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55日目:共に豊かになるために-本来のコンプライアンスの使い方

世の中で叫ばれるコンプライアンス。
自信を守るために必要と言われることが多い気がしますが、本来どのように使われていたかご存じですか?

今回も記事を開いていただきありがとうございます。

先日コンプライアンスの研修的なものを受けたので、学んだことの整理や、自分の解釈の整理のために記事にまとめてみました。

世の中で求められるコンプライアンス

そもコンプライアンスってどういう意味かご存じですか?

一般的に、法令順守などと訳されるようです。

国の法律、自治体の条例、会社の規則、利用する施設やアプリの規約、etc。そういったものを順守しましょう、というもののようです。

では何のためにコンプライアンスが叫ばれるかという目的の方に目を向けると、クレーム対策だったり、炎上回避だったり、そういうものを回避する方法くらいの意味合いで使われている気がします。

なのでコンプライアンスと言っている人たちのマインドは、こうしておけば文句は言ってこないだろう、という敵(クレーマーや炎上狙いの人たち等)への防御、ではないかなと考えています。

本来の意味のコンプライアンス

では、コンプライアンスの本来の意味、語源は何なのでしょうか。

英語的には、従うという意味のcomplyから来ているそうですが、英語ということはさらに先のラテン語があるはずです。

調べてみると、共にと意味するcomと、満たすを意味するplēreが合わさった言葉だそうです。
completeも同じ語源らしいですね。

コンプライアンスは、敵への防御を意味する言葉でなく、仲間と共に互いを満たす攻めの言葉だったようです。

このあたりを深堀すると、法律や条例等のルールはなんのためにあるか、等の話をしたくなりますが、別に記事としてまとめる予定があるのでここでは割愛します。

なぜ言葉の意味が変わったのか(ここからなぜか情報リテラシー)

もちろん、本当に過去にそういう意味だったのか、本当にそういう風に変わったのかはわかりません。
ですが私がそう感じたので、ここではそうだと仮定して進めていきます。

元は攻めの意味を持っていたと思われるコンプライアンス。それがなぜ守りの意味の言葉に代わったように感じるのか。

言い換えれば、仲間と共に豊かになるために必要なことが、なぜ守りになったように感じるのか。

大きく3つの理由があると考えています。

  1. 世界が広くなった
    あるいは、逆に狭くなったとも表現できますが、世(自分にかかわりある範囲、自分の認識できる範囲)の界(それを守りはぐくむ範囲)はかつてなく広がり、遠くの人と干渉しあっています。

    例えば、ブラジルで殺人事件等の大ニュース(ブラジルで殺人が大ニュースになるかはさておき)があると、それが情報という形で日本に住む人の世界に干渉してきます。

    元はその事件があった地域の人の出来事であったはずが、今は地球上全ての人のに関わりがある出来事に仕立て上げられてしまうのです。

  2. 立場や権威に関係なく発信ができるようになった
    意図をもってあえて悪い言葉を使いますが、馬鹿(他の人の言葉をうのみにする人)や阿呆(道理や物事の関連にそぐわない言動をする人)というのは、昔は発言の場を与えられなかったはずなんです。

    まあ自分から場を作り、発言の機会や言葉を届ける相手を作った人たちはいたかと思いますが。

    基本的にはすでにある場(地域、会社、学会、等)で認められ、その場の在り方や目指す方向にふさわしいと認められた人が、次の全体の方向性を示す立場になり権威をまとう。

    そうした立場や権威があってこそ、言葉を発信する機会があったり届ける相手が生まれたりするのが一般的だったのではないでしょうか。

    これって言いかえれば、望む人だけに言葉や情報を発信することができていたのです。

    ところが現在、アプリから誰でも地球上全ての人に向けて、メッセージを発することができます。

    発信をできる立場の人なら大丈夫だろうという、流れてくる情報なら受け取って問題が少なかった時代はもう終わり。
    今は誰がどんな情報を流しているかわからないので、発信元がしっかりしているかを見分けることが大切になっている印象です。

  3. 情報の扱い能力を鍛えてない人も情報社会に参加させられている
    基本的な学校教育や家庭のしつけは、上位の人からの情報はそのまま受け取り実践しなさい、というものが多かったと思います。

    しかもその情報の取り扱い方や実践方法は、正解が用意されていることがほとんどで、受け取った側のすることは、情報は正しいものと想定しての正解探し。

    これが間違っているとは思いません。判断する下地が一切ない子供(年齢問わず)に、一方的に情報や判断基準を与えるのは、相手の将来や成長のためを願っての行動であればよい教育だと思います。

    自分のためを思い、都合のいい人間に育てるためなら、それは洗脳と呼ばれるかとも思いますが。
    ほとんどの親や先生は、子供の将来や成長のために色々教えているでしょう。うん。

    脱線しました。
    そんな風な情報の扱いを、小学校から大学まで16年実践していたら、そりゃ流れてる膨大な情報から、良いソースのものだけ選んだり、込められた意図を汲みとったり、そもそもそんなことをするという発想すら生まれないのは、ある種自然だと思います。

    学校教育は、ベースは工場作業や事務作業等の単純作業+αができる労働者になるためのものと思っているので、文部省は色々バージョンアップしてほしいものです。


さて、極端なことを言います。
海外旅行に行った人が、「地面に埋めたアザラシを掘り出して内臓をすすっている人がいた」と写真や動画付きで投稿したらどう思いますか?

さすがに現代でやってる人はいないかもしれませんが、これはキビヤックというイヌイット族の伝統的な料理らしいです。
心当たりがある人は多分、青空入学式や国際運転免許を持ってるゴスロリ男の娘を知ってる人(伝われ)

これを異なる文化圏の人が見れば、頭のおかしい行動に見えるでしょう。

そも旅行者が現地で見たものを発信しているだけなので、感想を抱く以上の行動は不要なうえに誰も求めていないでしょう。

あえて意図を察するなら、バズ狙いでおかしな風習を紹介しているか、単に旅先での驚きを誰かと共有したいとか、そんな感じでしょうか。


ここでコンプライアンスに戻りますが、この投稿は何も関係ない人が見ることができます。できてしまいます。

暇な無関係な人が、「この人は文化や風習を馬鹿にしている」「こんな頭のおかしい人が言う地域に行くべきじゃない」なんて言い出す・・・道理はないんですが、いう人が一定数いますよね。

受け取れる情報にはすべて意図があり、自分の反応はこうするという正解があるはず、そんな前提であらゆる情報を受け取れば、自分が正しくあるために相手を敵や悪とおいた行動をとるようになる。

なんていう理屈は聞いたことがありますが、正直余計な事するなとしか思いません。。。
が、必要のない情報を流す人も、それに必要のない反応をする人も、それに必要のない便乗をする人もいるんです。

そして、その必要のない行動の連鎖が、こういう動きがあったという一つの事実になる。

こういう人たちって、ある意味では天才的に最悪なブランディング担当でマーケターですね。

結び

今の世の中、あらゆる言動が、全世界の人に注目されうる。そんな状態です。

だからこそ、誰から見ても文句のつけようのない過程で成果を出すこと。。。は無理ですw 
大谷翔平にすらアンチが出現する世の中では、誰にも文句や批判を言われないなんて無理です。

だからこそ、自分たちの結果成果を、仲間との成功を守るために。

文句や批判をされようとも揺るがない、法令順守しているという事実と、法令順守しているという周囲からの信頼(ブランド)を日頃築いておくことが大切だと感じました。


今回も最後までご覧いただきありがとうございました٩( 'ω' )و

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※画像はイメージです

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