世界は、移ろうからこそ美しい。〜陶芸家・大渕由香利さん〜
陶芸との出会い
陶芸家、大渕由香利さん。
焼き物の街、愛知県常滑で、
多彩な釉薬を0.00Xg単位で調えながら、
ふと目を奪われる、
色とりどりの器を生み出し続けている。
彼女の作品の魅力は、
今まで見たことがないような器なのに、
どこかで見たことがあるような風景の記憶を
呼び覚ましてくれるところだ。


大渕さんは高校時代、古文が好きだった。
枕草子の『春はあけぼの』を読んで、
「なんて美しいんだろう…」と
心から感動したという。
季節や時間、温度、湿度によって、
微妙に移り変わる空の色や、雲の形。
微々たる変化で季節を感じ取り、
春夏秋冬を表現する感性の豊かさに魅了された。

古文好きが高じて、
文学部を進路に考えたこともあったという。
ただ当時の彼女には、
その先の風景を思い描くことができなかった。
そんな時、いろいろな大学予備校のパンフレットに混じって、美大予備校のものが家に届く。
「美大っていう選択肢もあるんだ。」
その程度の、ぼんやりとした入り口だったという。
小さい頃、祖父母と一緒に手芸などを愉しんだり、泥だんご作りに夢中になった。
学校でも図工が好きだった大渕さん。
モノづくりの愉しさの記憶が、
体のどこかに残っていたのかもしれない。
学校や予備校の先生との進路相談を繰り返し、
その直感に従って、
武蔵野美術大学工業工芸デザイン学科に入学する。


モノづくりに興味があり、
クラフトデザインに惹かれていたという。
大学では、金工やガラス、陶磁器など
さまざまなクラフトを体験する機会があった。
その中で、特に心に残ったのが陶芸だった。
「素材と自分の距離がすごく近くて。」
「形がすぐできる。そのスピード感やテンションが一番合っていました。」
陶芸に抱いていた、伝統、古典的といった
昔ながらのイメージも、大きく変わったという。
生活に寄り添う器を作る人もいれば、
アートとして突き詰める人もいる。
急須などの伝統工芸を受け継ぎながら、
新しい表現に挑む人もいる。
ひとつの形に決まっていない、その感じが、
彼女には心地良かった。
「(印象が)すごく変わりました。こんなに幅広く自由にやっていいんだ!って」
「当時の教授の『楽しまないとね!』みたいなノリも合ってたんだと思います」
生みの苦しみを感じて搾り出すより、
楽しみながら作る方が、自分の性に合っていた。
これだ、と思った瞬間
喜々としてクリエイターとしての第一歩を踏み出した彼女は、そこで憧れの人を見つける。
木村盛康さん
釉薬で色とりどりの世界を器に宿す、
天目の陶芸家だ。
「すごい衝撃受けました。やばいぐらいかっこよくて。こんなことが焼き物でできるの?って」
まるで宇宙の銀河系を、一つの器にとじ込めたような木村盛康さんの作品。
「もう『おら、ワクワクすっぞ!』って感じでした」
どうやったらこんな素敵な作品ができるのか。
木村さんの作品を食い入るように調べ、学んだ。
与えられた課題をこなすのとは違う、
自分が見つけたワクワクを探求する喜び。
気がつけば、時間はあっという間に過ぎていた。
学生時代に魅せられた『春はあけぼの』のように、大渕さんは、移りゆく美しい自然風景が大好きだ。
心の中に、いくつもの瞬間を、
写真のようにしまってきた。






木村盛康さんの釉薬の世界。
そして、
自然がふと見せる、
色の重なりを愛でる
彼女の感性。
その二つが重なったとき、
自分のやりたいことの輪郭が見えてきた。
釉薬で、色とりどりの世界をつくる。
それが、自分のやりたいことだとわかった。
心に残る景色の記憶から、
「じわり」とにじみ出る色。
その幾重もの重なりが、
のちの作品の象徴になっていく。
土地から離れた日々
大学卒業後は、恩師の推薦を受けて、
愛知県常滑市の宇賀和子氏に師事。
推薦理由は、「よく笑うから」だった。

千葉が実家の大渕さんにとって、常滑は見知らぬ街。
だけど、当時モノづくりに不完全燃焼だった大渕さんは、一念発起して常滑に飛び込む。
師匠の手伝いをしながら、
「作らないと価値がない」
と自分を追い込みながら作陶に励んだ。
結婚、一人目の出産を経て、
深夜に起きて工房で作陶。
お声がかかったギャラリーさんの期待に応えようと、必死だった。
ここで子育てを言い訳にしたら
「必要とされないんじゃないか」と追い込んだ。
席を空けたら、他の誰かに出番が回り、
せっかくのチャンスを逃がしてしまう。
駆け出しの若手なら、みんなそういう風に感じてしまうのかもしれない。
でも二人目の出産後、
さすがに二人の子育てをしながらは無理だ、と
休業期間を設けた。
全く土を触らなかったのが
逆に良かったのかもしれない。
しばらくして工房に戻ると
「久しぶり!ただいま!」
そんな清々しい気持ちが湧いてきた。

わたし、ここにいる。
わたしには、母親業とは別の居場所がある。
自分の子どものような作品たちが、
誰かの手元に渡り、
社会に羽ばたいて新しいつながりを作っていく。
「好きでこの仕事していたんだって、改めて感じたんです。」
しばらく席を空けていた自分に、
ギャラリーの人たちも優しかった。
むしろ、本人が拍子抜けするほどだった。
「よし、やるぞ!」
心は整った。
純粋に楽しんでいいんだ。
そのままでいいんだ。
そう思えたとき、
彼女の中から、子どものような好奇心や
ワクワクが溢れ出てくる。
作品がさらに洗練されていった。

移ろいゆく、この美しき世界。
釉薬を駆使し、
自分の心や記憶からにじみ出る色を表現する。
釉薬の配分、吹きかけ方、
重なる順番、重なる密度。
室温、湿度、窯の温度や、中の並べ方まで。
あらゆる面で微細な調整を繰り返す。
それでも、ある程度の予測はできても、
最後にどんな色に出会えるかは、
窯を開けてみないと分からない。
「この瞬間、脳汁がドバドバって溢れ出てくるんです。」
独特な表現で、僥倖の時を語る。
ふたを開けるたびに、
子どもの頃にプレゼントの箱を開けた時のような
ワクワクを感じるという。
完成した作品の色合いは実に多彩。
とらわれず、のびのびとしている。
まるで
『この色、きれいでしょう?』
と、無垢な子どもが見せてくれているようだ。

そんな大渕さんでも、
「この色、どうやって生まれたんだろう?」
と、自分でも不思議に思うような出会いが毎回あるという。
もちろんプロとして、
思い通りの色を出せる技術はある。
でも、窯の中では、
予想だにしなかった色が現れることがある。
その出会いを見逃さず、
心が動いたものを選びとる。
そんな自由で、おおらかな姿勢が、
作品にも映し出されている。

「次はどんな色に出会えるだろう。」
そんな期待を胸に、
大渕さんは今日も、
その時にしか生まれない、
移ろいゆく世界の色を、
楽しそうにすくい上げている。
