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白衣の前で、人は話すシリーズ -理学療法士PT編


1話 『からだを診る』


言葉で触れる

理学療法士の卵たちは、私の「歩き方」や「座り方」を、獲物を狙う鷹のような目で見つめている。
今日の私は、市川(65歳)。ぎっくり腰から2か月。役員としてデスクワークをこなしながら、心の中では「あのティーグラウンドにもう一度立ちたい」と願っている。

治療用ベットに座り待っている。
そこへ学生(斎藤くん)――がっしりとした体格の、スポーツ経験者らしき男子学生がやってきた。

シートの向こう側にある「骨格」
「市川様、お時間をいただきありがとうございます。理学療法を始める前に、いくつかお体の状態を詳しく伺わせてください」

彼は丁寧だが、その視線は私の顔だけでなく、常に私の「腰の角度」や「脚の組み方」を追っているのが分かった。
SPをやっていると、PTの卵がどこを見ているか、肌で感じるようになる。

「市川様、デスクワーク中に痛みが出る際、椅子に深く腰掛けていらっしゃいますか? それとも浅めですか?」 「私の椅子は深くてね。どっしり構えてることが多いいなぁ。だが、その姿勢で1時間も会議をしていると、腰が固まって立ち上がれなくなるんだ」

彼は患者シートに記入しながら、ふと手を止めた。 「……ゴルフのスイングの時、右足に体重を乗せた瞬間に痛みましたか? それとも振り抜いた後ですか?」

その問いに、私の「市川」としての記憶が鮮明に蘇る。
「……打った後だ。フォロースルーで腰を捻った瞬間だよ。あの時の衝撃は忘れられん」 電気が走った…ようだった

斎藤は深く頷いた。彼はただのアンケートを取っているのではない。
私の話から、私の脊柱(せぼね)や筋肉がどう動いたか、その「力学(メカニズム)」を組み立てているのだろうか。

学生の「誠実な限界」
「斎藤くん、理学療法士を目指しているなら、何か腰に負担のかからない『魔法の痛み軽減の座り方』くらい知っているだろう? 今度の会議、いや今日の会議で試したいんだ。ここで少し指導してくれないか」

私はあえて、無理な要求を投げてみる。
斎藤は一瞬、自分の手を見つめた。その手は、本当なら今すぐ私の腰に触れ、硬くなった筋肉を確かめたいと欲しているようだった。

「……市川様、今の私には、まだ『魔法』をかけることはできません。私は学生で、医師の指示に基づいた具体的な治療や動作指導を単独で行うことは許されていないんです。申し訳ありません」

彼はきっぱりと言った。
だが、その後に続けた言葉が、理学療法士の卵としてのプライドを感じさせた。

「ですが、市川様が『フォロースルーで痛めた』という事実は、腰そのものだけでなく、股関節の硬さが原因かもしれません。
その推測を担当の先生にしっかり申し送ります。
今日のインタビューは、市川様が最短距離でゴルフに戻るための『設計図』にします。
ですから、あとの数分、もう少し詳しく教えていただけますか」

できないことを認める勇気。
そして、自分の役割を「未来の治療への架け橋」と定義する強さ。
私は、その論理的な回答に、思わず「……いいだろう。続けてくれ」と微笑んでいた。


フィードバック

― 「動く身体」への敬意

演習後のフィードバック。

教員から「市川さんと話してみて、どうでしたか」

「市川様の『ゴルフに戻りたい』という強い動機が伝わってきました。でも、学生である自分には具体的なストレッチ一つ教えられないもどかしさがありました。せめて、痛みの原因を医学的に推測することで、市川様に『このリハビリには意味がある』と希望を持ってもらいたかったんです」

「市川として言わせてもらうね。……斎藤君は私の『腰』だけじゃなく、私の『スイング』を見てくれようとした。
治療してくれるっていうのは、ただ痛みを消すだけじゃない。その人がもう一度、自分の足で立ち、自分の趣味を楽しめるように、身体の理屈を解き明かしてくれると任せているんだよ。と君を見ていて感じたよ」

私は、彼の大きな手を見つめて続けた。

「『今はできない』と正直に言った時の君の悔しそうな顔。それを忘れないでほしい。その悔しさが、目の前の患者さんへ答えることのできる本物の理学療法士にする原動力になると思います。
次は、その『魔法』を教えに来てくれよ」

学生の顔に、今日一番の明るい笑顔が浮かんだ。


エピローグ

「お疲れ。今度の学生さん、なかなかの『熱血』だったね」 控え室で、加藤さんが笑いながらコーヒーカップを差し出す。

「ああ。理学療法士っていうのは、身体のエンジニアみたいなもんだからね。あの子は、私の腰の構造を一生懸命に読み解こうとしていたよ」

私は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、自分の腰の調子を確かめる。
何度も演じてきた「この患者」という役割。けれど、そのたびに学生たちがくれる「情熱」が、私の心にある錆(さび)を落としてくれる。

「理学(身体の理屈)を知り、理学(物理的な力)で人を救う。……いい仕事だよね、本当に」

秋の夕暮れ、実習棟を後にする。 心地よい冷たい空気の中で、私の背筋は、さっきの学生の言葉に励まされたかのように、いつもより少しだけ、真っ直ぐに伸びていた。


第2話 『設計図の第一行 』


理学療法士の卵

実習室の待合スペース。私は会社役員の市川(65歳)として、威厳を保ちながら椅子に腰掛けていた。2か月前のぎっくり腰以来、立ち上がるたびに腰が「ミシリ」と鳴るような違和感がある。ゴルフの再開は遠い夢のように思えた。

そこへ、一人の女子学生(吉田さん)がやってきた。彼女は私の前に立つと、挨拶の前にまず、私の「足元の位置」と「膝の角度」をじっと見つめた。理学療法を学ぶ者特有の、身体のバランスを読み取ろうとする視線だ。

インタビューシートに刻む「力学」
「市川様、本日はよろしくお願いいたします。リハビリの前に、まずはインタビューシートに協力をお願いできますでしょうか。今の市川様の『動き』について詳しく伺いたいんです」

彼女はバインダーを丁寧に構え、質問を始めた。 「救急車で運ばれた時は、どちら側に腰を捻られましたか?」 「今は、椅子から立ち上がる瞬間と、座り続けている時、どちらがより辛いですか?」

私は少し面倒そうに、だがわかるように答える。
「座り続けている時だね。会議は長くてね。同じ姿勢で1時間もいると、腰が固まって、次に動く時に激痛が走る。仕事に支障が出て困っているんだよ」

彼女は私の言葉をメモしながら、ふと私の椅子に目をやった。 「座り続けている時の『固まる感じ』ですね。
……市川様、その時、お体はどちらかに傾いていませんか? あるいは、背もたれに強く寄りかかっていらっしゃいますか?」

彼女の質問は、単なる症状の確認ではなく、私の身体が椅子という物理的な環境の中でどう「負荷」を受けているかを探り始めていた。

学生の「誠実な境界線」
「吉田さん、理学療法士になるんだろう? なら、この場で私の腰を少し揉んでくれないか。
あるいは、会議中に腰が楽になる『魔法のストレッチ』でも教えてくれ。時間は取らせないから」

私はあえて、彼女に「治療」を求めてみた。 彼女は一瞬、私の腰に手を伸ばしかけたが、すぐにその手を膝の上に戻した。

「……申し訳ありません、市川様。私はまだ学生ですので、医師の指示なしに直接お体に触れて治療を行ったり、自己判断で運動指導をしたりすることはできないんです」

彼女の声は、申し訳なさそうではあったが、医療専門職を目指す者としての強い自律心を含んでいた。

「ですが、今日市川様が教えてくださった『座り続けて固まる』という状態は、理学療法士にとって非常に重要な情報です。
どうすれば長時間の会議を乗り切れるか、今の生活環境で何が負担になっているのか。このシートをもとに、担当の先生と相談して一番良い方法を探しますね。
それが、市川様のゴルフ復帰への一番の近道になりますから」

彼女は「できない」と断るだけでなく、自分が今行っている「聞き取り」が、将来の治療にいかに直結するかの論理的に説明してくれた。


フィードバック

― 「動く人間」を診るということ

教員が「では、吉田さん、市川さんと話してみて、どう感じましたか」

……市川様が年上の方がったので圧倒されました。
最初は緊張しましたが、お話を聞くうちに、腰の痛みそのもの以上に『自由に動けないもどかしさ』を解決したいという願いが見えてきました。
治療はできませんでしたが、せめて生活の背景にある『物理的な負担』だけは逃さず見ようと思いました」

「市川として、お伝えしますね。
……吉田さんの視点は素晴らしかった。私が『魔法のストレッチを教えてくれ』と言った時、君は困りながらも、私の『会議中の姿勢』を必死に想像してくれてたと感じました。
理学療法士は、ただ筋肉や骨を診るんじゃない。その人が社会でどう動き、どう生きているかを診る仕事だけど『今はできない』と正直に言いながら、私の日常の苦労に寄り添ってくれたことで、私はこのリハビリに一筋の光を見いだせた気がしました」

学生は、少しだけ照れたように、けれど自分の役割を再確認したような、晴れやかな表情でインタビューシートを抱きしめていた。


エピローグ

控え室に戻ると、いつもの仲間たちがいた。

「お疲れさま。実習、はどうだった?」

「ああ。今年の一人目も、なかなか筋が良かったよ。理学療法士にとって大切なのは、手技の前に『なぜ痛むのか』という理屈を読み解く力だからね。あの子は、私の椅子の中にある苦しみを見つけようとしていたよ」

私は、ゆっくりとコーヒーを啜り、自分の腰を軽く叩いた。
生きた教材という「教科書」を読み解こうと挑んでくる。 私たちは彼らに教育はできないけれど、彼らが生涯向き合うことになる「患者の人生」の、最初の一ページを飾ることはできるんだよね。

「生きた教材として、理学(からだのりくつ)を伝える助けになろうかね」

私の心には、学生がくれた「誠実さ」という確かな熱が灯っていた。


第3話 『沈黙の対話』


手のひらの温度

三人目の学生は、おっとりとした雰囲気の学生(斎藤くん)でした。
彼は私の前に座ると、すぐにシートを埋めるのではなく、まず私の呼吸を整えるのを待つように、優しく微笑みました。

「市川様、お疲れのところありがとうございます。リハビリの前に、少しだけ今の生活のことを教えていただけますか。……シートに沿って伺いますが、市川様が今、一番『不便だ』と感じていることからで構いません」お願いします。

その柔らかい問いかけに、本音をこぼしてしまいました。

シートに書けない「心の強ばり」
「……不便なことかね。それはもう、全てだよ。
靴下を履く時、洗面所で顔を洗う時、風呂に入る時、やっぱり
生活では1番はトイレかなぁ。

でも立場から言えば、会議で部下たちの前で、腰をかばいながら座り直す自分の姿が情けなくてね。
私がそんな弱々しい姿を見せてちゃ、示しがつかん.だろ企業戦士としてらねわかるかなぁ」
私は、自分でも驚くほど饒舌(じょうぜつ)に語っていました。

斎藤くんは、ペンを動かす手を止めて、私の話を最後までじっと聞いてくれてました。

その目は、「ぎっくり腰」という疾患を診ているのではなく、その裏側にある「プライドを傷つけられた男の痛み」を診ているようでした。

「腰の痛みは本当に辛いですね。
市川様にとって、腰の痛みは単なる痛みではなく、大切な仕事を妨げる『壁』になってしまっているんですね」

彼の言葉は、専門用語ではない、血の通った「共感」でした。
理学療法士を目指す斎藤くんは、筋肉の強ばり以上に、心の強ばりに触れようとしていたと感じました。

学生の「寄り添う限界」
「斎藤さん。ところで...…
そんな風に親身に聞いてくれてうれしいよ。
一つ頼まれてくれないか。

この硬くなった腰が動くようなにと、君の手を当ててみてほしいんだ。
治療じゃなくていい。
君のような優しい学生に『大丈夫ですよ』と触れてもらえるだけで、なんだかこの強ばりが溶けるような気がするんだ」
斎藤くんの優しさを試すように、少し寂しげなトーンでお願いしてみました。

彼は困ったようなしぐさだったけど微笑みながら
「(いいですよ」
それから私の腰に彼の手を服の上からでもわかる感じで添えたのがわかった。
治療としての接触ではなく、一人の人間としての温もりを感じるように。

「……市川様、本当なら、今すぐこの手で市川様の腰の緊張を解いて差し上げたいですが、私はまだ治療ができませんし、経験のない学生です。
今の私が安易に治療場所に触れてしまうことは、かえって市川様の治療を混乱させてしまうかもしれません」
申し訳ありません。

彼の言葉には、前の学生たちのような鋭い拒絶ではなく、包み込むような優しさを感じました。

「ですが、今日市川様が話してくださった『靴下を履く時の痛み』や『トイレでの姿勢』、そして『仕事への誇り』。これを全て、リハビリの目標としてシートに書き込みます。私は直接治療はできませんが、理学療法士の先生に、市川様が『明日からまた胸を張って会議に出られるように、このメニューを組んでください』と、お願いしておきます。
それが、今の私にできる精一杯の『治療』です」


フィードバック

― 「手」の向こう側にある力

教員が、斎藤くん「市川さんと話してみて、どうでしたか」

「……市川様から感じるプライド・・・一言に、胸が締め付けられました。技術があれば何かできたのに、というもどかしさでいっぱいです。
でも、市川様が求めていたのは、治療法と同じくらい、誰かにこの不安を分かってもらうことだったのではないかと感じました」

「市川として、お伝えします。……君の言う通りだよ。
私はずっと一人で、この痛みを我慢しながら企業戦士としてのプライドという重責に耐えてきた。君が私の話を静かに聞いてくれたあの時間、私の腰の痛みは、確かに少しだけ軽くなったと感じたよ。
理学療法士は『手』で治す仕事だと思っていたが、君を見ていて、その『手』を動かすのは、相手の心を汲み取ろうとする『言葉』なんだと気づかされたよ」

「『今はできない』と正直に言った時の、君のその優しい声。それをずっと大切にしてほしい。
理学療法士となった斎藤くんは、必ず、患者の身体に直接触れる日が来る。その時、今日の君のような温かい心を持って触れられたら、どんな難しいリハビリだって、患者は乗り越えられる。
君は、素晴らしい理学療法士になるよ」

学生の目から、笑顔とともに自信を感じました。


エピローグ

控え室。仲間のSPたちと、今日の仕事の終わりを話し合う。

「三人目の学生さんは、なんだか相手に優しさを感じさせることのできる子だったね。先生も満足そうだったよ」
「ああ。理学療法っていうのは、科学であると同時に、人間賛歌なんだよね。あの子は、私の身体が発する『声』を、心で聴こうとしていたよ」

私たちは、 技術を教えたりすることはできなくても、こうして彼らの心に「患者の温度」を残すことができる。それこそが、SPという私の人生の、何よりの喜びなのかな。

「さあ、次はどんな学生に出会えるかな」

今日は冷たい冬の風が、なぜか春の兆しを含んでいるように感じられました。

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ぎっくり腰、3部作は終わります。

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SP-Toshi 長年医療系の学生さん、医療者の方との医療面接(ロールプレー)でお世話になりました。 今までの経験をカタチにしたいと思い執筆を始めました。 電子版も考えましたが、本にできないかと思ってます。 いただいたチップは作成に使わせていただきます。