[030] 嘘つきたちの、肉欲の解放
1.網膜のなかの楽園
「ああ、佐伯さん……そこ、すごくいイ……っ」
薄暗いVR空間のなか、白いシーツの上でマヤ・レプリカが身をよじらせる。 完璧に黄金比を描くボディライン、汗に濡れて額に張り付く黒髪、そして男の所有欲を極限まで煽る、掠れた甘い声。佐伯は自らの視覚と触覚スーツを支配するそのマヤの腰を狂ったように抱きしめ、何度も突き上げていた。
本物のマヤ(22)は高級ホテルのスイートルームのソファに深く腰掛け、片手に持ったシャンパングラスを傾けながら、その様子を網膜投影のディスプレイで冷ややかに眺めていた。
画面に表示されているのは、彼女を模したパーソナルAI『マヤ・レプリカ』が佐伯の脳波と心拍数に合わせてリアルタイムに生成している、オーダーメイドのエロティシズムだ。レプリカは佐伯の指先の圧力センサーを感知し、ミリ単位で最も快感を得られる角度に腰をくねらせ、彼の耳元で世界で一番欲しかった言葉を囁き続ける。
「本当にAIの私は、お利口さんね」
マヤは小さく呟き、グラスの泡を見つめた。
凡庸な事務職やクリエイティブな仕事がすべてAIに代替され、人間の労働価値が暴落したこの時代。マヤが始めたのは、人間の性的魅力とテクノロジーを融合させた究極の二極化マネタイズだった。
基本システムはシンプルだ。
セラピスト自身の容姿、声、そして夜の癖までを完璧にディープラーニングさせたAIレプリカと、VR空間で24時間いつでもセックスができる定額制サービス。だがそのプラットフォームの頂点には、冷酷なルールが聳え立っていた。
《半年の課金ランキングNo.1の座を取った者だけが、本物のセラピストと現実世界でデートし、その身体を抱くことができる》
ランキングは全ユーザーにリアルタイムで公開され、男たちの虚栄心を容赦なく煽る。本物の生身という、この世界で最も希少なラグジュアリーを手に入れるため、男たちは競い合ってデジタルデータを買い漁った。
そして今日、その頂点に君臨し続けた男がこの部屋にやってくる。
佐伯、48歳。大手不動産グループの役員であり、当然のように妻子持ち。彼がこの半年間でマヤに投じた金額は実に3,000万円に達していた。
2.セーフティ・ネット
スイートルームの照明がゲストの好みに合わせてゆっくりと琥珀色へと切り替わった。ホテル管理AIが部屋の主であるマヤのイヤカフへ直接、感情を交えない音声で告げる。
「佐伯様のご到着です」
マヤは立ち上がり、姿見の前で最終チェックを行う。
タイトなシルクのワンピース。香水はVR空間のレプリカに設定されているものと全く同じ、甘いジャスミンの香り。
「よし、システム、防壁ログの最終確認を」
マヤが呟くと、網膜ディスプレイに緑色のチェックマークが並んだ。
佐伯がリアルデート権を確定させた瞬間、システムは自動的に彼に対して電子契約書へのサインを求めた。そこには
《私は独身であり、第三者の婚姻権利を侵害していないことを保証する》
という一文が含まれている。さらに、マヤ・レプリカは昨夜のピロートークで、佐伯に甘えるように言質を取っていた。
「佐伯さん、本当に奥さんとかいないよね?私、奥さんがいる人と現実で会うの、怖いの…」
「そんな危険、私が侵すわけないだろ?私が欲しているのは、君だけだ」
佐伯がマヤ・レプリカに向かって発したその音声データとログは、サーバーに永久保存されている。
仮に後から佐伯の妻にバレて泥沼の慰謝料請求裁判になったとしても、マヤには1ミリの過失も発生しない。私は彼が独身だと、嘘の証明と本人の言葉を信じ込んでいた被害者だ、という完璧な法的デジタルの盾としてマヤを保護している。
チリン、と部屋のチャイムが鳴った。
マヤはふっと息を吐き、冷徹なビジネスパーソンの仮面を剥ぎ取った。
代わりに、男たちが数千万円を払ってでも手に入れたいと願う、無防備で従順で世界で一番可愛いマヤの笑顔を顔に張り付ける。
ドアを開けると、そこには仕立ての良いスーツを着た、だが驚くほど緊張した表情の佐伯が立っていた。
画面の向こうで不敵に笑っていたクジラは、生身の彼女を前にして、まるで少年のように立ち尽くしている。
「待ってたよ、佐伯さん」
マヤは優しく微笑み、彼の腕に自らの胸を押し付けるようにして抱きついた。
3.生の重み、肌の熱
ホテルの最上階でのディナーの間、佐伯は終始舞い上がっていた。
目の前にいる女性が、自分のために3千万円以上の金を動かしたことを知っている優越感。そして何より、本物がここにいるという絶対的な現実感が、彼の脳をアドレナリンで満たしていく。
だが本当に興奮していたのは、マヤも同じだった。
ディナーを終え、スイートルームの重い扉が閉まった瞬間、佐伯は獣のようにマヤにしがみついた。
「マヤ…やっと、やっと本物に触れた…!」
焦れた手でワンピースのファスナーが引き下ろされ、冷たい室温の中にマヤの裸体が晒される。次の瞬間、覆いかぶさってきた佐伯の身体の重みに、マヤは息を呑んだ。
(ああ、これだ…!)
それは、VRの最高級触覚スーツが再現する、均一で小綺麗な圧力とは、あまりにも対極にあるものだった。
佐伯の肌は荒く、熱い。首筋に押し当てられる唇からは、酒と煙草が混ざったような生々しい男の匂いが立ち上る。AIレプリカのように計算された完璧なタイミングの愛撫ではない。焦りで少し震える指先が、マヤの太腿を強く掴む。その指の強さは時に痛いほどだった。
「佐伯さん…あ、すご、あつい…」
マヤの口から出た喘ぎ声は演技ではなかった。久しぶりに本物の男の質量感が自分を支配している。不規則な呼吸、耳元で響く心臓の野生的な鼓動、そして自分を組み伏せる男の筋肉の強張りと、容赦なく押し付けられる欲望の棍棒。
「マヤ、綺麗だ。AIなんか比べものにならない…!」
佐伯がマヤの脚を割り、自身の欲望を沈める。その瞬間、マヤの脳内のあらゆる論理回路が消し飛んだ。
内側から引き裂かれるような圧倒的な摩擦と、注ぎ込まれる生々しい熱量。 マヤは佐伯の広い背中に爪を立て、その肉の厚みにしがみついた。完璧にコントロールされたデジタルな快楽とは違う、泥臭く、激しく、溺れるような生のセックス。自分の身体が一人の男の欲望によって暴力的なまでに満たされていく感覚に、マヤは背中を反らせて絶叫した。
「佐伯さん!好き、すごい、本物の、佐伯さん…っ!」
二人の汗が混ざり合い、シーツに大きな染みを作っていく。それはどれほど学習を重ねてもAIレプリカには決して出力できない、カオスで圧倒的に美しい本物の生命の暴走だった。
4.エンドレス・ゲーム
深夜。静まり返った部屋にシャワーの音が響いている。佐伯は浴室で夢のような余韻を洗い流しているのだろう。
ベッドの上に横たわったまま、マヤは濡れた髪をシーツに散らし、ゆっくりと呼吸を整えていた。全身の細胞が、生の男の感触を覚えて熱く疼いている。これほどの興奮は久々だった。やはり、どれだけテクノロジーが進化しようとも人間は本物の奴隷なのだ。自分自身も含めて。
マヤはベッドに横たわったまま、天井に向かって指先を軽くフリックした。空中に浮かび上がった透過型のホログラムディスプレイが、彼女のアイトラッキングを感知して、自動的にプラットフォームのダッシュボードを展開する。
《現在のランキング(今期終了):1位 佐伯様》
だがその下には、すでにマヤとの次期のリアルデート権獲得を目指して、深夜にもかかわらず百万もの課金を重ねている別の男たちの名前が、目まぐるしく順位を入れ替えながら並んでいた。
やがてバスローブを羽織った佐伯が、少し寂しげな、だが完全に骨抜きにされた表情で浴室から出てきた。マヤはベッドの中から、子猫のような瞳で彼を見上げる。そしてシーツから細い腕を伸ばし、彼の濡れた髪に優しく触れた。
「ねえ、佐伯さん」
「ん?なんだい、マヤ」
佐伯は愛おしそうに、マヤの手の甲にキスをした。マヤは、とろけるような、だが冷酷なまでに美しい笑みを浮かべて囁いた。
「次の半年も…また、あなたがナンバーワンになってくれたら…」
彼女は佐伯の耳元に唇を寄せ、極上の吐息を吹きかける。
「今度はもっと凄いこと…VRの私でも、まだしたことがないこと、たくさんしたいな。約束だよ?」
佐伯の瞳に、再びギラギラとした、抗えない欲望の火が灯るのをマヤは見逃さなかった。
彼はうわ言のように呟いた。
「ああ、絶対にまた君を一番にするよ」
「楽しみに待ってるね」
マヤは微笑み、網膜の中でまた一人、自分を盲信するパトロンが生涯の課金ループに囚われたことを確認した。
AIがどれだけ賢くなろうとも、人間が生(なま)の感覚を求める限り、この帝国の女王は彼女自身なのだ。
