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皇位継承を語る前に、私たちは何者なのか「男系か女系か」という議論に感じる違和感


はじめに 皇族が一番話せない問題

「天皇の跡継ぎは、男の人だけがなるべき?」

「女性が天皇になってもいい?」

「女性の子どもが天皇になってもいい?」

こういう質問を受けることがある。

でも、私はすぐには答えられない。

答えを知らないからではない。

「この問題を、私たち国民が当たり前のように決めていいんだ」と、みんなが思っていること自体に、強い違和感があるからだ。

この記事は、男系と女系のどちらが正しいかを決めるためのものではない。

その前に、

「なぜ私たち国民が、皇室の将来を決める側に立っているのか」

を考えるための記事である。

第一章 「男系か女系か」という問いへの違和感

天皇の跡継ぎ、つまり皇位継承についての話し合いは、いつも次の三つのどれかを選ぶところから始まる。

一つ目は、男系。つまり、父親の側をたどる血筋を守ること。

二つ目は、女性が天皇になること。

三つ目は、女性天皇の子どもも天皇になれるようにすること。これを女系という。

みんながそれぞれの意見を言い、テレビや新聞は、どの考えを支持する人が多いかを報道する。

でも、この記事は、この三つのうちどれがよいかを決めるために書くのではない。

むしろ、こう聞きたい。

「この三つから選ぶのは自分たちだ」と、なぜ国民は当たり前のように思っているのか。

皇位継承は、国の大切な制度を決める話である。

しかし同時に、そこには実際に生きている人たちがいて、一つの家族の将来にも深く関わっている。

それなのに、一番の当事者である皇族の声はほとんど出てこないまま、外側にいる人たちだけで結論が作られていく。

まずは、ここに感じる違和感から考えたい。

第二章 天皇は政治から離れているはずだった

戦争が終わったあと、日本は天皇を政治から切り離す仕組みを選んだ。

天皇が行うのは、国事行為という憲法で決められた仕事だけで、自分の考えで政策を決めることはできない。

皇室は、選挙や政党どうしの争いから距離を置く存在になった。

宮内庁の説明も、この仕組みを示している。

天皇は憲法で決められた国事行為を行うが、政治を決める権限は持たない、ということだ。

これは、天皇や皇族が政治の争いに巻き込まれたり、政治に利用されたりしないように守るための仕組みだったはずだ。

天皇は政策を決める立場に立たない。

皇族も、政治に強い影響を与えるような発言をしないよう、とても慎重であることを求められている。

ここまでは、多くの人が「そうだよね」とうなずける話だと思う。

第三章 でも「跡継ぎを誰にするか」だけは政治が決めている

ところが、ここに一つのねじれがある。

皇室は政治から切り離された。

でも、天皇の跡継ぎをどんな条件で決めるかというルールは、国会が決める「皇室典範」という法律に置かれている。

日本国憲法の第2条には、天皇の位は代々受け継がれるもので、国会が決めた皇室典範のルールに従って受け継がれると書いてある。

いまの皇室典範では、天皇の位は「皇室の血筋に属する男の人」が引き継ぐと決められている。

国会で決めるということは、政党、世論、テレビ、新聞、SNSなどで議論されるということだ。

つまり、いまの仕組みはこうなっている。

  • 皇室の人たちは、政治の議論に直接参加しにくい

  • でも、皇室の将来を左右するルールは、政治が決める

たとえるなら、本人は話し合いの場で自由に発言できないのに、その本人や家族の将来だけが、会議で決められているようなものだ。

これが、この記事で最初に立ち止まりたい問題である。

「国民の総意」というけれど、誰の意思なのか

ここでもう一つ、立ち止まりたいことがある。

象徴天皇制の話をするとき、よく「国民の総意にもとづく」という言葉が使われる。

憲法第1条には、天皇の立場は「主権を持つ日本国民みんなの考えにもとづく」と書かれている。

一方、皇室典範を決めるのは国会であり、その国会議員を選ぶのは、選挙権を持つ人たちだ。

日本国民の中には、18歳未満など、選挙権を持たない人もいる。

憲法では、国会議員は選挙権を持つ人だけでなく、「国民全員」を代表するとされている。

その意味では、投票できない子どもたちも、制度のうえでは国会によって代表されることになっている。

でも、それは子どもたち一人ひとりの考えを実際に聞いた、という意味ではない。

また、選挙権を持つ人の一票も、皇位継承だけについての一票ではない。

経済、社会保障、外交、防衛、候補者の人柄など、たくさんの問題が一つの票にまとめられている。

ある政党が選挙で勝ったからといって、その政党の皇位継承についての考えに、国民全員が賛成した、とは言えない。

つまり、国会の決定は、国民一人ひとりの考えを実際に確かめた結果ではない。

「代表制」という仕組みによって、国民全員の考えを表したもの、として扱われているのだ。

代表制は、民主主義を動かすために必要な仕組みだ。

でも、国会で決まったことを、そのまま国民全員の考えが確かめられた結果であるかのように「国民の総意」と呼ぶことには、慎重である必要がある。

ここでの問題は、「国会に決める権限がない」ということではない。

「国会が決めたこと」と「国民一人ひとりの意思が確かめられたこと」は同じではない、ということだ。

この記事が問うている、

「誰が、どの権限でルールを決めるのか」

という問いは、皇室だけでなく、「国民の総意」という言葉を使う私たちの側にも向けられるべきではないだろうか。

第四章 一番の当事者が語りにくい

「男系か女系か」を話す前に、確認しておきたいことがある。

この問題で一番大きな影響を受けるのは、皇族自身である。

でも皇族は、自分たちの身分、家族、血筋、将来について、国民や政治家と同じように自由な考えを表すことが、とても難しい。

一方で、国民、政治家、評論家、メディア、SNSの利用者は、外側から自由に意見を言うことができる。

皇位継承の問題で、一番発言しにくい立場にいるのが、一番大きな影響を受ける皇族なのだ。

ただし、ここは正確に書く必要がある。

皇族の発言が、一つの法律ですべて禁止されているわけではない。

ここで言う「語れない」というのは、「皇族の声が制度の中にまったく存在しない」という意味ではない。

  • 皇室会議には皇族の議員も入っていて、ある場面では皇族が関わる仕組みもある

  • 過去には、寬仁親王殿下が福祉団体の会報の中で、皇位継承の資格について自分の考えを述べたこともある

でも、これらは、皇族が国民や政治家と同じように、皇位継承のルールについて公の場で主張し、反論し、議論を続けられる、という意味ではない。

寬仁親王殿下も発言のとき、「政治の話なので口出しできる立場ではない」と前置きしたうえで、身内向けのプライベートな話として語る形を取っていた。

つまり、皇族の声が完全にゼロというわけではない。

でも、その声は正面から公の政治議論として出てくるのではなく、とても限られた形でしか出てこない。

この記事が問題にしているのは、この「限られ方」だ。

「沈黙することが象徴天皇制の条件ではないか」

ここまでの話には、こんな反論が考えられる。

「天皇や皇族が政治について自由に発言しないからこそ、象徴天皇制は成り立っているのではないか」

この考え方には理由がある。

もし天皇や皇族が、特定の政党を応援したり、選挙や法律について政治的な主張をしたりすれば、皇室は政党どうしの争いに巻き込まれてしまう。

国民をひとつにまとめる象徴であるためには、政治的な中立と慎重な自己抑制が必要だ、という考え方は理解できる。

でも、ここでは二つのことを分けて考える必要がある。

  1. 政党、政策、選挙について、公然と政治活動をすること

  2. 自分自身の身分、結婚、家族、跡継ぎ、将来について、自分の考えを聞いてもらうこと

この二つは同じではない。

皇族が特定の政党を応援しないことと、皇族自身の将来について本人の考えを聞かないことは、別の問題だ。

皇族に自由な政治活動を認めなくても、政治的な圧力やメディアの注目から守られた場所で、本人の考えを聞くことはできるはずだ。

たとえば、一般には公開しない、独立した手続きをつくり、皇族本人の考えを継続的に聞き、制度を考えるときの大切な材料として扱う方法も考えられる。

問題は、「皇族に自由な政治運動をさせるべきだ」ということではない。

「象徴として必要な政治的中立」と「一人の人間として大事にされるべき本人の考え」を、どう両立させるかということだ。

制度的な沈黙はどのように作られたのか

憲法の条文ではっきりと「政治の決定権を持たない」と決められているのは天皇である。

すべての皇族に、同じ条文がそのまま当てはまっているわけではない。

それでも皇族が政治的な発言をとても慎重に行わなければならないのは、法律以外の力も働いているからだ。

歴史、制度、宮内庁の運用、メディア、世論、皇族自身の自己抑制。

こうしたものが、長い時間をかけて重なってきた。

私は、この状態を「制度的な沈黙」と呼びたい。

これは、「皇族が法律で完全に黙らされている」という意味ではない。

制度や周りの環境が重なって、皇位継承のような問題について公然と反論することが、とても難しくなっている状態を指している。

この沈黙は、だいたい三つの段階を経て作られたと考えられる。

第一段階 戦前の反動

戦前の皇室は、国を治める正しさを支える存在として、政治と深く結びついていた。

その反省として、戦後は皇室を徹底して政治から遠ざけることが求められた。

第二段階 戦後の憲法と皇室典範による制度化

憲法第4条は、天皇が政治の決定権を持たないことを定めた。

同時に、第2条は、天皇の位は代々受け継がれ、国会が決める皇室典範によって受け継がれると定めた。

いまの皇室典範第1条は、天皇の位を「皇室の血筋に属する男の人」が引き継ぐと定めている。

つまり、皇室の将来を決める大切なルールは、皇室の中だけで決められるのではなく、国会が作る法律によって決められることになった。

第三段階 役所の仕事の仕方とメディアによる固定化

宮内庁などの役所は、皇族の発言が政治的な問題にならないよう、とても慎重に対応する。

一方、メディアや世論は、皇族の発言、表情、服装、結婚、家族関係まで、大きな意味を持つものとして取り上げる。

その結果、沈黙することは、単なる礼儀や品格ではなく、自分自身や家族を守るための行動にもなっている。

制度、運用、周りの環境が重なって、沈黙が続いてきたのだ。

さらに、この沈黙は、いつの時代も同じ意味を持っていたわけではない。

  • 戦後すぐは、皇室が政治に利用されることを防ぐための仕組みだった

  • 平成の時代には、政治的に誤解されないための、とても慎重な自己抑制として現れた

  • 令和では、発言の一部がSNSで切り取られ、すぐに政治的に利用される環境の中で、自分を守るための行動にもなっている

平成の天皇陛下が退位について語られた「象徴としてのお務めについてのおことば」は、この制度的な沈黙の限界を見せた出来事だったと思う。

制度を直接変えてほしいとは言わず、高齢になったことや、象徴としての務めを続けることの難しさを、とても慎重な言葉で伝えられた。

あの発言を、単に「お気持ち」という言葉だけで受け止めてしまうと、あの言葉を出すこと自体の難しさを見落としてしまうのではないだろうか。

第五章 戦後、国民は立ち直った。では皇室はどうか

戦後、国民は主権者になった。

主権者とは、国の政治について最終的に決める権利を持つ人のことだ。

国民は選挙権を持ち、自由に意見を言い、政治家を選び、政府を批判できるようになった。

経済も生活も、戦争の焼け跡から立ち直った。

では、皇室はどうだったのだろうか。

政治を決める権限を外され、政治的な考えを自由に表すことがとても難しいまま、自分たちの将来を自分たちだけで決める仕組みも持たない。

それでも、国民をひとつにまとめる象徴であり続けることを求められた。

国民は、主権者として戦後を生き直した。

でも皇室は、新しい自由を得たというより、象徴として保存され、そのまま固定されたのではないか。

これが、この記事の中心にある問いだ。

第六章 逆転した犠牲と、主権者の責任

昔の権力者は、民衆に犠牲を求めることで国を動かしていた。

税を取り、労働させ、戦争に動員し、反論を許さなかった。

その時代には、いまのような人権の考え方は、まだ十分に育っていなかった。

でも、いまの日本は違う。

私たちは人権を知っている。

一人ひとりの尊厳を知っている。

自由に意見を言う権利を知っている。

主権者として政治について語る権利を持っている。

それなのに皇族については、自分自身のことを自由に語りにくい状態を、「象徴だから」「政治的な中立が必要だから」という理由で、当然のこととして受け入れている。

これは、昔より単純な問題ではない。

人権を知らなかった時代の押さえつけとは違うからだ。

私たちは人権を知っている。

それでも皇族については、例外として扱っている。

昔は、権力を持つ側が、民衆の沈黙の上に国を作った。

いまの日本では、主権者となった国民が、皇族の沈黙の上に象徴天皇制の安定を築いている。

この逆転に気づかないまま皇位継承を語ることは、本当に皇室を守ることなのだろうか。

それとも、皇室を政治の道具として扱っているだけなのだろうか。

国民主権は、皇族を好きにしていい権利ではない

戦後の日本では、国の政治の正しさを支える根拠が、天皇を中心とした仕組みから国民主権へと大きく組み替えられた。

日本国民は、王様を倒す革命によって主権を手に入れたわけではない。

戦争に負けたあと、占領、憲法の制定、国会での話し合いなどを通じた制度の変更の中で、国民が主権者となった。

でも、その成り立ち方によって、日本の国民主権が弱くなるわけではない。

国民主権は、いまの日本の正式な原則である。

国民には、国会を通じて皇室典範を変える制度上の力がある。

ただし、主権者であることは、皇族一人ひとりの人生や家族を、自分たちの好きなように決めてよいという意味ではない。

主権とは「決める力を持つこと」であって、「その人の人生を自分の持ち物のように扱ってよい」という意味ではない。

国会に法律を変える権限があることと、皇族一人ひとりの人生を自分たちの都合だけで決めてよいことは、別の話だ。

国民が大きな決定権を持っているからこそ、その力の使い方には慎重さが必要になる。

とくに、自由に反論しにくい当事者の身分や家族、将来を決める場合には、本人の考えをどう聞き、どう大事にするのかを考えなければならない。

主権者に必要なのは、遠慮して何も決めないことではない。

自分たちの持つ力を、「他人の人生を自分の思うままにしてよい」という考えと、取り違えないことである。

第七章 国民は皇室の設計者なのか、それとも守る人なのか

国民は主権者である。

だから制度上、皇室典範を決める国会を選ぶ立場にある。

でも、それは皇室を好きな形に作り変えてよいという意味ではないはずだ。

ここで問いたいのは、こういうことだ。

国民は、皇室を新しく作る設計者なのか。それとも、受け継いだ皇室を守る人なのか。

もちろん、

「国民は設計者でもあり、守る人でもある」

という答えもあるだろう。

制度は時代に合わせて変える必要がある。

同時に、長く受け継がれてきたものを簡単に壊してはならない。

その両方に責任がある、という考え方だ。

だから、ここでの問いは、どちらか一つを必ず選べという意味ではない。

いま自分が発している言葉が、どの立場から出ているのかを考えるための問いである。

  • 自分はいま、皇室を作り変えようとしているのか

  • 受け継いだものを守ろうとしているのか

  • その両方を、どう両立させようとしているのか

この確認をしないまま皇位継承を語ると、皇室は簡単に、自分の考え方を映す道具になってしまう。

  • 保守的な人は、伝統を語る

  • リベラルな人は、平等を語る

  • 制度を重視する人は、安定を語る

  • 国民主権を重視する人は、みんなの意見を語る

でも、その前に問うべきことがある。

その議論をしているあなたは、皇室に対して何者なのか。

  • 所有者なのか

  • 設計者なのか

  • 守る人なのか

  • 制度を管理する人なのか

  • 歴史を次の世代へ渡す人なのか

  • それとも、外側から見ているだけの人なのか

この問いに、簡単な正解はない。

だからこそ、自分の立場を考えずに皇室の将来を語ることは、危ういのだ。

第八章 問うべきは「どう変えるか」ではなく「何を守るのか」

「男系か女系か」を問う前に、確認すべきことがある。

私たちは、皇室の何を守ろうとしているのか。

  • 皇統が長く続いてきたことか

  • 象徴天皇制という制度そのものか

  • 皇族一人ひとりの尊厳か

  • 宮中で行われる祭りや儀式か

  • 国民をひとつにまとめる物語か

  • それとも、皇室という家族の静かな暮らしか

何を守るのかを決めないまま、「男系を守れ」「女性天皇を認めろ」「女系天皇に変えろ」と主張することは、自分の考えを皇室に押しつけることになりかねない。

もちろん、現実の問題もある。

皇族の人数は減っている。

皇位を継げる人も限られている。

皇室の活動を続ける必要もある。

国民の理解や、憲法との関係も考えなければならない。

でも、問題が急いでいるからといって、すぐに「どの案に変えるか」から始めていいのだろうか。

まず必要なのは、何を守るのかをはっきりさせることだ。

  • 何を傷つけてはいけないのか

  • どこまでなら変えてよいのか

  • 誰の尊厳を守るのか

  • どの歴史やつながりを失ってはいけないのか

そのうえで、皇族本人の考えをどう聞き、制度の中へ反映するのか。

これを決めずに制度を変えることは、設計ではない。

ただの上書きである。

第九章 皇位継承の問題は、戦後日本のやり残した宿題

皇位継承の問題は、皇室だけの問題に見える。

でも本当は、戦後の日本が皇室をどう扱ってきたか、という問題だ。

  • 皇室を政治から離した

  • でも、皇室の将来を決めるルールは政治に残した

  • 皇族が自由に政治的な考えを表すことを難しくした

  • 一方で、国民は外側から自由に皇室について語れるようになった

  • 国民は主権者として自由を得た

  • でも皇室は、象徴として沈黙することを求められた

政府も、皇族の人数を確保することを、急いで解決すべき問題だと認めている。

これは、このねじれを長い間そのままにしてきた結果とも考えられる。

だから最後に、こう問いかけたい。

私たちは皇室を守っているつもりで、皇室にだけ、戦後を生き直すことを許さなかったのではないか。

国民は、主権者として政治を語る自由を得た。

皇室は、象徴として沈黙することを求められた。

もちろん、象徴天皇制を守るために、政治的な中立が必要だという考え方には理由がある。

でも、その中立を理由に、皇族本人の考えまで聞かなくてよいことにはならない。

沈黙をすべてなくせばよい、という話ではない。

必要なのは、政治的な中立を守りながら、当事者の考えと尊厳を制度の中で受け止める仕組みだ。

この大きな問題を見ないまま、男系か女系か、女性天皇かを語ることは、皇室を守る議論なのだろうか。

それとも、皇室を政治の場に並べて、自分たちの考えに合う案を選ぶ議論になっているのだろうか。

補論 これは女性天皇に賛成という意見なのか

ここまで読むと、こう考える人がいるかもしれない。

皇族本人の考えや尊厳を大切にするなら、結局は女性天皇を認める話になるのではないか。

でも、それは別の段階の話だ。

女性天皇の議論は、「誰が皇位を継ぐ資格を持つのか」 を考えるものだ。

男性だけにするのか。女性にも広げるのか。それを議論している。

私がこの記事で考えているのは、その一つ前の問題だ。

皇室は政治から離されているのに、なぜ皇室の将来を、国民、政党、メディア、評論家が外側から決める仕組みになっているのか。

皇族は、自分たちの家族や将来について、自由な考えを表すことがとても難しい。

それなのに、外側の国民は、「男系か」「女性天皇か」「女系天皇か」という選択肢を並べ、自由に意見を言っている。

ここで問題にしているのは、女性天皇が正しいか間違っているかではない。

一番の当事者が自由に語りにくいまま、外側の人たちが制度を決めようとしている構造である。

女性天皇論が「誰が継げるのか」を問う議論だとすれば、この記事が問うているのは、「誰が、その条件を決める権限を持っているのか」という問題だ。

さらに言えば――

  • 「皇族のために女性天皇を認めよう」

  • 「皇室のために旧宮家の人を皇族に迎えよう」

  • 「皇統のために男系を守ろう」

という意見は、どれも外側の人が「皇室のために」と語っている。

でも、当事者である皇族の考えをどう聞くのか、という問題は、後回しにされやすい。

善意であっても、当事者が自由に意見を言いにくい中で、外側の人が「あなたたちのためです」と制度を決めることは、本当に当事者を大事にすることなのだろうか。

この問いは、女性天皇を望む人にも、男系を守りたい人にも、同じように向けられるべきだ。

この記事は、男系維持、女性天皇、女系天皇のどれかを主張するものではない。

その結論を出す前に、

  • 誰が、どの権限で、皇室の将来を決めるのか

  • その決定に、皇族本人の考えをどう反映するのか

  • 国会の決定を、どんな意味で「国民の総意」と呼ぶのか

その土台を考えるための記事である。

参考にした資料

  • 日本国憲法 第1条、第2条、第4条、第43条を参照。天皇の立場、皇位が代々受け継がれること、天皇が政治の決定権を持たないこと、国会議員が国民全員を代表することを確認するために使用した。

  • 皇室典範 第1条を参照。いまの法律では、皇位を「皇室の血筋に属する男の人」が継承すると定められていることを確認するために使用した。

  • 宮内庁「天皇」 天皇が憲法で決められた国事行為を行い、政治の決定権を持たないという、いまの制度を確認するために使用した。

  • 内閣官房の有識者会議報告書(令和3年12月22日決定) 皇族の人数を確保する問題について、政府がどう整理しているかを確認するために使用した。

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