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第14集 皇居ラン、はじまりの夜夢(全5話+レシピ)

夜明け前、名もなき疾走が始まる。
昭和の東京、銀座の女たちが皇居を走った夜――
残らなかった記録の先で、息づかいと料理の余韻が光ります。
このショートストーリーは、HPで連載した5話をまとめています。
一気読みしたい方・レシピを保存して使いたい方におすすめです ♪
物語の味を支えるスパイスはこちらです→

作者:ビリケン(ランニング社会学を研究する元漁師)
※「ランニング社会学」とは、走ることを通じて社会を観察し、社会を通じて走ることの意味を解き明かすこと


~プロローグ~

銀座の夜は、いつだって物語のようだった。
ネオンサインの内側で、女たちは酒を注ぎ、嘘と本音を織り交ぜながら、幾千の夜を泳いできた。

昭和三十九年、東京オリンピックの熱気が冷めやらぬ頃、そんな銀座の片隅で、奇妙な提案があった。

「この街の娘たちで、マラソンやってみたらどうかしら」

 クラブのママがぼそりと言った。

「皇居を一周、夜明けに…なんて、どう?」

ただの思いつきを、独り言のように発しただけだった。

それでも、その年の十一月一日未明、皇居の周りには、ゼッケンをつけた四十人近いホステスたちが立っていた。

クラブの名を記したゼッケン、濃い化粧、履き慣れないスニーカー。  
その姿は不似合いで、だが、どこか凛とした美しさがあった。

新聞も週刊誌も飛びついた。  
けれどその熱はすぐに冷め、写真は雑誌の片隅で静かに色あせていった。

彼女たちの名前は、記録には残らなかった。  
だが、その一歩は間違いなく皇居ランの最初の一歩であった。


第1話 「夜の女、走る」

昭和三十九年十一月一日、午前四時。銀座のクラブ『ラモール・ポン』を出た時、外はまだ夜だった。
ネオンは消えかけていたが、タクシーのクラクションと酔客の笑い声がかすかに響いていた。

あけみは寒さに小さく肩をすぼめると、白いジャージに着替えた体を抱いた。
足元は、昨日三越で買ったばかりの白い運動靴だ。

「本当に走るのかい、あんたら」

店のママが苦笑まじりに言った。
赤坂のバーからも何人か出るという。全部で四十人ほど。
皇居一周、五キロ。
オリンピックが終わったばかりの東京は、まだスポーツの熱に浮かされていた。

「円谷選手が走れたんだもの。女が走ったっていいでしょう」  

そう言って、あけみは夜の街へと走り出した。

あけみは本名を誰にも教えていない。十八で上京し、最初は赤羽の場末のスナックにいたが、声と笑い方が銀座向きだと見込まれて、いまの店に引き抜かれた。
源氏名は、ありふれた、夜の街に溶け込む名前がいいと思って付けた。

女は嘘をついて生きていく。
だが、嘘の中にだけ本当の願いがある。
そのこと知ったのは、この街に来てからだ。

午前四時十五分、皇居前。
コートを脱いだホステスたちが、ふざけ合いながら準備体操をしていた。

店名入りのゼッケンは、パトロンが作らせたものだという。
『ラモール・ポン』
『クラブ葵』
『カサブランカ』。

スタートの合図は、口笛だった。

あけみはゆっくりとしたペースで走り始めた。
冷たい風が顔に当たり、うっすらと汗をかく。 
目の前には内堀通りの街灯が静かに続いている。

銀座で働く理由はひとつ。
生きる場所がほしかった。  
貧しい家、黙って飲んだくれる父、病弱な妹。  
誰にも迷惑をかけず、黙って金を稼げる場所は、ここしかなかった。

けれど、女たちの世界は競争だった。  指名、売上、プレゼント、チップ。  勝ち負けに疲れた女にとって、走るという行為は、不思議なほど自由だった。

別に本気で誰とも争わなくていい。
ただ、女たちの足音が、静かな東京の夜に響いている。

五キロを走り終えた時、あけみは深く息を吐いた。
時計を持っていなかったが、感覚として二十数分だったろう。
足が震えている。
だが、胸の中はすうっと澄んでいた。

完走したホステスたちは、笑い合い、抱き合っていた。

「うちのママ、泣いてたわよ」  
誰かが言った。

「こんなに真剣な顔、久しぶりに見たって」

その後、皇居マラソンは思いがけず話題になり、数日後、週刊誌に写真が載った。

そこに映っていたのは、笑顔のあけみだった。

二十年後。
あけみは、いまも銀座にいる。
自分の店『AKEMI』を持ち、ママになった。
走ることはやめたが、あの夜のことは忘れない。

週末の昼間、昔の店の常連だった元国会図書館職員が、ランニング帰りに店を訪ねてきた。

「走ってるんですか、いまも」
「ええ。あの時、あなたたちの姿を見て、始めたんですよ」
「まあ」
「キッチン借りれますか?お礼に、今夜は私がごはんを作りますよ。走る人のためのやつ。お通しにでも使ってください」

【レシピ】ランナーズスパイスの根菜洋風煮込み

<材料>(2人分)
・れんこん 100g
・ごぼう 100g
・にんじん 1本
・玉ねぎ 1個  
・にんにく 1片  
・オリーブオイル 大さじ1  
・トマト缶(カット) 1缶
・白ワイン 50ml  
・水 100ml
・ランナーズスパイス 大さじ1
・塩 少々
・ブラックペッパー 少々

<作り方>
1. れんこん、ごぼう、にんじんは皮をむき乱切り、玉ねぎはくし形に切る
2. 鍋にオリーブオイルと潰したにんにくを入れて熱し、香りが出たら野菜を加えて中火で炒める
3. 全体に油が回ったら、白ワインを加え、アルコールを飛ばす
4. トマト缶、水、ランナーズスパイスを加え、弱火で15分煮る
5. 塩とブラックペッパーで味を調える


夜の女が走った東京の夜。 

あれは夢じゃなかったと、あけみは思う。

だってあの夜、初めて自分の足で自分の人生を走ったのだから。

【ランナーズスパイスの根菜洋風煮込み】

第2話 男の器 銀座

『ラモール・ポン』に通うようになったのは、オリンピックの前年だった。昭和三十八年の春、得意先の紹介でふらりと立ち寄った。
カウンターで笑っていた女の声に、妙に惹かれた。
 
「あけみ」と名乗ったその女は、目元が笑っていなかった。
 
私はその女に惚れた。
いや、正確には、惚れたふりをして、惚れられたふりをした。
銀座の女と客はそうやって、ほどよい幻を演じる。
 
名前は黒川耕三。
鉄鋼商社の部長で、部下に煙たがられる年齢になっていた。
結婚はしていたが、家庭に情はなかった。
 
あけみにゼッケンを渡したのは私だ。
 
「クラブ名と源氏名を入れたら、面白いだろう」
 
そう言ったとき、あけみはあきれたような顔で笑った。
 
「パトロンってのは、ほんと悪趣味な生き物ですね」
 
だが、その夜白い袋をそっと受け取った手つきに、照れと期待が入り混じっていたのを、私は見逃さなかった。
 
マラソン当日の未明、私は仕事のふりをして車で皇居まで行った。
 
コートの襟を立て、少し離れた木陰から、女たちが走るのを見ていた。
 
朝の空気を切り裂いて走るホステスたちは、いつもより少しだけ、透明に見えた。
 
なぜ走るのか。
 
それは、止まっていると自分がどこにいるか分からなくなるからだ。
 
女たちの人生は、まるで夜の明かりのように不安定だ。
誰かの気まぐれ、店の景気、年齢、肌の衰え…それがすべてを決める。
 
走るというのは、その不確かさに逆らう小さな抵抗だ。
 
私もまた、会社という椅子に座ったまま、見えないものと闘っていた。
 
あけみが完走した夜、ぼくはふと、妻に料理を作ろうと思った。
 
奇妙な衝動だった。
 
筋の通らない都合の良い話だが、走った女への贈り物として、なにかまっとうなことがしたかったのかもしれない。
 

【レシピ】秋鮭と蕪のランナーズスパイスホイル焼き

<材料>(2人分)
・生鮭 2切れ
・蕪(かぶ) 2個(中サイズ)
・しめじ 1/2パック
・玉ねぎ 1/2個
・レモン 1/2個(薄切り)
・バター 10g
・酒 大さじ1
・ランナーズスパイス 小さじ2
・塩 少々
・アルミホイル 2枚
 
<作り方>
1. 鮭に軽く塩をふっておく。
2. 蕪は皮をむいて薄切り、玉ねぎも薄切りに。しめじは石づきを取って小房に分ける。
3. アルミホイルに蕪、玉ねぎ、鮭、しめじ、レモンをのせ、酒とランナーズスパイスを振る。
4. バターをのせてホイルを包み、トースターまたは魚焼きグリルで15分焼く。
 

その晩、その料理を妻と2人で食べた。
 
「珍しいわね、どうしたの」
「走った人たちがいた…だから」
 
私はそれ以上、何も言わなかった。
 
ただ、あけみが走る背中に見た光が、どうしようもなく焼きついて離れない。
 
それは、夜の女を照らす光ではない。
 
自分自身の足で走る者だけが持つ光だった。

【秋鮭と蕪のランナーズスパイスホイル焼き】

第3話 女たちの城


あたしがこの世界に入ったのは、昭和三十二年。
築地の小さなカフェーからだった。
 
当時、銀座はまだ戦後の匂いが残っていて、泥臭く、賑やかで、生きることにがむしゃらだった。
女たちの目が光っていた。
 
『ラモール・ポン』を開いたのは三十七年の春。  
最初の客は、関西の靴屋の社長で、声の大きな男だった。
 
あけみを初めて見た夜のことは、いまでもよく覚えている。  
礼儀知らずで、媚びない目をしていた。  
だが、その目の奥には、店を背負う女の芯が見えた。
 
ああ、この子は走る子だ…と思った。
 
まさか、本当に走るとは思っていなかったけれどね。
 
マラソンの話が出たとき、あたしは反対した。
「そんなこと、銀座の女がすることじゃないよ」と。
 
夜の女は、日が昇る前に夢を終えなきゃいけない。  
それが銀座という街の掟だった。
 
だが、あの子たちは違った。  
夢の続きを、自分の足で走りに行ったんだ。
 
四十人のホステスが、夜明け前の皇居を走ったとき、あたしはこっそり、柳の木の陰から見ていた。
 
あけみの背中を見て、思わず涙が出たよ。
 
あの子は、もうこの店には戻ってこないかもしれない。
 
でもね、それでもいいんだよ。
 
女の幸せってのは、黙って消えることじゃない。  
堂々と走って、自分の道を選ぶことさ。
 
あたしはその夜、女たちにスープを作って待っていた。  
汗だくで戻ってきた子たちに、あたしの精一杯を出した。 

【レシピ】ランナーズスパイス・鶏手羽と白菜のしょうがスープ

<材料>(4人分)
・鶏手羽元 8本
・白菜 1/4株(ざく切り)
・しょうが 1片(千切り)
・にんにく 1片(潰す)
・水 800ml
・酒 大さじ2
・ランナーズスパイス 大さじ2
・塩 小さじ1
・ごま油 少々
 
<作り方>
1. 鍋に鶏手羽、しょうが、にんにく、水、酒を入れて中火にかけ、沸騰したらアクを取る。
2. 弱火にして20分煮たら、白菜とランナーズスパイスを加えてさらに10分煮る。
3. 塩で味を調え、ごま油を少し垂らして完成。
 
 
みんな、両手でスープ碗を抱えて、黙って飲んだ。
その姿が、泣きたいほどきれいだった。
 
女たちは夜の蝶なんかじゃない。  
走れる足を持った、誇り高い獣だよ。
 
その晩、あたしは一人で鏡の前に立って、口紅を引き直した。
 
まだ終わっちゃいけない気がしてね。

【ランナーズスパイス・鶏手羽と白菜のしょうがスープ】

第4話 静かな疾走

図書館の窓からは、皇居のお堀がよく見える。  
東京の真ん中にぽっかりと空いたその緑は、毎日同じ風景のようでいて、実は少しずつ違う。
 
秋のはじまり、金木犀の匂いがかすかに届く頃、僕らの「昼ラン」は始まった。
 
あれは、昭和三十九年の晩秋。
ある週刊誌の記事が、館内でちょっとした話題になった。
 
〈銀座のホステスたちが、皇居を夜明け前に疾走〉
 
その写真を見た瞬間、何かが胸に落ちた。  
細い腕、濃い化粧、夜の名残りをまとった女たちの真剣な顔。
 
「夜の女にできて、俺たちにできない理由があるか?」
 
それが、国立国会図書館マラソンクラブの始まりだった。
 
僕はその頃、入館五年目の書誌課にいた。まじめだけが取り柄の三十手前。文学部出身で、ちょっと口下手。
恋愛には臆病だった。
 
だからこそ、昼休みのランニングは、僕の中の何かを変えた。
 
最初は二人だった。 
課の隣の席の坂本先輩と僕。
 
「速くなくていい。とにかく外に出よう」
 
合い言葉は、「競わない。比べない。息を吸うために走る」
 
走り出してすぐ、空気の輪郭が変わることに気づいた。普段、館内でしか感じられなかった自分の外側が、走るたびに広がっていく。
 
僕らが走り始めて三週間後、坂本先輩がこんな提案をした。
 
「走ったあとの昼食を、もっとちゃんとしよう」
 
出来あいの惣菜じゃもったいない。
そう言って、彼は手作りの弁当を持ってきた。
 
そこに添えられていたのが、スープだった。
 

【レシピ】豆と麦のランスパスープ

<材料>(2人分)
・レンズ豆(乾燥)50g(もどしておく)
・押し麦30g
・玉ねぎ 1/2個(みじん切り)
・にんじん 1/2本(角切り)
・セロリ 1/2本(角切り)
・オリーブオイル 大さじ1
・水 500ml
・野菜ブイヨン1個
・ランナーズスパイス(ヴィーガン) 大さじ1
・塩、胡椒 適量
 
<作り方>
1. 鍋にオリーブオイルを熱し、玉ねぎ、にんじん、セロリを炒める。
2. 全体がしんなりしたら、水、ブイヨン、豆、押し麦、スパイスを加える。
3. 弱火で20分煮込み、塩、胡椒で味を調える。
 
 
湯気の立つスープを飲みながら、先輩は言った。
 
「図書館って、過去の言葉の墓場みたいだと思ってた。でも、こうして走って、体で何かを受け取っていると、生きてる実感がするんだ」
 
それから僕は、週刊誌に載っていたあの写真の女の名前を、何度も図書館で調べようとした。
でも、見つからなかった。
 
あれはきっと、名前に残らない人たちの物語だったのだ。
 
でも、僕らはその続きを走っている。

【豆と麦のランスパスープ】

第5話 写真の女

午後六時、皇居の竹橋側ランステで着替えを済ませ、スマホをロッカーに放り込む。  
ストレッチしながら、周囲のランナーたちの顔ぶれを眺める。
スーツを脱いだ会社員、カップル、ソロのランナー。
誰もが黙々と自分のペースで動いている。
 
私はこの時間が好きだ。  
昼間の私は、広報代理店の社員。
早口で喋り、常に笑顔で、数字と予算に追われる。
だが、皇居を走るときだけ、自分の速度で呼吸ができる。
 
時計を押して、走り出す。
千鳥ヶ淵の緩やかな坂を抜ける頃、秋の風が頬に当たった。
風に金木犀の香りが混じっている。
見知らぬ誰かが、同じ時間を走っている。
 
走り終わって、いつものようにランステのカフェでプロテインを頼んだ。
 
その奥にある展示棚に、小さな白黒写真が貼ってあるのを、初めて見た。
 
〈1964年 皇居一周マラソン- 銀座のホステスたち- 〉
 
ゼッケンをつけた女性たちが笑っている。  
その中のあるひとりの女性。
濃いアイライン、白いスニーカー、前を見つめる真っ直ぐな視線。
 
なぜか目が離せなかった。  
笑っているのに、笑っていない。
走っているのに、どこかでじっと立ち止まっているような表情。
 
その夜、自宅で検索しても彼女の名前は出てこなかった。  
 
検索結果には、その年の東京オリンピックのこと、円谷幸吉の銅メダル、そして銀座の店が主催した非公式マラソンのことが載っていた。  
でも、個人の足跡はそこにはなかった。
 
私は翌日も皇居を走った。  
 
走りながら考えた。
 
この街で、女たちはどれほどの時間、どれほどの言葉を、飲み込んできたのだろう。  
 
残らない記録、名もなき疾走。
 
それでも走る人がいた。
 
私は、あの目の中に自分を見た。  
競争に疲れ、だけど走ることで、何かを取り戻そうとする姿。
 
名前も知らない誰かの足跡を、私はいま、たどっている。
 
週末、友人と一緒に小さなランナーが集う食堂に行った。  
週替わりのスープが、なぜか懐かしい匂いだった。
 
「これ、スパイス効いてるね」
「ランナー向けなんだって」
「へえ。名前、あるの?」
「うん、たしか…」
 

【レシピ】じゃがいもとセロリのランナーズスパイス豆乳スープ

<材料>(2人分)
・じゃがいも 2個(薄切り)
・セロリ 1本(筋を取って薄切り)
・玉ねぎ 1/2個(薄切り)
・にんにく 1片(みじん切り)
・豆乳(無調整)300ml
・水 100ml
・オリーブオイル 大さじ1
・ランナーズスパイス(ヴィーガン) 小さじ2
・塩 少々
・こしょう 少々
 
<作り方>
1. 鍋にオリーブオイルを熱し、にんにく、玉ねぎを炒める。
2. じゃがいもとセロリを加えて炒め、水を加えて柔らかくなるまで煮る。
3. 豆乳とランナーズスパイスを加え、弱火で5分温め、塩・こしょうで味を調える。
 
 
スープを飲み終わったとき、なぜか涙が出た。  
 
きっとこれは、名前のない誰かの物語の味なんだ。
 
あの写真の中の女性。
 
あなたは走った。  
 
誰にも覚えられなくても、何かを超えて。
 
そして私はいま、あなたの見ていた朝焼けを、同じ場所で吸い込んでいる。
時を超えて繋がっている。
 
その感覚が、私の胸を少しだけ温かくした。
 
私は走る。  
これからも、走ってゆく。    
黙って前を向き、明日の空気を吸い込みながら。

【じゃがいもとセロリのランナーズスパイス豆乳スープ】

~エピローグ~

東京駅から皇居までの道を歩くと、ほんのりと風のにおいが変わる瞬間がある。  
土と水の匂いから、アスファルトの気配に変わるとき、私たちは都市の中心に立っていることを思い出す。
 
そこには、無数の足音が積み重なっている。  
昼の図書館職員たち、夜の恋人たち、そして名もなき女たち。
 
皇居の外周を走る人の数は、いまや一日に千人を超える。  
それぞれの理由で、それぞれの速さで。
 
その原点に、夜明け前の女たちの走りがあったことを、どれだけの人が知っているだろうか。
 
名もなき疾走。  
名前も、記録も残らない、けれど確かな一歩。
 
時代は流れても、人は走る。
 
走ることで何かを忘れ、何かを見つける。  
あのとき、皇居を走った彼女たちも、きっとそうだった。
 
そして私たちはいま、彼女たちの風の続きに足を踏み出す。
 
走りながら、静かに思う。
 
あなたたちの一歩が、私をここまで連れてきてくれたのだと。
 
*** おわり ***



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