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「ゲッターロボ」から調べた1970年代資料まとめ

漫画版で物の見事に足を取られ、東映版に沼ったがそもそも舞台となってる1970年代が私には異世界すぎたために調べたものまとめ。
読みたいという方がおられたのでこれも取り敢えずここに置いておきます。
*調べたものが増えたら随時更新されます


連載・放映簡易年表

作中時系列年表含めて下記事にまとめ直しました。

1970年代資料

《当時物価や年代流行》

東映版で爬虫類ならなんでも一匹100円でハヤトが買い取ってくれるというシーンがあるが、当時物価が以下。あれだけで金持ちの坊ちゃんであるのはわかるようになっていた様子。

なお、この時代500円硬貨は存在しない。82年までは500円「札」であった。
年代流行とかは以下のサイトとか。

《アニメ(テレビまんが)や映画》

放映していたアニメとか。

漫画版も東映版も
デビルマン(72年)、仮面ライダー(71年~)を中心に、
バビル二世(漫画:71~73年、アニメ:73年)、荒野の少年イサム(漫画:71~74年、アニメ:73~74年)、赤胴鈴之助(漫画は54年から幾つか描かれている、アニメ:72~73年)
辺りはキャラデや設定などに影響があるだろうと思われる。

映画も当時の主要娯楽である。ゲッターロボを製作した東映の映画やアニメ、特撮など娯楽事業の全体的な流れや歴史に関してはこちらに詳しい。
(ただし本当に情報量が膨大。社内報や当時の経営方針まで記載があり、東映という会社の資料としては相当価値があると思うが、70年代とか時代をピンポイントに探るには難しいかも)

当時流行を意識したと思われるものは散見される。
漫画版でのリョウの台詞のひとつ「あばよダチ公」は74年11月公開の松田優作主演映画のタイトルからかもしれない。
73年には「太陽に吠えろ」とか74年には「傷だらけの天使」とかがテレビ放映されていた。

映画といえば73年に公開された「燃えよドラゴン」からの香港映画とカンフーブームが起きていたことも大きい。
漫画版リョウの描写にも影響が見られるが、「何故空手なのにカンフーが混じるのか?」というと、どうも混同される素地があったようでもある。

実際に見てみたが、なんだかブルース・リーの外見や雰囲気はむしろ隼人で、蹴り技が多かったのも彼である。
一方、そのジークンドーの精神面はリョウの人格から受けるものとなんだか似ている。(リョウのスタイル自体は漫画無印G見る限りは父親とのエピソードが「空手バカ一代」の変則換骨奪胎っぽいし極真空手っぽい)
それはそれとして「燃えよドラゴン」めっちゃ面白かった。あれは流行る。

《服装とかリョウのモデルになった人についてとか、東映版に出てる色々》

キャラデザに見られるようなパンタロンや男性の長髪は当時の流行だった。派手な色のシャツとかもそう。(当時は今ほどプリント技術が発展してないとかで柄物と言っても今ほどの細かなプリントのものなどは無かったそうな)
また、リョウのキャラデザは当時のアイドル歌手、新御三家の一人、西城秀樹を意識していたと大全のインタビューにある。
(ハヤトは沢田研二がイメージに入っていないだろうかという話もフォロワーさんからあった。ハヤトに関してはその辺の言及が一切見当たらず不明だが、わからなくはない)
企画詰め段階くらいの代表曲などはこのスレッドに。

こういった当時流行の影響が分かりやすいところだとG26話。
ハンバーガーが出てくるが、当時原宿にできたばかりである。

また新宿の目も1969年にできたものであったり、(ティアドロップっぽいサングラスもかな?)当時の流行などが多く取り入れられていた回であった様子。
東映版ハヤトの造形や設定周り自体が割と当時流行盛りではあると思われる。
チョッパーハンドルの改造オフロードバイクなんかは映画イージー・ライダー(1969年、日本公開は1970年)のヒットにより爆発的に人気を得ていたはず。(あのバイクだけで自由への憧れ、反抗心とかそういう意味合いがありそう)(イージー・ライダーも多分今予備知識無しで見たら色々わからない映画)

そういえば昔のアニメとかではヘルメットしてないのも多いけど着用義務として罰則が一部導入され始めたのが75年から、原付含む全てのバイクで全ての道路でのヘルメット着用義務となったのは86年から。

ハーモニカは調べると流行年代が少々ズレるのだが、この後年の大河ドラマなどでもハーモニカを吹くイケメンというのは存在していたとも伺った。
色々と見ているうちに73年2月~74年2月に放映していた「仮面ライダーV3」の風見志郎がハーモニカを吹いていたという情報も得た。

どうもこの人物設定も神隼人に影響している気はするがともあれ、一時代でのイケメンのアイコンであったかもしれない。
(ゲッターロボ自体、神隼人の戦闘服デザインや漫画版の内容など仮面ライダーの影響がそこかしこに見られる)

特に漫画版となるが作中よく出てくるハイネックというのも流行りものだったかもしれない。1970~80年代漫画やアニメの綺麗所にハイネック╱タートルネックが使われていた気がする(実際デビルマンなどでも使われていた)と聞いて調べたが、タートルネックで調べる→海外発祥のプレッピースタイル→日本ではやるのが80年代っぽい→その流れでの流行の先取りだった可能性はなかろうか。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/fashion-ja/all-about-the-turtleneck-fashions-control-mechanism

大枯の名前などはまあ明らかに以下からであろう。1972年作品。草を銜える男子の元ネタのひとつではないかという話も聞いた。

《漫画版の学生運動関連》

1972年にはあさま山荘事件が起きている。

早乙女研究所の場所、漫画版隼人の出自を見るにこの時代の学生運動などからの影響はあるのではないかと思い、色々調べたのだが、結論としては学生運動自体はあまり影響して無いと思われる。
むしろ反戦、女性や同性愛者の解放運動を含んだ60年代からの時代の全体的な流れというか、そういうものは背景としてありそう。

50年代では大学への進学率は10%程度、70年代までには急激に上昇しているが、74年時点では3割程度であったらしい。

(この辺はマジンガーZの序盤でさやかさんは学校に通っていない描写からも、高校時点で現代ほど進学率が高くなかったか、現在のように行って当然の感覚ではなかったことが伺える)であり、その中心となったのは若きエリートのインテリであったという話もあるようだ。「学園紛争が起きる高校は進学校の証し」とも言われた時代(らしい)。
(この辺どうもデータ見たり、学生運動に参加せず見ていた側からの話を探るとメディアが言う印象と実際の反応が違ったんじゃないかみたいな疑いもあってちょっとよくわからない。参考にあるデータを後述している。「ガクエン退屈男」読む限り永井先生と石川先生は手放しで誉めておらず、むしろ痛烈にぶん殴ってるとも思う)

ともあれ、60年代末期から高校にまで広がっていたため74年当時だと鎮火に向かってはいたようだけどおかしくはない設定といった感じだったのかもしれない。
後の言動を見ても隼人に社会を引っ掻き回したかったとか社会破滅願望があったみたいのは違うだろうとも個人的には感じる。
(神隼人という人物の人間性に苛烈な部分がある事も、あの時取ろうとしていた方法がテロであり明確な悪である事も否定しないが。権利や尊厳を軽視され踏みにじられることには声をあげ抗うべきだが、暴力でもって強引に社会を変えようなど明確な悪でしかない)

また、実際の世間の反応はどうだったのかデータからまとめている記事も発見した。

この記事の限り、けして広く受け入れられていた訳ではない様子である。

【追記】劇場版一、二作目の脚本を担当された藤川桂介氏のブログやHPからマジンガーZ→グレートマジンガーで設定変更があった理由について触れられている。

このような流れの中にゲッターもあったと推測するとやはり同様に早乙女研究所は市街地への被害を出さないために山の中にあることを最初に決められ、じゃあ何処にとなった時に関東近郊である浅間山麓が選ばれた可能性がある。
(その後調べて行ったら早乙女研究所の場所については事件とかまるで関係無く「日本地図で見た時に中央に近い」場所であることが舞台となった理由ではないかという可能性も湧いてきた)

藤川桂介氏のサイトやブログは1970年代のアニメや特撮に深く関わった氏によるウルトラマン、マジンガー、ゴッドマーズなどの制作裏話やどのような思いで脚本を手掛けていたかを読むことができてなかなか興味深い。特にヤマトは本当に大きなコンテンツだったし色々あったんだなぁとか……話が逸れた。

《漫画版にある描写関連》

学生運動が盛んだった時代は都内にも野犬が多いというご時世でもあったらしい。見つけたらぬっころという時代だったと聞いたが殺処分数などからしても今とは状況が違いそうなのは察せられる。人への蔑称としての「野良犬」「狂犬」のニュアンスはこういう時代のものから来ているのだろうななど。(この時代には既に狂犬病ワクチンとかは存在してたのでもっと前の時代かもしれんが)

漫画版隼人の登場時描写のあのがハリウッド由来で流行ったスカルプチュアネイルだった可能性はある。1970年代としかどこも書いてなくて詳しい年代はわからんがハリウッド特殊メイク由来らしい。つけ爪と同時期。
ホラー映画とかからのイメージだったのかなぁ。

隼人の校舎というと冒頭の傘を持っているリョウも印象的かもしれない。
白抜きで描かれたこの傘は透けている描写がないため布傘か不透明なビニール傘かもしれない。ビニール傘は70年代には普及していた様子。

しかしビニール袋の普及は70年代以降の話になるそうだ。
漫画版リョウの生家土間に俵があるのも納得できるのでは。

《その他70年代関連色々》

音の記録媒体はレコード基本。カセットテープもあった。(フォロワーさんの話によると一般的に知られている規格の物より大きなカセットテープもあったらしい)
ラジカセ(当時はラジオつきテープレコーダーでテレコと呼ばれていた時代かもしれないが)も普及し始めてた頃?
東映版の音楽媒体はほぼレコードでの発売となっている。
そんな状態なので気軽に映像を見返せる環境にはなかった。1980年代始め頃を舞台にしている「アオイホノオ」読んでもVHSとか普及前で、映画のオールナイトがとかって話が出てくる。

大型コンピュータから出るのはパンチシート、今の薄型PCとかも当時からすれば夢の機械だった。腕時計型通信機とか憧れのガジェットみたいな。
インターネットとかそもそも存在しない(1990年代前半でも一般的ではなかった。一般家庭に普及するのは90年代後半から)。
もちろん携帯電話とかない。ポケベルすらない。黒電話に公衆電話に電話帳の時代。リアルにダイヤルを回す奴。

待ち合わせは喫茶店とかって時代で、70年代には喫茶店ブームが起きてる。
昭和の喫茶店と言えばインベーダーゲームが思い出されるが、調べるとこれも78年からの話で漫画版では70年代末だろう真でギリギリ。

コンピューターゲームが一般的にもなっていない時代なんだから、遊びと言えば基本アナログのはずである。
現在でもパーティーゲームとして知られる「黒ひげ危機一発」は1975年の発売。

電気冷蔵庫の一般普及により、70年代にはかき氷ブームがあったらしい。
かき氷のシロップが家庭にも広まるようになったのもこの頃くらいからっぽい。ただしブルーハワイは存在しない(どうも80年代くらいからっぽい)
喫茶店でのメロンソーダやクリームソーダブームもこのメロンシロップの一般普及とかが関係しているかもしれない。

食べ物っていうと「スナックサンド」も1975年からの商品。

沖縄の日本復帰が72年=特に九州のリョウはとても近い場所にある沖縄へ行くにもパスポートがいる世界が2年前の話。
(海外旅行の自由化が64年とかで、ハワイ旅行が「夢のハワイ」とかだったりしたのが70年代半ばらしい)
まだまだ「戦争」が身近にあった。
1969~89年にかけては松本零士先生が「戦場まんがシリーズ」を発表している。後年になるが93年に「THE COCKPIT ザ・コクピット」という名前で3篇が映像化されている。アマプラで何気なく見たら2話でぶっ刺さって声出して泣くかと思ったのでメモ的に。

https://watch.amazon.co.jp/detail?gti=amzn1.dv.gti.3fd907b4-7d06-4a4b-98f2-4b409d2730b4&ref_=atv_dp_share_seas&r=web

写真もカラーフィルムの一般普及は70年代で、74年当時はまだ白黒からの切り替わり真っ最中時期と思われる。

1964年の東京オリンピックによりカラーテレビが普及したためテレビはカラー。当然ブラウン管だし「チャンネルを回す」がリアルだったはず。
以下のサイトに映像資料などがある。

その他70年代の物もある写真特集とか。

終戦(1945年)から30年程の時代。現代からは色々と想像着きにくい時代である。

関係無いかもだけど引っ掛かる「年代」の話

〖追記::2022.02.22〗
割りと大事なことなのかなと思ったので残しておくと、東映版のメインターゲット層はおそらく10才前後(小学3、4年生)であった。
では一緒にテレビを見ているだろう(当時はスマホとかなくテレビでなにかついてたら家族で一緒に見ていた。ゆえのチャンネル戦争であった)両親はというと終戦前後や戦中の生まれとなる。無印ミチル母のエピソードのようなことがリアルだった可能性がある。

ムサシの死、並びにリョウを死なせようとしたダイナミック側のプロット(大全Gに全文がある)、Gを含めた各誌での結末、GDVDブックレットでのシナリオと映像の差異。
これらを見ていくとおそらくではあるが元々ダイナミック側は無印でもGでも彼らを明確に「特攻」(ただし自分の意思によるもの╱全体主義による強制などではないとは東映も漫画も通して描かれている。あれの何が悪名高いのかといえば、自己責任と選択による自己犠牲ではなく、国による強制や国民間にすらあった同調圧力による強制であったことである)として死なせようとしていた。

*更に言うと「ゲッターロボ」という作品の根本に戦争があったために、戦中の少年兵をイメージさせる要素や、石川漫画版などは同作者他作品にはあまり見受けられない神風や自爆、自決などの第二次世界大戦を彷彿とさせる描写がされ、號になっても戦争を描いていたのだろう。

しかし上述のような時代であるため、余計にそれをそのまま映像化、放映することはできなかったのではなかろうか。現在でも厳しいものがあろう。
そもそもキャラクターを殺すか殺さないかでダイナミック側と東映・テレビ側で壮絶バトルを繰り広げたらしいことは様々なインタビューに残っているがその結果として
ムサシ→一個人の感情からの行動と帰結され「事故」として死亡
ハヤト→ミチルへの思慕を示唆しながらヒドラーとの台詞において「地球のため」と言わせ生存
という形になったことに、戦争というただでさえセンシティブな事柄がリアルであった時代の葛藤やなにかが見えるような気が私にはするのである。
1970年代半ばに描かれたというのは重要なことだったのではなかろうか。

〖追記:24.11.10〗
ところで、今を生きる私たちはすっかり忘れているのだが、今の学制になったのは戦後の話である。
東映版のスタッフの方々は戦中生まれや終戦時に10代だった人が多い。

=彼らの青春時代はこの旧学制であったはず。

資料を読むうち、ひとつ気になっている事があった。
どうも初代チームやGの設定資料を読むと「終了時に19歳」になるようにしてないかっていう。
18~19歳は現在なら大学一年生になるが、旧制だと高等学校高等科か大学予科の三年生となる。
人格は確立し、自分の言動への責任を考え持つことはできるが成人はしていない、「青春時代」のギリギリとしてそう設定したとか、単なるポカミスとかも考えられるが、どうにも個人的には引っ掛かっている。

〖追記:25.06.24〗

ところで私は学生時代、なんかよくわかんないけど何となく安吾先生が好きだった。

「我々の一生は短いものだ。我々の過去には長い歴史があつたが、我々の未来にはその過去よりも更に長い時間がある。
(中略)あらゆる時代がその各々の最善をつくし、自らの生を尊び、バトンを渡せば、足りる。」

— 坂口安吾「暗い青春」(1947)

で、なんとなし思い出して読み返し、堕落論とかも第二次世界大戦後だよなでようやく思い当たったが、勝田Pも脚本の上原さんとかも学生時代、義務教育辺りの印刷物は旧仮名遣いで読み書きしていた人たちになるはずである。
脚本などの現代とはなにかが違うような、という微妙な違和感はこういった部分も関係していたのかもしれない。
ローマ字教育も戦後の話で、国語教育の切り替わりが戦後の1946年。印刷物の殆どが現代仮名遣いになるのは70年代くらいになるそうだ。
=甲児くんやゲッターチームが図書館とかで本借りたら旧仮名遣いとか全然あった


私は戦争を知らない。そこに今生きている人たちが何を思い日々をどう過ごしているのかを聞くことはできても肌感覚や体験として「知っている」訳ではない。
あの物語を描いた「戦争を知っている人達」は、一体何を思ってこれに向き合っていたのだろうと、調べる度にぼんやりと思う。

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