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平成トレンディ小説 彗星群 第3話 海と夜景と

第3話 海と夜景と

 外に出ると、アスファルトの熱が、足元からじわっと上がってくる。
 車に乗り込むと、冷房の風が心地よい。
 走り出すと、志織は窓の外を眺めた。
 湾岸線、東京湾の水平線を遠くに望む。
 田澤の運転は丁寧で、景色を楽しむ余裕を持つには充分だった。

「今日は、どこ行くの?」

「海ほたる。行ってみたかったんだよね」

「海ほたる?」

「うん、開通したばっかりの、東京湾横断道路の中間点」
「海の上のでっかいサービスエリアみたいなところだよ」
「最初長いトンネルがあって、抜けたら急に現れるんだって」

「田澤くん、そういうの好きだよね」
「……俺、地元の近くに海がなかったから、テンション上がるんだよね」

 トンネルへ入る。
 車の数は少なく、スムーズな速度で走る。

「ここ、東京湾の海底なんだよ」

「凄いよね、どうやって穴を掘ったんだろ?」

「コンクリートの筒を沈めて、繋げて、その中に道路を敷いたんだよ」

「さすが、ゼネコン勤務だね」

 やがて、視界が一気に明るくなる。
 周囲は一面の海。
 近代的で、巨大な建造物が洋上に現れる。
 志織が息を飲むと、横目で見て、少しだけ笑った。

「……ね」

「うん、これは、ちょっとテンション上がるかも」

 駐車場に停めて、二人で歩く。
 海は照り返しが強く、志織の髪の毛が顔にかかるほどの強い風。
 田澤はさりげなく、彼女の風上に立ち位置を変えた。

「風、強いね」
「うん、なんか気持ちいいね」

 展望デッキに出ると、志織は欄干に手を置きながら、ふっと言った。

「こういう場所、彼女と来たことある?」

 言ってから、しまったと思った。空気が一瞬だけ止まる。
 田澤は、少しだけ目を伏せて、言葉を選んで返した。

「……ない、そういうの、したことないんだ」

 志織は頷いて、海のほうへ視線を逃がした。

「そっか」

 そこで変に笑ったりしなかった。
 代わりに、風の音の中でぽつりと言った。

「志織さんは、ここ、気に入った?」

「うん、海って、見てるだけで頭が空っぽになるよね」

「……空っぽ……か」

 煌めく水面を眺めていると、田澤の意識がふっと遠くに誘われた。

(……田澤くん?よかったら……うちと、付き合うてくれんね?)

(幸弘くん……ゆきくん、て呼んでええかいね?)

「……なんで、おらんようになったんよ」

「……何?」

 志織の言葉に、急に我に返る。

「……いや、はは、ちょっと空っぽになりすぎちゃった」

 きょとんとする彼女に、焦って頭をかきながら、車へと移動を促した。

 海ほたるを出て、水族館へ向かった。
 車内の冷房は少し強めで、さっきまでの照り返しが嘘みたいに涼しい。
 志織は窓に額を寄せて、うとうとしそうになる。

「眠い?寝てていいよ」

「ちょっと、色々と疲れてたから、ごめんね」

「……彼氏さんとのこと?」

「もう、違うから」

 その言葉に、ギョッとした顔で志織を向く。
 彼女はいたずらっぽく笑い、口を開いた。

「だめだよ、前見ないと危ないよ」

 水族館は、人が多く、子どもの声が跳ねている。
 最初の大きな水槽で、魚の群れが一斉に向きを変える。
 志織が「わ」と声を漏らすと、横で小さく頷いた。

「……すごいね」

 その横顔を覗くと、あの映画の時と同じく、まるで自分が水槽の中にいる様に、没入している。
 志織はただ微笑みながら、その横顔をみつめた。
 イルカショーの時間が近づき、二人は屋外のプールへ向かった。
 観客席は明るい。水面が光って、目が痛くなる。

 志織はバッグから、レンズ付きフィルムを取り出した。

「いつも、持ち歩いてるの?」

「うん、遠出の時はね」 

 カリカリと、ダイヤルを回し、嬉しそうに構える。
 イルカが跳ぶたび、シャッターを切る指が忙しい。

「かわいい〜」

 高く弧を描いて、白いしぶきが上がる。志織は思わず身を乗り出した。

 イルカの動きよりも、志織の笑い方のほうに目がいく。
 声を上げて、子どもみたいに無防備で、楽しそうだ。

 ぽーっと眺めている自分に気づいて、田澤は視線を戻そうとするのに、戻せない。

 志織が振り向いた。

「見てた?」

 田澤は慌てて頷く。

「……うん」

「ちゃんと撮れてるかなあ」

 志織は満足そうにフィルムを握り、またプールへ顔を向けた。

 帰り際、出口の近くに小さなプリクラ機が置いてあった。
 機械の前で、家族連れがはしゃいでいるのを見て、志織は足を止める。

「……撮る?」

「撮ろう」

 即答だった。

「え、ほんとに?」
「うん。今日、記念にしたい」

 狭い箱の中で、肩が触れそうになる。
 田澤は変に距離を詰めない。
 でも、離れすぎもしない。
 その中途半端が、かえって胸を踊らせる。

「……笑って」

 機械の声に言われて、志織は笑う。
 田澤は、笑い方が少しだけぎこちない。

 プリクラが出てきて、志織はそれを半分に切った。
 自分の分は、電池カバーを剥がし、その裏に貼り付けた。

「なんでわざわざ、そこに貼るの?」

「外側だったら、すぐ剥がれちゃったり、擦れて写真が消えないように、貼るの」

「大事なのは特にね」

(さあ、どう?何か勘付いたんじゃない?)

 少し期待するように、田澤に目をやる。

「あ!そうか!すごいよ、志織さん頭いい!」

(う〜ん、なかなか手強い)  

「田澤くんはどこに貼るの?」

 志織が聞くと、田澤は視線を逸らして答えた。

「……どこにしようかな?」

 その言い方が怪しすぎて、志織は笑った。

「実は決めてたりして」

「うん、貼る場所は、決めてる」

 志織は追及しないで、出口へ歩き出す。

「車回してくるから、ここで待ってて」

 田澤はスターレットの方へ駆け出して行く。

(本当、優しいなあ)

 夕方の帰り道は、西日が強かった。
 フロントガラスがオレンジ色に染まる。
 田澤は眩しそうに眉を寄せていたが、一向に日よけを下ろさない。

「下さないの?」

「うん、大丈夫」 

 大丈夫と言いながら、何度も目を顰めていた。

「いや、下ろしなよ、危ないよ」

 志織が構わず運転席の日よけを下ろすと、なんとその裏に、さっきのプリクラが貼られている。

「あ」

 志織は一秒、固まってから吹き出した。

「ちょっと、貼ってるじゃん」

 田澤がハンドルを握ったまま、目を丸くする。

「え」

「え、じゃない、貼ってる」
「めちゃくちゃ貼ってる」

 田澤は一瞬だけ慌てるが、運転中だからどうにもできない。
 顔が赤いのが、横からでも分かった。

「はは、ちょっと志織さんに待っててもらって、車取りに行ってる時に.....」
「……せっかくだから、運転中とか、目に入ればって」

 志織は笑いながら、意地悪く続けた。

「ふ〜ん、なんで?」

「……今日楽しかったこと、思い出せるから」

「じゃあ、ずっとそのまま?」

「……今は、そのつもり」

 西日がまぶしくて、車内の空気が少し熱かった。
 志織は髪を耳にかけながら、心の中で思った。

(なんでこんなことで、こんなに嬉しいんだろ)

 田澤の車は、ゆっくり都会の灯りに戻っていった。
 日よけの裏のプリクラが、その存在感を増していた。

 車内の静けさに、走行音だけが規則正しく混じっていた。志織は窓の外の光を眺めてから、ゆっくり田澤のほうへ顔を向ける。

「ねえ田澤くん、私のグラフィックの事を応援してくれて、ありがとうね」
「今、そっちの勉強してるんだ」
「会社も辞めたの」

「ほんとに? 凄いなあ、しっかり自分で考えられて」

 志織は少し笑って、助手席の膝に手を重ねた。

「田澤くんはないの? そういうの」

 前方から目を逸らさないまま、指先でハンドルを撫でた。
 言うか迷っているのが、横顔だけで分かる。

「……あるんだ」

 小さく息を吸って、続ける。

「暗い奴って思われるかもだけど、本当に、夢の部類だからさ」

 志織は遮らず、黙って待った。

「映画とかの……脚本、書いてる」
「コンクールとかにも、応募してる」

 田澤が言い終えると、車内に一瞬、間が落ちた。

「……」

 田澤が視線だけを泳がせ、気まずそうに笑う。

「ね。そうなるよね」

 志織は首を振った。

「違う、なんか全然違う方向から来て、リアクションに困っちゃった」

 田澤は少しだけ肩をすくめ、照れ隠しみたいに続けた。

「話とか、作るの好きなんだ」
「小学生の時とか、それで揶揄われたりして」

 志織は間髪を入れずに言った。

「今度見せて」

「え?」

「だって、脚本家って実際にある仕事でしょ? 凄いじゃん」

 田澤の喉が、小さく鳴った。

「志織さん……」

「だって、田澤くんぜんぜん暗くないよ」
「映画も好きだし、面白いの思いつきそうだもん」

 田澤は、ようやく小さく頷いた。

「ありがとう」

 田澤の中で、何かが芽生えた。

(今かもしれない)

「あのさ、志織さん......」

「なに?」

 反射的に体を起こした。

(ほんとに何?)

 期待が膨らむ。

「実はさ......」

 その時だった、閉じ込めていた記憶。
 それが声になって脳裏に響く。

「ちょっと幸弘!なんで私の机触っとるの?」

「え?でも、掃除やし、机動かすし」

「なんで触るの?」

「いや...ほじゃから」

「うわぁーん、幸弘に机さわられたー!」

「え?ちょっと待って」

「幸弘、ちゃんと謝れや」

「え?なんで?」

「あーやまれ!あーやまれ♪」

「だからなんで?」

「……はっ!」

 思わず出てきた田澤の言葉に、驚いた志織は田澤に目をやる。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 志織は眉間に皺をよせた。

「でも、そんなに汗かいて」

「大丈夫だから!」

「……田澤くん」

 車はゆっくり速度を落とし、駅前の灯りがフロントガラスに滲んだ。
 名残惜しい沈黙のまま、志織はシートベルトに触れてから、思い出したように言う。

「ねえ。次、久しぶりに飲みに行こうよ」

 田澤は嬉しそうに頷きかけて、すぐ真面目な顔になる。

「じゃあ、志織さんの会社の近くの……あの展望ビアホールがいいな」

「……あそこかぁ」

 田澤の眉が、わずかに寄る。

「嫌なの?」

 志織は慌てて首を振った。笑ってごまかすみたいに、声を柔らかくする。

「大丈夫だよ。ただ……ちょっと前の会社の人に会ったら、気まずいかなって」

 志織がそう言うと、田澤はすぐに言い直すように口を開いた。

「じゃあ……違うところにしようか?」

 志織は首を振って、笑った。

「大丈夫だよ。今はもう会社にいるわけじゃないし」

 田澤は少しだけ安心したように頷く。

「……じゃあ、また連絡するね」

「うん、わかった」

 言葉はそれだけなのに、車内の空気がふっと軽くなる。
 けれど同時に、降りるのが惜しくなる。

 駅前に車が止まった。
 ドアが閉まる音がして、テールランプが遠ざかっていく。

 志織はその場に立ち尽くし、息を吐いた。

「はぁ」

(別に、嫌な思い出って訳じゃないけど、会ったりしたら、やだなあ)

 少しだけ、ため息混じりに肩を落とした。

 一方、田澤は都会の夜景の中を走る。
 ハンドルを握る手に力が籠った。

「……あんな昔のことを、いつまで引きずっとるんじゃ」

(私は、あなたをバイ菌だなんて思わないよ)

(いい加減にしなよ)

(あなたはもう、昔のバイ菌なんかじゃないんだよ)

 そっと右手をハンドルから離し、襟元に手を伸ばした。
 襟の裏に隠れたチェーン。
 それを手繰り寄せ、現れたものを握り締めた。

「……ごめんの」

 誰に聞かせるわけでもなく。
 ただポツリと呟いた。

 数日後。
 待ち合わせの場所は、展望ビルの足元にある広場だった。
 特徴的なオブジェの前で、志織は一度立ち止まり、息を整える。
 人の流れの端で、田澤が手を上げた。

「志織さん」

 呼ばれた瞬間、胸が少しだけ軽くなる。
 二人は並んでエントランスを抜け、エレベーターで上へ上へと運ばれていく。

 ビアホールの窓の外。
 夜景が一面に広がり、田澤は思わず足を止める。

「……うわ」

 志織が横で、少しだけ誇らしそうに。

「すごいでしょ」

 席につくと、泡の立つグラスが運ばれてきた。

「乾杯」

 田澤は窓の外を見ながら、ふっと笑った。

「東京って、光ばっかりだな。どこまでも」

「なんか、映画のセリフみたい」

「うちの田舎は、夜になると真っ暗だからさ」

「田澤くんの実家って?」

「山陰の、山あいの城下町」
「風情はあるよ、そこで両親が洋食屋やってる」

「山陰……」

 目を細めると、田澤が急にいたずらっぽく笑う。

「右と左。どっちがどっちか分かる?」

「え? いきなり言われたら、困るなあ」

「だよね。これ、山陰生まれが県外の人によく言われるんだ」

 志織は笑いながら、グラスを置く。

「じゃあさ、方言とか言ってみて」

「それ、地方出身者が一番困るやつだから」

「え、そうなの?」

「いきなり言われても、何言ったらいいか思いつかないよ」

「そっか。そうだよね」

 少しだけ間を置いて、ぽつりと落とした。

「ほうじゃけぇの」

「……なにそれ」

「そうだからね、みたいな意味」

 志織は、彼の顔を見て笑った。

「なんか、体おっきいから、田澤くんが言うと迫力あるね」
「でも、ちょっと羨ましいな。私、自分の田舎ないから」 

「じゃあ、ご両親と一緒に住んでるの?」

 志織は首を振る。
 笑いの形のまま、視線だけが少し遠くなる。

「ちょっとした勘当中」
「前の彼氏のこと、気に入らなくて、三年くらい」

「そうなんだ」

「ここもよく、前の彼氏と会社帰りに来てたんだ」
「一緒に」

 田澤が、ようやく合点がいった顔をする。

「だから、この前ちょっと腰が引けたみたいだったんだ」
「ごめん」

「田澤くん、営業だから知ってるかも」
「……三島主任」

「三島主任か……直接はないけど、何回か大きな商談のとき同席したな」
「あの人、モテそうだよね」
「おしゃれだし、トーク上手いし、時計もいいのしてるもんね」

 志織は、夜景に目を留めたまま言う。

「……それで、みんな騙されるんだよね」

 気まずそうに田澤が続ける。

「でも、必ず下ネタ言うんだよね」
「彼女と……どうたらこうたら」

 志織の顔が、固まった。

「……志織さん?」

「そんな話、田澤くん聞いたの?三島さんの『彼女』との……そんな話」

 ショックを受けた顔に、慌てて首を振る。

「聞いてない。何も聞いてない」

 志織の目が、ふっと潤み、声が震えた。

「あの人、そんなことばっかり」

「ごめん」
「本当にごめん」
「……もう出よう」

 会計を済ませて外へ出ると、展望ビルの足元の公園は思ったより暗い。
 ベンチに座った志織は、指先で膝を押さえたまま、しばらく動けなかった。

 田澤は隣に座らない。
 少し距離を空けて、黙って待つ。

「……落ち着いた?」

 志織が小さく頷く。
 すると、田澤が笑って振り向いた。

「じゃあさ、あの橋」
「あれ、あのガラスのリンゴが出てくるドラマの橋だよね」

「そうだよ」

 期待を込めたような、田澤の表情に、思わず呆れて吹き出しそうになってしまう。

「駅、遠くなるよ」

「往復すればいいよ」

「……わかった」

 橋へ向かう道は、夜風が冷たかった。
 橋の上、志織がぼんやり空を見ていると、田澤が急に立ち止まった。

「ちょ、待てよ」

 志織が驚いて振り向く。
 田澤は妙に棒読みで言った。

「お前、好きなやついんのか?」

 志織が固まる。
 田澤は空を何度も指差して、必死にジェスチャーする。
 志織は数秒遅れて意図に気づいた。
 話題に上がった、ドラマのワンシーンを再現しようとしているのだと。

 二人で息を合わせる。

「せーの!」

 夜空に向かって、二人は高々と人差し指を突き立てた。

「あっ!」

 志織が噴き出した。
 笑いが止まらなくて、涙まで出る。
 田澤は勝ち誇った顔をする。

「決まったね」

「田澤くん、あのシーン、ここじゃない」

「え?」

「夜でもない。昼間だよ、あれ」

「そうだっけ?」

 志織は笑いながら息を整えて、わざと意地悪く言った。

「ほんとはね、主人公がヒロインに、やり直したいって言うの」
「信じてほしい、とか、ちゃんと話したい、とか」
「そういうやつ」

 志織は欄干に手を置いたまま、視線を落とす。

「ねえ、もし、三島さんに同じこと言われたら……私、どうなるんだろうって」
「期待したみたいに考えちゃった」

 へなへなと欄干に崩れる田澤。

「俺、ダメだあ……傷に塩塗ることばかりで」

(いやいやいや。そうじゃないでしょう?この流れなら、他に言うことあるでしょう?)

 喉まで出かけた言葉を飲み込む。

「ごめんごめん、ちょっと、からかってみたかっただけだよ」
「もう、さっきのでだいぶ気分、変わったから」

 田澤は動かない。

(あ、これ今日もダメなやつ)

 ため息をついて、話題を変えるみたいに言った。

「ねえ、田澤くんって彼女いたことある?」
「一人」

「へえ、いつ頃?」

「高二から大学三年」

「なんで別れちゃったの?」

 その問いに、一瞬肩が跳ね上がる。

「……遠距離」
「俺がこっちで、あいつが関西」
「お互い忙しくなって、会わなくなって」
「……それで」

 志織の表情が強張る。

(“あいつ”……)

「いまはどうしてるの?」

「….…わからない……どこにいるのか」
「どこに……行っちゃったんだろ?」

 田澤が夜空を遠い目で見上げる。

「……本当に、どこにいるんだろうね?」

(これは、私もヤバいもの掘り起こしちゃった?)

 志織は慌てて、明るく言い直す。

「で、でもさ田澤くん、優しいしかっこいいし、またすぐ見つかるよ」

(さあ、私を見なさい)
(気づきなさい)

 田澤が、むっとしたみたいに言う。

「だから、お世辞はいいって。昔からブサイクとかしか言われたことないのに」

(またそうなの?てか山陰の審美眼、違うのかな?)

 志織は半分呆れながら聞く。

「いつ頃の話?」
「小四から中学の間ずっと。特にクラスの女の子たちから」

「それ、思春期女子の、特有のやつじゃないかなー?ほら、思ってることと反対のこと言っちゃうってやつ」

 田澤が驚いた顔で見た。

「……そうなの?」

「そうだよ」
「実際、高校になったら彼女できたんでしょ? だからさ、もっと自信持って、ね」

「ありがとう」

 そして、思い出したみたいに続ける。

「……あいつも、そうやって励ましてくれてさ。だから俺、インターハイ行けたようなもんだったから」

 志織は、すっと冷めるのを自分で感じた。声だけは落とさずに返す。

「……そう、なんだ」

 沈黙が落ちた。
 田澤が、急に顔を上げる。

「そうだ。今、すごいの出来てる」
「第七回の全日本映画協会脚本賞に応募したんだ。なかなか自信作だよ」

 田澤は胸を張った。

「大賞だと、映画になるんだ」

「じゃあ、今度見せてね」

「うん。必ず」

 駅へ戻る道。
 改札前で、田澤が立ち止まる。

「じゃ、また」
「うん。気をつけて」

 田澤が改札を抜けていく。
 志織は、その背中が人混みに溶けるまで見送った。

(私も、ずるいなあ)
(自分だけ名前で呼ばせて)
(ごめんね、ゆきひろくん)

 その改札から少し離れた柱の陰で、三島が立っていた。
 隣には若い女。
 三島は煙草を指先で弄びながら、視線だけを向ける。

 笑っているのに、目が笑っていない。
 志織が気づく前に、三島は視線を外し、女の腰に手を回した。

「……なんか、面白いことになってんじゃん」

 帰りの電車。
 吊り革を握る手に、わずかに力が入る。

(今日の空気じゃ……無理だよなあ)

 田澤は窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。

次のお話はこちらです↓


↓以下のマガジンで全話まとめております

※ご拝読ありがとうございます。
1998年の物語です、ご意見、ご感想。
各話それぞれのBGMに似合いそうな、90年代の楽曲などを、コメントにてお寄せください。
励みになります。

第3話 著者のイメージは
    白いカイト(My Little Lover)です。
 では、次回も是非読んでいただけると嬉しいです。

↑こちら筆者の別作です
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