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漫画「バイオレンスジャック」感想メモまとめ【26年6月読破!】

なんかどうもこれダイナミックプロ関係の派生作品色々とかにも関係してきそうだなと思ったので、飛び飛びに買ってはXでポストしてた内容まとめ。単純な感想から考察までごった煮。
読んでるのはeBooks電子書籍版。26年6月現在、全45巻読了。
読んでる順番はバラバラ。呟いてる内容も気になったとこだけで丸々抜けてる巻があったり偏りがある。全巻買ったら通して読み直すとは思う。

相変わらず自分のためのメモなので長い。これは自分でもよくわかんないんだけどなんか誰にも感情移入できなくてずっと俯瞰で読んでるので人物への感想が薄い。
ついでにゲッターロボからの考察含んでそれ前提で書いてる部分がある(自分用メモなので)。その辺に関しては以下の記事参照。


1~2巻 東京滅亡編〖22年読了ぽい〗

22年だかに無料で1巻もらって読んで「怖いよおおおおおお」という感想であった様子。私は痛そうなグロとかエロが苦手です。日本沈没の影響とかありそう。

主人公の名前が逞馬竜で、その妹がみちる、登場人物紹介みたらいつ出るのかわからんけど天馬と海堂って人物も主要で出て多分陸空海になるんだなこれってのは初読から気になってもいたっぽい。73年からの作品だからゲッターの企画立ててる期間~放映や連載に被る。

この1巻の逞馬竜辺りわかりやすいんだけど、まだ自立してないというか「自分の言動に責任持ちきれない子供」だときちんと家族の存在とその庇護下にあること描いてるんだよな。
マジンガーとかもだけどそこからいきなりべりっと引き剥がされて「今日からお前は自立した一人の人間として生きなければならぬ」で家族がフェードアウトしがち(守らなければならない弟妹は残る)。
逞馬はお姉さんとの別れの時点で人格は完成しててその後って学習(学習は大人でもする)っぽい印象。
その時前後して「言い付け」とかの形で「こう生きなさい」みたいなのが示されがちでもあって、「親の言うことを聞く良い子」から始まって同時平行で自立しつつ自分で考えるみたいな? この辺石川先生と全然違う。

石川先生はこの引き剥がしに主人公の戦う動機を被せて「家族を殺される」から始まることが多くて、だから最初が復讐になりがち(そしてその復讐という個人動機は最終目的にはならない)。(元から強い正義感とかはあるから怒りと復讐になるんだけど)自分で考えた個人の目的から始まって最終的に守りたい対象が拡大し、その行いが世界の維持に関わってくるみたいな方。

この辺の描写からは「基本ダイナミックプロ漫画作品は変化はあっても成長はしない」作品群かなってのも特徴として読み取れて、一人立ちした時点で主人公は人間としてほぼ完成してて明確に成長する存在は主役ではないことが多いっぽいんだよな、ゲッターロボならムサシとか。デビルマンでも東映版の明くんとかはかなりわかりやすくこれで、マジンガーでも東映版の甲児くんがニュアンスこっちだったから、「成長する主人公」はダイナミックプロっていうより東映の得意分野って印象かも。
ロボものにわかりやすいが信用できない人間に人類の存亡レベルの力なんぞ預ける訳なかろうとかもあるし。

しかしまあ描き方がシビアだからエグいなこれ。デビルマンの時と同じ感じで、露悪的とか暴力的なのが楽しくて描いてるとかより、この話で必要なもの描いたらエグくなってるみたいな印象の方が強い。
この最後の「この物語は」から始まる二頁くらいが最初の描き始めた目的だったんかなって感じはある。

万人は平等である=「全員が主人公」(主人公は一人ではない)って考えたらこのスターシステムに見えるものの根っこにあったものかもなーとかも思う。
ゲッターロボと同じ理屈で他作品の主人公を並べたっていう。


OVA新ゲッターロボに関係あると目してる「ガクエン退屈男」コンビ関係の流れが知りたくて、重い腰をあげて該当巻だけざっくり買った。下手に漫画喫茶だの行くより電子書籍のクーポンでまとめ買いした方が安いとも気がついたので。25年6月くらい。

6巻 激闘門土編〖以下25年6月〗

うーん、こいつらは最初からろくな終わり方しないだろって感じがする。
ジャックに、怨霊に見せられた幻影の中での言動があんまりすぎるし「おまえたちは関東に生きる資格がない」が示唆的すぎる。
自分達はまっとうな世界じゃケダモノであって、生きていけない自覚があり、そのために無法の関東を目指すだけマシっちゃマシではある。それは同時に崩壊した関東を除いた基本的なこの世界は治安維持機構が何らかの形では機能している、法が治める世界って事にも多分なる。
悪人だから生きる資格がないとはどういうことだって門土の主張とかは同意するとこ(人権はどのような人間であっても存在する)あるんだけど、3巻までの感触とこれだと生きるために必要な「地位や立場」ではなく、「条件」のことをジャックは言ってるんじゃないかって気もしないではない。

(この時点からなんか特に門土が原作と設定や人格違うな?とは思ってたんだけど、その辺は最後にまとめてる)

私にはガクエン退屈男って話は「人間の社会にケダモノは必要ない」から最後に全部そのまま返ったのでしょ、としか思えなかったんだけど、じゃあこのバイオレンスジャックという世界では最初に人間の社会を捨てて、彼等はどうなるんじゃろねという興味。
感情のまま、本能のままに生きるというのは、生きていることになるんだろうか。「死」という状態に対しての相対的な「生」って話じゃなくて。そもそも「生きる」とはどういうことかみたいな、そんな問いをジャックさんの言葉になんとなしぼんやり。

8~9巻 エルドラド編

あ、「勝つためには手段を選ばない」が冒頭明確に門土にある。これ隼人の持ってた特徴の「人類生存のため(利他的)には手段を選ばない」が「自分の勝利のため(利己的)なら手段を選ばない」でひっくり返ってるだろ。

多分漫画號序盤の隼人の「今死なせてやった方が」の台詞元ネタこれじゃね?ってやつも見つけたわ。
電子書籍9巻70P
逞馬「あれで死ぬなら先ゆきどのみち殺されている 関東じゃよわいやつは生きられない」
(地獄になった関東↔地獄である戦場 での現実と心構え)

はははは、描ききる前にこの門土が門土であったからの流れで一回終わっちゃったなこれって感じがする。最後の方漫画版デビルマンじゃろ。明↔隼人↔門土でひっくり返りながら要素が流れていったら尚更の必然でそうなってしまった感じがする。

資本主義社会批判と取れるところに関しては、野性動物はいじめをしないとか諸々は勘違いだよ(実体験として)とか、そこに富があるから争うんじゃないかに関しても半分違うんじゃねとは思うけど、この中ではそうということにして読み進める。
門土が描いたユートピアがどんなもんだったかはわからんけど、出自を考えれば想像つかないわけではなく、しかしそれを結局はああいう手段で無理矢理成そうとした辺りどうにもなんない。ここでジャックが一度消えたってなった時の逞馬の前後の流れも割りと思うとこ色々ある。

しかしまあ門土竜馬のコンビは割りとずーっとメンタル的に不健全だにゃ。なんでこいつらそんなに「他人」が怖いんだろう。

13~15巻 死神警察編

死んでなかったことにしてリセット? エルドラドの途中からなかったことにしてる? でも門土がバイオレンスジャックに殺された事を竜馬はわかってそうな描写もあってよくわからん。

女ジャックによる終盤展開に門土がモヤモヤしてるのは「動かされてしまった」からじゃないかなぁという印象。本能とか感情任せで動くにしたって、その結果は同じであっても、自分でわかってて自分をそこにのせるのと流されるのは違うみたいな。
しかし地味に変換点になりそうだったのにそうするんか。なんだろう、なんかこの二人を明確に変化させる気がないみたいな。認識とか感性が変わってもおかしくない状況は与えられているんだけど変わってない。

ジャックは本当にワケわからんなんかだな、これ。やっぱ山とか海とか空とかの漠然としたなんかでっかいなんかみたいな印象。よくわからん理不尽。

17~18巻 ハイパーグラップル編

石川先生の魔界転生とから辺の共通世界観の下地になってんのこの辺の錬金術絡みで出てきた魔界がどうとかじゃね??
なんかこう、こういう小難しいというか何が何やらな部分、説明されてはいるんだけどよくわからんっていう部分の感触すら石川作品と全然違うw

門土は竜馬の作った幻って話が出てきたが……色々どうすんだ、これ。

そいやアイアンとファイアーのお二方、おせっせシーンまであるんで脳内ノイズが最高潮だったのだけど、「なんで太陽なんだろう。太陽だよなあれ??」っていう自分でも不思議な気になりかたがあった。生命の象徴? なんでかふっと思い出したのは子宮が冥界と繋がってだかなんだかのゼオライマーだったり。
石川版読む限り魔界転生も女性の子宮が魔界と繋がってる、みたいな読み方はできるし、生命の誕生の神秘と言えば聞こえは良い、なんなら生き物そのものの訳わかんなさとかもあって、女性の子宮ってのは度々異次元なのかなーとか思ったりもした。

永井先生は明確な暴力としての性行為じゃなくて、心通わせるもの同士だとこういう描き方になるんだろなーとかの意味でも興味深くはあったんだけど、妙な引っ掛かり方をしたのが自分が特定カプ思い出してすっさまじいノイズになってるからなのかそうじゃないのか判断できないので保留。

なんにも関係なくどうでもいい思ったこととしては、度々複数作品組み合わせて二次創作するとなぜか男性はそのままのクロスオーバー(異世界転生とか基本こっち)に、女性はダブルパロになりがちな不思議を呟いてたけどVJって著作権関係とかありそうだけど後者形式なんだよなとか。

そいや私身堂竜馬はわからんなと思ったところあって、女と言われるのは嫌であそこまで鍛えたりしてたのに女言葉使うんだなっていう。あれも違和感あって、最初からそうだったか?って。
門土に恋してしまったから女としてでもいいから自分に惚れてほしかったのかなぁ……わからん……。

OVA「新ゲッターロボ」黒平安京=過去編の元ネタ疑惑

ハイパーグラップル編、すごい変に引っ掛かってたんだけどあれOVA新ゲの黒平安京?だかの元ネタじゃないのか。
海上都市、未来市、歴史をねじ曲げて作り上げた架空の都市。
電子書籍17巻132P
「これらの"気"が集まれば 私の創造したこの都市はきえるかもしれん」
「歴史を捻じ曲げ 魔の空間のエネルギーを集めて創った幻の都市 アクアポリス未来市は……」
これじゃん。
なんで新ゲ湖だかの上なんだ? 漫画ゲッターや手天童子にそんなとこあったっけ? って思ってたけどこれじゃん。

ってなるとあの過去編は、アイアンじゃなくて退屈男コンビの方のあの辺の話が元ネタである可能性。
で考えると引っ掛かったのが(私が何気一番気持ち悪くなったので覚えてる)新竜馬が鬼バサバサ切り殺しながら進んでくシーンで、あれ通行人切り殺して退屈男コンビを追いかける殺し屋になんか被る。

スサが晴明、錬金術が陰陽術に置き換わってる?
月が魔界(死)で太陽が生命エネルギーってのも、元々のゲッター線は太陽光モチーフで色も赤白なんだけど、未監修派生筋のゲッター線って違ってるみたいで緑色のビームって敵側の色なのよなって引っ掛かる……そういえば新ゲのゲッター線は結構明確に死者と関係ありそうで地獄の釜……。

アイアンマッスルや凄ノ王からの再構成や対構成について

愛や心がない、悪魔→退屈男コンビ+スサ(多分これも原作から反転してて最後に戻ってない?)
愛ある人たち、意志ある生体エネルギーの加護を受けた存在?→アイアンマッスル組
みたいな感じでこのエピソードが二つの流れでの対構成になってるんじゃないかとも思う。

スサは最後に魔界の力・怨念・負の感情で作ったわけではなかった愛する娘は残り、魔界の力は封じられる

竜馬はここでも自分に都合の悪い過去を認めることができず逃避し、魔界の力で服を作り出している

の終わり方でもうひとつ対(途中で竜馬はスサと匹敵する力を持つと言われてるので尚更)だな。

服が消えてしまって「男みたいだし傷だらけだし恥ずかしい」って言うのに光一が「綺麗だよ、本当にビーナスみたいだよ」ってシーンに連続して恥ずかしいから寄越せって服の取り合いしてる退屈男コンビってのも対比でしょ。

*以下アイアンマッスルのサタンをどう読んだか、瓜生麗と関係ある? みたいなフォロワーさんとの会話から

あくまでバイオレンスジャック版(ここまでの著作の流れを汲んで人物からして再構成がされてる前提)での話なら、
サタン・ザ・キッドが自分の出自を明かし、光一の父を植物状態にしたオーディン息子であると理解してからのターンは機械のようなグラップラー「アイアンマッスル」(加護の事もあって神に近いんだと思う)ではなく「人間ハガネ」になっていて、サタンの方も親友を殺された復讐になってて「人間同士の、個人の感情による戦い」になってると思います。

んで、ここに対応するようにジャックとスサの戦いも並行してて、こっちは「超存在と自称真の魔王の神の戦い、世界という大枠の戦い」でやっぱ対比じゃないです?

個人の感情による復讐の連鎖は、父の復讐を息子であるハガネが、その仇の息子であるサタン(エルマー)を殺して、植物状態だった父の帰還により完全に終結し、ハガネに加護を授けていた意志ある生体エネルギーはそれを見届けて去った。
一方の世界の存亡をかけた戦いはスサの中にある魔界との通路を塞いで「あくまで一時的な」決着になる。
彼は魔界の力を引き出すことは不可能になったが、違う力と愛するものは残され、スサ個人は希望が残る。
しかし、よりによってその直後にスサ同等の魔界の力を使って服を創った竜馬っていう描写に……。

ハイパーグラップル編の中でアイアンマッスル組は基本的に退屈男コンビ(ゲッターロボリョウ隼人の反転存在)と対比存在として描かれますが、こうして流れ描くと最後の戦いだけ「違う」んです。
=あのオーディンの息子サタンは「人間」の戦いにおいての誰かしらの翻案じゃないかなって。
アイアンマッスルの方にサタンは最初から存在するんだけど、なんかあらすじとか調べる限りはこれもなんらかの法則基準でどっかしらひっくり返ってああなってるっぽい感じするのは気になるかなぁ。まあこれも読んでみないとわからん。

んで、凄ノ王側がなんであんな人物少なかったかって、こっちも原作あらすじ見た感じ、スサくんが(瓜生の手引きで→地震で)一度全部失ったところスタートだからだと思う。だから根本的に瓜生が必要ない。

総合すると
バイオレンスジャック版のサタン(エルマー)はアイアンマッスルのサタンの翻案であって、多分凄ノ王側の瓜生麗は関係無い。
(ただし、なんか素直にアイアンマッスルの筋やってるわけではないのでまったく違う誰かが二重写しで被ってるとかそういう可能性はある)

凄ノ王の話が「途中から始まって」ないか?って書いたけど、同時にアイアンマッスルの話が「途中で終わって」るんじゃないかとも思う。
原作あらすじとか見ると、オーディンがラスボス(最終目標)であってサタンは途中(オーディンの弟子であって息子じゃないっぽいし)。

34巻 ズバ蛮編2

ズバ蛮、これ各所がひっくり返ってませんこと? ジャンヌは未来人で姉みたいな存在だったのに、精神が過去に取り残されて妹になってる。
なんかどうも元々明確な悪人ではなかったのに悪役配置になっている場合、なにかがひっくり返ってる気がする。
その手法って石川先生とか今川監督が割りと多用した手法だと思うんだよなぁ……ダイナミック作品で今川監督がその手法使うのは後からわかれば原作が原作だしなぁ感あったけど……。

さておき。

虎之助登場。「女に見られるのが嫌だ」=明確な男性としての自認、アイデンティティはこっちにある様子。

逞馬の仲間たちでっかくなったねええええ生きてたかあああああ!!という感慨。あと13巻関東鬼相撲編辺りの海堂のお顔號くんとかに雰囲気か空気感がそっくりで一瞬吃驚して、現在のお顔で(まあこうなるよね、知ってた)感が凄かった。號くんも二十歳過ぎて育ちきったらこういう感じのお顔になってたんかのぅ……ただちょっと3も混じってる雰囲気ありますわね。

虎之助、竜馬と違って割りと自分から他人に関わるっぽいんだよな。基本単独行動だからとかはあるんだろうけど、竜馬は実は門土任せなばかりで他人とろくに関わってなくね?ってのが気になってるんで引っ掛かる。

39巻 身堂編

水に映った虎之助の姿とかこの辺、これどこからなんの意味でいれたん?ってさっぱりわからなかった新ゲ隼人のナルキッソスかよみたいなシーンの元ネタじゃないのこれ????

身堂竜馬が二人になった理由諸々が明かされるが何回読んでもややこしいがな。
ってかこれ永井先生も上手く頭整理しきれてないんでは?みたいな感触はちょっとある。勢いで展開こうなったけど理由がよくわかってないみたいな。
厳密には別世界の存在を呼んでしまったでいいのか? うーん、よくわからん保留。

次元が分裂しかける所とか割りと最初から感じていた「イメージのパッチワーク」みたいな感覚がある。そもそもこの関東が騎馬~現代兵器、東西問わず中世から近代まで?争いの歴史イメージ詰め合わせみたいな。
拓馬軍が三國志、スラムキングが戦国武将、黄金の軍隊が自衛隊みたいな、わざと全部ばらばらにイメージ振ってる印象がある。
石川先生が使う時空間ごった混ぜのイメージにも似ている。
なんかずっと一人の人間の脳みその中覗いてるみたいな変な感覚もある。私は誰のなに読んでるの。敢えて言うならこの世界作った神の視点ではないのこれ。

愛したからこそ身を引いたし、フラッシュとの最後の会話、ジャックたちの会話でも虎之助は変われるかもしれないとあるんだけど、あったんだけどなぁ……。
そいやここも虎之助としての「自分は自分である」の線引き、自己確立と自立とも読める。

40巻 超高層の悪魔編

……? このビル街の遠景、なんか禍か爆裂で見たのと被るな……? なんだっけ、しゅみせんだっけなんだっけ??

なんか「一度終わった」エルドラド編のリフレインやってる感じ。なぞってる。もう一回ここから始まるか「本当に終わる」か。
そいや竜馬に日本刀、虎之助と本物の門土は黒い服、辺りも気になる。
お洋服はじゃあエルドラド後の再登場からここまで「同じ」「お揃い」のお洋服でお着替えとか無かった意味は、とか。

「俺の」門土なんだよなぁ。本当に竜馬は色々他人に向いていない、見てもいない。
結局門土すら愛してはいるけれど自分の鏡とか理想をそこに重ねてるだけ、「彼の脳内の」門土を愛しているのであって、「そうでなければ要らない」し切り捨てる。それは自己愛の一種としか思えない。
飛鳥了もだけどなんか好きは好きではあるんだけど致命的になんか足りてないみたいな感触があるんだよな。相手が好きだったのは事実だろうね、でもお前相手見てなかったよねまでシームレスみたいな。

んでやっぱ受け入れられなくて「ジャックが殺したまで戻った」から虎之助が引っ張られたのかな。
「門土はあそこで死んだ、ジャックが殺した」の顔を焼いた直後くらいまでに自認が戻って、門土を維持するために虎之助が虎之助という自認を持つ必要がなくなった。
自己は統一されたけど結局門土が死んだことも、門土の変化も、自分が殺したことも、なにも受け入れられなかったみたいな印象だなこれ。

イミテーションの門土は「本物になりたくはないか?」の誘惑に負けたんだろうなって感じが、中身の核部分竜馬だったんかなって思わせる部分があった。ガクエン退屈男での竜馬。

しかし虎之助が一番かわいそう感ある。
虎之助は、順番から言えば本物なんだけど、自分の顔を焼いて自分は竜馬ではないと思い込み、「理想の自分と門土」を切り離した。そうして現実から逃避した結果、「不完全」になって、「不完全だから変化する道があった」のかもなってふと思った。
「理想」は「不変」であってほしいもので変化を受容できず、現実は常に流れ変化していくにも関わらず一度持ってしまった理想の認識を現状に合わせて変えることもできず執着固執してしまう、って今書いてて安吾先生の「私は共産主義は嫌ひであつた。」からの文章思い出す。

暗い青春-自らのみの絶対を信じ不変永遠を信じる政治は自由を裏切るものであり、進化に反逆するものだ。

ガクエン退屈男ってそもそもがあの頃暴れまわってた新左翼とかのメタファーであり批判で、「大義名分掲げて暴れまわるケダモノ」「本物を乗っとり愛されたいニセモノ」って結構クリティカルなんじゃないかと思ったのがまあこの辺前提にあるんだけども。
理想から動けないみたいのは違うものでもようようどこでもなんでも起こりはするんだが(シリーズものなんかでもよく見る)、元々があれでしょみたいな。

VJとガクエン退屈男では特に早乙女門土の人格が違うって話

そいやVJとガクエン退屈男で「門土が特に違う」と思ったんだけど、あいつガクエン退屈男の時には自分の命も相手と同等にかけてるクレイジー奴だった(バズーカだってあっちにあったと思う)から面白かったんだけど、VJそうじゃなくなってたと思うんよな。

ガクエン退屈男の門土は所詮学生ゲリラなんぞ暴れまわるための大義名分でしかなく、暴れたいから殺したいからだけって開き直りと、自他の命は同等であるから相手殺すなら自分だって死ぬ覚悟はできてるって悪人なりの筋や道理は持ってた。
でも、バイオレンスジャックの門土(エルドラド編まで)はそもそも行動動機(理想郷を作る)から違ってて、自分をバカにしたやつを見返してやるみたいなコンプレックスから始まってるのも違ってて、「目的のためには手段を選ばない」になっちゃってたのよなぁ。

前者:行為=目的なので、それを成す動機なんか本当はないのを学生運動って大義名分借りてる。本当は大義名分はなんでもいい。
後者:目的のための行為であり、「目的のためなら手段は正当化される」思考。目的(大義名分)を達成することが最初に来ているので自己保全もかかる。

バイオレンスジャック版の門土、「自分はこの世界の法では生きていけない(受容、支持できない)」を理解したから「法の無い荒野でユートピアを作る」に移行した人間に思えて、そこの分別は最低限持ってるのはちょっと面白い。
基本的にこの世界には自己決定するだけの充分な知識を持たない人間しかいないor皆がそれを望んだので、頭のいいこいつが専制統治して平和な世界になります。
ってそれはそれで筋は通るけど、その構図が既に現代日本では現実的ではなく、実現できるのは無法の荒野っていう。

新ゲッターロボの新隼人の元ネタのひとりはこのバイオレンスジャック版門土だろうけど、なんかおかしくて、初登場辺りは前者だと思うんだけど、そのあと後者に移行した(手段を選ばずゲッター線を手に入れようとした)にしてはそれこそ新竜馬殺そうとしなかったことがおかしいのよなぁ……門土は竜馬に乗っ取られた後だったからもうひとりの元ネタである虎之助だったとか?

【26年2月追記】待って、これも入れ替わってたかもな話

で、この辺更に後から気づいたのだが、なんか違うんだよなぁ?と思っていたが、「これもまたひっくり返っていたのではないか」という疑惑が出てきた

ガクエン退屈男:反体制、基本悪
門土→反体制とかすら建前、自分のやりたいことしたいだけ(暴れたいし「殺したい」≒戦いたい)
竜馬→反体制の意思はあるが、その為の手段を選ばない。
双子存在でオリジナルである虎の助を憎み、虎の助を乗っ取って、自分以外の周囲から愛されたがっている

ゲッターロボ:体制維持、基本善(節度やモラルが存在し、弱者をいたぶるとか過剰報復とかしない)
竜馬→自分のやりたいことしたいだけ(「強くなることこそが男の生き方だ 武道こそが男の人生だ」≒戦うこと。ただしその相手は門土と違い選んでいるし、殺すことが目的ではない)
双子存在の隼人を自分とは違う別人として愛している(飛鳥了からも来てる設定)
隼人→社会維持や是正の意思があり、その為の手段を選ばない

VJ:反体制、基本悪
竜馬→(門土を愛しているのも建前、)自分のやりたいことしたいだけ
双子存在でオリジナルである虎之介から憎まれ、自分の作った幻影で門土を乗っ取って、門土ひとりから愛されたがっている
門土(本物)→理想郷の意思はあるが、その為の手段を選ばない

こういう感じの順番でひっくり返ってないか?っていう。

【26年2月追記】竜馬が望んだニセモノの門土について

「死んでからの門土」はバイオレンスジャック内だと虎之介に似てるけど反対なところあって、
前者は門土という何者かになりたかったから本物を受け入れたがそうしたら半ば必然として消えた
後者は違う何者かになりたかったから分け身となった竜馬を拒絶したが逆らいきれずに同化された
に見えた。

結局「完璧でありたい」「欠けの無い自分でありたい」という「竜馬の願望」にどっちも引っ張られている、と言えばそうとも言える。
双方に「偽物とか本物とか知らん!俺は俺だ!」をやりきれていれば結果は違っていたかもしれないが、そうはならなかったのがあの話であり……。

「迷い」「葛藤」は定まらない自分の表れで、変化の前兆でもあると思う。
自己の未完成さや未熟さや過ちを自覚し、もしくは時に見えない未来へ不安を感じ、本当に今の自分はこれでいいのかと悩み迷う様。その間は定まっていない。
どういう形で変わるにしろ、「本当に変わる」「自分で決めて自分になる」のであれば、そこに迷いも葛藤もあるもので、その過程すら含めて自分なんだけど、それが他人から与えられたもの、他人に決められたものだと自分にはなりきれないみたいな。なんかそういう。こう。
だから悩みも迷いも葛藤も全然悪いことではないのだと思っている。
自分で納得して自分の一部になるまで、それはどうしても残るものであって。

しかしまあ「竜馬の望む理想の門土」は「迷う存在」であったとするなら、なんというか、それもまた業が深いんだよな。
「様々なものに対する留保の可能性」は「社会性をもって自分と生きてくれるかもしれない」と同時に「自分を好きになってくれるかもしれない」だったかもしれない。

そういえばこの「留保」は、自分のことであれば迷いや悩み、葛藤にもなるんだけど、他人への留保態度というのは敵味方の識別はじめ譲歩の模索とかでもあったりして、なんでもかんでも即断即決が良いとかきっちり決めるのが良いというわけではないとも思う。
「留保」できるのは時に余裕であり寛容。

ってか今ポスト読み返して「なぜか竜馬が女言葉を使いはじめたり隠さなくなったのが死んでから」なのもふと思い出して、一番最悪なパターンとして
「死んでしまった=弱者」であるので「自分の管理下で庇護しなければならない」=対等ではなくなっていた可能性があり、それはサタン(だから明くん?デビルマン?をつよつよにしてよみがえらせたんでは?)にも言える……

何回かここで呟いてるんだけど「弱者認定する」「可哀想扱いする」って、やる本人は大概の場合善意というか道徳的な正しさを元に悪気なんか一切無いんだけど、それって「ある種の階級やカテゴリの固定化」「上から目線の正当化」であることも多くて、差別の再生産だったりするのよね。

あととても気付きにくいんだけど、一回これにハマると、「○○は弱者╱可哀想なのだから」ってずっとそこにいなさいって固定化に荷担してしまう時もある。
規定してしまったがために脱出できなくなる。時として自ら被害者や弱者、またはその庇護者の位置をキープしてしまう。

それではいつまでも対等にはなれない。公平にはなれない。
そんなことは当然と言えばそうなのだけど、なにせ本人は悪意なく善意ですらあったり、それこそ当然だと思っているから気付けないし抜け出せない。
過保護系毒親の「いつまでも子供でいなさい」もこのパターンっていうか。

……「弱くて死んでしまうのだから自分の庇護下に入れなければならない」と前後して「その対象の愛(心)が欲しい」だった場合が一番なんかしんどいもんがあるというか。
愛を得ることが支配の口実になってるというか。
って書いて思い出したがガク退竜馬の動きはそれに近い読み方でき……
愛されたい≒ちやほやされたい≒本質として支配したい
になってしまっていて、これがあるからタチ悪いんよな、サタンと竜馬。

……そこそこ残酷な話だが、本物の門土は死ぬまで「竜馬の自分への恋愛感情を一切自分のために利用しなかった」、本当に竜馬の事を「対等な友人、戦友、相棒として」信頼していた可能性すらあって……こう……噛み合わねえよなぁ……
……いや、たまに利用してたか?どうだったか? まあ、あいつの性格上、マジで自分のためだけだったなら竜馬だってもっと雑に扱ってたとは思うんよな。

個人的には門土の方がマシ。あいつは自分に支配的欲求があることに自覚的なの開き直るタイプであってまだその辺潔かった。
サタンと竜馬、とても残念なことに、他人との関係性が上下しかなくて、全部自分の考えるそれに組み込んでっちゃうんだよな。
だから門土は派手にキレた(自分は対等に見てたのに相手は見下し道具扱いなんてそりゃ怒る)んだし、明くんも離れてったんじゃないのと思う。

【26年6月追記】ハレンチ学園からの人物対応について

ハレンチ学園:柳生みつ子、山岸八十八、アユちゃん
ガクエン退屈男:身堂竜馬、早乙女門土、錦織つばさ
キューティーハニー:如月ハニー、早見青児、秋夏子
ここまでは割りとすんなり繋がると思う。
ただデビルマンがあんま繋がらなくて、別口としてハニーがハブになってる?

ガクエン退屈男時点で
ハレンチ戦争までのみつ子→竜馬
後のみつ子→虎之助
で分離
したっぽくもある。

こうならVJ死神警察編でアユちゃん+ガク退コンビ(+女ジャック)になってたのもまあわかる。
エルドラドで起きたのは漫画デビルマン最後だしハレンチ戦争で、竜馬≒みつ子以外死亡、そこを起点に竜馬と虎之助が分裂(二人のみつ子)、竜馬(ハレンチ戦争前みつ子)の理想の門土≒八十八を再生みたいな?
しかし死神警察編で再びハレンチ戦争相当は起こりつばさ≒アユちゃんはやはり死亡。

*明確にハレンチ学園の人物のまま出てる魔王降臨編は後年書き下ろされたもの。色々整理ついた後にある種のリベンジかやり直しで描かれたんでは?


続き物で半端になってる部分とマジンガー系中心に更に10冊程度購入。25年8月頭くらい。

15~16巻 野獣王編〖以下25年8月追加〗

アイラムーの敵がキバラってこれはSKLの元ネタでは……?

永井先生はなんでこんなに実力差ある存在ばっかなんだろうなーとはこの辺から不思議になった。明確に弱かったり強すぎたりするから超存在の力で底上げしたりハンデ戦にしてて、互角対等な戦いが最後くらいにしかないんだよな。
石川先生って割りとノーマルヒューマンの枠内で、武器の力は借りてもそれ(ある種科学って人間の力だし集団の力)と物理肉体の酷使とネバーギブアップ精神で無理矢理互角対等に持ってく形が多い。本気で人間の力だけではどうにもならない局面が最後くらいにしかないって逆っぽい印象があったんだよな。

2~4巻 関東スラム街編

ドラゴン倒して逞馬が覇王の道をのところでほぼ確信したけど、これ虚無戦記と枠構造が似てる。
無秩序から始まって選ばれた人間による秩序統制。善なる独裁構造。ゲッターロボと逆。個人を尊重して上手く終われればゲッターロボと相補関係になるし、漫画デビルマンの救済。

最近創作クラスタとかに「奴隷制とか専制君主制を廃して民主主義を成立させるには、その素地として民が自己判断できる最低限度の知識や教育、それに公正かつ迅速な情報共有機能が必要」みたいな話が流れてたけど、それと同じでこの世界まだそこまでにはなってないんよね、この時点では。
大体WW2戦後の国際社会の世界観、特に日本を舞台とすると基本的人権と最低限の教育は「あって当然、無い方がおかしい」ので、これやるならこういう世界観じゃないと成立もしないんだよな。
基本的に「民には判断能力が無いので、知識と力ある強者が統制する方が良い」っていう形だもの。
逞馬は子供たちに慕われた、なんらかの理由(ジャックに頼らず本人の言動とか)で信頼を得た結果として集団の長になっているので、民の個人意志の集結としての選択、民主主義的な萌芽もあるし、個人による他者を踏んでの完全独裁はスラムキングの方がやってるから上手く着地するんじゃないかなぁ。

ってかこれマジで恐らく初期案のゲッターロボこういう構造にするつもりだったんでしょって感じがする。でも結果的にこの構造はマジンガーの方が近いのよね。

あと最初に石川作品なら虚無戦記相当じゃないのって言ったのはジャックの試練を与える行動が弥勒が終盤言ってたのとそっくりだから。

5巻 地獄の風編

グレートマジンガーからなんでこうなったのかがそもそもわからない。話としては天馬がはじめて出てくるのがここっぽい。
ダンテは御大層な名前の割に弱肉強食を盾にして暴虐働いておきながら実際は武器を取られるとビビるんでジャックがゴキブリ呼ばわりするのも仕方ない感じ。

しかし本当になんでこうなったんだ?? 鉄也さんは描くの苦手なんだろうなとは思うけど、思考の筋が読めない。もしかしてグレートだけじゃなくて他にもなんか混じってるんだろうか。

19巻 鉄の城編

お噂には予々な吃驚翻案。とはいえ言ってること自体はそんな驚くもんでも無い印象。よくここまで生身の空手って題材に落とし込んだなぁの方が個人的には強い。何で空手なのかはわからんが。

マジンガーはマジンガーでも漫画より東映の方が近いかな。「そこに意思がないはずの巨大ロボットのある種の擬人化(人格を見る。弟、戦友、家族とかもこっち)」ってのは基本的に東映版マジンガーZの話であって、これも甲児くん本人では無いし別人だし。ただ甲児くんは年齢こそ幼い(十三歳)けど中身割りとしっかり気味で漫画っぽい。折衷?
やっぱり永井先生的には最後にはZは無くなるべきなんだろうかなとか。

しかしこれでこの世界では兜家と鉄也さんとの繋がりが完全に断ち切れてるっぽいとわかったし、本当なんなんだろう。それに空手はどこから来たんだ?

あと気になるんだけど、剣造が独田に止めを指すとか、アフロディアとダイアナが生きていてジム(Z)は死ぬとか、ボロボスって呼び方とかなんか、なんかこれも反転かなんかが起きてない? 何か違和感ある。

40~45巻 ジャンヌ編~魔王編まで一気読み

残り一通り目を通しましたけど、永井先生か飛鳥了かどっちかどっちもかはこれでも納得できなかったんかねえ。
まあこれサタンとジャックの話としてはまあ良いけど、人間(逞馬)の話の結論としては過程飛んでるしなぁ。神がいなくなった後の世界で人々が何を選びどんな世界を築いたかがショートカットされて良き世界になりましたになってないか。
割りと序盤に逞馬がジャックには頼らないって姿勢を見せて自立するんだけど、終盤神が戻ってきちゃって世界構造とか種明かしされてからがなぁ。

そういえば逞馬に「天を読む」みたいな能力出てるのもこれ「運命を知る予知能力」「刻読み」で隼人血筋に行ってるだろ。どっちが先かはわからんが。
永井先生は両性キャラ好きっぽいけど、本人の好みにプラスしてそこに「超人」とか「神の子」とかの文脈含んでるんで「女性と見間違うほどの美少年」が主人公設定されたり主人公(悪魔)の近い位置に出現しやすいとかもあるのかなとか。

ジャックが本質的には善神で、逞馬達がジャックに選ばれた神の子、神の子達が民をまとめあげ荒野に秩序と平穏がもたらされましたの基本構造。わかりやすいのだと聖書。
聖書構造は現代的な人権思想、「万人に尊厳と権利があり自己責任をもって自己決定権がある」では噛み合わないので、それを通すつもりなら最終的には末端の民が自立し「自分達の総意としてそれを選ぶ」とか、「神や神の子は世界から消え、人々は自分達の意志としてそれを選ぶ」が必要になる。
お伽噺の「Happily ever after」は世界は変化しない(この話はここで終わり、先はない=少なくとも一度固定される)前提において有効って考え方とかがあってなとか足してくとまあ納得できなかったんかなあとは思う。

石川先生の話の終わり方って「Happily ever after」がまず存在しなくて、「撮影終わっただけでこの後も続きますよ」って話ばかりなんだよな。私はそれもまた好きなところなんだけど。それは物語の終わりをもって世界が閉じていないことだもの。物語は終わってほしいけど世界は終わんなくて良いよ。

とか考えてったら、永井先生にとっては途中からサタン(飛鳥了)は自分だったんじゃね?みたいな感触もあったりなかったりする。
作者は創造者であり観測者で、作っては終わらせ(壊し)また作る。
石川先生は作っては放置してまた作る感覚か、下手したら作ってる認識がなくて観測者でしかない。
両先生、色々全然違ってて
重要視してる箇所:永井先生→枠とか規範、石川先生→個人と自由
説明台詞(特に心境や善悪判断について):永井先生≫石川先生
男女の結び付き:永井先生→社会維持には繁殖も含むので明確にくっつく、石川先生→愛情を性欲と切り離すためにくっつかない
みたいな節もあるよなとか。

……永井先生は石川先生と違う方向性で、なんか話の抽象度と範囲が拡大増加しがちみたいな節も感じはしたかな。
なんつーか感触が聖書世界観、善悪二元論から抜け出せてなくて、その上なんでか善は弱者で悪は強者とか、人間はろくでもねえので正しい導き手が必要(上から指示する形)みたいな部分が強いのか、一回悪部分出すとそれがまあ拡大することみたいなのがギャグ漫画すらあった気がしてなぁ。
元々ガクエン退屈男はギャグ漫画として始まってたとかもそうで……そいや未監修派生ゲッターロボって「永井先生のギャグ漫画構造(一線はあるが自己中が好き勝手する)を宇宙規模のシリアスでやった(上に自己中から一線が消えてる)からマジでどうしようもなくなってる」みたいな感触もあったっけ。
それが永井作品内で振りきれてたのがズバ蛮だったようにも思う。あれ最後歴史おもくそ書き換えててだな。
(だからこれを元にした百鬼はモチーフ曖昧にした恐竜よりモロにナチ=過去の再現だし現在の書き換えが目的で、それが漫画で後年ああなったんかなとも思った)

当初予定にはありそうだった三國志やらなかった事について

バイオレンスジャック世界観って「あの関東の外は現代日本」だし、あそこに取り残された人たちも「基本的に義務教育とかは受けてて民主主義やれる前提はできてた上で隔離された(子供除く)」だったのは引っ掛かったかもな>三國志やりそうだったのになんでやらんかったか

往来手段が厳しい孤島状態で隔離されてしまったことで一般現代社会(民主主義と協調性)から断絶し、またそこに適応できない人間が選択的に残ったり入り込んで無法の荒野を作ってて、ここなら1から善なる独裁やってもいいと一見思える環境だったから門土もユートピア作ったるでとなったわけで。
素直に三國志やると結局その構造って武力でもって制圧「統治」したら変わんない。
人々が自己選択として主導者を逞馬╱天馬と選び団結しました(民主主義)→方向性が違うので決裂し武力でもって片方が片方を併合しました(結果的に侵略、片方にとっては強制支配)
を避けたかった?とは。
スラムキングとかズバ蛮なら完全対立する(寛容のコンプレックスの発生。一神教的、単一先鋭化の構造は他の同構造とも多様性構造とも衝突する)のでどっちかが生き残るしかないってなるけど、逞馬と天馬じゃそれ起こしてないし。

ひとまず半分以上読んでラスト把握しての「不動明」について

VJ半分以上は読んでわからんなーーーと思ったことは他にもあって、ジャックの正体はいいんだけど「不動明」の人格を永井先生はどう捉えてたのかわかんなかった。
なんか不動明じゃないよね、これ、誰?みたいな。頑張ってデビルマンならまあまだわかるかもみたいな。

私は人間として悩み生きようとする不動明が好きだったんであって、と思うと少しばかり寂しい。私は神であるデビルマンではなく人間としての不動明に会いたかった。
ミキちゃんがわんこだったのも違和感はあって、「ここには不動明の愛するものは最初からいなかった」というなら、人間としての不動明も最初からいなかったのじゃないかとうっすら思えてしまったっけな。

設定とかを素直に受けとると、あの世界ってのは飛鳥了ひいてはサタンのイメージの産物な訳だけど、その中に思い込まされていただけかもしれないとはいえ親友のために自分も一緒に地獄に落ちようという覚悟までしてくれた本当は戦うことが嫌いな不動明という人格は無かったってなっちゃって。
じゃあ、サタンは本当は何を愛していたんだろうってなっちゃうじゃん。自分が愛していることを知って泣いてくれる、同情してくれる、それだけでよかったの?って。
好意的に解釈して、彼には不動明は唯一無二だったから、彼の愛したミキちゃん共々、深い無意識で甦らせることを拒絶したとかかな。

などという話を弟にしたところ、最後の好意的解釈を話す前に「それ不動明の人格が出なかったことが逆に救いでは?」と言われ、やっぱ好意的に解釈するならそうだよねえなどと。
「いや、いくらでも悪意的な解釈はできるんだが、さすがにちょっと」「わかるぅ」

なんかこうやって考えたら余計「不動明」という人格があまりにも可哀想な気になってきちゃって、そういう視点から言ったらそこへの救済と取れたデビルマンGはやっぱ個人的には嫌いにはなれないかもなーとか。足りないとことか突っ込みどころとかは色々あったけど。
まあこれは正直「だって飛鳥了ひいてはサタンってあの考え方である以上なるべくしてああなってて、あいつが変わらん限り環境変えたところでどうしようもなくね」って私のドライさの裏返しでもあるとは思うんだが。あっちはどうしようもなさそうだしこっちだけでもどうにかなんね?っていう。

【26年2月追記】バイオレンスジャックという世界について

もしかして:「デビルマン・不動明が死んでしまった」現実・過去を否認、改変して、反対の結果「明が生きている世界」を望もうとしたから全部オリジナルから何らかの形でひっくり返った

なんかマジンガーは東映版反転っぽいし、ズバ蛮は完全に反転してるし、アイアンマッスルも凄ノ王もあらすじ見たのと噛み合わないしひっくり返ってるくさいし、ガクエン退屈男コンビもひっくり返ってるくさいし、となると、もうこれ全部オリジナルと中身は違うのではないか、という可能性がある。
そしてそれは何らかを軸に反転逆転入れ替わっている疑惑。

これにはもうひとつ疑惑を持つ理由がある。
ゲッターロボがデビルマンとガクエン退屈男の反転ではないか、とはずっと言っててこれを前提とすると
ゲッターロボの初期案がバイオレンスジャックになってないか
とか
ゲッターロボ號はバイオレンスジャックの換骨奪胎ではないか
とか。
要するにこれ永井作品でゲッターロボ(デビルマンとかの反転)やろうとしたんじゃないの? っていう。

……んで、「サタンからルシフェルにと、最大原因とも言える自分もまたひっくり返そうとしたが失敗した」、の、では……。


で、これまとめて読み返して以下を呟いて気づいたんだが、読んではいたがスラムキングについての話辺りをすっかり忘れてたなってことで9月頭追記。

【25年9月追記】「私」はこの話の終わりに何を望んでいたか

VJの感想まとめたの読み返して、初読は取り敢えずこれはこういうものとして飲む状態だったので、これ自分だったらどういう展開を望んでたかなぁと思っていた。
ハニーをはじめとする善性や良心と設定された存在は悪心に打ち勝つことはできませんでしたの部分と、スラムキングはやっぱ人の手できちんと終わらせておくべきだったのでは、かな。
そこに生きる存在を置いて神同士の戦いで決着着いてしまったように思えたのがうーーーーんってなったから。

しかしなんかこのVJの感じ、なんか思い出すんだよなぁ……なんだろう……小説INF? うーん、なんかもやもやする……。
デビルマンに戻っちゃったからあの最後だったんかなぁとかは思うし、そこはまあって思うんだけどそうじゃないんだよな。

スラムキングちょっと可哀想で、私にはあいつ自分を見てくれ、存在を認めてくれって泣いてる子供みたいなところがあるように思えて、お前がそうであり続ける限り倒さなければならないけど、それならせめて人の手でお前も人だったよって認めて死なせてやってほしかったかなって。
お前は間違いなく悪だったけど、それがお前で、確かにこの世界に生きていたよ。だからこの世界に生きる人の手で倒されたよ。お前がそういう存在であるから許すことができないっていう形での「存在の肯定」、確かにその瞬間お前は「ここにいた」んだよって。

自己愛も愛であるように、悪心も心ではあろうし。
醜くてもやっぱそれはあるもので、消せやしないし、そんなものは無いはずだと思い込みすぎるとそれを正当化して結局歪んでしまう。
あるものはある。消えないものは消えない。

お前は神ではない、悪魔でもない。
人の力で、人の心で、人々を蹂躙し支配し奪った。私はそれを許さない、お前のようなものを打倒し、人々と共に法を作り上げ、お前のような存在が出ない世界を作る! 今ここで私とその命を同等にかけて戦え!
って逞馬にやってほしかった。

悪心を全否定して消えたらもう二度と出てこないんじゃなくて、それは誰もの心にあって、ただそこに力とか環境が付随しなかったから肥大化しなかっただけかもしれないじゃない。小さな悪心はどこにでも誰にでも転がっていて、完璧な善人なんて存在しない。
それを皆で決めた皆の権利を守るための法律ってものと、それを適正に運用するための裁判所と、警察とかの治安維持機構とか色々で抑制?是正?するっていうのが私の考え方だから。
世界を作るのは神かもしれないけど、私たちが生きる社会を作るのは私たちであるはずでしょ。私たちがどんな社会を選ぶのかの話に神様はお呼びじゃないよ。

人の手出しする場所がない神の戦いには神ぶつけても良いんだけど、人の領域に神が直接手出すの、神が与えた絶対法が直接力をもって独善で人々を裁く形になるから私は否定的。そこに生きる人の意思に力を貸すくらいにとどめてくれた方が好み。

7巻 ドラゴンの砦編〖以下25年9月追加〗

スラムキングが武力による専制君主国家だかを作りたいの明言とか凄ノ王一族の説明とかここにあったのね。
ジャックは明確な悪人には断罪するけど、狭間にある人間にはこの話の最後みたいに選択肢の提示なのかな。(半分脅迫入ってねとは思うが)
しかしスラムキングの他人の信用しなさっていうか、なんだろうな、これ。恐れないもの、逆らうものが嫌いって子供染みてすらいる。

20巻 黒の森編

スラムキング・銅磨高虎の過去編。
……母の腹を裂いて生まれるところとか色々がとても石川版魔界転生に被る……83年からのゴラク連載で最初の方のエピソードっぽいからVJの方が先か。

秋葉先生は何を考えてたんかなと思う。少なくとも途中までは本気で人の世で高虎が暮らせるようにって思ってやってたように感じて。そこは嘘じゃなかったでしょって。
復讐のために高虎を利用しようとしたのだろう、それはわかるんだけど、最後に何を望んでたんだろうこの人って。
この少なからず愛していたし愛されたかった人に裏切られ、自ら殺してしまったことが「スラムキング」という人間の奥底にあるものなのだよなと思うと、誰よりも強く超人でなくてはならないと思うのは秋葉先生の言葉からだったのかもしれないとか。

しかし最後読んでからこれ読み直して思うけど、なんでクイーンで繰り返したのだろう、しかももっと残酷な形で。悪心の化身にするため?
愛情を受け取り変わりかけた過去があるからなんか本当にこれしかなかったんだろうかって可哀想になるんだよな。結果ああなってしまった以上は倒されるしかないのはそうなんだけど。竜馬くらい最初から最後まで何一つ受け取ることができないのだったらもうそれはそういう生き物なんだろうしょうがないって割りきれるんだが。
そういえばガクエン退屈男組の門土と虎之助も転換ポイントはあったのに結局変わることができなかったんだよなぁ。うーん、なんでなんだろ。

ここまで25年9月まで。
ここから26年5月追加分。

10~11巻 関東地獄街編〖以下26年5月追加〗

うへー、個人的永井作品の苦手だったり納得しづらいとこ詰めみたいな……。
ジャックが一神教的な裁定者かつ直接的断罪者として描かれるのは好みじゃないんだよなぁ……弱者こそ善性あり美しい存在みたいなのもうーんんんん……「大人しく地獄で生きるならよし帰れ」ってやってるのは納得できるんだけど。
切羽詰まった状況の人間は余裕無くして酷いことだって起きるわよ、それを許すかって別だけどとは思うんだけど、ヒスるのがかなり早い上に閉じ籠る普通の人が全然出てこないんだよな……隠キャがいないというか……。
メンタル隠キャが全然出てこないせいか、私は永井作品ずっと俯瞰して読んでいる……何故良くも悪くもそんなに他人に干渉しようとするのかわからない……自分にとっての線引きがあってそこ踏まれたらキレるとか、回り回って自分も損する社会秩序の破壊とかは勘弁しろってなるのはわかるんだが……。
「なんだろう……基本的にメンタル隠キャの私は永井先生の世界には存在してないみたいな……目に入ってないみたいな……」と弟に話したら笑われた。
話に要らんから描かない→極端になるのはあるんじゃないの? 時代背景とか。
などとも言われたがふむむ……。

そういえばちょっと引っ掛かったのが、三つ巴構図だなーとかはまあいいんだけど、一番ヤベー巨大モヒカンがマッドザウルスでその愛人みたいなのがふたなりの「ブルーキッド」って名前で、ブルーがジャックに殺されてその遺体を仇をとってやると泣きながら食べるっていう。一緒になって地獄にいこう。
これいつ初出だろう? 魔獣と変に被るんだよな。

もしかしてこれ初出連載順の初期状態にして最初から読んだら、黄金都市辺りで一回デビルマンの筋終わってる(ので仕切り直した)とかそういう可能性ありそうな気もしてきた……。

しかしなんつーか、永井先生VJだけでも性的な好みが拗れそうな話がちょいちょいあるんだけどこの辺一般男子はどんな気持ちで読んでいたのだろうとか、関係ないっちゃ関係ないこと考えてしまった。

永井作品は悪役が感情拗らせて変にウェットでは?

不思議なんだけど永井先生は悪役の方が感情の拗れ方が変にウェットで面白いところがあるんだよな。
明確になにか人間の根幹に重要なもの(広義の愛であることが多いのも不思議)がストンと抜け落ちて、それを埋めるかのように変な拗らせ方をするのが多く感じる。
彼らの見ている世界は自分しかいなくて、本質的な意味で「孤独」で欠け落ちた半身を探している。
マッドザウルスも身堂竜馬もスラムキングもサタンもそうだった。
誰かがくれる愛を求めてやまないそれは赤子のようだけど、実はその原因は自分の在り方にこそある。自分で自分をきちんと愛せてない。

うーん……承認欲求を愛情の欠落と勘違いしてんのかな……なんかそういう感じの「いや、お前はそれ愛と思ってるかもしれんけど、本当にお前が欲してるところはそれじゃないから拗れてるんじゃね?」みたいななんかうーん……。
あとそのすり替えが肉体的な性行為でも起きてて、セッを肉体的受容行為に変換して愛を得てると思うみたいな、だからそうじゃねえってばって変な噛み合ってなさをよく感じるんだよな、永井先生のあの手の悪役キャラ。マッドザウルスはそれでも折り合いついてたっぽくマシな方だったが。

石川先生はそういう欠落が感じられないせいか、拗らせてすらいっそ健全なんだよな。
……あ、そっか、自認愛情で変に拗らせる悪役極端に少ないんか。押し付けてくる腹立つ奴レベルならいるけど。愛というと大体主人公側の健全ながらの激重感情であって。

11~12巻 疾風ドラゴン編

冒頭竜馬が自分の善人さ維持したいせいだろう、シレッと過去改竄したがってるのコミカル調に描かれてるけど後の展開知ってるとうわぁ……。
ジュンさんはこの話で関東を離れたのかな。身体の再生、というよりは過去の再構築、無垢の取戻しみたいな感触。

12~13巻 関東鬼相撲編

海堂猛志登場回。
「いかに関東が地獄であろうとも…… 地獄の鬼まではいらぬ!!」とかのジャック見てて、やっぱ牙とかの悪記号持つが裁定者であり断罪者の性質があるんだよなぁと思いつつ、そういえば不動明王などとも思い……。
ジャックに被るのは魔獣戦線の慎一さんとかもそうなんだよなぁ。とか考えるとチェンゲ4話以降ってやっぱVJやろうとしてああなったんじゃないかとは思うが……まあ置いといて。

永井先生やっぱわかりやすさ優先してなのか自分の考えが先行するのか、人物の言葉選びが特に悪党でちょいちょい不自然。
「ここにゃ警察も法もない、誰も守ってなんかくれねえぜ!」とかじゃなくて、いきなり「法治国家じゃねえんだ」とか言い出すの少々教科書的で楽しくなってしまう。モヒカンもきちんと義務教育忘れてないんだ!? みたいな驚き。
言っては悪いのかもだけど、多分こういうとこがずっとどこかわざとらしくて「芝居」っぽいというか、舞台っぽいんかな?
確かに中身事態は人間心理や構造に迫ってみたり流石だなと思うところはあるんだけど、どうも……。

全体通して言ってることは道徳の教科書かなんかかくらいまっとうではある。
ってかこの話、悪党が弱肉強食うたって好き勝手してられるのは無法の荒野くらいしかないってのに最初からひどく自覚的なんだよな。悪党がみんなそれわかってるから賢しいし悪辣。別にそうしない手段があることも知っていてわざと選んでいない感じがあるから手に負えない。
こういう状況においては圧倒的な力で一度捩じ伏せて平定する過程が必要っていうのも、ジャックにその断罪者と先導者の役割を持たせ、善意ある人々に強くあれ自立しろって道筋作りたかったんかなこれもわかるんだけど、バランス?描き方?なんだろ……なかなか難しいねえ……。

30~32巻 ハニー編

大体丸二冊くらいかな?
ああ、なるほど、最後関東と「NY」って出てたの、ハニーがそこ出身のせいか。

しかしまあ飛鳥了くんさぁ……どうもこれ自分が明と同じ事すれば(入れ換えれば)理解できる(愛せる)んじゃとか思ってこれやってない?みたいな……。
女性のあれな人のエッセイで一緒に雨に濡れてほしい=不幸を共有してほしいってのが一時取りざたされてたポスト思い出すんだよな……違うんよ、介護とかケアとか保護職に必要なのは一緒に不幸になることじゃないんよ、それは共倒れするんよ……っていうのの逆版っていうか……。
気持ちは理解せんではないんだが、同じ境遇になったとてそれで理解できるかといえば別の話だし、必要なのは本質的にはそういうことじゃなくてな……
ってか、ぼくはずっと不思議なんだけれどもさ、なんで直接聞かないの君たち…………。

32~33巻 天馬編

天馬三郎登場回……出てくるの案外遅いな? 蛮子も出てくる。女装美人男子(中身はめっさ男)。
逞馬絡むと時間軸は実はかなりバラバラというか、なんか飛んでないか?みたいな感じを受けがちなんだよな。地震は何年前なんだ……。
三郎私好みなんだけどなー……折角鳴り物入りで出たんだしもう少し見せて欲しかったような……彼の話はいいんだが蛮子どうなったんだこれとか……。

天馬は三郎だけどやっぱ1とか2混じってね?な印象が……なんだ……どうなってんだ……? そこはかとなく絵に石川先生っぽい感触と魔獣戦線っぽさも感じるんだよな、なんだ……??
あとゲリラ戦法で翻弄してるとかめっちゃ頭いいんだけど、なんか思い出すなってダイノのトモエでは?

33~35巻 ズバ蛮編

なんで慰めにしていたのに燃えてしまった(持ち出せなかった)フランス人形みたいなお前を同じように燃やしてやろうになるのかがなにもわからない。お人形にしてやろうまではわかるけどどうして? 燃やす?? なんで????
ふーむ、この最後で天馬の国もできて、三国での戦いと。

ジャックの姿は見るものによって変わる。キングは恐怖を知っている。恐怖を知らぬ者が人を恐怖で支配しようなどとは思うまい。
これ、周囲からの茶々でキングは負けなかったけど、膝をついてた辺り心バキ折られてないか。
だってあいつを殺さなければ、恐怖は消えない。
結局それは鏡でしかない。
黒の森もそうだったけれど、結局自分の中にあるものを見せられ、弱さを突き付けられている。けれどキングはそれを認めることはできない。否定し、拒絶するより他無い。
人形を燃やしてやるもそうだけど、どうしてこいつこんなに悪夢の再生産をしてしまうんだろう。
自覚あるんだか無いんだかわからんけど、マイナスループしてんだよな。ズバ蛮はジャンヌを逃がしたところでそれを一部切ったのだけど、キングも竜馬も飛鳥了も多分根本的な解決はされてないから負の再生産しちゃってるみたいなそんな感じがあってううううにゃあああああってなる。

36~37巻 骨法編

スラムクイーン火美子の過去編。
骨法の説明に民明書房か?と思い軽くググるも確かにそう主張する人物とかは存在している?ぽい?どこまで通説なのかとかはわからん。
生きている鎧、邪悪な心を持つロボットってキングが言われてるの気になる。

ジャックが見える者は良くも悪くも世界を動かす。人だが「人」という概念からは大きくはみ出している。
「しかし……それでも人だよ」「私に牙があるとすればそれはおまえの心に牙があるからだ!おまえが心の底で戦いを望んでいるからだ 関東で私を見る者の多くがそうであるように…!」

んー、ジャックは何をもって「人」と言うのだろ。あとやっぱ鏡だ、これ。
?? 地下の地割れから出てくるところ、マジンガーZだしSKLじゃん?
未来は不確定。過去は変えられない堅い岩、未来は粘土。
力は力を呼ぶ。うーん……そもそも力で全部牛耳りたい奴がいるとそれは避けられんのよね。
戦いたい、という欲求を持つものがいるのは認めるし、それ自体が目的である人間というのも存在するだろうなってそれは思うんだけど、大人ならその判断能力で対象と場所選べばよくね?
なんかどうにも弱者を踏みにじりたいとか別の欲求な気がしてならんのだよなぁ……。

地獄の女王になってでも生きると言った火美子をそれまでキングの力を倍増させることになると殺そうとしてたジャックが見逃すの、わからんではないけど……うーん……。
SKLは夢彦みたいなことやってたんな?

「力は力を呼ぶ」辺りへのもにょ感他

なんてーか左派自称平和主義者が武器兵器を忌み嫌い、全て無くなってしまえばって非武装平和論が何一つ現実的じゃなかったみたいに、そもそも武器がなかったって争いは起きるし、争いを完全に消そうと思ったらあらゆる生命殺しきらないとそんな世界は来るはず無いじゃないっていうか……。
国家間武力戦争は起きないがある程度の経済戦争とか交渉をはじめとした生命がかからない争い・対立は容認するみたいなところに落とさないと、身内でも敵作って殺し続けるみたいな、争いをなくすために全てを殺し尽くすみたいなムーブになってくの不毛なのよね。

全てを支配してしまいたい、自分の思うようにしてしまいたいという欲求も、言ってしまえば楯突くものの排除って根本的な「対立の消滅」を願うに近いと思うんだよな。
だから極端になると思考筋が同じであるのが露呈して同じような行動になるっていう。

争いたくないの極論は全生命消し尽くせばいい
死にたくないの極論は死んでしまえばいい
だと思うんだけど、大概その答えってのは短絡的に導き出されてるもんで、それで問題なんて解決しないんだよな。

そもそもの欲求、本当の問題を把握していないとそうなりがちな印象がある。
幾ら他人を好きなようにしたってお前の空虚は埋まることなんか無いよ。だってお前の空虚はお前の形をしているのだもの。他人で満たそうとしたって上手くいかないに決まってるじゃん。

……! 愛しているからお前を殺して云々みたいなの、なに言ってんだこいつ、それは単に愛と勘違いしてる独占欲と支配欲じゃね? としか思えてなかったのだがそういう!?!?
あ、そうか、もしかしてそうなのか?
案外みんな物事分解するの苦手で、他人と自分がっちゃんこしたがるし、感情や欲求を全部ごったにすんのか? いやある程度までは理解するが自分と他人は分けろや。
永井作品筋の多くになんだこの根本的に微妙にずれて理解しづらい感触ってなってたのそこか!?

37~38巻 九龍編

「あらゆる無法をやりつくし…おのれの”死”をもて遊ぶ以外に生きる喜びを感じることができなくなった者ども」
……もて遊ぶのは自分の命だけにしとけや、迷惑な……それにしたって場所選べばいいだろ……それで他人蹂躙しようっての全然納得いかんのだよな……。

ジャックは神ならまだいい、あれは魔神。ジャックは一人のようで一人ではない。
ズバ蛮曰く、戦いの原則は敵をのみこむ気魄。
ジンメン、サイコジェニー、シレーヌ、超能力者はこれデビルマン側にいた人がモチーフって全混ぜ? ジャックに幻覚見せて町中を敵に回させるってのもデビルマンの逆転かな。
腕が戻るってどう見てもこれジャックがマジンガー……の割には一人ではないんだよなぁ……。
? ウイスキー一本一気飲みするってこの前バキのポストでも見たな。
ジャック女が天馬についた「あなたは私を必要としている」なら離れたくない、ジャックが死ぬことがあろうと。
……誰なんだこれ?

うーん。
ジャックは本人曰く人である(人の概念からは大きくはみ出しているが)
総合するにマジンガーZだし不動明っぽい
一人だが一人ではない
見るものの鏡の側面がある
裁定者、断罪者である神の側面と、自然現象のメタファーとしての神っぽさもある

ここまで26年5月追加分。残り9冊!!
以下26年6月追加分。
バイオレンスジャック全部買ったー!!!!やっと!違うの!移れる!

21~22巻 魔王降臨編〖以下26年6月追加〗

?? ハレンチ学園+魔王ダンテ?
なんか天馬の話にもあったみたいなこれ永井先生じゃない人がモブとか色々描いてるでしょ?みたいな雰囲気が結構頻繁に出てくるのも気になる。石川先生でもなさそう。
いや、魔王の残留思念は明らかこれどっかに石川先生入ってんな?
ヒゲゴジラ(名前が団鉄になってるのはガクエン退屈男)がダンテ・悪の化身の魔王、八十八が同じ力を得ても十兵衛を愛する心は忘れなかったでデビルマン。
八十八と十兵衛とあゆちゃんだけ生存。
画業25周年記念書き下ろし単行本初出?
ハレンチ学園5、6巻読んだけど、やっぱこれも反転してそう。

22~24巻 学園番外地編

凄ノ王が消えてキングが強くなり、ジャック×3を狙う。
この時点だとキングを倒すのはジャックではなく
逞馬竜でないといけないって言ってるのにどうしてああなったんですかーー。
女ジャック襲われたのそのまま男さば折り……まあわかるっちゃわかるが……。
男がナイフ、女が鞭、子供が弓。
白熱する黄金光(やっぱ太陽じゃね?)、鳥か竜。
量ではなく質、特に精神力の戦い。
遠い昔にもお前はそのように言ったことがあった……

……なんだっけなー、MIROKUの最後とかっぽい感じすんだよなーー……なんだこれ。

24~27巻 奴隷農場編

どうでもいいけど悪党はどいつもこいつも暴力とセックスしか頭にないのか。もう少し他人介さなくていい娯楽増やそうとかいう発想はないのか……。
本当になんか良くも悪くも他人の存在が大きすぎて理解しづらいんだよな……どうして自己完結を望まないんだろう。
中身はあばしり一家の翻案で逞馬軍の成立とかでかいポイントであるクラーケン農場とか。
明確に人物のどっか違うと名前もどっか違う?

やっぱ思いを寄せあってる人同士のせっせでは太陽ぽいモチーフ出てくるの気になる。
クラーケンの正体が最後までわからなかったのは慈悲っちゃ慈悲なんかなぁ。

28~29巻 アイアンカイザー編

母親の脳を使われた殺人兵器が子を追う。
しかし人気あるのを連続して突っ込んできますわね。
ここではスラムキングが全世界の経済を影でコントロールしてるとか言われてたんですか。
なんというか色々わからんなマジでこの世界は。永井先生は割りとその場で描いてない?

29~30巻 陽炎編

ブンタ反抗期。自分より弱い生き物を守ろうと思うからこそ戦ってこれた、子供は宝だと思っている。けれど育てるためには厳しくしなければならない時もあってそこですれ違って悩んでる逞馬がちょっと珍しく個人が見えてる感じする。
話はブンタと陽炎で対比かな?



【読み終わってのつらつら】

やっと……読破……正直大変だった……雑魚の悪行が結局暴力とセックス!でパターン化してて、巨悪も要するに他人を自分の思う通りにしたいみたいな自己の拡大欲求、支配欲とかそれを根にしたものっぽいのが本当になんか(なんで……?)っていう気持ちが拭えなかった……。

あとやっぱなんかどうにも「人間はこう生きるべき」みたいな枠とか規範が見えちゃってて個人で収まってくんないので、私みたいな人間には「言ってることはわかるし同意せんでもないが、こうあるべきみたいなの好きくない」とか鼻についてしまう。

自分が思う悪い規範は壊滅させようとするが、同時に自分が思う良い規範にみんな従わせようとするみたいな、ああこれ危ういなって。
無限オセロのひっくり返しから逃れられていない感じがする。
あと思想とか思考が先に来すぎてるのか、妙に四角四面。ワルぶってる優等生のイメージ。

民主主義+法治主義の考え方って個人の集合体として折り合いつけるために協議して法を設定し、常に修正を検討し続けるっていう、科学に似た下から上がってくる形式だと思うんだけど、永井先生は神や神に選ばれた誰かがそれを持ってくるみたいな上から下がるもので考えちゃってない?

この世界には絶対普遍の悪もなければ善もないから、私達は個人の裁量を持ち寄り一番軋轢が少なくなるように調整し続けなければならない。
一定の価値観持つ集団を保持するためにはそれを壊そうとするものは追い出さなければ維持できない(殺す必要まではない)。
世界を浄化しようとするべきではない。

私はそういう風に考えてるから、ちょいちょい足突っ掛けられるというか、(あん?)ってなりがちっていうか。


最後の方読み返してきてやっぱキングに引導渡すべきはそれを倒そうとする心であるとされた逞馬であるべきだったのではと思うんだけど、よくよく考えるとそもそもあれです。
どうして二項対立で打倒殲滅しなければ構図なんですか、これ。
もしかしてここで引っ掛かりませんでした?

なんだったら良心=「悪を倒す心」って結構自覚無くなってしまってない? それは違うくない?
まずは他人と生きていきたい(関係するもしないもどうでもいいが見知らんやつも笑って生きてる方がいいじゃんくらいの)っていう意思があって、だからそれを破壊するものは許せんの順番でなくて?

悪人を倒せば善人だけの世界には「ならない」んですわよ。
行為ではなく思想とか拡大した決め付けで悪と規定したもの片っ端から消してった結果がデビルマンだったじゃない。
未熟だから悪いことをしてしまう、大人ならしないって話だけでも、環境が悪いって話だけでもないんよ。やる奴はやるのよ。

善性あるものは弱いものは貪られるからずっと弱者みたいなのも、だから人の枠外を越えた力を神から与えられないとひっくり返せないに繋がってるっぽくて、にゃあああああああってなる。

*直ぐに構造とかに還元して考えたがる(善悪が構造由来になっててカテゴリ分けで固定され、二項対立の善悪二元論になる→折り合いつけるとか修正し続けるみたいな所すっぽ抜けがち)とか、「あるべき理想」「正解」を前提にしてしまうから自分の思うそれでない=不正解→全部壊してしまえみたいな、どうにも共産主義由来の革命思想構造抜け切れない左派に見られがちな癖っぽい感触するのも気になってる。
(似た思考筋になる極右全体主義にしては国とか伝統とか慣習への反発精神強すぎる)
下から上、内から外、個人から全体、現実から理想
ではなく
上から下、外から内、全体から個人、理想から現実
みたいな感触とでも言うかな。石川先生と正反対な感じ。

最後にものをいうのは精神力ってしたなら良心側にどっかしらには持たせてよかったじゃん! なんで!?
ゲーム盤からひっくり返したくてうずうずする……誰が弱いつったぁあああああ!?!?って何度べこべこにされても死んでも食いついててめえを絶対地獄に落としてやるくらいのピュアノーマルヒューマンをくれ……石川作品を読め?はいそうっすね……


作中言われてることだと
ほぼ本人。後悔から自分で自分を苦しめている:人犬
悪心の分身たるキングを倒したい:逞馬達三人
悪心と良心の狭間:クイーンやガク退コンビ
キングから更に分裂した悪心:ズバ蛮
良心の分身で最後の賭け:7人ハニー
不明。サタン同等の力持つ異分子:ジャック
なんだけど

どうも最終的に
自分基準ダメな世界を滅ぼしてリセットしようとする:サタン
VS
世界を維持しようとする:ジャック=デビルマン
ってなったんじゃないかなとは思った。
結果的に100年後っぽい逞馬の回想で終わるから世界は残ってるんだけど、じゃああの二人はどうなったん?はわからんままだな……。

あとあの世界NYと関東しかないみたいですけどその辺どうなったんすか?とか、結構色々なにもかも投げっぱなしにしてなんとなし終わらせました!な空気感になっているのもまあ拭えない。
残った世界で関東を出ても大陸、世界は存在し、人々は新天地を作り直していくみたいにしても良かったんでは?

関東とNYしかないのに現代以上の文明築いて維持できてるの何でやねん(輸出入全滅してないとおかしい)とか、きちんと考えると色々納得がいかなくなってくるのでこれはこういうものなんだろうと思うしかない。
やっぱ永井先生の方がその場の勢いで描いてないか……?

なんというか、確かに魅力もあるんだけど粗が多くて「なんでやねん!」と「こうしてほしかった!」が出現しやすく、一次創作する時の換骨奪胎ベースとして優秀では、という気持ちはまあある。
すごく粗削りのまま出された問題提起の塊みたいな?
そういう意味では漫画版デビルマンによく似ている。


しかしまあVJ全部読んで思うに未監修派生ゲッター、特にOVA新ゲ辺りは露悪解釈永井作品でしかないなー。
石川作品だったらそうはせんやろが多すぎるし、論理も着地点もおかしすぎて……。

(読了時期に広告回ってきたチェンゲ版真2くんの立体見てると隼人のイメージだろうに身体バランスや腰回りが女性的だなから)
多分チェンゲ4話以降も、えらいど半端なVJだったんではと思うが、ジャック=Gチームと考えた時に大男と少年と「女性」がいるんだよな……そこはかとなく隼人顔の……何故か天馬(どうも1気質が強い)についた……
魔獣で考えても真理阿位置は誰?って消去法しても隼人が上がるんだよな……竜馬=慎一、博士=源三、ミチル=慎一母まではほぼ確だったし……

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