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平成トレンディ小説 彗星群 第1話 受付のシュークリーム

◽️あらすじ
 1998年からスタートする平成のお話。
 とある企業の受付、多辺志織は、商談日時を一日間違えた取引先の田澤幸弘からお詫びとして一袋のシュークリームを受け取る。
 その日、交際相手の三島の不義を目撃して、失意のどん底に陥る志織。
 その時、差し入れに忍ばされた田澤の電話番号に連絡する。
 出会った二人、志織はグラフィックデザイナー、田澤は脚本家の夢を実現するために、互いに励まし合い、距離を近づけていくものの。
 想い合うが故に想いを伝えられない二人。
 そんな時、田澤が生み出した物語
 『彗星群』がきっかけで、二人はどこまでも、すれ違いつづける関係になってしまう。
 「愛し合う友達二人の物語」

第1話 受付のシュークリーム

 1998年、銘治鉄工株式会社の受付フロアには、商談に訪れる他社の営業社員達が、一人、また一人と訪れ始めていた。
 そこに、エレベーターから、どこか落ち着いた雰囲気を纏った長身の男が現れる。

 手には、黒革の鞄と、設計図面の入っているだろう、円筒のケースを携えて、スーツの襟元を正す。

 腕時計で、時間を確認するや否や、真っ直ぐ受付まで歩みを進めた。

 受付の多辺志織は、自分を覆う人影に気付き、顔を上げる。

(背の高い人......)
「おはようございます。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「台蔵組の、田澤と申します。本日10時に、沢渡課長にお約束をいただいておりまして」

 田澤は、あらかじめ用意していた名刺を、慣れた手つきで差し出した。
 志織は「ありがとうございます」と一言笑顔を作り、それを受け取ると受話器を取った。

「それでは、確認致しますので、おかけになってお待ちください」

 内線で、沢渡のデスクの番号を押す、しかしなかなか電話は繋がらない。

 志織が眉を顰めていると、やっと繋がるが、その声は沢渡のものではなく、志織の同期の片桐里沙子のものだった。

「志織?沢渡課長、今三島さんと一緒に積算と打ち合わせ中だよ。明日の台蔵組さんとの商談の」

(明日?今来てるんだけど?)

「今、台蔵組の田澤様がお見えなんですが」

 相手は同期の親友、とは言え他社の社員がいる手前、慇懃な口調をくずさない。

「うそ!?ちょっと待って!」

 里沙子の声も上ずる、受話器の向こうで慌てているのはすぐにわかった、しかし……

「台蔵組さんの商談、明日だよ、間違いない」

「明日?ですか」

「そう、明日の10時」
「私も同席するから間違いないよ」

「わかりました、先方にはそうお伝えします」

 受話器を置いた志織は、頬を膨らませながら大きなため息をこぼした。

 自分が悪いわけではない、だが、気まずい。
 どう伝えれば良いのか、ありのままを伝えるしかない。

 意を決した志織は、着席して手帳を確認している田澤に視線を移した。

「田澤様、お待たせしました」

 田澤は肩をぴくりと上げ、手帳を胸ポケットにしまい、立ち上がる。
 志織に向き直り、カウンターに赴いたその時だった。

「恐れ入ります」
「ご予約なのですが、明日になっております」

 申し訳なさそうに無理に作った笑顔に、田澤の表情が固まる。

「明日……ですか」

「はい、明日の同時刻で承っております」

 田澤は受付カウンターに置かれた、日めくりのカレンダーに視線を移し、取り出した手帳を見て目を伏せた。

「完全に、私の確認不足です」
「失礼しました」

「いえ、また明日の同時刻、お待ちしております」

 その時、田澤の視線が志織の胸元の名札を捉えたのがわかる。

「あの、多辺さんの手も煩わせてしまい」

「いえ、そんな、お気になさらず」

(いやいや、いいから、大丈夫だから)

 恐縮しきりの田澤に、今度は志織が焦る。
 両掌を向けて、なんとか宥めようとするが、田澤は止まらない。

 その場で腰を深く曲げ、フロアに響きわたるような大声で。

「大変!申し訳ありませんでした!」

 その一声がこだました。
 受付フロアの人々の視線が集まる。

「お気をつけて……お戻りくださいませ」

 引き攣った笑顔を向ける志織。

 田澤はがっくり肩を落とし、まっすぐエレベーターへ向かった。
 その背中を見送って、瞬きをひとつ。

(……なんだろう、あの人)

 力無くうな垂れる姿が、エレベーターの扉の向こうに消えて行き、フロアを示すランプが階下へと移る。 

(一日"後"じゃなくて、良かったですね)

 心の中でそう呟きながら、志織はそっと微笑んだ。

 翌日、田澤が現れたのは、約束の15分前。
 「今度は間違えてないぞ」という雰囲気が、何処となく漂っている気がして、志織は思わず笑ってしまう。

 田澤はバツの悪そうな苦笑いを浮かべて、近付いてきた。

「多辺さん、昨日は大変失礼いたしました」

「いえいえ、本日はよろしくお願いいたします」「沢渡にお取り継ぎ致しますね」

「その前にこれ、よろしければ、お詫びです」

 田澤はそっと紙袋を差し出す。
 洋菓子店のロゴが入ったものだった。

「私の住んでる所の、昔ながらの洋菓子店のシュークリームです」
「良かったら召し上がってください」

 志織の表情が、一瞬ほどけて思わずトーンが上がる声。

「ありがとうございます」
「恐縮です」

 その様子を見た田澤が、ふっと胸を撫で下ろす。

「よかったです、それでは本日は、お世話になります」

 田澤はまた深くお辞儀をして、フロアの椅子に腰を下ろした。

 退社した志織は、帰り道を一本だけ変えた。
 あたりはまだ日暮れ前。
 まだ、外の景色は、はっきりと輪郭を保っていた。
 なんとなく気まぐれに、角を曲がった瞬間、志織の息が止まった。

──三島。

 志織の交際相手で部署違いの同僚。
 彼が、女と一緒に歩いている。
 女は腕を絡めて、しなだれかかるように歩き、三島は締まりの無い表情で、上機嫌だ。

(今日、残業じゃなかったの?)

 志織の胸が高鳴る。
 体温が急速に下がっていくのがわかった。
 ただ、視線を二人から外せない。
 充分な距離があるのに、耳に入ってくるのは彼らの声。

「三島主任、いいんですかぁ?多辺さんいるのに」

 女の作ったような甘えた声。

「い〜んだよ、あいつくっそ真面目で、ずっと一緒にいると、息詰まるんだよ」
「たまにはさ〜ちょこちょこっと、つまみ食いしてさ、普段できないようなことも、してみてえじゃん?」

 至って上機嫌の三島の肩を、女が爆笑しながら軽く叩く。

「なにそれ、ひっど〜い!だったら、私を本命にしてくださいよ〜」

「どうしよっかな〜、それは今夜の君次第だよ」

(街中で、そんな大声で話す内容じゃないでしょう?)

 志織の頬を涙が伝う。
 二人の背中が、煌びやかなネオンが輝く歓楽街の奥に、消えていく姿を眺めながら。

 志織はしばらく、俯いて立ち尽くしていた。
 そして、その胸に去来する思い出。
 三島から、交際を申し込まれた時の記憶。

 (なんで?)

 そこから、思わず駅に向かって駆け出す。

 (なんで?)

 映画館で、手を握り、見つめ合った記憶。

 (なんでよ!)

 唇を重ね、そのまま頭を預けた枕の感触。
 そこで記憶が途切れる。

 「なんで、あんなこと、あんなことができるの?なんで?」

 そこから先は覚えていない。
 いつの間にか、自宅のベッドに倒れ込み声をあげて泣き続けた。

 その時、何故か突然志織の中である人物の声が響く。

 "多辺さん、昨日は大変失礼いたしました"

(...…あ)

 その時、志織の視線の先に入る小さな紙袋。

「田澤さんがくれた、シュークリーム」

 涙も引き、呼吸が戻る。
 体を起こして、床に放り出されていた紙袋を拾い上げ、中身を取り出すと、思わず笑ってしまった。

 「何これ?大っきくない?」

 普段"シュークリーム"と思っているそれとは、ひと回り大ぶりのもの、ベッドに腰を下ろして一口運んだ。

「……すごい美味しい!」

 志織は驚きと、その甘さに夢中になってしまった。
 その味わいを楽しんでいる瞬間だけが、先程の辛い現実を、和らげてくれた。

 しかし、それも束の間にすぎない。
 食べ終えてしまうと、また、現実に戻される。
 薄暗い部屋に一人、昨日までは充実した時間だと思っていたものが、突然露のように消え失せた絶望の中。
 それは彼女にとって、果てしない孤独のように感じてしまうのだ。

 その時だった。
 志織は、紙袋の中に、あるものを見つける。

 それは名刺。
 裏返すと、手書きの文字。

「何かあったら 田澤 幸弘(電話番号)」

 志織はしばらく、その紙を見つめた。

("ゆきひろ"さん……あの人、こういう事するんだ)

 そのまま捨ててしまおうと思ったが、手が止まる。

(〝何かあったら〟って……今じゃん)

 誰でも良かった。
 今の孤独から救い出してくれるなら。
 寂しさを和らげてくれるなら。
 志織は携帯に、迷わず田澤の番号を打ち込み、通話ボタンを押す。
 呼び出し音のあと、落ち着いた声。

『はい、田澤です』

 志織は、言葉が出ない。息だけが震える。

『あれ?もしもし?』

 志織はやっと、かすれる声で名乗った。

「銘治鉄工受付の、多辺です」
「シュークリーム、ありがとうございました」

『あ!多辺さん!よかった、お口に合いましたか?電話いただけて、嬉しいです!』

 何処となく弾んでいるような、田澤の声。
 志織の緊張を解くには充分だ、胸に混み上がる衝動が、抑えきれない。
 三島と過ごした甘い時間の数々が、鮮明に浮かび、それは声になって溢れてしまう。

「……あの……私…わたし」

 急に、息が詰まるような志織の涙声に、受話器の向こうの、田澤の狼狽が伝わる。

『多辺さん?……もしもし?大丈夫ですか?』
『多辺さん!?』

「……」

 志織は次の言葉が続かない、口を開こうとすれば、嗚咽が漏れるだけだった。

 その時。

『多辺さ……熱っつぅぃぃぃーーー!!』

 突然の耳をつん裂く叫びに、志織ははっと我に帰る。

「どうしました?」

『いや、カップ、やきそばの、お湯を、切ってた、ところで、中味が、全部』

 途切れ途切れの、押し殺した声に嫌な予感しかしない。

「全部?」

『足の、上に、ガバって……』

 志織は思わず息を飲んだ。

「大変! 早く冷やさないと」

『そうですね……うぐふ!』

 今度は何だろう?
 志織の涙は、すっかり引っ込んでしまい、電話の向こうに意識が向いて行く。

「今度は何?」

『し、シンクに足突っ込んで、冷やそうとしたら』

「冷やそうとしたら?」

『吐水口で、足の甲をガリって』

「うわ、痛、」

 つい想像してしまい、思わず足の甲をさする志織。

『すみません、痛い思いさせて』

 急に変わった落ち着いた声。
 それがまた、おかしかった。

(いや、痛いのはあなただから)

『折角お電話頂いたのに、バタバタしちゃって』

 受話口の向こうで、声と一緒にガラガラと鳴る音がした。
 多分患部を冷やす為の氷を集めているのだろう。

「いえいえ、まずは落ち着いて、ゆっくり冷やしてくださいね」

 そうは言いながら、最初に電話をかけて取り乱したのは自分だ。
 逆に落ち着かせようとする自分が、どこか笑ってしまう。

『何か、嫌なことでもあ……ぬぉあ!』

(今度は何?)

 受話器の向こうから、細い呼吸が聞こえる。
 鼻から吐かれる息であろう。

「あの……大丈夫、ですか?」

『……鴨居に、額を……』

 志織は思わず目を閉じた。

(確かに、背の高い人だったもんね)

「大丈夫ですか? とりあえず、座って落ち着いて下さい」

 言ったあとで、自分でも少し可笑しくなる。

「あの……待ちますから、痛いの治るまで」

 鴨居に額をぶつける背の高い男。
 想像だけで、志織の口元がクスッと緩んだ。

『気を遣ってもらって、申し訳ないです』

 田澤の呼吸が元に戻るころには、志織の胸の支えが、若干だが和らいでいた気がした。

 そして次の瞬間、自分でも信じられない言葉が飛び出す。

「今から、会えないですか?」

 自然に出た言葉に、志織自身が驚くが、それよりもどこか、「会って話を聞いてほしい」と言う気持ちが勝っていた。
 電話の向こうの時間が止まる、しばし時間を置いて、返ってくるのは弾んだ声。

『もちろん! 大丈夫です!』

 あまりにも素直な言葉で、綻ぶ志織の顔。

「田澤さん、お家どこですか、私は……」

 自分の最寄り駅を伝えると、田澤からは間髪入れず返事が来た。

『なるほど、じゃあ、あの駅がいいですね。お互いの丁度中間だし、そこの西口改札でて正面の喫茶店の前にいますね』

 その早さに、一瞬呆けてしまう。

「すごい、すぐわかるんですね」

『一応営業の仕事してるんで、これくらい普通ですよ、じゃ、今から出ますね』

 電話を切って、志織はそのまま深く息を吐いた。

「どうしよう。会うことになっちゃった」

 時計を見上げると、時刻は19時を少し回った所。
 もう一度、名刺を何度か裏表を返して呟く。

「田澤……幸弘さん、こんな、ナンパみたいなこと、するような人に、思えないな」

 ひとつ呟いて、荷物を持って立ち上がった。

 指定された駅の、西口改札の前。
 確かに、真正面に喫茶店が、ある。
 そして、田澤の姿もあった。
 あった、居たのだが、志織はその姿を見て、目を見開いて足を止める。
 まるで、時間が止まったかのように。

(うわあ、、、)
(だっさ。)

 会社の受付で見た彼は、決して仕立てが良い、とは言えないが、それでもしっかりとスーツを着こなしていた。
 しかし、視界に映る田澤の私服のセンス。
 (今時それ?)と目を疑ってしまう。
 ケミカルウォッシュ強めのデニム上下。
ジーンズはボンタンタイプ。
 襟元の伸び切った赤いTシャツ。
 青地に白いライオンのキャラクターがあしらわれた野球チームの帽子。
 そして、臙脂色のハイカットスニーカー。
 腰に巻かれたウエストポーチ。

(確かに、中学の頃は男子あんな格好してたけど)

(あと、あと……なんで?そうなるの?)

 田澤の口元が、もぐもぐと咀嚼している。
 喉を鳴らすと、すかさずもう一口。
 手元の黄色い物体が、口へと運ばれた。

(ば……バナナ、食べてる)

 昼間受付で見た落ち着いた雰囲気は、そのままだった。
 それが、逆に可笑しい。
 さも当然といった佇まい。
 しかし、視線の先の男の姿は、決して日常では見ることも、会うこともない、異質さそのものである。

(声……かけなきゃいけないよね、自分が呼んだんだから)

 あと一歩が踏み出せない。
 次の一口を運ぶと、田澤はまた無表情で口を動かす。

 その時だった。

 二人の視線が合った。
 田澤は少し固まり、すぐに残り半分はあろうかと言うバナナを口に押し込んだ。

(喉に詰まっちゃうよ)

 田澤の頬が膨らみ、一生懸命噛んでいる。
 しかし、志織にはわかる。
 飲み込みきれないだろう、量が多すぎだ。
 変わらず一歩が踏み出せず、観察するだけだった。
 やがて、田澤は天を仰いで、胸元を強く叩き始めた。

(ほら)

 苦笑しながら、田澤の元へ歩み出す志織。
 改札を抜ける。
 赤い顔で、ウエストポーチからペットボトルを取り出して、流し込む田澤。

 これが、二人の出会いの瞬間だった。

「多辺です、田澤さん。お待たせしてすみません」

「いや、ぜんぜん待ってませんよ。俺も今きたところですから」

 志織の視線は、田澤の手元のバナナの皮に釘付けだ。
 それに気づいた彼は、ウエストポーチから小さなビニール袋を取り出し、皮を入れると、またポーチの中にしまう。

(これは、ちゃんとしてるのかな?でも、そもそも、バナナ?バナナかぁ、駅でバナナ)

 僅かに混乱していた。
 あまりにも普段見慣れない、異質な姿すぎたのだ。

「あ、焼きそばダメになったから、家にあった手っ取り早いの持ってきたんですよ」

「あ……そうだったんですね?」

 そのやり取りの間、今度は服装が気になる。
 無意識に上から下まで、視線を動かす志織。

「なんか、変ですか?」

 気付いた田澤が不安げに問う。

「変と言うか、個性的と言うか」

 私的な場所では初対面だ。
 なんとか言葉を探して選ぶ志織。
 言い訳のように、田澤が口を開いた。

「流行ってたでしょ」

 志織は首を傾げ、容赦なく落とす。

「十年くらい前は」

 しょんぼりして、帽子のつばが、ほんの少しだけ下がった。
 志織はそれを見て、また胸の奥が緩む。

「とりあえず、喫茶店入りましょうか」

 喫茶店にて、向かい合う二人。
 田澤の振る舞いと格好に、すっかり緊張がほぐれた志織は、隠すことなく今の胸の内を明かした。
 信じていた、愛していた存在の裏切り。
 その一部始終を、包み隠さず。

「..........」

 田澤は、運ばれてきたアイスコーヒーに手をつけず、ただ黙って話を聞いていた。
 そして、志織の目をじっと見つめて答える。

「俺は、恋愛経験が少ないから」
「多辺さんがどれだけ悲しいか、本当の意味では分からないかもしれません」

 ふいに、彼が窮屈そうだった球団の帽子を脱いだ。

(……えっ?)

 志織は言葉を失った。
 帽子の下に隠れていたのは、驚くほど彫りの深い、精悍な顔立ちだった。
 涼やかな目元に、真っ直ぐな鼻筋。
 何より、その「目」だ。
 一点の曇りもなく、ただ目の前の志織を案じている、綺麗な目。

「けど、悲しいのは、それだけ相手を好きだったからですよね」
「だったら、今は無理に決めなくていい、見なかったことにするか、ちゃんと話し合うか」
「落ち着いてから考えたらいいと思います」
「俺はどちらの答えを選んでも、多辺さんの選択は正しいと思いますよ」

 志織は、ぽかんとしたまま彼を見つめていた。

(かっこ……いい、かも)

 すると、田澤がため息をこぼす。

「顔、濃いでしょ?」

「……え?」

 確かに、その表現は合ってはいる。
 ただ、悪い意味ではない。
 しかし、田澤は自嘲気味に続ける。

「顔のこと、良く言われます」

「なんてですか?」

「煮詰めたお好みソース顔って」

 志織の心がまた少し明るくなった。

「でも、それだけ自己主張が強いんですよ」
「悪いことじゃないですよ」

 視線を落とす苦笑いの田澤。

「良い人ですね、多辺さん」

「でも、さっぱりした"しょうゆ顔"に生まれたかったなあ」

 どこか遠くを見つめる田澤が、志織には不思議だった。

(いや、それはそれ)
(充分ですよ、充分すぎです)

 沈黙が訪れ、志織は思わず声を出す。

「.....田澤さんって、おいくつなんですか?」 

「25です」

 志織の動きが止まった。
 コーヒーを持ったまま、文字通り固まる。

「...そのリアクション、慣れてますから。大丈夫です」

「ご、ごめんなさい。てっきり、30は優に超えてるのかと……」

「まあ、大体その辺に間違われますね。……今のところの最高記録は、46歳です」

「46!?」

「あはは...それは、雰囲気が落ち着きすぎてるからですよ」

「それもよく言われます。」
「(昭和)48年生まれです」

志織は目を見開いた。

「48年? ……え、一緒じゃん!」

 同い年、このカテゴリーが、志織の中につくっていた壁を一気に取り払う。
 その口調が、急に親しみを込めたものになって行く。

「嘘でしょ?同じ25歳で、落ち着きすぎでしょ?」

「落ち着いてたら、焼きそばの湯切り失敗しませんよ」

 田澤が困ったように笑う。
 その照れた顔は、年相応の青年のそれに見えて、志織は初めて心から、くすっと笑った。

「……あー、なんか……一気に気が楽になっちゃった」

 志織は深く息を吐き出し、グラスに残った氷をカランと鳴らした。

 自分を縛り付けていた「裏切り」の重みが、この不思議な同い年の男のせいで、どこか遠くへ飛んでいく。

「ありがと、田澤くん」

「え、あ、ど、どういたしまして」

 いきなりの「くん」付け。
 田澤は心臓が跳ねる音が自分でも聞こえるほど狼狽し、耳の先まで赤くした。
 志織は、そんな彼の反応を見て、いたずらっぽく目を輝かせる。

「よし! じゃあ、お礼がしたいから、ちょっと付き合って」

「どこにですか?」

「いいから、ついてきて」

 向かった先は、閉店間際の駅ビルにある紳士服売り場だった。

「いい、田澤くん」
「その顔立ちとスタイルなんだから、全体的に濃い色がいいの」
「足も長いんだから、もっとスリムなやつ.....」

 志織はさっきまでの態度が嘘のように、嬉々として物色し始めた。

 田澤の体に服をあてがい、首を傾げたり、眉を細めたり、その表情は真剣でもあり、喜んでもあり。
 その姿に、胸の高鳴りを覚える。

(……可愛い、さっきまで泣きそうだったのに)

 自分の服をあてがわれていることなんて、もうどうでもいい。
 自分を真っ直ぐに見つめる彼女の瞳に、田澤の胸はいっぱいだった。

 志織は試着室の外で、腕を組んで待っていた。
 しばらくして、中から「うわあ!」という声が響く。

「どうしたの?」
「凄いよ多辺さん! 全然印象変わってる。なんかすげえ!」

 勢いよくシャッとカーテンが開く。
 そこに立っていたのは、志織の想像を遥かに超えた姿だった。

(……まじ?)

 志織は、思わず持っていたバッグを握りしめた。
 濃紺のスリムジーンズが、彼の長い脚を驚くほど綺麗に際立たせている。
 黒のタートルネックは彼の精悍な顔立ちをよりシャープに引き立て、ダークブラウンのジャケットが、25歳とは思えない大人の色気と落ち着きを演出していた。

(……かっこいい)

 さっきまでのダサい田澤はどこにもいなかった。
 誠実で、凛々しくて、目が離せなくなるような男だ。

「ねえ、多辺さん」
「これ、本当に俺? なんか自分じゃないみたいだ」

 興奮気味に笑う彼の、少年のような無邪気な瞳。
 そのギャップに、志織は心臓がドクンと跳ねるのを感じた。

「あ、すいません」
「これ、全部買います。着たまま帰りたいんで、タグとって貰えませんか?」

「かしこまりました」

 店員を呼び止める田澤に、驚く志織。

「え!?大丈夫? 私値段見ずに、勝手に決めちゃったよ」

「大丈夫、大丈夫」
「俺は見てるし、カードも作ったのは良いけど、あんまり使ったことなかったから、良い機会だよ」

「では、計算してまいります」

 その場を、立ち去ろうとする店員が、志織に告げた。

「それにしても、彼氏さん本当にカッコいいですね」

 志織は、さっきまでの驚きを隠すように、少しおどけて返す。

「あはは、本当ですよねー」

 店員が離れたあと、志織が隣を見上げると、田澤はどこか釈然としないような、硬い表情で前を見つめていた。

「どうしたの、田澤くん」

「いや。俺も営業の仕事をしてるから分かるけど」

 田澤は、さっきまでバナナの皮を詰め込んでいたウエストポーチを、几帳面に紙袋の奥へ押し込む。

「ああいう、あからさまなお世辞って……なんか、あんまり気持ちよくないよね。売るためなのは分かるけど、多辺さんまで調子合わせなくていいのに」

「…………え?」

 志織は動きを止めた。
 田澤は、本気で言っている。
 自分が今、誰が見ても見惚れるような姿になっていることに、一ミリも気づいていない。

 自分の言葉(お世辞だよね)を肯定してもらうつもりで、少し拗ねたようにこちらを覗き込んでくる、その綺麗な瞳。

(……お世辞なわけ、ないじゃん)

 言いかけて、飲み込んだ。

 その時、お腹の音が、静かな店内に小さく響く。

「あ、そういえば多辺さん、ご飯まだだったよね。俺はさっきバナナ食べたからいいけど。……あ、一本しかなかったから、多辺さんの分はなくて」

「.....いや、バナナはいいかな、大丈夫」

 少し笑ってしまった。
 本当にさっきまで自分に「人生の正論」を説いていた人なのだろうか。

「じゃあ、今度は俺がお礼にご馳走するから。ご飯、行こうか!」

 迷いのない、真っ直ぐな誘い。

「.....はい」

  志織は小さく頷いた。
けれど、歩き出す直前で、どうしても言いたいことがあって足を止める。

「...あの。私、志織。多辺志織」

「うん。だから、多辺さん」

「.....。それだと、なんか会社の人とか、クラスのあんまり話したことない男子みたいじゃない? なんか、もうちょっと距離が近い方が……いいかな、って」

 これは、志織なりの最大級の勇気だった。
 田澤は「はっ!」と思いついたような顔をして、自信満々に提案した。

「だったら...多辺ちゃん?」 

(そっちーーー?)

 志織は心の中では大声で突っ込んだ。

「いやいや。志織。私、志織」

「.....っ!」

 そこでようやく、田澤は何かに気づいたように顔を赤くした。
 急に視線を泳がせ、もじもじとし始める。

 さっきの落ち着きはどこへやら、完全にうぶな少年の反応だ。

(……な、何ちょっと。やだ、かわいいんだけど)

「じゃあ。......志織、さん?」

 恐る恐る、壊れ物を扱うような呼び方。
 志織はその響きに、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

「.....あ、うん。.....よろしくね、田澤くん」

第二話はこちらです↓


↓以下のマガジンにて全話まとめております。

※ご拝読ありがとうございます。
1998年の物語です、ご意見、ご感想。
各話それぞれのBGMに似合いそうな、90年代の楽曲などを、コメントにてお寄せください。
励みになります。では、次回も是非読んでいただけると嬉しいです。

ちなみに、著者の第一話の楽曲は
クロスロード(ミスターチルドレン)です。
ではでは

↑もう一つ別の作品があります。
こちらもご覧下さい

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