その優しさは、本当に“人のため”なのか?#48
人に優しくしようと思ったとき、
ふと引っかかることがある。
「人のため」
「あなたのため」
「人に優しく」
「思いやりを持って」
そうやって、自分じゃない誰かに
心を向けている瞬間は、きっと多い。
でもそれって、
完全に“人のため”なんだろうか、と。
「完全に人のためってあるのか?」
この問いを、はじめて深く考えたのは
小学4年生の時だった。
その問いを大人にぶつけたとき、
返ってきたのは、
「それはあなたが
優しい心を持っていないからだよ」
という言葉だった。
違う。そうじゃない。
そういうことが言いたいわけじゃない。
でも、うまく言葉にできなくて、
そのまま飲み込んだ。
あのとき、はじめて
自分の中の何かを引っ込めた気がした。
少しだけ、
汚い大人になってしまったような気もした。
そして今、大人になった私は、
あの頃の自分を救いに行きたいと思った。
あの頃の私は、こう思っていた。
例えば、私が誰かに優しくするとき。
それは、
100%その人のためだけを思って
していることなのだろうか。と。
確かに、相手のことを思っている。
でも同時に、
「優しくできる自分でいたい」
「いい人でありたい」
そんな気持ちも、
どこかに含まれているんじゃないか。
もしそうだとしたら、そこには少なからず
“自分のため”が混ざっているんじゃないか。
ただ、それが言いたかった。
今の私なら、こう答えると思う。
この問いに、
はっきりとした答えは出せない。
100%自分のためだけの優しさも、
100%相手のためだけの優しさも、
きっと存在しない。
それでも、
“これは人のためだ”と
信じたくなる優しさも、確かにある。
例えば、
誰かのために命を投げ出した人。
その人の内側をどこまで辿れば、
そこに「自分のため」があったのかなんて、
本当のところはわからない。
もしかしたら、
「誰かの役に立てた自分が嬉しい」
そんな気持ちが、ほんの少しでもあったのかもしれない。
でも、それでもいいんじゃないかと思う。
それも“人のため”だと受け取る余地があってもいいんじゃないかと。
人間が考える問いに、
人間が答えを出すのなら、
そこに少しくらい、
優しさが入り込んでもいい気がするから。
あの頃の私は、
この答えで納得してくれるだろうか。
たぶん、すんなりとは納得しないと思う。
でもそれでいいのかもしれない。
だってきっと、
この問いに、ひとつの答えはないから。
でもだからこそ、
そのときの自分が信じたい答えを、
信じてみるしかないのかもしれない。
※追記
この記事公開後にいただいたコメントで、“本当の優しさ”についての考え方が私の中で少し変わりました。
記事にまとめてみたので、
よろしければこちらもご覧ください↓
この記事公開後にかみこてさんが
書いてくださった記事がこちら
