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余白ノート|本好きの下剋上 領主の養女展|レッサーバスに乗れなくても、想像は大阪へ行く

大阪なので、たぶん行くことはない。
こういう書き出しは、少し寂しい。
でも、不思議なことに、行けないイベントほど、情報を読んだ瞬間に想像が走り出すことがある。

「本好きの下剋上 領主の養女展」が、大阪・なんばマルイで開催されるらしい。しかも、会場にはレッサーくんと写真が撮れるフォトスポットがあり、実物大のライデンシャフトの槍を手に取って写真撮影もできるという。

これは、ちょっと面白い。いや、かなり面白い。

本好きの下剋上という作品は、本を作る物語でありながら、同時に「見えないものを現実化していく物語」でもある。

紙がない。
印刷がない。
本がない。
知識が貴族や神殿や権力の側に偏っている。
そんな世界で、マインは本を作ろうとする。

最初は、粘土板。
次に、木簡。
それから紙。
そして印刷。

頭の中にあったものを、少しずつ手で触れられるものにしていく。その流れを考えると、今回の展示でレッサーバスやライデンシャフトの槍が、現実のフォトスポットとして用意されることは、ただのファンサービスにとどまらない気がする。

物語の中にあったものが、こちら側に降りてくる。

本の中で読んでいたもの。
アニメで見ていたもの。
頭の中で勝手に形を補っていたもの。

それが、会場で「はい、こちらです」と差し出される。しかも、写真が撮れる。レッサーバスに乗ったような体で写真が撮れるというのは、もうそれだけで小さな儀式だ。

レッサーバスは、ただの乗り物ではない。
あれはローゼマインの自由さの象徴でもある。
普通ならあり得ない発想で、魔術具を作ってしまう。周囲が困惑する。でも、本人はかなり本気で便利だと思っている。そのズレが、本好きの下剋上の面白さでもある。

常識の外側から来た人間が、その世界の素材とルールを使って、少しずつ世界の形を変えていく。

レッサーバスは、その象徴のひとつだと思う。

かわいい。
変。
便利。
そして、なぜか忘れられない。

この四拍子が揃っている。
ライデンシャフトの槍もいい。
神具は、作品の中では信仰や儀式、魔力、貴族社会の秩序と深く結びついている。それを実物大で手にできるというのは、これもまた、読者や視聴者にとってはかなり強い体験になる。

本好きの下剋上は、知識の物語であると同時に、身体感覚の物語でもある。

紙を作る。
インクを作る。
印刷する。
料理を作る。
服を着る。
楽器を奏でる。
祈りを捧げる。

頭で理解するだけではなく、手を動かし、音を聞き、匂いを想像し、重さを感じる作品だ。だから、フォトスポットや衣装展示や演奏会エリアのような企画は、とても相性がいい。

作品世界が、目の前に「展示物」として並ぶのではなく、自分がそこに少し入り込めるようになる。

観る展示ではなく、入る展示。

そこがいい。もちろん、僕は大阪まで行く予定はない。

両国からなんばマルイまでは、レッサーバスでもない限り、ちょっとした旅になる。けれど、行けないからこそ、こういうイベント情報を読むだけで楽しくなる。

レッサーくんと写真を撮る人たちがいる。
ライデンシャフトの槍を持って、少し照れながらポーズを取る人たちがいる。

「神に祈りを!」の前で、たぶん同じ動きをしてしまう人たちがいる。
特にグリコポーズには馴染みが深い。その光景を想像するだけで、作品がまだ動いていることがわかる。

物語は、原作は完結している。
アニメ、コミックはまだまだこれからだ。

アニメになり、グッズになり、展示になり、フォトスポットになり、誰かのスマホの中の一枚になる。

そしてまた、その写真を見た誰かが、物語を読み直したくなる。本好きの下剋上らしい循環だと思う。本を作る物語が、今度はファンの記憶を作っている。

大阪の会場に行ける人は、ぜひ楽しんできてほしい。レッサーくんに乗った気分で写真を撮り、ライデンシャフトの槍を手にして、ちょっとだけユルゲンシュミットの住人になってきてほしい。

僕は両国から、想像だけで乗車する。

入場特典のレッサーバス乗車券は手に入らないけれど、読者の想像力というやつは、わりと燃費のいい乗り物である。

行けないイベントなのに、もう少しだけ物語の近くに行けた気がした。


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