ばなな大盤振る舞い
これまた、長い!
また2万字くらいあるのかな。1万字くらいかな。
面倒なので確めもせず、ちょっと感想などを。
とりあえず、これ今のところ(これからもか)無料なので、
この前の2万字500円を購入して、いまいちだった人は、これで取り返して、
500円半額くらいになった気分になって、気が収まるかもね。
わたし個人としては、この前の2万字も十分に満足できていたのだが、
今回これによって、均して半額っぽくなったという側面よりも、
わきあがる言葉が2倍以上に増えた感じの、胸いっぱい感が生じました。
言うまでもなく、完全にプロフェッショナルなので、
前回に500円支払った者が得たコンテンツに、かぶらないように書いている。
どうせ次に無料で書いてくれるのなら、お金払わなきゃよかった、
みたいに後悔させる要素はまったくありません。さすが!
ほぼ毎行ごとに、教訓とか、指針とか、またこっちから突っ込みたくなりそうになるという、
言葉が横溢してくるという、濃度高めの文章。
内容はけっして軽くないのだが、
一気に読める、いや読まされてしまうという、見事なリーダビリティ。
こちらの内面に、あふれてきた言葉を、全て書き出したいくらいだが、
2点程度にしぼって、書いてみておく。
(別にそんなのいらないよ。と御本人にも言われそうだけどね)
今回の記事で
>それに比べたら、私たちの受けた精神的な虐待は、超ライトなものだ。自分で乗り越えるべきレベルだと断言できる
いらざる事だが、書いてみます。まあ自分のためですね。
相対比較は、そういう場合や、あらゆるケースにおいても、意味をなさない。
ヤギに足の裏をなめさせる拷問があったはずだ。
台に固定された人物が、固定された足の裏を、ヤギにずっとなめられ続ける。
ヤギにそれを続けさせるために、その足の裏には、岩塩が塗られている。
これをずっと続けると、足の裏の皮膚が、ヤギのざらついた舌表面によって削られて、
激しい痛みと苦しみが生じる。
痛さ程度では収まらず、そうやって足の裏が皮膚を失って肉が直接露出してしまうと、
もう歩行困難というよりも、ただの一歩もあるけなくなるそうだ。
虐待とは、比喩として舌でなめられる程度でも、その条件や環境によっては
もう取返しのつかないダメージを生じさせてしまうであろう。
結局はそれがどう作用して、そしてどういう結果となってしまってるか。
これは相対比較によって、どっちが上だ下だとか言っても全く意味をなさないという恐ろしい事実であろう。
半身不随の猫を命がけでかばって、そこから猫との特殊な関係性が続いた。
猫、猫、猫、猫。
猫の呪いがかかってしまって、もう抜け出せない。
このように見えなくもないですね。
そして襲い掛かるは、ネズミ、ネズミ、ネズミ。ネズミの菌と糞。
そんなことまで勝手に言うな、と言われそうですが、
ここに書きたくなるくらいに、言葉がこちらの脳から、あふれてしまいました。
>今のユーミンの顔も大好きだ。若い頃にはなかった豊かな輝きがある。たくさんのステージに立ってきた確かな自信が美しい。
ユーミン、松任谷由実のコンサートで救いを得る、というような描写が前回のでありましたっけ。
ユーミンで救われるとは何だろう?
吉本ばなな氏のとらえるユーミンは、その優れた豊かな感受性によって、
われわれのそれとは、全く別のものでもありそうですかね。
しかしここで、ユーミンで救われるという事について考えてみる。
何だかそれはちょっと安易だな、と思う人もいるかもしれないですね。
では、われわれは、精神の窮地を救ってくれそうな、
「なにもの」かを持っているだろうか?
神、肉親、親族、共同体、所属組織、友人、恋人、恩師、仲間・・・・・・。
これらで、確実にわれわれの窮地に対して、「救い」となりそうなものはありますか?
そんなときに、絶対頼りになる存在を、あなたはもっていますか。
もしかしたら、われわれは、それらの効力の殆どを喪失させてしまってるのではないでしょうか。
われわれは最早、ユーミン以上の「救い」を持ち得ていない。
それが21世紀現在の一般大衆の標準なのではないか。
もちろん好き嫌いも当然あって、それ以外の音楽しか聴かないなどもあるでしょう。
しかし事実上、ポップソングだとかの楽曲でしか、もういざという時の「救い」がなさそうだ。
こういった例は多くなってきてるのかもしれないですね。
余計でよからぬことばかり書き付けてみましたが、このように
発したくなる言葉をたくさん誘発するという、
文章の持つべき機能と魅力を多くそなえた優れた文章でありました。
ありがとう。ばななさん。感謝いたします。
文責【曽駒手 夕花】
