二枚目のアルバム、「愛情萬歲」(Viva Love)で、金曲獎の最優秀バンドを受賞。この「溫柔」はそのアルバムの代表曲。

恋人の目のなかに私がいない、と感じる瞬間。彼はよく晴れた日差しの下にいますが、そのことに気づいた彼の心は晴れません。でも大丈夫。あなたはあなたの人生を生きてください。邪魔しません。それが私の優しさ(溫柔)ですから。みたいなそんな曲。切ないですね。

この曲を含むアルバムが金曲獎を奪ったことから、やっぱり台湾の人って最終的に泣きメロが好きなんだなと思います。彼らはバンドですが、台湾に脈々と受け継がれてきた歌謡曲、泣きメロの影響を感じます。そういう歌謡曲に影響を多分に受けたロックといえば冒頭で取り上げた伍佰がすぐにイメージできますが、メイデイはよりマイルドになっていて、ケレン味が抑えられています。そのあたりが彼らが台湾の大衆、あるいは中華圏の大衆をとらえた理由かもしれません。

時光機/五月天(Mayday)(2003年)

五月天のメンバーは、2001年にサードアルバムを出した後、主要メンバー、阿信(アシン/ヴォーカル、主だった曲の作詞作曲)、怪獸(モンスター/ギター。リーダー)、瑪莎(マサ/ベース)の3人が兵役に就くためいったん活動を休止します。台湾には、基本的に男性全員に兵役が課されています。これは韓国も同様ですね。

ところが、阿信と怪獸の2人は、扁平足と、サラセミアという血液中の赤血球が不足する病気のため途中で除隊します。サラセミアってことは肝臓でも悪かったんでしょうか。兵役に就かなかったメンバーはすでに海外留学に行っていたので、彼ら二人は別名義でアンダーグラウンドで活動したりしていました。

そして、満を持して四枚目のアルバム「時光機」でカムバックします。時光機、つまりタイムマシン。というタイトルで、この切ない曲調なら、歌詞なんて見なくても内容はわかりますよね。つまり、時を戻してやり直したい、と言っています。めちゃめちゃ王道のラブソング。兵役からカムバックするのを待っていたファンはさぞかし嬉し泣きしたことでしょう。

この曲も先ほどの曲も、ヴォーカルの阿信が書いてるんですが、私の目には阿信はさわやかでモテそうですが(事実国民的バンドになってるわけだし)、こんなに失恋の曲ばかり書くって、どんな人生を送ってきたのか少し気になります。

戀愛ING /五月天(Mayday)(2003年)

「戀愛ING」は2005年に発売されたベストアルバムに追加された新曲。バラードが二曲続いたので気分を変えるにはぴったりの曲です。この曲は愉快で愛らしいですが、よく聴くとなんだか変な曲です。特に歌詞が変なのでぜひ見ていただきたいのです(翻訳)。

この曲の歌詞、特に変なのは冒頭。「君と一緒にいて、肝臓が悪くなっても構わない」とか、「一日あるいて扁平足になっても構わない」なんて話をしています。ラブソングにしてもなんだか変な歌詞だと思いますが、そこで兵役の話を思い出してピンときたわけです。これ、兵役を免除されたことをネタにしてるやん! 扁平足が出てくるから間違いないでしょう!

メイデイファンの方、気づいてた?

私奔到月球/五月天(Mayday)、陳綺貞(Cheer Chen)(2007年)

さて、そんなお茶目な阿信が、前回、第19回で紹介した、女性シンガーソングライターの陳綺貞(Cheer Chen/チア・チェン)とデュエットしたのがこちらの曲。

こちらは、さわやかなラブソング。2人で月まで行こうって感じの曲。いいな。ついでに私も連れて行って欲しい。途中、一二三「イー・アル・サン」、四五六「スー・ウー・リウ」って言ってるところがかわいい。

チア・チェンの歌声も素敵だし、悲しい気分にもならないし、個人的にはメイデイでいちばん好きな曲かもしれません。

まとめ

というわけで、メイデイの牧歌的な曲を聴きながらゼロ年代のバンドは締めくくりたいと思います。ゼロ年代は台湾の音楽が日本にも輸出されていった時期です。黄金期と言えるかもしれません。過去にはテレサ・テンのような超例外、その後の欧陽菲菲、ヴィヴィアン・スーなどの何人かの、直接的に日本進出を果たした歌手をのぞくと、メイデイが初めて聴いた台湾の音楽だという方も多いのではないでしょうか。メイデイの曲は月には届かなかったかもしれませんが遠く離れた日本まで飛んできました。今では台湾のディープなインディーズ音楽に夢中になっている方も多いと思いますが、聴き心地がよくてとっかかりやすいメイデイが果たした、台湾音楽シーンの外交官的役割は大きいと思います。

一方でインディーズでは、滅火器、雀斑と現代もシーンで活躍する人たちも多く、解散を繰り返す日本のバンドに比べ、台湾のバンドは総じてしぶとい印象です。やはりライブハウスが支えた面も大きいかもしれません。

ワー・ウェイ(娃娃)のことは、ただただ好きです。いい歌声でしょ。笑。

前回は女性ソロ&グループ、今回はバンドと来て、次回はHip Hopのゼロ年代をまとめてみたいと思います。あなたが好きだったアーティストのこともきっと紹介します!

バックナンバー

1927年から2025年まで、約100年のC-POPの歴史を紹介する連載。過去記事は以下で読めます。20回分やって、今、2000年代あたり。果たして全何回で終わるんでしょうか。。



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