手話の学びを共有したら、娘の「心」と「世界」が同時に開いた話。
私が手話講習会に通い始めてから、今年で3年が経つ。
週に1回、耳の聞こえない方や聞こえにくい方の生活や文化、歴史について学んでいる。
習い始めの頃は、
「遠くからでも会話ができる」
「喉が痛い日は、話さなくても伝えられる」
そんな“便利で楽しい発見”に心がワクワクした。
講習会のあと、私はよく娘に話をする。
その日の出来事や学んだ手話を見せながら、
「ねえねえ、今日ね、こんな話があったの」と。
最初は、ただの復習だった。
でも、ある日ふと気づいた。
私が“復習”のつもりで話していたことが、
娘の中での「新しい世界」への扉が開き、
彼女の「心」の奥に眠っていた共感力を呼び覚ましていることに。
娘の中に生まれた、新しい視点
ある日、娘と公園に行った時、場内放送が流れた。
「テントを建てないでください」「椅子を置かないでください」
それを聞いた娘が言った。
「でも、看板には書いてないよね?
それだと、耳の聞こえない人にはわからないよね。」
その言葉に、私はハッとした。
娘の中には、“相手の立場に立って考える視点”がある!
私が手話の勉強を始めた頃、
「耳が聞こえない人はね…」と話すと、娘はいつもじっと耳を傾けてくれていた。
その小さな積み重ねが、目の前の出来事とつながった瞬間だった。
手話は「言語」であるという理解
夕食のとき、私は話したことがある。
「手話は、手まねやジェスチャーじゃなくて、独自の文法を持つ“言語”なんだよ」と。
正直、覚えていないと思っていた。
でも、ある日私が
「イベントで、市の代表者が『手話って世界共通じゃないんですか?』って質問したんだけど…」
と話したとき、娘は即答した。
「違うでしょ!手話は言語だよ。
住む場所や文化が違えば、言葉だって違うでしょ!」
ああ、「手話は言語である」という本質の部分を、
娘は、きちんと理解している。
そう思って嬉しくなった。
歴史から感じた“痛み”
さらに、学んでいくと、手話が生まれ、守られてきた背景には
「聞こえる人中心の社会で、声を奪われてきた歴史」
があることも知った。
だから、その日は、娘に聞いてみた。
「手話って、昔から普通に使われてると思う?」と。
娘は最初、「うん!」と答えた。
でも、私の表情を見てすぐに、
「…あ、もしかして、そうじゃないの?」と気づいたように言った。
驚いたように目を丸くするその姿に、
“知らなかったことを今、知ろうとしている”
その瞬間が、はっきりと伝わってきた。
私は伝えた。
手話は禁止され、口話を強制されていたこと。
自分の声は聞こえないまま、相手の表情で理解を確かめていたこと。
自由に意見が言えない時代があったこと。
娘は言った。
「苦しいね…私なら暴れちゃうかも。」
そうだよね。だって、言葉が通じる私たちだって、感情が溢れたら暴れちゃうことがあるんだから。
そんな本音を、心の中でそっとつぶやいた。(笑)
その純粋な反応に、胸がふっと熱くなった。
「きちんと伝わっている。」
娘の中で“知識”が“自分ごと”に変わり、自分の言葉で表現してくれたことが、ただただ嬉しかった。
“軽々しく使わない”という尊重の姿勢
小4の授業で、耳の聞こえないサッカー選手が来た日のこと。
手話をふざけて使う同級生を見て、娘は
「イライラした!
こんなふうに使えるようになるまで、長い歴史があったんだよ!」
その言葉を聞いて、
“手話を軽々しく使うべきではない”
“手話をつくり、守ってきた人の文化を大切にしようとしている”
娘の温かい気持ちが伝わってきた。
しかし、一方で、私は娘にこうも伝えた。
「手話が広まったら、もっとたくさんの人とコミュニケーションが取れるようになる。”支える/支えられる”という一方的な関係ではなく、お互いを尊重し、それぞれの方法でコミュニケーションを取れる未来になるといいよね。」
歴史を大切に思う心と、広がることの意味。
その両方に触れられるのも、手話を学んでいるからこそだと思う。
伝え方は一つじゃない
授業では、サッカー選手がPC画面を使い、
聞こえ方の違いを文字で表してくれたという。
「すごくわかりやすかったの!」と娘は言い、
タブレットを使って私に再現してくれた。
「確かにわかりやすいね。
手話じゃなくても、“文字”という方法で伝えることもできるんだね。」
耳で聞く、目で見る、文字で読む。
伝え方の多様さを感じた時間だった。
手話で通じ合えた喜びを見せられた
夏祭りのデフリンピックブースで、耳の聞こえない方と出会った。
私は、通訳士を介さず、手話で直接コミュニケーションを取った。
それを見た娘が言った。
「お母さん、手話で話して、すごく楽しそうだったね! 相手の人も、嬉しそうだった。」
ああ、私は今、手話を学ぶことが、楽しい。
言葉の壁を越えて、人と人が通じ合えることが嬉しい。
手話を学ぶということは、単に言葉を覚えることではない。
“伝えたい・知りたい”という気持ちを、相手と一緒につくっていくことなのだ。
今年学んだこと
学びは、私だけのものではない。
私が得た知識や経験を娘と共有すると、娘の中で、それが“自分のこと”として捉えられ、新しい視点や世界へと開いていくきっかけになる。
そして、娘の言葉や気づきに触れるたびに、
私自身の世界も、少しずつ開いていくのを感じる。
多様な文化への理解や、先入観を持たない姿勢は、
まず「いろいろな考えがある」と知ることから始まる。
学びは、ひとりで完結させるにはあまりにももったいない。
誰かと分かち合うことで、自分の世界も、相手の世界も広がっていく。
本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

