【魅力探究in函館市南茅部】縄文×大宮トシコさん(住民インタビュー)/後編
本noteでは、こちらの記事の続きをお届けします。
■本編:インタビュー記事(後編)
世界遺産に至るまでの15年間の道のり

――2021年には垣ノ島遺跡と大船遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されました。長く縄文の遺跡発掘に携わってきた立場として、世界遺産への登録が決まったときは、どんな気持ちでしたか?
大宮:世界遺産を目指すことになってから、実際に登録されるまで15年くらいかかったんです。北の縄文CLUBのメンバーをはじめ、北海道、青森、秋田、岩手で縄文に関わる人たちも集まって会議を開き、応援したのですが、何度も世界遺産候補になりながらダメだった歴史があって。その度に喜んだり、ガッカリしながらやってきたので、登録が決まったときはすごく嬉しかったですね。これでたくさんの人に興味を持ってもらえるなと思いました。
――実際、世界遺産に登録されてから南茅部の縄文遺跡を取り巻く環境は変化していますか?
大宮:やっぱり、いろんなところから人が来てくれるようになりましたね。全国各地、海外からも見学に来てくださる方が増えました。それと、お子さんたちが興味を持ってくれるようになったのが、何よりも嬉しいですね。
私が小型長頸壺を欠けさせてしまったときに、注意してくれたのが阿部千春さんという調査員の方だったんですよ。その方が北海道の世界遺産推進室に異動になって、すごく頑張ってくれたおかげで、南茅部の発掘も長く続いてきたし、世界遺産への登録も実現できたと思っています。私もこんな歳になっても関わらせてもらっているのは、すごくありがたいし、感謝しています。

――もともとは興味がなかったとおっしゃっていましたが、縄文文化に関わるようになって、南茅部に対する意識も変わりましたか?
大宮:南茅部は昆布の町として知られていますけど、縄文の町でもあると思うようになりました。だからこそ、もっとPRすればいいのになって。でも、南茅部の人たちって、あまりそういう欲がないんですよね(笑)。
そもそも、土器の欠片って昔から畑を掘れば出てくるものだったんですよ。特に珍しいものではないから、あまり興味がわかないんだと思います。
――当たり前に身近にあるもので、特別なものという感覚ではないんですね。知らない人間からすると、畑で土器が出ることも、地域に発掘の仕事があることも、他にはない環境だなと感じますけど。
大宮:そうなんですよ。縄文って難しいと思われたりするんですけど、土器を見て作った人のことを想像したり、どんな暮らしをしていたのかを考えるのが、私は面白くて。
それで自分でも土器を作ってみたいと思って、一緒に発掘作業員をしていた人たちに声をかけたのが、北の縄文CLUBの始まりなんです。最初はこじんまりと仲間だけでやろうとしてたんですけど、阿部千春さんが立ち上げに関わってくださって。まさか、こんなに大きな団体になるとは思っていませんでした(笑)。

大宮:最初は、小学校で土器作りをやったんです。そしたら、全国から200人以上が来てくれて。あれはビックリしましたね。
――200人!すごいですね。
大宮:野焼きをするレーンをたくさん作って、そこに土器を並べていくんです。最初は火で炙って土器を乾かし、徐々に火の近くに寄せていって、最終的には薪を積み上げて一気に焼いていきます。
そうやって野焼きしている様子がもう圧巻なんですよね。木が燃え上がると、あちこちから風が吹いてきて、熱風に包まれるんです。すごく暑くて、顔が真っ赤になるし、まつ毛も焼けちゃったりして。そういう体験を縄文の人たちもしてたのかもしれないと思いながら、土器を作りました。


「縄文の人たちのように上手に作りたい」

――知るだけでなく、実際に体験するところまでやってみようと大宮さんを掻き立てる縄文の魅力とは、どういうところなのでしょうか?
大宮:なんでしょうねぇ。縄文時代の人たちが使っていた道具って、本当に何もないところから考えて作られたものじゃないですか。それは、今私たちが使っている道具の原点と言えるものなんですよね。
そういうものが、どんな発想や技術で生まれたのかを考えてみると、自分にはできないだろうなと思うんですよ。だけど、自分でもやってみたいなとも思って。そう思わせてくれるんですよね、縄文の人たちは。
――何もないところから、何かを生み出すことに面白さを感じていると。
大宮:そうですね。実際に土器なんかを作ってみると思うんですけど、やっぱり縄文時代の人たちって上手なんですよ。同じように作りたいと思っても、なかなかできなくて。
――なるほど。「縄文の人たちのように上手にはできない」と思わされるんですね。
大宮:すごく凝った形の土器もあるじゃないですか。煮炊きするには適していないように思うけど、あんなものを作れたのもすごいなと思いますね。

大宮:石器なんかも、作ってみると本当に難しいんですよ。実際にやってみると、縄文の人たちのすごさがよくわかります。
――縄文の人たちと同じものを作るというのは、人間の力を試すような体験なんでしょうね。
大宮:そう思います。縄文時代の人たちみたいに、いろんなことはできないですけど。住居だって、今みたいにスコップのような道具もないのに、どうやってあんなに大きく深い穴を掘ったんだろうとか、柱の木はどんなふうに運んだんだろうとか思いますよね。
現代の人たちは、いろんな情報を簡単に得られるし、欲しいものはお金を出して買うことができます。便利な生活だけど、あんまり頭を使っていないのかもしれません。
――確かに。ゼロから考えなくてもいいから、楽をしているような気がしますね。
大宮:この辺りは田舎なので、夜は暗いんですよ。でも、私が子どもの頃はもっと真っ暗で、夜に歩くのが怖くて。きっと縄文の人たちは、もっともっと怖かったんだろうし、生活するのも大変だったでしょうね。
そう思う反面、すごく景色もよくて、のどかだったのかもなとも思うんです。そういう生活もよかったのかもなと想像するのも楽しいですね。タイムマシンがあったら、縄文時代に行ってみたいなと思います。

――お話を伺っていて思うのですが、大宮さんご自身も、縄文に関わるようになってすごく変わったんじゃないですか?
大宮:変わりましたね、すごく。発掘の仕事をする前は、あまり外に出歩かなかったですから。車の免許もなかったし、主人は私が家にいないと機嫌が悪くなるタイプだったので。
だけど、働きだして、自分で車も運転するようになってからは、もう自由になった気分でした(笑)。
――あまり外に出歩かなかった人が、仕事仲間を誘って土器を焼くようになるってすごい変化ですよね(笑)。
大宮:本当に世界が広がりましたね。主人に文句を言われても、言い返すようになったりして。そうしているうちにあまり反対されないようになったし、私が家で土器を作っているのを見て、「また何か作ってるのか、縄文トシ子」とかって言われるようにもなりました(笑)。
――ご主人も、大宮さんの縄文愛を理解してくれるようになったんですね。
大宮:そうだと思います。だからこそ、これからも縄文の歴史や文化を普及させていきたいですね。
それと、過疎化が進んでいくのを、どうにかできたらなと思っています。南茅部はどんどん人が減っていて、人口は私が若い頃の半分くらいしかいません。現代の人が生きていくためには仕事が必要なので、地元に働く場所が増えたらいいなと思っています。不便な点もありますけど、せかせかしていないし、本当に住みやすいところなので。ここに住む人が増えてくれたらいいですね。
■取材を終えて

南茅部では、3世代にわたって遺跡の発掘に関わっているご家庭もあるそうです。漁業や林業と同じように、発掘もまた地域を支えてきた大きな産業なのでしょう。
そうした社会的側面があるのと同時に、「土器に残る指紋を見て、縄文人も我々と同じ人間だと思った」という大宮さんのお話にはミクロな視点の驚きがありました。縄文というのは遠い昔の話で、自分とは無関係な世界のように捉えていたのですが、言われてみれば確かに現代と地続きになっているはずです。
発掘というのは過去のことを知るだけでなく、現在との繋がりを見つけ、未来にまで想いを馳せる作業なんだなと感じました。(書き手:阿部光平)
いかがでしたでしょうか。
引き続き、ミライ研では地域の方々と関わりながら、地域の魅力を探究し、その魅力を活かした地域活性化プロジェクトの創出に取り組んでまいります。
次回は「発掘」×坪井睦美さん、のインビュー記事をお届け予定です。どうぞお楽しみに!

プロフィール/坪井睦美さん
旧・南茅部町生まれ。1989年から発掘作業員の仕事を始め、大船遺跡や垣ノ島遺跡の発掘に参加。縄文土器の模様に惹かれ、縄目の研究を積極的に行っている。『北の縄文CLUB』では、初代事務局長を務めた。現在は道南歴史文化振興財団の学芸員として、ガイドや発掘体験などの業務に携わる。
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監修:田中 健人(地域循環型ミライ研究所)
協力:木野 哲也(ウタウカンパニー株式会社)、阿部藍子(パンチェッタ)
書き手:阿部光平(『IN&OUT-ハコダテとヒト-』編集者・ライター)
カメラマン:小杉 圭司
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