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ニュースでは語られない、虐待を生き抜いた一人の女性の人生

「子どもは、助けてと言えない」

この言葉を読んで、あなたはどう感じるでしょうか。

私は臨床心理の現場で、多くの方の人生に触れてきました。その中で何度も耳にしてきたのが、「どうしてあのとき誰にも言わなかったの?」という問いです。

けれど、その問いの前に考えてほしいことがあります。

本当に、その子どもは「言わなかった」のでしょうか。

言えなかったのかもしれません。

あるいは、言ったとしても届かなかったのかもしれません。

大人には想像できない恐怖の中で、「助けて」と口にすることは、想像以上に難しいことがあります。

このnoteに登場する一人の女性も、そんな人生を歩んできました。

9歳から17歳まで、実の父親から長期間にわたる虐待を受けました。

父親は「これは教育だ」と言い続け、母親は止めることができませんでした。逃げたくても、幼い妹や弟を守りたいという思いから家を離れることはできず、ようやく十七歳で結婚という形で家を出ることができました。しかし、それで人生が元に戻ることはありませんでした。心の傷は大人になっても残り続け、弟を亡くし、時効という壁に直面し、それでも彼女は実名で自らの経験を語り始めます。

このnoteは、「虐待」を知るための本ではありません。

もっと正確に言えば、「虐待を受けた一人の女性の人生」を知るためのnoteです。

ニュースでは、「○年間虐待」「時効」「裁判」という言葉だけが並びます。しかし、その言葉だけでは見えてこないものがあります。

学校へ行く前にどんな気持ちで制服を着ていたのか。

玄関の扉を開ける瞬間、何を考えていたのか。

初めて「守ってくれる人」と出会った日のこと。

弟を失ったあの日、どんな後悔を抱えたのか。

そして、何十年もの沈黙を破り、「私みたいな子どもを、もう増やしたくない」と決意するまでに、どれほど長い時間が必要だったのか。

このnoteでは、その一つひとつを、一人の人間の人生として記録していきます。

対話の中で、彼女は何度も「私だけのためじゃないんです」と話していました。

裁判も、講演も、制度を変える活動も、自分だけが救われたいからではない。

今もどこかで声を上げられずにいる子どもたちに、「あなたは悪くない」と伝えたい。その思いだけで歩き続けているのです。講演会には、同じような経験を抱えた人たちが数多く訪れ、「初めて自分のことを話せました」と打ち明ける人も少なくありませんでした。

私は、このnoteを書く中で、一つだけ決めていたことがあります。

被害を必要以上に刺激的に描かないことです。

苦しみを大きく見せるためではなく、一人の女性がどのように傷つき、それでも生き抜き、そして誰かのために声を上げるようになったのか。その歩みを、できる限り誠実に描きたいと思いました。

きっと、読んでいて苦しくなる場面もあるでしょう。

目を閉じたくなるページもあるかもしれません。

それでも最後まで読み終えたとき、あなたの中で「虐待」という言葉の意味が少し変わっていたら、このnoteには意味があったのだと思います。

これは、未来で同じ苦しみを味わう子どもを、一人でも減らすための記録です。

そして何より、一人の女性が、自分の人生を取り戻していくまでの物語です。


第1章|誰も気づかなかったあの日常

「外から見れば、ごく普通の家庭だったと思います」

そう語り始めた彼女の表情は、とても穏やかでした。
その穏やかさが、かえって長い年月をかけて自分の人生と向き合ってきた人なのだと感じさせます。

相談室で多くの方と出会ってきましたが、本当に壮絶な経験をされた方ほど、感情を激しく語ることは多くありません。
静かな口調で、まるで誰か別の人の話をするように、自分の人生を少しずつ言葉にしていくのです。

彼女は山口県で生まれ育ちました。
家には父親と母親、そして弟さんと妹さんがいました。
近所から見れば、ごく普通の家族です。学校へ通い、家族写真も残っている。外からは笑顔の見える家庭でした。

しかし、その玄関の扉が閉まると、そこには誰にも見えない世界がありました。家は安心して眠る場所ではなく、「今日は何事もなく終わってほしい」と願いながら息をひそめて過ごす場所になっていたといいます。

異変が始まったのは、まだ幼い頃でした。

父親は「これは性教育だから」「学校で習う前に教えているだけだ」と言いながら、娘の身体に不適切な行為を繰り返すようになります。

当時の彼女には、それが異常なことなのかどうかを判断する知識はありません。ただ、嫌だという感覚だけは確かにありました。
しかし、拒否すれば怒鳴られ、ときには暴力を受ける。幼い子どもが大人に抗うことなど、できるはずもありませんでした。

さらに彼女を苦しめたのは、その場に母親がいることもあったという事実です。父親は「教育だ」と言い、母親は止めることなく、その言葉を受け入れてしまいました。
彼女は後になって、「あの時、一番助けてほしかったのは母でした」と静かに話してくださいました。
子どもにとって母親は、最後の避難場所です。
その存在が動かなかった現実は、幼い心に「誰も助けてくれない」という絶望を刻み込んでいきました。

被害はそれだけでは終わりませんでした。
父親からの支配は日常的な暴力へと広がり、殴られることも、髪を引き抜かれることもありました。
鼓膜を傷め、今も難聴が残っているのは、その頃の暴力が原因だといいます。それでも学校へ行けば、何事もなかったように笑顔で過ごしていました。子どもは、大人が思っている以上に周囲を安心させようとします。「普通の子」でいようとするほど、本当の苦しみは見えなくなってしまうのです。

「どうして誰にも言えなかったんでしょうね。」

私がそう尋ねると、彼女は少し考えてから首を横に振りました。

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