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【本紹介】令和の日本は〇〇時代化している!?『希望格差社会、それから』

就活、婚活、非正規雇用、コロナ禍――平成から令和にかけて、私たちの周りには“努力しても報われない現実”が広がっています。

それでも人はなぜ希望を探し続けるのでしょうか?

こんにちは でんりゅうです。

今回ご紹介するのは、
山田昌弘氏著『希望格差社会、それから:幸福に衰退する国の20年』

戦後から令和までの私たち日本人がどのような価値観をもっていたのか。

それは一定のものではなく、時代と共に変化をしていったことを山田昌弘氏がデータを元に深く読み解いている著書です。

そんな著者が令和の日本はある時代と酷似しているという、読むとえっ!?と思ってしまう意外な時代で、その考察も背景も非常に納得ができるものでした。



希望格差社会:令和時代の夢と現実

平成から令和にかけて、日本社会は大きな変化を経験してきました。平成時代のキーワードには「経済停滞」「男女共同参画の停滞」「少子高齢化の進行」「格差社会の進展」が挙げられます。

しかし、興味深いことに、こうした状況下でも生活満足度は上昇していました。この矛盾の背景には何があるのでしょうか。この記事では、希望と格差がどのように絡み合い、令和の社会を形作っているのかを考えます。


平成時代の経済構造と生活満足度の矛盾

平成時代、日本はバブル崩壊後の「失われた30年」と呼ばれる停滞に直面しました。

平成時代、日本はバブル崩壊後の「失われた30年」と呼ばれる経済停滞に直面しました。

賃金の伸び悩み、地方と都市の格差拡大、少子化と高齢化の進行、労働力人口の減少が主な特徴でした。

このような中、労働者の意識も昭和期から変化しました。

昭和時代は、製造業中心の労働構造が経済成長を支え、「安定した正規雇用」が当たり前でした。

しかし、平成になると非正規雇用が増え、正規雇用による安定を得ることが難しくなりました。この変化は、家族構造にも影響を与えています。

昭和期には「性別役割分業型家族」が一般的で、夫が正規雇用で稼ぎ、妻が専業主婦として家庭を支える形が主流でした。

平成時代もこの構造を前提とした税制や社会保障制度(103万円の壁や第三号被保険者制度)が維持され、女性の社会進出を妨げてきました。

それでも生活満足度が上昇した理由の一つに、「幸せの形」の変化があります。

大量消費社会の中で、「モノを所有すること」から「体験や時間を重視すること」へと価値観がシフトした結果、人々は経済的な豊かさ以上の満足感を得るようになったのです。


格差社会と努力のインフレ

平成時代の特徴的な現象として、「就活」と「婚活」における努力のインフレが挙げられます。

かつては特別な努力をしなくても得られた正規雇用や結婚が、平成期には個人の多大な努力を必要とするようになりました。

正規雇用の数が限られ、安定した職を持つ未婚男性が減少している中、競争が激化したためです。

たとえば、就職活動では、企業が求めるスキルや経験が年々高度化し、学生たちはインターンシップや資格取得で「自分を磨く」努力を迫られました。

同様に婚活でも、収入や安定性といった条件を満たすために、膨大な時間やエネルギーを費やす必要が生じています。

しかし、こうした努力が報われない場合、人々は希望を失い、絶望感を抱くことになります。

希望は「努力が報われる」と感じられるときに生まれますが、結果が得られない状況では、希望そのものが失われます。

このような中で、格差はさらに固定化されていくのです。


コロナ禍が格差を加速させた現実

令和時代に入り、コロナ禍という未曽有の危機が格差問題をさらに深刻化させました。

非正規雇用者は不況時に真っ先に解雇の対象となり、収入が不安定な状況に追い込まれました。

家庭内での格差も拡大し、結婚数が減少。家庭環境の影響が強まる中で、教育格差も顕著になりました。

コロナ禍で学校が閉鎖された期間、家庭環境による学力や非認知能力の差が大きく広がりました。

親の文化資本や経済力が子どもの未来を左右する時代が、ますます強まっています。


バーチャルな世界が埋める希望格差

現実の格差が埋められない中、多くの人々がバーチャルな世界に希望を求めています。

SNSやオンラインゲーム、推し活といった疑似的なつながりは、人々に一時的な癒やしや満足感を提供しています。

ペットや「推し」との疑似家族的な関係もその一例です。

しかし、バーチャルな関係が一方通行に終わる場合、さらなる孤独感や虚無感を引き起こすリスクもあります。

こうしたつながりが、本来の家族やコミュニティの代替となる一方で、根本的な孤立感を解消するには至らないこともあるのです。


普通の家庭とバーチャルな世界

歴史に学ぶ停滞期の文化的進展

日本の歴史を振り返ると、人口減少が起きた時期として平安後期、江戸後期、平成後期が挙げられます。

いずれの時代も平和で社会制度が固定化され、格差が階層化される中で、日本固有の文化が栄えた共通点があります。

特に江戸時代を見てみると、享保の改革での前期と後期で文化が大きく分かれます。江戸前期は人口が増加し、経済成長が進みました。

耕地面積の拡大や農業技術の発展、全国規模の流通網の整備により、江戸前期の経済は当時のヨーロッパを凌ぐ水準に達しました。
しかし、享保の改革以降、経済成長は限界に達し、後期には人口と経済の停滞が続きます。

このような停滞期に、文化は庶民へと広がりを見せました。

江戸前期の文化は上流階級や貴族を対象としたものでしたが、後期になると下級武士や商人、豪農層にも広がり、娯楽や芸術が庶民のものとなりました。
遊郭では上級武士だけでなく商人や庶民も訪れるようになり、その日暮らしの奉公人に至るまで、遊郭文化が生活の一部となっていきました。

歌舞伎や浮世絵を例にとると、前期は理想の女性像を描いたものが多く見られましたが、後期には夢想的で幻想的なテーマへと変化しました。

これには、現実の厳しさから離れ、心の安らぎを求める心理が反映されていると考えられます。

また、浮世絵の風景画は現代の旅行ガイドに似た役割を果たし、行ったことのない場所への憧れや空想を膨らませる手段となっていました。


江戸時代の推し活イメージ

現代のSNSに投稿される旅行写真や、アイドルや推しに夢中になる文化は、この江戸後期の文化と共通点を多く持っています。

当時の人々は毎日遊郭に行くことはできないため、浮世絵で妄想に浸り、日常に小さな楽しみを見出していたのです。

こうした文化は、格差が固定化される社会の中で新たな希望を生む力を持っていました。


令和時代の未来像:希望の分裂と衰退する幸せ

令和時代、日本社会は「豊かな家族生活」を築ける人々と、現実に失望しバーチャルな世界へ希望を求める人々に分裂していく可能性があります。

希望格差が固定化される中、「努力で格差を乗り越える」という考え方はますます現実味を失っています。

日本型雇用慣行や性別役割分業を前提とした制度や意識を変える必要性が叫ばれていますが、その変革は容易ではありません。

それでも、衰退を受け入れつつ幸せを見出す新しい価値観が令和時代の特徴となるかもしれません。


まとめ

格差社会が固定化されつつある日本で、私たちはどのように希望を見つけていくべきでしょうか。

バーチャルな世界で一時的な救済を得るだけでなく、実社会での変革も模索する必要があります。

停滞の中で文化や価値観を育む力を、私たちは歴史から学ぶべきではないでしょうか。

「停滞した豊かな社会」である平成を経て、令和がどういった未来を築くのか。私たち一人ひとりの選択が、その行方を決めるのかもしれません。


所感

『希望は努力が報われると感じたときに生じる、絶望は努力が虚しいと感じた時に生じる』著書内のこの言葉が非常に印象的。

私たちは報われると信じているから、何かを頑張ることができる。
報われない努力とわかっているのなら、それ以上に虚しいことはない。

だけど、現実で報われることのほうが実は少なくなってきている。

それが"普通の家庭”を持つことさえ、大きな壁があると。
それは親から教わってきた"普通”。
その普通実現できる人は、実は"普通”ではないのではないか。

では、私たちは本当に努力しなくてもいいのか?
どうせ変わらない格差であるならば・・・

見方を変えてみよう。
昔の”普通”が普通でないなら、
新しい”普通”がでてくるだけだ。

現に2024年の出生数は70万人を切り、人口減少の時代にもう入っている。

人が減っていくからこそ、増えていく家族でなく、
個人で生きていく力を身に着けていく必要がある。

知識も経験もまだまだ足りていないが、
それでも最後まで足掻いて生き抜いていく力をつけるための努力はしていきたい。






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