見出し画像

私がnoteをはじめた理由

誰かに話を聴いてほしかったのに、言葉が出てこなかった夜はありますか?


私がnoteをはじめた理由。それは、話を聴く場を設けたいと思ったからです。



私が人生で初めて「死」と向き合ったのは、小学五年生のときでした。

大好きだった祖父が亡くなったのです。


人はいつかは死ぬ。

頭ではわかっていたはずなのに、「もう会えない」という現実は、幼い私にはあまりにも大きな出来事でした。


その後、双方の祖母を見送り、さらに深く死について考えるきっかけとなったのが、おばの死でした。


おばは五十代前半で鬼籍に入りました。

「人生には終わりがある」

当たり前のことなのに、その重みを少しずつ実感するようになっていきました。


そんなこともあり、五十路を目前にした頃から、自分の生き方について漠然と考えるようになりました。


ちょうどコロナ禍の頃です。

家にはテレワーク中の夫。
オンライン授業を受ける子ども。
私は家の中にいながら、自分の居場所がないような感覚になっていました。


根無し草のようでした。



そんな中、一人暮らしの母が心の病を発症しました。


外出が難しい頃で、会う頻度は減っていました。

「きっと元気だろう」
どこかでそう思い込んでいたのです。


病院では、「絶対に一人にしてはいけない」と言われました。


けれど、その頃、夫は入院中。

さらに義父は余命宣告を受け、自宅療養をしていました。


診察を受けたあと、看護師の方が待合室に来て、親身にアドバイスしてくださいました。

「せっかくの機会だから、ご主人のご両親に旦那さんをみてもらえば?」
と言われました。

けれど、その言葉に事情を返すこともできませんでした。


地域包括支援センターにも相談しましたが、タイミングが悪く、ショートステイの空きもありませんでした。


病人の夫にそのまま話すこともできず、相談相手もおらず、ただ一人で悩み続けました。


あの頃の私は、切実に思っていました。


「誰かに話を聴いてほしい」と。


実は、母のことが起こる前にも、私は孤独の中にいたことがありました。



今思えば、もうひとつの誰かに話を聴いてほしかった出来事があります。


かなり前になりますが、認知症の上、骨折して寝たきりの父が、口から栄養を摂ることが難しくなったときのことです。


胃ろうの手術を受けて延命措置を行うかどうか。

家族で決断を迫られました。

医師からは、手術をすれば十年は生きられると言われました。


すでに父との意思疎通は難しくなっていました。

言葉を発する機能だけが失われていたのか。

判断そのものができない状態だったのか。

それとも、その両方だったのか。

今でもわかりません。


それでも母は、「生き神さまとして生きていてほしい」と言いました。


一方で、父はもともと人工的な延命を好まない人でした。


私は頭を抱えてしまいました。


けれど最後は、長年連れ添ってきた母の想いを尊重し、胃ろうの手術を受ける選択をしました。


あの決断が正しかったのだろうか。


父自身がどう感じていたのか、本当のところはわかりません。


けれど、残された家族にとっては、あの選択には意味があったようにも感じています。

だからこそ、命の選択には簡単に割り切れないものがあるのだと思います。


そして、決めるときも、その後の父の姿を思い出すたびにも、私は思っていました。


胃ろうのチューブを何度も抜いてしまう父。


手にミトンをはめられ、拘束されている状態の父を見るたびに、
胸が締め付けられるような思いでした。


「誰かに話を聴いてほしい」と。


不思議なことに、そのときは、私をよく知る人にほど話せなかったのです。


負担をかけたくなかった。
なぜか一人で解決しなくてはという思いもありました。

そして、どこか恥ずかしかった。
弱い自分をさらけ出すことへの、言いようのない恥ずかしさがありました。



以前、「もっと具体的に書いたほうが、きっと伝わるのだろう」と感じながらも、どうしても書けない自分がいました。


家族を大切に思う気持ちと、自分の言葉で語りたい気持ち。


その間で、ずっと揺れていました。



五十歳のとき。

たまたま法事の席で耳にした言葉が、今でも心に残っています。


「念仏の“念”は、“今”に“心”と書きます。
念仏を唱えるとは、亡くなった方を想うことで、自分の“今”の生き方を問うことなのです」


雷に打たれたような衝撃を受けました。


亡くなった人を想うことは、
自分がどう生きるかを問うことでもある。


それ以来、私は折に触れて、これまで見送ってきた人たちを思いながら、自分自身に問い続けています。


私は、これからどう生きたいのか。


そして今、強く思うのです。


亡き人を想い、今の自分を問う中で、私はかつての自分が求めていたものの正体に気づきました。


それは、安心して心の内を吐露できる場所。


正解を示されるのではなく、ただ話を聴いてもらえる場です。


そんな思いが、
私が「話を聴く場を設けたい」と思った原点です。



あの頃、誰かに話を聴いてほしかった私が、今度は“聴く側”になろうとしていることに、正直、今でも戸惑いがあります。


私は専門家ではありません。

正解を示したり、アドバイスをしたりすることもできません。


それでも、答えを急がず、今の気持ちをそのまま話す時間には、意味があると感じています。


話すことで、自分の言葉を自分で聴き直す。

そうするうちに、少しずつ気持ちの輪郭が見えてくることがあります。


私は、その時間にそっと立ち会い、一緒に考えることができたらと思っています。

私は、話を聴くことは、信じることでもあるのではないかと感じています。


相手の気持ちを決めつけず、答えを急がず、その人の言葉を、その人のものとして受け取ること。


そうして話しているうちに、自分でも気づかなかった思いに、ふと出会うことがあります。


ここでの時間は、何かを解決するためではなく、立ち止まり、自分を整える時間です。


そのひとときが、少しでも心を軽くするものになれば嬉しいです。


皆さんは、最近、自分の心の輪郭をなぞる時間を持てていますか?



「余白のひととき」という名前で、オンラインで話を聴く場を形にしていこうと考えています。

いつか画面越しに、誰かの心の輪郭をなぞる時間に立ち会えたら、と思っています。


その一歩として、今日からアイコンのカラーとクリエイターページのヘッダーを新しくしました。


これまでの「明るく親しみやすい余白」から、「安心して心を置ける余白」へ。


そんな願いも込めています。


これからも、どうぞよろしくお願いします。

いいなと思ったら応援しよう!

聴話人くるみ|光へ還る鏡 いただいたサポートは、この場所に流れる静かな時間と、こころの学びを育てるために大切に使わせていただきます。