年号暗記で歴史嫌いになった人へ!半世紀前の名著『歴史とは何か』がSNS時代の最強の武器になる理由
歴史の授業で年号や出来事をひたすら暗記させられ、歴史なんてつまらないと思ったことはありませんか?
私は年号とかを暗記するのが大っ嫌いで、歴史の授業は嫌で仕方なかったんです。
暗記して何の意味になるんだろう?って毎回思ってしまうんです。
そんな時に出会った本を今日は紹介しますね。
19世紀までって「歴史家の仕事は、自分の意見を挟まずに、ただ純粋な『事実』だけを客観的に集めて並べることだ」という雰囲気だったんです。
しかし、そんな常識を根底からひっくり返したのが、イギリスの歴史家E・H・カーが1961年に出版した『歴史とは何か』という本です。
カーは「歴史家を通さない、純粋で客観的な歴史の事実なんて存在しない」と言い切りました。
出版から半世紀以上が経った今でも、歴史を学ぶ人が必ず最初に読む「超名著」として世界中で愛され続けています。
この記事では、少し難解なこの本のメッセージを、できるだけ噛み砕いて紹介します。
E・H・カーってどんな人?
この本を書いたエドワード・ハレット・カー(1892〜1982年)は、もともとイギリス外務省で働くエリート外交官でした。
第一次世界大戦やロシア革命といった激動の時代を最前線で目撃した彼は、「国家の思惑や政治的な立場で、事実の切り取られ方はいくらでも変わる」という現実を肌で感じていました。
のちに外交官を辞めて大学教授やジャーナリストになり、全14巻にも及ぶ巨大な『ソビエト・ロシア史』などを書き上げます。
現場でのリアルな経験があったからこそ、「事実とは誰かが作ったものだ」という鋭い視点を持つことができたのです。
歴史とは何かが伝える6つのこと
カーはこの本の中で、6つのテーマに分けて「歴史とは何か」を解き明かしています。
どれも、私たちの思い込みをハッとさせてくれるものばかり。
事実は魚屋の魚ではない
カーは、古い歴史家たちの考えを「歴史の事実は、魚屋の店先に並んでいる魚のようなものだ」って批判したんです。
ようは、歴史家はそれを買ってきて好きなように料理するだけって意味ですね。
過去というか歴史は星の数ほどの出来事が起きています。
例えば「1850年にジンジャーブレッド売りが群衆に蹴り殺された」という出来事がありました。
最初は誰も気に留めない「ただの過去の出来事」でしたが、ある歴史家が当時の社会を説明するためにこの事件を本に書いたことで、初めて歴史的事実に昇格しました。
つまり、歴史的事実とは、歴史家が「これは重要だ」と判断して選び取ったものに過ぎないのです。
歴史家が発言を許した事実にだけ、歴史として語られる資格が与えられます。
歴史家も時代の子
過去の事実が、歴史家のフィルターを通しているなら、歴史家自身はどうでしょうか。
カーは、歴史家もまた、自分が生きている時代や社会の影響を強く受けている(主観の檻からは出られない)と書いています。
私たちは無意識のうちに、現代の自分たちの価値観というレンズを通して過去を見てしまいます。
だからこそカーは「歴史を研究する前に、まず歴史家を研究しなさい。歴史家を研究する前に、彼が生きた時代や社会を研究しなさい」と書いてます。
歴史家は裁判官ではない
歴史は科学と同じように「なぜそれが起きたのか?」という仮説を立てて検証する学問だ、とカーは言います。
一方で、過去の偉人を現代の基準で「あいつは悪い奴だ」と個人的に道徳裁判にかけるのは、歴史家の仕事ではないと釘を刺しました。
歴史家が評価すべきなのは、個人の性格ではなく、奴隷制度や戦争といった社会の仕組みそのものです。
もしも〜だったらに意味はない
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう」という有名な言葉があります。
しかしカーは、こうした歴史の偶然や「もしも違っていたら」という話(タラレバ)を歴史から排除しました。
なぜか?
突然王様が病死したような偶然からは、現代に応用できる教訓を引き出せないからです。
歴史家は、もっと奥深くにある経済や社会の合理的な原因を探るべきだと主張しました。
人類はバトンを繋いでいく
カーが生きた冷戦時代は、核戦争の恐怖などで「人類の未来は暗い」という悲観的なムードが漂っていました。
しかしカーは、人類の歴史は進歩であると書いてるんです。
生物の進化とは違い、人間は自分が手に入れた知識や技術を、次の世代へと受け渡していくことができます。
一時的な後退はあっても、長期的には確実に知識を蓄積し、より良い未来へ向かっていると彼は信じました。
世界は動き続けている
20世紀になり、歴史の主役は大きく広がりました。
無意識などの人間の内面(深さ)の研究が進み、また、これまで西洋中心の歴史から排除されていたアジアやアフリカの国々(地理的な広がり)も歴史の表舞台に立つようになりました。
カーはガリレオの「それでも地球は回る」という言葉を引用し、歴史も社会も常に変化し前進しているのだから、変化を恐れてはいけないと締めくくっています。
事実は本当に作られるのか?
カーの「歴史は歴史家が選んで作るものだ」という主張は、当時の歴史学界に大論争を巻き起こしました。
特に猛反発したのが、G・R・エルトンという伝統的な歴史家です(カー・エルトン論争)。
エルトンは、「歴史家が選ぶから事実になるなんて傲慢だ! 事実は歴史家の解釈とは無関係に、客観的にそこにあるんだ」と主張しました。
エルトンの心配も、ごもっとも。
もし「解釈がすべて」だと言い切ってしまえば、権力者が自分に都合よく作ったウソ(プロパガンダ)も歴史になってしまうという危険性があるからです。
この「事実は客観的なのか、主観的なのか」というジレンマは、今の時代にも続く大きなテーマです。
皆さんはどっちだと思います?
なぜ今日紹介したかというと、いま読むべきだから
カーが残した最も有名な言葉がこちら。
「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らない対話である」
過去の出来事自体は変わりません。
しかし、時代が変われば「何が重要か」という私たちの視点が変わり、過去の解釈も新しく書き換えられていきます。
だから歴史には絶対の正解や、完成はありません。
そしてこの考え方は、歴史の授業だけでなく、ネットとかSNSでも同じこと。
スマホには日々ニュースや動画が流れてきますが、それらはすべて誰かが何らかの目的のもとで選び取った情報です。
フェイクニュースや自分に都合の良い事実だけが拡散される時代において、データや事実は客観的だと信じ込むのは非常に危険です。
カーが「歴史書を読むときは、書いた歴史家の背景を疑え」と言ったように、この記事(動画)は、誰が、どんな時代背景で、どういう意図を持って切り取った事実なのだろう?みたいにフィルターの存在を意識する必要があります。
そう思うと、いまもっとも読むべき本なんじゃないですかね。必読の一冊です。
翻訳について
この本は、1962年と2022年の二回、翻訳されて出版されてます。
清水幾太郎が訳した1962年の初回訳版は、Kindleがあるので、ちょっと古いけど、Kindleで読みたい人は、こちらで読むしかありません。
紙の本でもいいって人は、最近翻訳されたばっかりのこちらのバージョンのほうが、ぜんぜんおすすめです!
ぜひ、読んでみてください!
【追記】
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ここからサブスクすれば99円になるはず!
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これからも毎日、本を紹介したいのですが、このnote、ずっと赤字状態です。もし本好きの方がいらしたら、チップを送っていただけると嬉しいです。