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待つことも与えること #77

待つ。

やること自体は単純で簡単なことだけど、
苦手な人は多いと思う。

私も、その一人。

ただ黙ってじっと待っている時間は、
時間に追われて生きている私たちにとって、
どこか“無駄な時間”のようにも感じてしまう。

待っている間、
自分の時間は確かに減っている。

でもそれは同時に、
相手に自分の時間を与えている、
ということなのかもしれない。


私がそう思えるようになったのは、
子育てをするようになってから。

でもきっと、
これは子どもだけの話ではなくて、
大人同士の関係にも通じることだと思う。

それまでの私は、
時間に追われながら働く毎日で、
効率よく動くことが当たり前だった。

でも子育ては、いつも一筋縄ではいかない。

「こんなに効率と無縁な世界があるのか」と思った。

そしてあるとき、気づいた。

子育てって、効率よくやろうとするよりも、
むしろ“効率の悪い方法”の方が、
うまくいくことがあるんじゃないか、と。

例えば、子どもが明らかに失敗しそうなやり方で何かをしているとき。

大人には、
それがうまくいかないとわかってしまう。

だから、正しいやり方を教えて、
失敗させないようにすることもできる。

その方が早いし、後片付けも楽だし、
次のことにもすぐ移れる。

でも私は、こういうときの正解は、
“見守ること”なんじゃないかと思う。

もちろん、危険なことは別だけど、
そうでなければ、失敗も含めて自分で経験することに意味がある。

なんて地味で、
効率の悪い方法なんだろうと思う。

でもこれこそが、“待つ”ことで、
子どもに“与えている”ということなんだと思う。

そして気づいた。

相手を信じて、あえて手を出さないこと。
自分の時間を使って、相手を待つこと。

それは、“何もしない”のではなくて、
相手に時間や余白を与えていることなんだと思う。

例えば、気遣いをしようとしたとき。

すぐに手を出すのではなく、
一呼吸置いて様子を見る。

相手が自分で乗り越えられそうなら、
あえて何もしない。

会話の沈黙が気になるときも、
その余白を無理に埋めない。

そうやって生まれる空気もまた、
相手にとっての安心になるのだと思う。


先日、小児科に行ったときのこと。

診察室の椅子に座ろうとした長女の手を、
私は思わず引いて座らせた。

すると先生に、こう言われた。

「娘さん、多分ひとりで座った方が座りやすいから、手を出さない方がいいと思いますよ」

ハッとした。

“待つ”ことを意識していたつもりでも、
実際はまだまだ先回りしてしまっている自分に気づいた。

“待つ”ことは、
自分にとってコストのかかることだと思う。

面倒だし、効率も悪いし、
つい急ぎたくなってしまう。

だから意識しないと、
どうしても楽な方へ流れてしまう。

でも、
それでも“待つ”ことに価値があるのは、

それが相手に、
信頼や自信や、安心を与えることにつながる
からなんだと思う。


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