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私たちは何のために生きているのか #119

“何のために生きているのか”

こんなことを、
ふとした時に考えてしまう。

専業主婦だから?

仕事をしていないから?

それとも、
そんな今の自分に納得できないから?

そうやって、
自分の生きる意味を自分に問い続けてきた。

世界や宇宙規模で見たら、
自分が何のために生きているのかなんて、
どうでもいいことかもしれない。

だから、これを記事として
書く勇気が今までなかった。

けれど、
敢えて今日、書いてみようと思う。


まず、根本的に、
生きていることに意味は与えられていないと思う。

強いていうなら、
今日まで死ななかったから、
今も生きているだけ。

でも、これを聞いて絶望しないでほしい。

私が思うことは、全くの逆の意味で、

“意味が与えられていないから、
自分で自由に意味をつけられる”


ということ。

どんな小さいことでも。

どんな些細なことでも。

自分がこれこそだと思えるものがあれば、
それでいいと思う。

例えば、

あのお店のあれを食べるため。

ドラマの続きを見るため。

あの人の笑顔を見るため。

そんなことだって、いいと思う。

生きる意味って、自由すぎてわからない。

だから、誰かに問いたくなる。

もしかしたら、
誰かに意味を与えてもらおうとしているのかもしれない。

大切な人が生きる意味になることはある。

でも、それが生きる意味になるかどうかは、
最後まで自分しかわからない。

誰かに与えてもらう明日への希望より、
自分で信じる今を生きる。

自分が生きる意味だと思えれば、
それはすべて生きる意味になると思う。

誰も自分に生きる意味を与えてはくれない。

でも、それは悲しいことでも、
悲観することでもないと思っている。

心の中はいつだって自由で、
立体的で広大な世界が広がっているから。

自分が何を信じたらいいかは、
他の誰もわからない。

でも、自分が信じる道は、
そのまま自分の生きる道にできると思う。

生きる意味の正解なんて、
本当は誰も知らない。

だからこそ、
自分が生きる意味だと信じられるものがあるなら、それで十分なのかもしれない。


でも、こんな事を書いてきたけれど、
本当は生きる意味なんて要らないとすら
思っている自分もいる。

生きる意味なんてなくても
多分明日は来るし、

生きる意味があっても
明日が来るとは限らない。


世界の影を全部消そうとするかのような、“優しい嘘”は自分を生かしてはくれない。

でも、
自分が信じる“壮大な嘘かもしれない物語”を信じて生きてみるのも、悪くないのかもしれない。


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