🔶私の好きな奈良:朝護孫子寺 聖徳太子と寅 国宝の絵巻 戒壇巡り 信貴山城
タイトル画像にある張り子の寅。
関西の人にはお馴染みかと思います。
信貴山(しぎさん)をそのインパクトで知らしめることになった朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の「世界一福寅」です。朝護孫子寺は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山です。
勝運のご利益があるお寺ということで、関西で絶大な人気を誇る阪神タイガースの関係者やファンの聖地としても人気が高いパワースポットです。
一般には「信貴山の毘沙門さん」としても知られるこの寺ですが、大阪との県境に近いこともあり、初詣や2月下旬の「寅まつり」には多くの参拝客でにぎわいます。
どうして寅が飾られているのか、聖徳太子、醍醐天皇、織田信長、松永久秀ら歴史上の有名人がどう関わっているのか、寺所有の国宝がどんなものなのか等について、みなさん既にご存知でしょうか?
自分自身の理解のためにも、少し整理してみようと思います。
創建と、寅・寺名の由来
伝承では582年に、聖徳太子が寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に、四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得したとされます。
聖徳太子の父である用明天皇の時代、587年に太子は毘沙門天の加護により物部守屋との戦いに勝利し、自ら毘沙門天王像を刻んでこの山の守護本尊として祀って寺を創建しました。
この戦いは、飛鳥時代に仏教受容を巡る対立で激しく争ったことで良く知られていますね。物部守屋は仏教導入に反対し、蘇我馬子や聖徳太子と対立しましたが、この戦いの結果、蘇我馬子と聖徳太子の連合軍が物部守屋を滅ぼし、仏教が日本に広まることになりました。
この時に山は「信ずべき貴ぶべき山=信貴山」と名付けられたとされます。
この寺の至る所に張り子の寅が置かれているのは、582年の聖徳太子の逸話に由来しています。
平安時代になって910年に、中興である命蓮(みょうれん)上人によって伽藍が整備されました。醍醐天皇が病にあった時、勅命により命蓮が毘沙門天王に病気平癒の祈願をしたところ、天皇の病気はすみやかに癒えたといいます。
このことからこの寺には、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号が与えられました。

国宝「信貴山縁起絵巻」
先日、奈良国立博物館で開催された超国宝展に行かれた方もいらっしゃるかと思います。前期に展示されていた「信貴山縁起絵巻 尼君ノ巻」はご覧になったでしょうか?
信貴山縁起絵巻は朝護孫子寺が所持する国宝(原本は奈良国立博物館に寄託)で、「源氏物語絵巻」「鳥獣人物戯画」「伴大納言絵詞」と並ぶ四大絵巻物の1つと称される平安時代末期の絵巻物です。
「飛倉ノ巻」「延喜加持ノ巻」「尼公ノ巻」の三巻からなり、それぞれ長さ8m、12m、14mを超える大作です。
「尼公ノ巻」では、20年前に大和国へ得度するために旅立った弟・命蓮の消息を訪ねようと、信濃の国から奈良に入った姉の尼公のお話が描かれています。弟の消息をたずねて祈るうちに、東大寺大仏の前でまどろみ、夢枕で大仏に西の方、紫雲たなびく山に命蓮の存在を暗示されます。
尼公は夢で示された信貴山に至り、無事命蓮に再開します。尼公は信濃に帰らず、命蓮と共に信貴山で信仰生活を送りますが、命蓮はこのとき姉からもらった僧衣をずっと着続けたためすっかり破れてしまいます。人々はこの切れ端をお守りとします。
ここに描かれた東大寺大仏殿は、1180に平重衡の南都焼き討ちの際に焼け落ちる以前の建立当初の姿が描かれた唯一の資料であり、道中の商家、農家、職人の家と庶民の風俗など、当時の庶民の生活が伺え、前二巻とともにこの時代の民俗的資料としての価値が高いものです。
第一巻の「飛倉ノ巻」では命蓮の法力が、倉を乗せて空を飛ぶ鉢という奇想天外な逸話をもって紹介されており、第二巻の「延喜加持ノ巻」では護法・剱鎧童子(けんがいどうじ)を飛ばして天皇の病を治した命蓮の法力の強さが強調されていますが、いずれも当時の宮中や民衆の姿が詳しく描かれています。
ご興味のある方は、平群町のホームページにわかりやすく紹介されていますのでご参照ください。
朝護孫子寺と信貴山城
毘沙門天は武運の神として崇拝され、後世の武人たちも信貴山を篤く信仰しました。南北朝時代、南朝側の武将として活躍した楠木正成は、母親が朝護孫子寺に百日詣をして生まれたという伝承があり、幼少時の名前は毘沙門天王の異名である多聞天から「多聞丸」と名付けられました。
戦国時代には畠山氏の家臣・木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築きました。
その後、松永久秀が入城し、軍事拠点として大改修を行いました。大和でも最大規模と言われる信貴山城跡には、城郭建築の第一人者である久秀が考案した多聞櫓(たもんやぐら)などの設備があったことが分かっています。
松永久秀といえば奈良市北部にあった多聞城が有名ですが、その名前もこの信貴山の多聞天に由来しているとされます。
もし良ければ過去記事もご参照ください。
久秀は1577年、かつては仕えていた織田信長に離反したことから、籠城していた信貴山城を信長に包囲されて自害、城は廃城となりました。
なおこの時久秀は、信長が望んだ名物茶器「平蜘蛛の茶釜」をたたき割り、鉄砲の火薬によって爆死した、との話が有名ですが、これは昭和に創作された俗説と言われています。
現在、信貴山城跡には建築物はありませんが、堀や土塁、建物を立てるために作った平地が残っており、平群町の史跡として登録されています。
現地には「信貴山城跡」と彫られた石碑が建っています。

境内案内
信貴山は、奈良県と大阪府の境界にある信貴山の、奈良県側の山麓に位置しています。
現地で仁王門を通って本堂に向かうと、左手に朱塗りの開運橋(かいうんばし)が見えます。これは1930年に大阪からのアクセスとして信貴山急行電鉄が開業した際、信貴山門駅から寺の間の大きな谷(大門池)を迂回する不便を解消するため、熱心な信者が寄進したものです。
「トレッスル橋脚を用いたカンチレバー橋」という現在でも非常にめずらしい形式(素人にはよく解りません…)で、2007年に土木史上の文化財的価値により国の登録有形文化財に登録されているそうです。
境内はかなり広く、多くのお堂や塔頭があります。
お寺のホームページの案内図を参照していただくのがわかりやすいと思いますので、リンクと境内地図を貼り付けさせていただきます。

https://www.sigisan.or.jp/keidai/
本堂(毘沙門堂) は1958年に再建された朱塗りの欄干をもつ懸造の建物です。ここからは素晴らしい眺望を望むことができます。

本堂内陣には本尊の毘沙門天像が祀られており(普段公開されているのは「前立本尊」)、内陣の奥には、毘沙門天王の使いである二十八使者像が安置されています。
鐘楼堂、多宝塔の横を鳥居をくぐって信貴山頂方面に険しく長い石段を登っていくと、空鉢護法堂があります。

左側鳥居の道を登ると空鉢護法堂に至る
空鉢護法堂は、命蓮上人が信貴山縁起絵巻「飛倉ノ巻」で空鉢を飛ばし、驚き嘆く長者に慈悲の心を教え、福徳を授けたという出来事に由来します。
山頂に祠を建てて以来、多くの参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されています。山頂近くを右に入ると、信貴城址の碑を見ることができます。
剱鎧護法堂は、命蓮上人が醍醐天皇の病気の際、毘沙門天に病気平癒の祈願をし、護法・剱鎧童子を飛ばして天皇の病を治したという伝承(信貴山縁起絵巻「延喜加持ノ巻」)に由来し、この地に剱鎧護法を本尊として祀ったものです。無病息災、病気全快の神として信仰されています。
開山堂は、信貴山創建の聖徳太子、真言宗宗祖の弘法大師、中興の命蓮上人をはじめ、堂内の須弥壇には四国八十八ヶ所の本尊が祀られています。
四国八十八カ所の各寺院の砂が堂内に敷かれており、信貴山にいながら四国八十八ヶ所「お砂踏みめぐり」が出来ます。
開山堂の裏側には、命蓮上人の墓と伝えられる命蓮塚があります。
また、宿坊として親しまれている塔頭の千手院には、日本で唯一の金運招福の神、毘沙門天の使い「銭亀善神」を祀る「銭亀堂」があります。
多くの大阪商人が商売繁盛を求めて訪れます。

戒壇巡り
約900年前に、覚鑁上人(かくばんしょうにん:新義真言宗の開祖)が、ここで修行したときに毘沙門天より授かった「如意宝珠(いかなる願望も成就するという不思議な玉)」が、本堂の地下に祀られています。
宝珠を納める錠前に触れると心願成就の利益があらたかとされますが、この地下というのが、全く灯りのない回廊になっています。
階段を降りて真っ暗な廊下を進み、手を壁から離さないよう壁伝いに歩いていくと、干支の守り本尊があるので、自分の生まれ年の本尊を確認し拝みます。さらに進むと、如意宝珠を納めた錠前があります。なんとか無事に触れることができれば、お参りの目的が達成されたことになります。
実際に歩く距離は60mほどですが、暗い、見えないというのは大変不安で、仏様の明かりに出会えた時はほっとします。感謝の気持ちを胸に進むと、鍵に到達することができます。
迷いの中から光をみつける人生の縮図の様ですね。
柴燈護摩
朝護孫子寺では毎年11月3日、屋外で柴燈大護摩供(さいとうだいごまく)が行われます。
護摩はサンスクリット語の「ホーマ(homa)」を音写したもので、「焼く」「供物を焼く」という意味があります。
護摩供(ごまく)は、密教における秘法の一つで、護摩壇と呼ばれる壇上で火を焚き、祈願成就を願う儀式です。護摩木という薪を燃やし、その炎と煙を通じて祈りを捧げます。
真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったといわれており、主に真言宗で修験道を継承する寺院で行われる日本特有の仏教行事です。柴の字が当てられているのは、山中修行で正式な密具がないので柴や薪で檀を築いたことによります。
導師と修験者の間でまずは「問答」が交わされた後、修験者が入道場を許されて結界に入り、儀式を行って邪気を祓います。ついで願文を奏上し、護摩壇に火が入ります。炎が高く舞い上がるなか護摩修法に合わせ、般若心経や真言を唱えながら諸願成就が祈られます。
最後に護摩壇が解かれ、燃え落ちた灰の上を修験者が無病息災の呪文を唱えながら裸足で「火渡り」すなわち裸足で火の上を歩きます。
一般参詣者の火渡りも受け付けています。
戦いの神である毘沙門天を本尊とし、戦勝祈願の故事があることや、虎を守り神とすることから阪神タイガースの選手やファンが必勝祈願に訪れるこの朝護孫子寺。
ご利益あってか、今年のタイガースは首位を独走しています。
商売繁盛の祈願とあわせて、大阪方面からの参拝客が多いお寺です。
そんな立地やご利益のためか、奈良の他の寺院とはまた違った「活気」が感じられる様にも思います。
由緒などいろいろ知ったうえで訪れると、また違った魅力に出会えるかも知れませんね。
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