見出し画像

凸凹なままでいい#50

私には、発達障害がある。

正直に言うと、
世間でいう“普通”からは
遠いタイプだと思う。

凸凹していて、いびつ。

小学校の授業で、
先生がA案とB案を説明しているときに、
ひとりC案を思いつく。

そして、少し場を困らせてしまう。

そんな子どもだった。

そんな自分がずっと嫌だった。

だから夫に、
「変なところがあったら、
直すから教えてほしい」と頼んだ。


「さっきの言い方、こうした方がいいかも」
「普通はこう言うんじゃない?」
「それわざわざ言う人あまりいないと思う」

そうやって、夫はひとつずつ教えてくれた。

私はそのたびに、

「そっか、分かった。直すね」

そうやって少しずつ、形を整えていった。

人に会う前には、
どう話せばいいかを事前に確認して、
“変じゃないか”を確かめるようになった。

気づけば私は、凸凹だった自分を削って、
丸に近づいていた。

それは、世間でいう“普通”に近づいているような感覚だった。

でも、途中で気づいた。

私って、一体なんなんだろう。

悪いところと一緒に、自分の良さまで消してしまっているんじゃないか、と。


確かに、丸になれば、
誰かとぶつかることは減るのかもしれない。

扱いやすくて、
“ちゃんとした人”に見えるのかもしれない。

でも、それは“私”ではなかった。

凸凹しているからこそ、
合う人と、合わない人がいる。

でも、凸凹しているからこそ、
ぴったりとハマる人にも出会える。

そう思ったとき、本当に大切なのは、
誰から見ても扱いやすい“丸”になることじゃなくて、凸凹のままでいることなんじゃないかと思った。

私が丸に近づいたとき、
確かに衝突は減った。

でも同時に、人との距離が、
少し遠くなった気がした。

残ったのは、
当たり障りのない自分と、
当たり障りのない関係だった。

もちろん、
最低限のマナーや節度は必要だと思う。
そこは、大切にしたい。

でも、削りすぎてしまったら、
きっと、何もハマらなくなる。

合う人もいれば、合わない人もいる。
好きな人もいれば、嫌いな人もいる。

本当は、それでいいんだと思う。

誰から見ても正解な人間になるよりも、
自分が自分でいられることの方が、
本当はずっと大切なんじゃないかと思う。


◯関連記事

いいなと思ったら応援しよう!