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《艮の金神》霊視録──出口なおのお筆先に現れた艮の金神を霊視する──




さんぜんせかい いちどにひら九 うめのはな きもんのこんじんのよになりたぞよ

出口なお『大本神諭』



 数日前に、古本屋で廣松渉の『〈近代の超克〉論』が三百円だったので思わず買ってしまい、読んでいるのだが、それと並行して、その論文の批評対象の『近代の超克』も再読している。私は廣松渉の『世界の共同主観的存在構造』を一年前ぐらいに読み、その中の言語論の理解の深さが、バルトリハリには及ばないものの、近代の言語論において卓越していたので、廣松渉を、マルクス主義哲学者というより、言語哲学者として高く評価している。そして、その延長で『〈近代の超克〉論』もかなり面白く読んでいる。特に、昭和初期に既に日本人が全体として、アメリカとの戦争が遅かれ早かれ来るものだという雰囲気を共有していたという記述が興味深かった。我々は一般に軍部の専行により太平洋戦争に日本が突入していったという一般的な歴史のイメージを有するわけだが、それは昭和初期の時には既に南海トラフ地震のように、避けがたいものとして一般に認識されていたのであった。また満州事変から支那事変への戦線の拡大も軍部の独断という単純な図式を当て嵌めがちであるが、満州国の建国後、そこに資本家と官僚の癒着による経済的な推進力が主力エンジンとして起動していて、単に軍部のみで戦線が拡大していったのではないことが理解されるべきである。先の大戦においては実際には天皇を含めた軍産官民における複合的な責任の所在があったのだが、そこが戦後、軍部のみに責任が単純に転嫁され過ぎている嫌いがあると言えそうである。そうした状況下で、天皇を中心とする国体の──欠陥は明らかであるせよ、その錦の御旗の下で、日本民族が、灯火に引き寄せられる蛾の如く、思想において「近代の超克」と定義された膨張志向と共に大東亜戦争に邁進していったのは、ある種、歴史の暗い必然にも似た濁流に飲み込まれていった、結果と言ってもいいだろう。その破局は、華ばしい明治維新の時に既に用意されていたのであった。そしてそこから善良な民衆の戦争責任に関する無垢性というのが幻想でしかないことも帰結することになる。それは日本民族全体のカルマ論的な課題とその帰結でもあったわけである。

 そうしたこの数日の読書の記憶を振り払うように私は朝の光の中で、結跏趺坐して、自分の呼吸をゆっくり数え始める。そしてしばらくしてその呼吸に注意を向ける。いつしか意識はハートの一点にその注意が向かい、身体は固定した状態となり、変性意識に入る。その後、幾つかの過程を経て、第三の目付近にある特殊な方法で、霊界へと続くポータルを形成し、その先にターゲットとしての「大本教開祖出口なおのお筆先に現れた艮の金神」を念ずる。──そして視界が開けた。








田舎の風景、お地蔵さんが見える。盆地のような長閑な所


古い家の中に布団を敷いて出口なおらしき女性が寝ているのが見える


艮の金神らしき存在は確認できず、出口なおの周囲には靄(もや)がかかっている


ガイドのМDを召喚する


艮の金神はここにいるわけではなく、より別の次元にいて、このヴィジョンではコンタクトが取れないので、靄を通じて次元を上昇させなくてはならないという説明


靄を通じて次元を上昇させる


途中、素盞嗚尊(すさのおのみこと)に扮した巨大な出口王仁三郎が見える



明らかに艮の金神ではないので王仁三郎を無視してさらに次元を上昇していく


遠くの方、視界の下方に黒い存在が見える


黒い髭を生やした存在


近づくのが困難である


結界のようでもあるが、私の侵入を阻む結界ではない(分析判断)


何とかこの黒い髭の存在に近づいて、艮の金神か確認すると、「そうだ」と言う


饒舌に自らを語ったりすることがない、あまり情報を発信してこない存在


どうも封印されているようで、先ほどの結界もこの艮の金神を封印するためのもののようである(分析判断)


素戔嗚尊なのか訊ねるが、「そうではない」という返答


国常立尊なのか訊ねると「そうではない」という回答


存在が茫漠とし過ぎていて、あまり対話できる存在ではないのでМDに解説を求める


封印されている悪魔のような存在であるという説明


艮の金神そのもの(分析判断)


あまり対話が成立しないので、素盞嗚尊に扮した巨大な王仁三郎の所に戻る


王仁三郎に艮の金神はルシファーなのか訊ねる、鼻で笑われてコテコテの関西弁で「そんなけったいなものちゃいますわ」みたいなことを言われる


王仁三郎が自分の内言の中では今まで聞いたこともないようなコテコテの関西弁なのが面白い、私の中にここまでコテコテの関西人キャラは存在していない(分析判断)


何でも日本の艮の方角に封印された悪神であり、王仁三郎はその眷属であるということ


日本神話にその名があるのか聞くと「ない」という返答


コテコテの関西弁の王仁三郎を離れて、再度、艮の金神の所にいく


黒い蟠(わだかま)りのような黒髭の艮の金神に再度、質問する


何か他の名前がないのか聞くと「牛頭天王」ということ


意識をさらに黒い蟠りにフォーカスする


三宝荒神という名が浮かぶ


三宝荒神なのか聞くと、艮の金神が太々しく笑いながら「まそういうものだ」と言う


突然、徳川将軍のいる江戸城の大広間のようなヴィジョンが浮かぶ


日光辺りに関連するのかも知れない(分析判断)


東北地方の蝦夷などに信仰されていたのか訊ねると「そうだ」という


ただ実際に別称としてそれらしい名前は浮かばない


日本の艮の方角に封印されている存在のようである


Noteに書くので読者にメッセージはないか訊ねるが、特にメッセージはないようである


人間に対してあまり興味がないようでもある(分析判断)


自分のことにしか関心がなさそうである(分析判断)


どうして出口なおにお筆先を書かせたのか訊ねると、日本神話を壊乱するためであると言う


日本神話を乗っ取ろうとしたようである(分析判断)


乗っ取るというより、もともと艮の金神のテリトリーに日本神話の神々が後からやって来て、艮の金神を封印したということであり、その為に、日本神話を壊乱する権利があり、自らを主張するのであるというニュアンスの回答


艮の金神を祈ることに意味があるのか聞いたが、特に回答がない


あまりご利益はなさそうである


もし艮の金神の封印が解かれることで日本になにか影響があるのか聞くが、あまり日本にも興味がない感じである(分析判断)


日本が滅びようが自分には関係ないようである(分析判断)


基本的に封印されていて、その封印に不満であり、人間にはあまり関心がない存在のようである(分析判断)


埒が明かないので撤退して、最後にインドラ神の元に行き、解説してもらう


インドラ神に艮の金神について訊くと、そんな名前どこからもって来たんだというような表情を浮かべて、苦笑いして、「ヴリトラ」であると説明する


ヴリトラとはインドラ神が戦った原初の混沌を表す類の竜である


インドラ神は、この地上には人間存在に恩恵を齎すことのない、原初の神がいて、それらをインドラ神などの神々が封印したのだと答える


ラヴクラフトの旧支配者みたいなものかと訊ねると、「言い得て妙である」と笑って頷く


艮の金神は、人間の登場以前の神であり、それを封印して、人間に恩恵を齎す神々の支配が始まったようである(分析判断)


これ以上、探りを入れると宇宙的な物語に発展しそうなので、この辺りで探究をひとまず止めることにする


インドラ神に感謝を告げて、意識を戻す


艮の金神は、日本神話に該当する存在ではなく、日本神話の神々が封印した、それ以前の地球の支配者であったようである。「ヴリトラ」というインドラ神の説明が私には一番しっくりきた。人間に関心がないのは人類の登場以前の存在であるからであり、艮の金神は日本神話の神々に支配権を奪われ、封印されたことが不満であり、その抵抗として日本神話の壊乱を目的に日本神話を脱構築し、自らの存在を主張する再構築した神話を出口ナオを通して語らせたようである



生成AIによる霊視のイメージ画像




艮の金神霊視の分析研究


 出口なお(1837〜1918)は、幕末の丹波国、現京都府福知山市の生まれで、1892年(明治25年)、52歳の時に「艮の金神、元の国常立尊」と名乗る神の霊夢を見て、間もなくして自動書記による「お筆先」が始まり、『大本神諭』と呼ばれる文書を残し、大本教を開教した。その後、実質的な二代目教主、後の出口王仁三郎こと上田喜三郎(1871〜1948)を1900年に娘婿に迎え、教団は王仁三郎のカリスマ性の下で大躍進を遂げることになる。
 私は合気道を以前習っていて、開祖植芝盛平の孫弟子にあたるので、出口王仁三郎の弟子であった植芝盛平経由で、大本教について多少の理解はあるが、『大本神諭』も『霊界物語』も未読である。私は大東流も習っていて、武田惣角のひ孫弟子なので、精神的には出口王仁三郎ではなく、武田惣角寄りである。
 出口なおのお筆先は、自動書記による憑依現象にあたるので、私の霊界参入者の分類では、受動的な植物的態度にあたる。霊界参入における植物的態度の問題は、自分に憑依している存在が、被憑依者には判断がつかないことにある。それ故、古来より審神の必要性があったわけである。

 私の述べる遠隔透視・アストラルトラベル・霊視の方法は、対象に目標を絞って行うので、対象的中性においては確実で間違いがない。しかし憑依においては、誰が実際に憑依しているかは名乗りだけでは判断できないのである。例えば家の固定電話に電話がかかってきて、相手がどのように名乗ろうが騙りの類の蓋然性はかなり高いのである(オレオレ詐欺)。そもそも高次元の神がいちいち低次元の我々にコンタクトを取る可能性は低いと言えよう。それ故、私はチャネリングや自動書記などはその内容に懐疑的態度を取る。それと比較すると神には我々に全く用がなくとも、霊界参入における動物的態度から上のシャーマン的方法は、神など目標対象に向かって電話をするようなものなので、少なくとも、対象に的中はするのである。ここに大きな違いがあると言っていいだろう。

 私の霊視結果から言うと、出口なおに憑依したのは、「艮の金神」であることに間違いはないが、素盞嗚尊でもなければ国常立尊でもなく、日本神話に言及のない、日本神話以前の旧神ということなり、それはインドラ神の見解では「ヴリトラ」の類であるということである。
 私の印象では、実際には人間に関心があるわけでもなく、封印されていることが本人にとって問題であり、その関心は利己的である。彼は日本神話の神々に対する敵対心から、出口なおを使って日本神話を脱構築して、自身を中心としてその神話の再解釈を行わせようとしたようである。
 牛頭天王や三宝荒神など、日本独自の荒魂が仏教守護神として祀られているのは、艮の金神にその起源が霊的にはあるようである。役行者が艮の方角に三宝荒神を霊視したという話があり、三宝荒神が艮の方角と関連付けられているのは、私の霊視と一致していて興味深かった。
 江戸城のヴィジョンが浮かんだのが謎ではあるが、日本神話が天照大御神を中心に天皇の系譜を説明するものであり、朝廷を中心に成立した神話であり、天皇支配を終わらせた坂東武者に代表される武士の支配には、ある種、日本古来の荒魂の影響があり、艮の金神の影響があるのかも知れないが、このヴィジョンの真相は、不明瞭である。現代の日本人は平和ボケしているが、大和民族の歴史における鎌倉武士や倭寇、朝鮮出兵などを見ても、荒魂の影響が強いのは事実であり、日本は武の国でもあり、こうした荒ぶる要素の根源には封印された艮の金神の暗々裡の影響があるのかも知れない。
 私の霊視の感触ではこのような荒魂の要素を解放しても、そもそも艮の金神に日本人に対する関心は低いので、その守護は期待できず、あまり良い影響はなさそうである。
 日本人というものを霊的に考えうえで、この封印され隠された旧神・旧支配者としての艮の金神の影響というものを今後も考慮入れ、注視していく必要がありそうである。
 これまで様々な霊視を行なってきたが、アメリカの怪奇小説家のラヴクラフトのクトゥルフ神話のようなものが出てきたことはなかったのだが、今回、ラヴクラフトの旧神・旧支配者に該当するものとして艮の金神が霊視されたのは興味深かった。ラヴクラフトは、悪夢において霊視能力的なものを持っていたようで、彼の創作における旧神・旧支配者への言及も単なる想像の産物ばかりでもなさそうである。例えばラヴクラフトの『クトゥルフの呼び声』では、クトゥルフの呼び声に答える如く、様々な芸術家や霊能者が、ある時期に一斉に復活の兆しを見せるクトゥルフに関する悪夢を見るのであるが、出口なおのお筆先が、いわば、旧神である艮の金神の呼び声に答えたものであり、クトゥルフ神話の『クトゥルフの呼び声』と同一構造を有するものと霊視されたのは面白いと言えよう。
 日本神話とインド神話との霊的並行関係や、その神話が抑圧する旧神としてのヴリトラや艮の金神の存在、そしてこれらが地球の霊的成立史とも関連し、多層宇宙の霊的歴史の中で規定されるべきものであるという感触を今回得た。またこのような日本神話やインド神話の神々と、アブラハムの神であるユダヤ教・キリスト教・イスラームの一神教ラインのヤハウェ・イェホバ・アッラーとの関係性なども今後、研究の対象としていきたい所である。



 このような遠隔透視・アストラルトラベル・霊視能力は、霊能者の特権ではなく、特別な訓練もなく、零感の人でも簡単に身につけることができるものです。その方法については以下で有料で公開しています。一冊の学術文庫本の購入や少し高級なラーメン屋のラーメン餃子セットぐらいの価格なので、ご興味のある方はぜひ購読、及びご自身の人生を豊かにする余芸としてのご習得をご検討下さい。また可能であればご自身の霊視能力でもって私の霊視内容の真偽を検証して頂ければ幸いです。





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