スピンオフ|片桐宗一郎のあの頃の平成事件簿第1話:ガラケーも、プリ帳も、夢も——全部、あの街に置いてきた。【前編】
渋谷の裏路地に、まだ“夢”があった頃の話。
あらすじ
2005年、真夏の渋谷。 警察学校を出たばかりの新人巡査・片桐宗一郎は、道玄坂交番で日々の雑務に追われていた。
そんなある日、「高校生の娘が帰ってこない」と訪ねてきた母親。彼女が差し出したのは、プリ帳と写ルンです。プリクラに残された“わずかな違和感”に突き動かされ、片桐は職務の枠を越えて調査を始める。
事件性はないと片づけられそうな失踪。だが彼には、その笑顔の奥に“何か”があるとしか思えなかった——。平成の空気と共に描かれる、新人警官の“最初の正義”の物語。
第1話:ガラケーも、プリ帳も、夢も——全部、あの街に置いてきた。【前編】
渋谷署・道玄坂交番。
外の喧騒が、ガラス戸越しにじわじわと染みてくる。午前11時。すでにアスファルトは熱を帯びていた。
片桐宗一郎、二十歳。警察学校を卒業してまだ半年、巡査として交番勤務を始めたばかりだ。真面目だけが取り柄の男は、今日も制服の折り目を正して机に向かっていた。
「正義は、現場にある」
それが彼の信条だった。だが、交番に配属されてからの毎日は、落とし物と道案内と苦情処理ばかり。制服姿で夢を語るには、少々うるさい現実だった。
そんな彼のもとに、ひとりの母親が現れたのは、昼前のことだった。
「昨日から娘が帰ってこないんです。谷村ミク、17歳。高校二年生です」
泣き崩れたりはしなかった。代わりに、袋の中から一冊の厚いプリ帳と、使いかけの写ルンですを差し出してきた。
「机の上に、これがあったんです。もしかして、何かのヒントになるかと思って」
片桐は、その表紙をそっとめくる。サンリオのキティ柄。びっしり貼られたプリクラ。制服姿の女子高生たちが笑っている。デコ文字、星形シール、「なちゅ」「みくちん」といった落書き。渋谷でよく見る、2000年代中期の風景そのままだった。
彼は、すぐに違和感に気づく。最後のページ、少女は一人きりで写っていた。壁紙の背景は見慣れないプリクラ機。笑っているはずの口元もどこかぎこちない。そして、写ルンですの最後の一枚。暗がりの中に、「PLAN」というロゴがぼんやりと浮かんでいた。
——道玄坂裏にある、あの“芸能プロダクション”の看板だ。
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「片桐。そんなに気になるなら、生活安全課に書類回しとけ。こっちが首突っ込む話じゃない」
午後交番に戻るなり、先輩の三宅巡査部長にそう言われた。
「ただの家出だ。よくある話だよ。親の目を盗んで渋谷の男と逃げたか、誰かの部屋に転がり込んだか。な?」
「……でも、彼女のプリ帳には、なんか、違う空気がありました」
片桐は食い下がった。
「お前、また“正義感”か?」
先輩は苦笑する。
「渋谷はな。夢があるように見せて、全部、呑み込んでくる街だ。若いうちは騙されんだよ」
だが片桐は、その夜も帰らなかった。
制服のまま、道玄坂を歩いた。TSUTAYAの前では、ポリフォニックの着信音が鳴っていた。女子高生たちは赤外線通信で画像を送り合い、プリ帳を小脇に抱えて笑い合っている。彼らにとって、今日の記録は“思い出”ではなく、“証明”だった。
片桐はふと思う。
——俺がこの街に来たのは、何を守るためだったっけ。
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彼は、写ルンですの“最後の1枚”を手に、目的の雑居ビルの前に立つ。PLANiX。あのロゴ、あの壁紙。全てがプリ帳の中の世界と一致していた。
警察手帳を出すべきか迷った。でも今の自分じゃ、何もできない。だから、ただの“兄を探す人間”を装って、ビルの扉を開けた。インターホンを押す指が震える。
——彼女は、本当に夢を見てここへ来たのか。
——それとも、“帰れない”場所に来てしまったのか。
若き片桐宗一郎が、最初に「刑事の顔」をした夜だった。正義を掲げるには、あまりにも若く。それでも、“笑わないプリ帳”を見て、彼は歩き出した。
迷いと、祈りと、少しの勇気を握って——
