人生の節目に立ち止まるとき、森で思い出したい「この道」
こんにちは~。6月に入りましたね!
読者の皆さまは5月をいかがお過ごしでしたでしょうか?
ぼくは、森林インストラクターとしてたくさんの新たな活動をしながら前回のブログでもお知らせした「森林セルフケア」の資格取得もあり、かなり多忙な毎日を過ごしておりました。
自然ガイドを続けてきたぼくが、森林セルフケアに一歩ふみだした春(後編)|藤井 繁
実は今日も兵庫県の武庫川の上流で観察会の予定があったのですが台風の影響で延期になりました。好きなことで動いているとは言えちょっと詰め込みすぎた感じです!
今日は少し立ち止まって過去の思い出を振り返りながら、これからの歩き方についても書いてみようと思います。
「この道
神から託された この道を
コツコツと歩くことが好きだ。」
これは、細密画家・熊田千佳慕さんの「この道」という詩の一節です。
熊田千佳慕さんは、虫や花を驚くほど細かく描き、「日本のプチ・ファーブル」と呼ばれた画家です。
物資の少ない戦後に画家の道を決意し、ファーブル昆虫記の虫たちをライフワークとして描きつづけました。九十八歳で亡くなるまで、虫や草花を、虫と同じ目線で見つめ続けた人だったと言われています。(museum.or.jp)
そんな熊田さんが書いた「この道」には、こう続きます。
この道
神から託された この道を
コツコツと歩くことが好きだ。
近道を見つけたり より道をすることなく
あわてずに自分のペースを守ること。
自分に素直であれ
自然にも素直でありたい。
熊田千佳慕作
熊田さんにとって、この詩に出てくる「神」は、自然そのものを指しているそうです。
自然から託された自分の道を近道を探さず、あわてず自分のペースで歩いていくこと。
自分にも、自然にも素直であろうとすること。静かな言葉の奥に、ぶれない生き方がにじんでいるように感じます。
忙しさの中で、この詩に出会ったころ
かつて青森県で営業所長として働いていたころ、ぼくは毎日、仕事に追い立てられるように過ごしていました。やりがいもあり、人との出会いにも恵まれていましたが、ふと気づくと、いつも時間に追われ、走ってばかりいたように思います。
そんな時期に、この「この道」という詩に出会いました。そして2010年の冬、ぼくは、群馬県の高崎市美術館で開かれていた熊田千佳慕展に足を運びました。
そのときに観た彼のたくさんの作品の中で一番ぼくに気に入った作品が、このブログの見出しに載せた細密画です。雄のエンマ・コオロギが恋の歌を奏でて雌を誘っている様子をまるで写真で撮影したかのように描かれています。多忙を極めていたあのころ、どこかで熊田さんの作品、そして彼の生き方に魅力を感じていました。
あれから年月がたち、今のぼくは森林インストラクターとして森を歩きながら、自分のペースで歩き直すことをあらためて学びなおしているところなのかもしれません。
人生の節目にいる人たちへ
これから森林セルフケアを続けていく中で、ぼくは「人生の節目に立っている人たち」とご一緒したい、と思うようになりました。
たとえば、定年退職や転職、子育ての区切りなど、大きな変化の手前や、少し過ぎたあたり。
「この先、どんなふうに歩いていこうかな」と心のどこかで感じながらも、日々の用事に追われてゆっくり立ち止まる時間を取れていない人たちです。
熊田さんの詩に出てくる
「近道を見つけたり より道をすることなく
あわてずに自分のペースを守ること。」
という一節は、そういう節目の時間にこそ思い出してみたい言葉ではないかと思います。
森の中で、どんなふうに立ち止まりたいですか
森林セルフケアの時間は特別なことをするためというよりも、自分の「この道」を静かに思い出すための時間なのかもしれません。
自分に素直であり、自然にも素直であること。
近道を探すのではなく、自分のペースでこの先を歩いていくための小さな手がかりを、森の中でいっしょに探していけたらと思っています。
もし今、あなたが何かの節目に立っているとしたら、どんなふうに一度立ち止まりたいでしょうか?
誰と、どんな景色の中で、自分のこれまでとこれからを見つめてみたいでしょうか?
森の中で過ごすひとときが、その問いに耳を澄ませる、ささやかなきっかけになればうれしいです。
自然に寄り添って生きるということ
昨日、朝食を食べながら質問家のマツダミヒロさんの動画を見ていました。「薬膳」も自然に寄り添い、自然の声を聞くことがベースだということを知って「森林セルフケア」と相通じるものがあるな、と思いました。よかったら見てみてください。
