本当の優しさとは?#53
本当の優しさとはなんだろう。
この問いを改めて本気で考えようと思ったのは、以前書いたこの記事にかみこてさんからいただいた、コメントがきっかけだった。
命を投げ出さない選択が、自分ではないと直感してしまったから? 誰も答えてくれないから、永遠の謎かも。
正直、私にはなかった視点だと思った。
これまで私は、優しさというものを、
「誰に向いているのか」で考えていた。
相手のためなのか。
それとも、自分のためなのか。
その“成分の割合”でできているものだと、どこかで思っていた。
でも、それだけでは捉えきれないものがあるのかもしれない。
そう思った。
「命を投げ出さない選択が、
自分ではないと直感してしまったから?」
この言葉を読んだとき、
本当の優しさとは、その人の在り方が、
そのまま外に出たものなのかもしれない
と感じた。
優しさは、本来、
「優しくしよう」として出てくるものではないのかもしれない。
だからそこには、
相手のためか、自分のためか、という
区別すら存在しないのではないか。
“そう在ること”そのものが、
その人自身だから。
そう考えたとき、
これまで自分が考えてきた“優しさ”は、
少し違う角度から見えてきた。
正直に言うと、
気づいたら手を差し伸べていた、
というような、これだと思える具体的な場面をうまく思い出せない。
それくらい私は、
優しさを「意識して行うもの」として
捉えていたのだと思う。
だからこそ、
「気づいたらそうしていた」という感覚に、
まだあまり触れられていないのかもしれない。
それでも今回の気づきは、自分の中で
確かに何かを変えた気がしている。
正直、これまでの私は、
“優しくしよう”としていたのだと思う。
でもそれは、間違いだったわけじゃなくて、
まだその段階にいただけなのかもしれない。
本当の優しさは、
滲み出てくるものなのかもしれない。
人に優しく在ろうとするのではなくて、
自分が、胸を張って生きられる自分であること。
その結果として、人に優しく在ることが
できるのかもしれない。
だからきっと、
優しさの向いている向きは、
「永遠に謎」なのだと思う。
でも、それでいいのかもしれない。
分からないままでも、あの問いの答えに、
少しだけ近づけた気がするから。
“この問い”について、かみこてさんが
書いてくださった記事がこちら
