【讃岐秘話】 1580年代の瀬戸内海で阿波水軍 森家と直島 高原家は出会っていたのか?――豊臣秀吉・仙石秀久・森村吉・高原次利を結ぶ海上ネットワーク
はじめに
戦国時代の直島を支配した高原家と、阿波水軍を率いた森家。
両家の間に、直接的な接点があったことを示す史料は、現在のところ確認できていない。
注目すべきなのは、1580年代前半の瀬戸内海東部における両家の活動地域である。
当時、高原家は直島を中心に、男木島・女木島などの島嶼部を基盤としていた。
一方、阿波水軍森家の森村吉は仙石秀久に従い、讃岐方面で活動していたとされる。当時、淡路島を本拠地とした仙石秀久は小豆島を活動拠点の一つとして讃岐へ進出し、長宗我部氏と戦った。
つまり、
小豆島―直島―男木島・女木島―讃岐沿岸
という瀬戸内海東部の海域が、両者の活動圏として重なっていたのである。

さらに、この時期は豊臣秀吉による四国への軍事介入が本格化し、瀬戸内海の島嶼部や水軍勢力が大きく再編されていく時代でもあった。
では、森家と高原家は、この海域で実際に接触していたのだろうか?
現時点で、森村吉と高原次利・次勝が直接会ったことを示す決定的な史料は確認できない。
しかし、両家が同じ海域を活動圏とし、同じ時代の海上軍事ネットワークの中で活動していたことは注目に値する。
この記事では、1580年代前半の瀬戸内海を舞台として、仙石秀久、森村吉、高原家、蜂須賀家、そして豊臣政権の関係をたどり、森家と高原家の間にどのような接点が生じ得たのかを考えてみたい。
・直島の本村地区の極楽寺にある高原次利の墓



・直島、小豆島、土佐泊、椿泊、淡路島の位置関係

・徳島県阿波市椿泊にある森村重の墓

・椿泊町にある森志摩守村春の墓

・東かがわ市伊座にある森権平久村の墓

・江戸時代、徳島藩海上方を260年間世襲した阿波水軍森家

・森家感状箱

・阿波水軍森家の家系図
森甚五兵衛家の代々の墓所は徳島県阿波市椿泊、森甚太夫家代々の墓所は徳島県板野郡板野町の地蔵寺。板野町には赤沢信濃守宗伝の居城だった板西城址がある。

・森村吉の妻は阿波赤沢一族の赤沢伊賀守の娘。同じ赤沢一族の板西城主 赤沢信濃守宗伝は1582年、中富川の戦いで長宗我部元親軍により討ち死にし、その一子が讃岐小砂に逃れ勝覚寺を開基した。また森村吉の兄妹は讃岐の四宮家に嫁ぎ、後に引田 日下家の養子となった。

・蜂須賀家の蜂須賀卍と阿波水軍森家の家紋 木瓜紋

・左: 木瓜紋、右: 高松藩森家の家紋 丸に木瓜


・高松藩森家の家紋瓦 丸に木瓜

・家紋瓦 丸に木瓜

・高松藩森家の菩提寺 勝覚寺。


・【讃岐秘話】 阿波・讃岐の境界地域に生きた森家・八田家・永峰家・三谷家のファミリーヒストリー: アインシュタインと穴吹村 三宅家の関係 | 豊臣秀吉、仙石秀久と森権平久村 | 瀬戸内寂聴と讃岐黒羽の関係
・讃岐馬篠に住んだ高松藩普請方 森家の森喜平を戸主とする戸籍謄本。森喜平の妻は徳島藩碁浦御番所役人家の八田キヨ、長男の妻は讃岐黒羽城主末裔の永峰チヨ。

・東かがわ市馬篠、小豆島、直島の位置関係

1 高原家と森家は「遠く離れた水軍」ではなかった
高原家と森家を考える際、まず重要なのは両家の地理的位置である。
高原家は直島を基盤とし、男木島・女木島などの島嶼部にも勢力を持っていたとされる。
一方、森家は鳴門の土佐泊を基盤とする水軍勢力であり、その一族である森村吉は仙石秀久に従って讃岐方面へ進出したとされる。
ここで重要になるのが小豆島である。
天正11年(1583)ごろ、仙石秀久は小豆島を拠点として讃岐へ進出し、引田の戦いなどで長宗我部方と戦ったとされる。
森村吉も仙石秀久に従って活動していたとされるため、
仙石秀久・森村吉
↓
小豆島
↓
讃岐東部
という活動経路が想定される。
その一方で、
高原家
↓
直島
↓
男木島・女木島
↓
讃岐・備前方面
という海上活動圏が存在していた。
現在の地図で見ると、小豆島、直島、男木島、女木島は非常に近接している。
当時の水軍にとって、島と島の間を船で移動することは日常的な活動であった。
したがって、両家を単に「阿波の森家」と「直島の高原家」として別々に見るのではなく、同じ瀬戸内海東部の海上ネットワークに属する勢力として見ることが重要である。

2 1582年、高原家は秀吉と接触していた
高原家について重要なのが天正10年(1582)である。
『直島町史』では、高原氏の活動と豊臣秀吉の四国進出との関係が詳しく扱われている。
高原次利はこの頃、羽柴秀吉に拝謁し、児島郡内の領地加増を約束されたものの、それは実現せず、直島・男木島・女木島の所領を安堵されたと伝えられている。
ここから重要なことが分かる。
高原家は、単に直島周辺だけで活動していた在地領主ではない。
1582年の段階で、秀吉による四国・瀬戸内海への進出と接触する位置にいたのである。
一方、この時期には仙石秀久も秀吉方の武将として四国への進出を進めていた。
したがって、
秀吉
├─ 高原家
└─ 仙石秀久
└─ 森村吉
という単純な系図的主従関係ではないにしても、秀吉を中心とする新たな軍事秩序の中で、両者が近接することになったと見ることができる。
・高原家の歴史が詳しく書かれている直島町史

3 1583年、仙石秀久と森村吉が小豆島へ
天正11年(1583)になると、瀬戸内海東部の情勢はさらに大きく動く。
仙石秀久は小豆島を拠点として讃岐へ進出し、長宗我部方との戦闘を行った。
この時期の仙石秀久の活動を考えるうえで、小豆島は非常に重要である。
小豆島は讃岐本土と瀬戸内海を結ぶ位置にあり、直島、男木島、女木島とも海上交通によってつながっている。
そして、森村吉は仙石秀久に従って活動したとされる。
つまり、森村吉の活動範囲は、阿波だけではなく、
小豆島―讃岐―瀬戸内海東部
へと広がっていたことになる。
この時点で、森家と高原家の活動圏は地理的に重なっている。
もちろん、
「森村吉が直島に上陸した」
「森村吉と高原次利が会談した」
「森家の船と高原家の船が同じ船団を組んだ」
といった具体的な事実を示す史料は、現時点では確認できない。
しかし、
両家が同じ海域を船で活動していたことは事実として確認できる。
・直島のアート作品 家プロジェクト 護王神社

・護王神社のすぐ北側にある高原城跡

・高原城跡

4 「同じ豊臣軍」と表現する場合の注意
ここで一つ注意しなければならない。
1583年には、まだ豊臣秀吉による四国全域の支配は成立していない。
したがって、
「森家と高原家は1583年に同じ豊臣軍だった」
と単純に断定するのは適切ではない。
より正確には、
仙石秀久・森村吉は秀吉方として讃岐方面で活動し、高原家も秀吉との接触を持ちながら直島・男木島・女木島を基盤としていた
と表現すべきである。
そして天正13年(1585)の四国征伐によって、豊臣政権による四国・瀬戸内海の再編が進む。
この過程で、これまで別々の地域で活動していた水軍・海上勢力が、次第に一つの豊臣政権の軍事・海上支配秩序の中へ組み込まれていったと考えられる。その延長線として、1592年、1598年の文禄・慶長の役において阿波水軍森家も直島の高原家も参戦している。
したがって、1580年代前半を、
「豊臣軍」という完成した組織が存在した時代
として見るより、
「豊臣政権による瀬戸内海・四国の軍事的再編が進行していた時代」
として捉える方が適切である。
5 「森村吉と高原氏は互いに知っていた」という仮説
では、森村吉と高原氏は互いの存在を知っていたのだろうか。
これは興味深い問題である。
現在のところ、両者が直接会ったことを示す史料は確認できない。
しかし、当時の水軍活動を考えると、相手の存在を知らずに海上活動を行うことは容易ではなかったと考えられる。
水軍にとって重要だったのは、
港
島
航路
潮流
船
他の水軍勢力
大名の勢力圏
海上交通の要衝
などの情報である。
特に小豆島、直島、男木島、女木島は、瀬戸内海東部を航行する船にとって無関係な場所ではない。
小豆島を活動拠点とする仙石・森家と、直島・男木島・女木島を基盤とする高原家が、同じ海域を利用していたのであれば、少なくとも互いの勢力の存在を認識していた可能性は十分に考えられる。いや同じ海域で近くを往来する船がどこの誰であるか分からないと戦国時代のような乱世の世ではリスクが高すぎる。
ここでいう「接点」とは、必ずしも戦闘や婚姻、主従関係を意味しない。
海上で相手の船を見たこと。
港で相手の存在を知ったこと。
他の水軍から相手の情報を得たこと。
同じ航路を利用したこと。
あるいは、豊臣方の軍事動員を通じて情報を共有したこと。
こうした小さな接触も、歴史上の「接点」である。
6 小豆島を中心に見ると、両家の位置関係が見えてくる
森家と高原家の関係を考えるうえで、最も重要な場所の一つが小豆島である。
海上ネットワークとして見ると、
阿波・土佐泊
↓
淡路
↓
小豆島
↓
直島
↓
男木島・女木島
↓
讃岐沿岸
という瀬戸内海東部のルートを想定することができる。
もちろん、このルートを森家が常にこの順番で航行したと断定するものではない。
しかし、阿波・淡路・小豆島・讃岐・直島周辺が海上交通によって結ばれていたことを考えれば、森家と高原家を「地理的に離れた二つの家」として捉える必要はない。
むしろ、
「同じ海を利用していた二つの水軍勢力」
として見る方が、当時の実態に近い可能性がある。

7 四国征伐によって海上勢力の関係はさらに変化する
天正13年(1585)の豊臣秀吉の四国征伐によって、瀬戸内海東部の政治状況は大きく変化する。
秀吉は長宗我部元親を降伏させ、四国の支配構造を再編した。
この過程で、讃岐・阿波・備前・備中・瀬戸内海の島嶼部を結ぶ海上交通は、豊臣政権にとって重要な軍事・輸送ルートとなった。
『直島町史』では、四国征伐後の瀬戸内海について、小西行長による塩飽・小豆島の領有なども取り上げられている。
ここからも、秀吉が四国征伐後に瀬戸内海の島嶼部を軍事・交通上の重要拠点として再編していったことが分かる。
この再編の中で、
森家
高原家
仙石秀久
蜂須賀家
小西行長
など、異なる地域・系統に属していた勢力が、豊臣政権という巨大な政治・軍事秩序の中で接近していくことになる。
したがって、森家と高原家の接点を探す際には、両家だけを見るのではなく、仙石秀久、蜂須賀家、小西行長、さらに豊臣政権の海上政策を含めて検討する必要がある。
8 現時点で確認できることと推測を分ける
ここまでの検討を整理すると、次のようになる。
史料から確認・検討できる事項
高原家は直島を基盤とし、男木島・女木島にも勢力を持っていた。
高原家は1582年頃、秀吉との接触を持ったとされる。
仙石秀久は秀吉方の武将として讃岐方面へ進出した。
仙石秀久は1583年頃、小豆島を拠点として活動した。
森村吉は仙石秀久に従って活動していた。
1585年の四国征伐によって、豊臣政権による四国・瀬戸内海の再編が進んだ。
そこから合理的に推測できること
森家と高原家の活動海域は近接していた。
両家の船が同じ海域を航行していた。
両家が互いの存在を認識していた可能性は非常に高い。
海上活動を通じた何らかの接触があった可能性がある。
豊臣政権による四国・瀬戸内海の再編によって、両家が同じ政治的・軍事的秩序の中に組み込まれていった。➡️ 文禄慶長の役に参戦
現時点では確認できないこと
一方、
森村吉と高原次利・次勝が実際に会った
両家が共同作戦を行った
森家が高原家の船を利用した
高原家が森家に軍事協力した
両家の間に正式な同盟関係があった
といった具体的な事実は、現段階では確認できない。
したがって、これらを歴史的事実として断定することはできない。
おわりに
森家と高原家。
一方は阿波を基盤とした水軍森家、もう一方は直島を中心とする高原家である。
両家の間に直接的な接点があったことを示す一次史料は、現在のところ確認できない。
しかし、1580年代前半の瀬戸内海に目を向けると、事情は大きく変わってくる。
高原家は直島・男木島・女木島を基盤としていた。
一方、仙石秀久とそれに従った森村吉は小豆島を経由して讃岐方面へ進出した。
小豆島と直島、男木島、女木島は、瀬戸内海東部の海上交通によって結ばれている。
そして、この海域は四国征伐を進める秀吉方にとって重要な軍事・輸送空間でもあった。
したがって、現時点で「森村吉と高原次利が会った」と断定することはできないとしても、両家が同じ海域を活動圏とし、互いの存在を認識していた可能性は十分に考えられる。
むしろ重要なのは、歴史上の大事件として記録されるような「接触」があったかどうかだけではない。
当時の水軍にとって、周辺の島々、港、航路、他の水軍勢力の動向を把握すること自体が軍事活動の一部だった。
その意味では、森家と高原家が「知らない者同士」であったと考えるより、同じ瀬戸内海を活動の舞台とした水軍勢力として、互いの存在を認識していた可能性を考える方が自然である。
さらに、1585年の四国征伐以後、瀬戸内海の島嶼部は豊臣政権によって再編されていく。
森家、高原家、仙石秀久、蜂須賀家、小西行長などを個別の家系として見るだけではなく、豊臣政権によって再編されていく瀬戸内海の海上ネットワークの中に位置づけることによって、これまで見えなかった両家の接点が浮かび上がる可能性がある。
そして、この視点は朝鮮出兵にもつながる。
1580年代前半の四国征伐・瀬戸内海再編を経て形成された海上ネットワークが、1590年代の豊臣政権による大規模な海外派兵にどのようにつながったのか。
そこまで視野を広げれば、「森家と高原家は直接の関係はなかった。しかし、同じ瀬戸内海を舞台に活動し、豊臣政権の軍事・海上ネットワークの中で互いを認識していたのではないか」という仮説を、より具体的な史料によって検証できる可能性がある。
現段階では、それは確定した歴史的事実ではない。
しかし、地理、時代、軍事動員、海上交通、そして豊臣政権による瀬戸内海の再編という複数の条件が重なっていることから、森家と高原家の「知られざる接点」を探ることには、十分な歴史的意味がある。
プロフィール

“インバウンドと語学で、地域と人の価値を高める専門家”
森啓成(Yoshinari Mori)
Bizconsul Office代表
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企業・自治体のインバウンド支援と、個人の語学×キャリア支援を行っています。
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■事業領域
・TOEIC × キャリア戦略コーチング
・直島・瀬戸内 VIP対応 通訳ガイド
(全国通訳案内士〈英語・中国語〉)
・インバウンド戦略コンサルタント
(観光庁インバウンド研修認定講師)
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■経歴
米国大学経営学部でマーケティングを専攻。
大手エレクトロニクス企業で20年間、海外営業職に従事し、中国・北京オフィス所長を務める。
その後、外資系商社の設立に参画し、副社長を経て顧問に就任。
米国・シンガポール・中国で計16年間勤務・滞在し、海外ビジネスと異文化コミュニケーションの経験を積む。
現在は、これまでの海外ビジネス経験と語学力を生かし、TOEIC × キャリア戦略コーチ、企業・自治体へのインバウンド戦略コンサルタント、直島・豊島での富裕層向け通訳ガイドとして活動している。
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■ 資格
語学・教育
・全国通訳案内士(英語・中国語)
・英検1級
・TOEIC 970点(Listening満点)
・国連英検A級
・TESOL(英語教授法)
・HSK6級
・香川せとうち地域通訳案内士(中国語)
観光
・観光庁インバウンド研修認定講師
・総合旅行業務取扱管理者
・国内旅行業務取扱管理者
・国内旅程管理主任者
・せとうち島旅ガイド認定
(瀬戸内国際芸術祭2019公式ガイド)
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■ 所属
四国遍路通訳ガイド協会
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■ 登録
香川県登録通訳案内士サイト
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■座右の銘
雨垂れ石を穿つ
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■公式LINE
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以上
