いい方にも、悪い方にも比べない#17
自分と他の人。
何が同じで、何が違う?
同じところはどこ?
違うところはどこ?
どのくらい違う?
どっちの方がいい?
「比べる」という言葉を直接使わなくても、
私たちは日常の中で、数えきれないほど
自分と他人を並べて見てしまっている気がする。
「人と比べない」
「人は人、自分は自分」
よく聞く言葉だし、
本当にその通りだと思う。
でもそれって、
本当にできているんだろうか。
比べるというのは、
二人以上(または二つ以上)がいないと成り立たない。
人間は本来、
一人でも存在できるはずなのに。
じゃあどうして、
人は比べてしまうんだろう。
それは、自分が今どこにいるのかを
自分自身でうまく測れないからなんじゃないかと思う。
例えば、
自分がずっと走っているとする。
周りの景色が何一つ変わらなかったら、
自分がどれくらいの速さで、
どこを走っているのかきっとわからない。
でも、そこに
もう一人走っている人がいたらどうだろう。
少なくとも、
その人より速いのか、遅いのかはわかる。
じゃあ、
その人と全く同じ速さで
並んで走っていたら?
その二人は
どちらが速いとも、遅いとも言えない。
じゃあ二人とも止まっているのかと言えば、
そんなことはない。
でも、
優劣がつかないから、
見え方としては止まっているように
見えてもおかしくない。
比べるって、
そういうことなんじゃないかと私は思う。
本当は、それぞれの速さで
たまたまそこを走っているだけなのに。
相手の価値によって、
自分の価値が揺らぐなんてことは
本来あってはいけない。
でも、
自分が今どこにいるのか
わからなくなってしまったときに、
人は誰かと自分を
比べてしまうんだと思う。
「あの人より自分は劣っている」
「だから自分には価値がない」
そう思ってしまったこと、
きっと誰にでもあると思う。
でも、逆はどうだろう。
「あの人より自分はマシだ」
「じゃあ自分の方が優れている」
「ならよかった」
…それって
本当に「よかった」ことなんだろうか。
私はむしろ、
こっちの方が危ない気がしている。
自分の価値を上げるために、
誰かを使ってしまうから。
でも、
人と比べたところで
自分の価値が本当に上がることなんてない。
むしろ、
その瞬間に自分は
それ以上成長しなくなってしまう。
それって、
すごく怖いことだと思う。
それに、
自分より下だと思っているその人は
本当に劣っている人なんだろうか。
本当に価値が低い人なんだろうか。
きっと、
そんなことはない。
人と自分を比べることは、
どんな方向であっても
「自分は、
比べられることで価値が決まる人間だ」
と、自分で認めてしまうことだと思う。
じゃあ、
どうしたらいいんだろう。
「自分の価値は、自分で認める」
言葉にするのは簡単だけど、
私もまだ全然できていない。
完璧主義気味な私は、
できない自分を見つけると
すぐにできる人と比べて落ち込んでしまう。
でも、本当はみんな
持っている武器も、
戦っている場所も、
全部違う。
そもそも同じものなんて何一つない。
ただ少しだけ、
似ているところがあるだけ。
だから自分は、
自分の武器を磨けばいい。
自分の武器で、
自分の土俵で戦えばいい。
誰に見られていなくてもいい。
誰も見ていないときでも、
自分だけは自分のことをちゃんと見ている。
ずっと本当の自分を見てきたのは、
自分だけなんだから。
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