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『I'm home!/真相』第6話・生きている町



 飲まされた幻覚剤入りのハーブティーと真相を知ったショックは、思いの外深く、昨夜新花巻駅に着いた頃には、一泊するしかない程、俺の心と身体は草臥れきっていた。

 その日の内に帰ると決めていた三陸駅に着いたのは、翌日の朝だった。

 トンネルを抜けて、海岸線を走る三陸鉄道リアス線から臨む春の海は、明るく、そしてその波音は、生きて戻った俺を祝福する、鳴り止まない拍手のように聞こえて、俺の目を潤ませた。

 駅からの道、港の活気が近づけば近づくほど、昨日垣間見た〝死の恐怖〟は薄れ、それはいつか俺の中で、『生きてやる!』という熱い思いに塗り替えられていった。
 震災で、壊滅状態だったところから再び立ち上がってきたこの町だからこそ、過去を亡くした俺の再出発に相応しい。そう思えた。

 仕事着に着替えて加工場に入って行くと、早速爽香が心配そうに駆け寄って来た。
「綴さん、本当に大丈夫? 迎えに来なくていい、って言うから行かなかったけど、隋分具合悪そうだったわよ?」
「うん。ありがとう、さやちゃん。平気だよ。しっかり寝たからもう大丈夫。ごめんね、心配かけちゃって。それに、仕事してる方がいいんだ。却ってスッキリする」
 防水エプロンの紐をギュッと締めると、俺は笑顔で爽香にそう言った。
あんなに苦手だった魚の匂いや潮の香りが、今は、俺の身体の底にある力を掻き立てていた。生きている匂いだった。
「よかったぁ!」
 俺の笑顔を見て、爽香が嬉しそうに笑った。
「爽香ちゃん! よかったねぇ! 帰って来なかったらどうしよう、って、泣きそうな顔してたんだよ、昨日は」
 トロ箱を抱えて通りがかったパートの沢田さんが、笑って言った。
「もう、やめてよ! おばちゃん!」
 慌てる爽香を見た沢田さんは、尚更、
「アハハハハッ!」
 と豪快に笑うと、ドン、と作業台の上に箱を乗せて、〝今、思い出したヨ〟という風に
「あ、ごめん、ごめん! 内緒だったね〜」
 と、また可笑しそうに笑った。
 この和やかな光景に、俺は、〝夢物語なんかじゃなかった!〟という安堵の思いが込み上げ、汗を拭く素振りでそっと涙を拭った。
 だがそれと同時に、俺の中ではもう一人の自分が動き出していた。いや、寧ろそちらの方が元々の自分で、此処の人達は知る由もない、〝書かずには居れない物書きの俺〟だった。
〝本当に書くのか? そのまま寝かせておいた方がいいんじゃないのか?〟
 影が心配そうに聞いてきた。コイツは時にとても意地悪だが、時にとても臆病で心配性なのだ。ある意味、慎重とも言えるのだが。
 するとこの時、俺の中でもう一つの声が言った。
〝いや、大丈夫さ。俺ならより強くなれる〟
 昨日、恋子と相田に復讐してやろうとした時に出てきて、俺を踏み止まらせた、あの声だった。
 この声に従ってみよう。俺ならきっとこの波を掴み、乗っていける。そんな風に思った。

 そこからの一年、俺は、朝8時から夕方5時まで港の加工場で仕事をこなし、爽香や同僚の人達との談笑を楽しんでからアパートへ帰り、夕食と風呂を済ませて、夜8時から翌日1時までを小説の執筆に没頭する、という毎日を繰り返した。
 尤も、始めた当初は、恋子への復讐劇にしてやろうという思いを抑えきれずに、込み上げた怒りに取り憑かれたように筆を進めて夜を明かす、という日が多かったが、ある時からそれがプツリと止まって、書けなくなった。というのも、書き始めると、必ず吐き気を催すようになったからだ。

 タイトルは『深層、底に愛は無い』。
 まず、主人公の女に、上司のミスを背負わされて職を失い、自宅の火事で家族を失う、と、次々に襲いかかる不幸を味合わせ、挙句の果てには、愛し合っていた筈の男に裏切られて出た旅先で、乗っていたフェリーが沈没する、という筋書で息の根を止める、予定だった。

 自分で書いていても、救いの無い、自ずと生気が失せるような内容だったから、無理もなかった。
 終いには、『自分は一体なんのために小説を書いているのだろう?』という疑問まで押し寄せ、俺は唯一の生きる喜び〝書く〟事を失いかけていた。
『影はこうなる事を知っていたに違いない』、そう思うと余計に気が滅入った。

 そんな或る日、いつものように爽香手作りのお弁当を食べようと、海岸の防波堤に二人で腰を下ろした時、爽香が聞いてきた。
「綴さん、近頃何か様子が変だけど、具合でも悪いんじゃない?」
「えっ? そ、そんな事ないよ。なんで?」
 惚けた俺の顔を見つめると、爽香は突然涙ぐんで俯いてしまった。
「どうした? 爽香ちゃん!」
 俺が驚いて肩に手をかけると、爽香がすすり泣きながら言った。
「東京から帰って来てからの綴さん、前の綴さんと違う」
 俺は頭を殴られたようになって黙ってしまった。
「本当は向こうに帰りたいんじゃない?」
 きっと、ずっと抱えていた不安を、思い切って口にしたのだろう。爽香は顔を上げずに言った後、声を上げて泣き出してしまった。
「それはない! 絶対に違う!」
 俺は思わず爽香を抱き寄せていた。
 33歳の自分に対して、爽香が21歳とまだ若い、ということもあったが、大切にしたい、という思いから敢えてプラトニックできた恋だった。
 抱きしめながら俺は言った。
「まださやちゃんには話してなかったけど、実は俺には、小説を書く、という癖がある」
 癖、と言った自分に、俺はふっ、と笑ってしまったものの、他に言葉が見つからなかった。
 気がつけば、子供の頃から、紙があれば言葉を綴り、物語を書いている自分がいたからだ。趣味、という言葉では納得のいかない、自分にとって掛け替えの無いものだった。
「東京にいた頃は、バイトをしながら小説家を目指していたんだ。事故で記憶を失くした時に、そんな自分も見失っていたんだと思う。こないだ記憶を取り戻した時に、一緒に帰って来た」
「じゃぁ……いつも……落ち着かなかったり、すぐ帰っちゃう、のは……書きたかったから、なの?」
 俺の胸の中で泣きじゃくっていた爽香は、一生懸命息を整えようとしながら言った。
「そう。それに……」
 俺は爽香を身体から離して、しっかりと目を見つめながら言った。
「もう一つ大事なことを話さなきゃいけない」
 爽香は覚悟を決めたように、俺の目を見たまま頷いた。
「俺には恋人がいたんだ。でも、もうそれも終わった。いいかい? 終わったんだ」
 爽香はもう一度しっかりと頷いた。
「でも、その物語にしっかりと終止符を打ちたい。それを小説にしなければ、本当のお終には出来ない。そんな気がしてるんだ。分かってくれるかな?」
 爽香は、コクん、コクんと、何度も頷いた。
「ありがとう。ちゃんと終わらせるよ、これからのために。待っててくれ!」

 その日、俺と爽香は、新しい朝を迎えるための夜を、共に過ごしたのだった。

第6話・終わり


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