パンで涙を拭って 第四話 #創作大賞2025 #恋愛小説部門
黒いワゴン車に揺られ、私はセレモニーホールへ到着した。
建屋前で待機していた職員さんに案内されて玄関をくぐり、そのまま親族控室へと通される。
室内は畳にソファという組み合わせで、どこかちぐはぐに感じられた。
落ち着いた年配の女性スタッフと軽く会釈を交わし、私は席につく。
テーブルの上には、パンフレット、見積もり表、そして白いカバーに入った進行表のひな形が整然と並んでいた。
「本日はお忙しい中お越しいただき、誠にありがとうございます。担当させていただく加藤です。
……お疲れのことと思いますので、どうぞ、深くお掛けになってください」
流れるようなアイスブレイク。きっと、こうした場に慣れている人なのだろう。
私は薄く微笑み、少しだけ姿勢を崩す。
「急な連絡だったにもかかわらず、葬儀を引き受けてくださり、ありがとうございました」
「何をおっしゃいますやら。ご事情は伺っておりますので、葬儀のことはすべて私どもにお任せください。どうぞご安心を」
加藤さんの言葉に、張りつめていた緊張が少しだけほどける。
「ありがとうございます。……正直、どう進めたらいいのか全然分からず。全部私が決めていいと言われても、余計に戸惑ってしまって」
「当然でございます。そのために、私どもがおりますので。
それでは、ご参考までに、当ホールでご案内している主な三つの葬儀プランをご説明いたしますね」
そう言って加藤さんは、手元のファイルから数枚の資料を取り出した。
最初に説明を受けたのは家族葬。通夜と告別式を二日に分けて行い、参列は家族や親しい友人に限定される。静かで落ち着いた雰囲気を重視したプランだ。
次に一般葬。いわゆる“ふつうの葬式”で、友人や職場関係者など幅広い参列者を想定している。会場もやや大きめになる。
そして最後に一日葬。通夜を省略し、告別式と火葬を一日で済ませるスタイル。高齢者や単身者などに選ばれることが多く、金銭的・時間的な負担が軽い。ただ、儀式が簡略なぶん、遺族の思いと折り合いをつける配慮が必要だという。
「もちろん、これらは基本形ですので、細かなアレンジは柔軟に対応いたします。いかがでしょうか、ご希望に近い形はありましたか?」
そう問われて、私は少し考えてから答えた。
「個人的には、正直、一日葬で十分かと思っています。
ただ、朝美の職場の方が来てくださるようであれば、そのときは少し対応を考えなきゃいけないかもしれません」
加藤さんはゆっくりと頷き、柔らかな声で返す。
「承知しました。ではひとまず、一日葬をベースにご準備させていただきますね。もし後日、職場関係の方のご参列があるようでしたら、その時点で告別式会場の規模変更や椅子の追加など、柔軟に対応いたしますので、ご安心ください」
「よろしくお願いします」
そう言ったあと、あのことを伝えるべきか迷っていると、察したように加藤さんが視線を揺らした。
「どうかなさいましたか?」
「あ……いえ、その。もしできなければ構わないんですが……ひとつ、お願いしたいことがありまして」
「どうぞ、遠慮なくおっしゃってください」
加藤さんはそう言って、優しく微笑みながら身を乗り出すようにこちらへ体を傾ける。
「実は……私の手で彼女に、化粧をしてあげたくて」
そう言い終えた私の言葉に、加藤さんは「それは素晴らしい」と声を上げ、すぐさま予定表に手書きで項目を加えていく。
「できるんですか?」
「はい。故人へのお化粧をご友人やご家族の皆様がなされる事はよくございますよ」
そうなんだ。よかったと胸を撫で下ろす私。
その後、詳細を詰めている最中だった。
スマホが震える。
画面を見ると、見知らぬ番号。
調べると、とある住宅管理会社からだ。
私は通話ボタンを押した。
「はい、もしもし」
「ああ、貴方橘さん? 俺、マンションの管理人やってる後藤ってもんでね。高橋さんが住んでたとこの」
ガラついた声が聞き取りにくい。
無意識の無遠慮さがにじむ、初老の男性というイメージが浮かんで、右頬を僅かに上げる私。
「ええ、そうですが」
「いやさ、悪いんだけど、部屋の遺品整理、早めに何とかしてもらえない? 正直、ちょっと困ってんのよ」
――なんだこのおっさん。
泡立つ怒りを押し殺しながら、なるべく平静を保って返す。
「......困っている、とは?」
「分かってるでしょ、そっちも? あんな有様、後回しにしないでよ。とにかく来て。話はそこでするから。場所わかる?」
スマホを持っていない左手の人差し指で、自分の太ももを無意識に叩く。
ああ、だめだ。本当に苦手なタイプ。
世界が自分を中心に回っていると思っている、あの手の人種だ。
それに、どこか話が噛み合っていないのも、余計に私をイラつかせる。
「教えていただけると助かります」
わざとらしくため息をついてから、なるべく冷たい口調で言う私。
しかし後藤は全く意に介さず「一回でメモ取ってよ」と、当然のように言い放つ。
その後、こちらの準備などお構いなしに、すぐさま住所を口にし始めた。
あわてて紙とペンを探す私。すると加藤さんがボールペンと白紙の用紙を素早く差し出してくれた。
……なんと出来た人なのか。
この後藤に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
ペン先を素早く走らせながら、耳に入っていた住所を書き取る。
「こちらで間違いないですか?」
復唱すると、「ああそうそう、合ってる」と、実に面倒くさそうな声で返してきた。
こんなのが部下にいたら、コテンパンに言い込んでやるけどな。
そう思うことで、なんとか溜飲を下げる私。
「何時に伺えばよろしいですか?」
「一時間後とかでどう? 来れそう?」
聞いた住所からここなら、タクシーで二、三十分程だろう。
「大丈夫です」と告げて、私は早々に電話を切った。
もう一秒たりとも、あの不快な声を聞きたくなかったから。
「大変そうですが、大丈夫ですか?」
耳に優しい、透き通るような加藤さんの声。
その一言に癒されながら、「はい」と頷く。
「すみません、一度ここを離れてもいいですか? 用件が終わったら、また戻ってきます」
「もちろんです。私どもは二十四時間、いつでも対応できますので。お戻りの際にお電話いただければ、続きからご案内いたします」
それはありがたい。できれば、今日中に葬儀のことはすべて決めておきたいと思っていた。
「ありがとうございます。では、一度、失礼します」
私が立ち上がろうとすると、加藤さんが声をかける。
「タクシーの手配もこちらで可能ですが、いかがなさいますか?」
「お願いできると助かります。すみません、何から何まで……」
その後、ホールで加藤さんと軽い雑談を交わしながらタクシーを待っていると、加藤さんがふと思い出したように手を叩いた。
「あ、そうだ瑞稀様。先ほど職場の方のことをどうするかとお話がありましたよね。もしお時間があれば警察の方に一度ご相談を。たぶん、職場の方へ連絡してくださると思いますよ」
「……そうだった。ありがとうございます。今、電話しても?」
彼女が頷くのを確認し、私はスマートフォンの着信履歴から警察に電話をかけた。
繋いでもらった吉村さんに事情を伝えると、「職場にはこちらから連絡しておきます」との返答に、ほっと息が漏れる。
ちょうどそのとき、「お車が到着しました」と声がかかった。
玄関を出ると、すでに扉が開けられ、私を待っていたタクシー。
加藤さんに一礼し、車内へ身を滑り込ませる。
真っ白なシートカバーに身体を沈めると、「禁煙」の札とともに、ほのかに甘くやわらかなホワイトムスクの香りが鼻をくすぐった。
自然と、安堵の息がこぼれる。
もしこれがタバコ臭の染みついた車内だったなら――後藤のことばかり思い出して、きっと気が滅入るような道中になっていただろう。
「どちらまで?」と運転手さんに尋ねられ、私はメモ書きを取り出して見せる。
「ここに行きたいんですが」
「承知しました。少々、これお借りしても?」
「どうぞ」
メモを手渡すと、すばやくナビに住所を入力する運転手さん。
「ああ、ここですね。分かりました。それでは発進いたします」
私がシートベルトを締めたのを確認し、車が静かに前へと動き始める。
サイドミラー越しに、玄関で深々と頭を下げる加藤さんの姿が映っていた。
その気配りを嬉しく思いながら、私はこれまでの手続きを思い返す。
ひととおりの段取りは済んだ。残るは――遺品整理だけ。
しかし、後藤が口にした『困ってる』という一言が、どうにも引っかかっていた。
いったい、何に困っているのか。
それに――私がその原因を知っているような言いぶりだったのも気になる。
心当たりなんて、まるでないのに。
考えるほどに想像ばかりが膨らみ、胸の奥がじわじわと曇っていく。
――まあ、行けば分かるか。
そう自分に言い聞かせながら、車窓を流れていく景色に視線をやった。
やがてそっと目を閉じ、少しでも頭を休めようと、窓にもたれかかる。
車体のかすかな振動に身を預けながら、私はしばらく目を閉じていた。
