見出し画像

恋愛小説:マシーン・ガン(終) The Wind Cries Mary #創作大賞2025

【僕】

ギターの余韻がゆっくりと消えていきます。ついさっきまで音楽室を満たしていた轟音は、いまや静寂の中に吸い込まれたかのように、空気の隅々へと溶け込んでいました。残響の消えた空間には、かすかにアンプのノイズだけが漂い、まるでその場に残された感情の名残のように響いています。

僕の視界は、まだ揺らいでいました。さっきまで見ていた光景が現実なのか、それとも記憶なのか、その境目が曖昧なままです。頭の奥で、目の前で、何かが確かに再生されていました。

彼女の手が、ゆっくりとギターの弦から離れていきます。わずかに震えている指先が、そのまま膝の上へと落ち、静かに止まりました。

その動きは、とても小さなものでしたが、まるで音楽室の空気全体がそれに呼応して、呼吸を止めたような気さえしました。そしてその瞬間、僕たちの中で何かが完全に一つになる感覚がありました。それは、苦しくなるほどの痛みと、包まれるような安堵の入り混じった感覚でした。どちらが主でもなく、どちらも確かに存在する感情。そんな矛盾を内包しながらも、どこかで「これでよかった」と思える不思議な感覚がありました。

突然、彼女に抱きしめられた「気が」しました。それは物理的な抱擁ではなく、もっと深いところ——心の奥底に直接触れてくるような、感情の共鳴でした。まるで彼女の静けさが、そのまま僕の中に流れ込んできて、長い間うまく言葉にできずにいた痛みや孤独を、そっと包み込んでくれるような。

何も語らず、何も求めず、ただ、そこにいてくれるということ。それがこんなにも温かく、救いになるのだと知りました。

その沈黙の中で、彼女の存在は確かにそこにあり、僕の存在もまた、彼女にとって否定されないものとして、受け入れられている——そんな確信が、言葉にできない安堵として胸に広がっていきました。

それはまるで、失われていたピースが、ようやく正しい場所に戻った瞬間のようでした。長い旅の果てに、やっと「帰る場所」に辿り着いたような、そんな感覚。

そして、その静けさの中で——あの、時間が止まったような夕暮れの音楽室で——僕は、はっきりと気づいたのです。

彼女と僕は、同じだった。

痛みのありかも、孤独の重さも、心の奥に沈めてきたもののかたちも。

僕たちは、まるで鏡に映るように、互いを写し合う存在だった。

同じ傷を持ち、同じ夜を過ごし、誰にも知られずに泣いていた。僕はそれを遠くから見つめる存在として「生まれた」。

でも、今はもう「同じ」ではなくなっていた。
ほんの少しだけ、歩幅が変わっていた。それぞれの思いを、それぞれの方法で抱えながら、
僕は自分の足で立とうとしていた。

かつては、同じでなければ寄り添えなかった。
同じであることにすがっていた。でも——もう違う。僕たちは「違う2人」で、そっと隣り合うことができる。

重なり合うことではなく、違う人間がただそばにいること。溶け合うことではなく、それぞれの音で響き合うこと。

その距離感こそが、きっと「本当の近さ」なのだと、僕はようやく理解しました。

それは、音楽が終わったあとに残る、静かな余韻のようなもの。もう何も演奏していないのに、心には確かな旋律が残っている。

彼女と僕は、そんな風に、互いの中に響き合いながら、今、ようやく——「隣り合える」存在になれたのだと分かったのです。

彼女はきっと、僕を作り出す前に——

本当に、ただ一人でいいから、分かり合える「僕以外」の誰かを、心の底から求めていたのだと思います。

誰かに気づいてほしかった。

自分の痛みや、声にならない叫びや、言葉にできなかった想いを。そのままの自分を見つめて、否定も肯定もせず、ただ「わかるよ」と言ってくれる存在を。

でも、現実には、そんな誰かは現れなかった。彼女の差し出したサインは、いつも静かすぎて、淡すぎて、誰の目にも止まることはなかった。むしろ見えないふりをされた。聞こえないふりをされた。存在しないかのように、扱われた。

だから——彼女は自分の中に「僕」を作り出した。そうすることでしか、自分を守れなかった。そうすることでしか、孤独を生き延びる術がなかった。

僕は、彼女が世界に向けて差し出した、最後の祈りのようなものだったのかもしれません。
「どうか、誰か、気づいて」と。

でもその“誰か”がどこにもいなかったから、
彼女はその“誰か”を、自分自身の中に宿らせるしかなかった。

——僕を、つくったのです。


夕暮れの光が斜めに差し込み、教室の床と壁に淡い金色のグラデーションの道を描いています。その静けさの中で、世界が少しだけ止まっています。音も動きもなく、ただ光だけが揺れているその空間で、僕と彼女の存在が、少しずつ離れていくのを感じます。

それは恐れるものではないと思いました。むしろ、ずっと前からそうなるべきだったかのような、自然で穏やかな流れの中にありました。お互いの姿をお互いが認識できている。僕はもう彼女の背後にはいない。彼女が僕に気づいている。

彼女がゆっくりと顔を上げました。ゆるやかな動作の中で、彼女の瞳がこちらを捉えました。夕陽はその瞳に差し込み、かすかな輝きを灯しています。その目はどこか遠くを見ているようでもあり、同時に、真っ直ぐに「今の僕」を見つめているようでもありました。

「ありがとう」

その言葉は、ごく自然に、でも確かな強さをもって彼女の口からでました。そしてその表情には、これまでに見せたことのない静かな笑みが浮かんでいました。それは、すべてを受け入れた人が見せることのできる、深い安らぎを湛えた表情でした。痛みも、孤独も、すべてを抱えたまま、それでもなお前を向く人の顔。

「ありがとう。あなたのおかげ」

二度目の言葉は、同じスケールでも、最初よりもずっと柔らかく、まるで風が窓からそっと吹き込むように、穏やかに僕の胸に届きました。そこには、感謝と共に、旅立ちと別れの気配がにじんでいました。

その瞬間、僕たちはもう一度抱きしめ合い、存在が再びひとつに重なったかと思うと、今度は明確に、二つに分かれていきました。まるで光がプリズムに触れて、静かに分光していくように。影が二つに分かれて、それぞれがそれぞれの姿を取り戻し、もう決して元には戻らないという確信がそこにはありました。

その光景は、永遠にも似た静寂から、「次へと向かう」一歩のはじまりでした。

僕たちは、今、「ひとりずつ」になろうとしていました。けれどこれは別離ではない。そこに喪失の痛みも、孤独の影もありません。

それは、あらかじめ約束されていたような、優しい分かれ道でした。

まるで一つの旋律が、やがてハーモニーとなって別々のパートへと分かれていくように——
そこには、始まりに似た静かな光が差していました。

僕たちは、確かに一つだった時間を経て、
今はそれぞれの歩幅で、それぞれの道を、同じ方向で、一緒に歩いていこうとしている。

胸の奥には、確かに彼女の存在があり、そしてきっと、彼女の中にも、僕がいる。

ひとりになることが、ひとりぼっちになることではないと、あの夕暮れの音楽室で、僕たちは初めて知ったのです。

音楽室にはまだ、かすかな音の名残と、夕暮れの光が漂っていました。窓から差し込む柔らかな陽光が、僕たち二人の影を床に長く伸ばしています。その影は一度重なり、やがてわずかに分かれて、それぞれの形を映し出しました。けれど、その境界は決して拒絶の線ではなく、むしろ——「僕は僕であり、あなたはあなたである」ことを肯定するような、優しい輪郭でした。

並んで立つ僕たちは、言葉を交わさなくても、なにかを共有できるようになっていました。沈黙は彼女にとって不安ではなく、安心に変わったのです。

彼女が、ふとこちらを向きます。

その瞳には、かつての痛みを、怒りを、悲しみを、すべてを通り抜けた先にある、透明な静けさが宿っていました。

僕も、彼女を見つめ返します。

僕たちはようやく、お互いの姿を見つめ合って立てる場所にたどり着いたのです。同じ空間にいて、しかも異なる存在として。

音楽と記憶が繋いだこの時間が、二人を包み、祝福するように、淡い光の魂が小さな羽を揺らしながらそっと道を案内してくれました。

【私】

音楽室の窓から差し込む夕陽の光が、柔らかなオレンジ色を帯びて、私と彼——私の中の「もうひとりの私」——の手をそっと包み込みます。その光はまるで、長い冬のあとに訪れた春のようにあたたかく、私たちのあいだにあった影をやさしく溶かしていくようでした。

私はギターを抱えたまま、そのネックに目を落とします。その木目の一つひとつが、これまでの日々の記録のように思えて、胸が熱くなりました。

そして、気づけば頬に一筋、涙がこぼれていました。けれどそれは、もう悲しみから流れるものではありません。むしろ、ようやく重たい鎧を脱ぎ捨てたあとの、深い安堵の涙。ずっと奥に閉じ込めていた心の震えが、静かにほどけていくのを感じていたのです。

私は、泣いていいのだと、自分を初めて赦せました。

誰かに見せるためじゃなく、誰かに理解してもらうためでもなく、ただ、「ここにいる自分」を、そのまま抱きしめるように。

ゆっくりとストラトキャスターを置いたとき、私は自分の指先がまだ微かに震えていることに気づきました。

弦の感触が、まだ指の腹に残っている。さっきまであの音が鳴っていたなんて、まるで夢だったような気がします。私は、あんな風に弾けたんだ。きっと、ジミが一緒にいてくれた。胸の奥には確かに、ブルースの余韻が残っていました。

私は静かに立ち上がり、そっと彼の方へと歩を進めます。夕暮れの光が背後から差し込み、影が床に長く伸びている。その影が、私と彼をつなぐように重なっていて、なんの迷いもなく、私はその影の中へ入っていきました。

そして、私は彼を抱きしめました。それは衝動でも、慰めでもなく——深く深く理解し合った者同士だけが交わせる、ごく静かな、でも揺るぎない抱擁でした。

彼の体温が、私に伝わってくる。けれど本当は、それが彼のものなのか、私のものなのか、もう境界が曖昧になっていたのかもしれません。まるで鏡の中の自分を抱きしめているような、不思議な一体感。けれどそれは、決して同一化ではなく、互いを認め合ったうえでの、「存在の重なり」でした。

そのぬくもりの中で、私の唇が自然に言葉を紡ぎます。

「ありがとう」

それは、今までずっと誰にも届かなかった思いの、最初のつぶやきでした。

そしてもう一度、今度は少しはっきりとした声に出して——

「ありがとう。あなたのおかげ」

その言葉は、涙に濡れた小さな笑みとともに、私の口からこぼれました。

ただの感謝ではなく、存在そのものへの祈りのような、深い感情がこもっていました。

私はもう、あの頃の私ではない。でも、彼がいてくれたからこそ、私はここまで来られた。
彼が私の一部だったからこそ、私は孤独を越えられた。

だから、ただの「ありがとう」じゃ足りない。
それでも、今この瞬間にできる限りの言葉として、私はそう言いました。

彼の瞳の奥に、静かに揺れる光が見えました。
その光が、私の中にも宿っていることを、私は感じていました。

そして、私たちは音楽室の窓際へと足を運びます。

開け放たれた窓の外には、下校のチャイムを合図に帰路につく生徒たちの姿が見えました。
笑い声、自転車のブレーキ音、校門の外に続く夕暮れの道——そのすべてが、これまでと変わらぬ「日常」が戻ってきた、帰ってきただけなのに、今はなぜか少し違って見えるのです。

それはきっと、私の心が変わったから。かつては、目を逸らすことしかできなかったこの風景を、今はまっすぐ見つめていられる。その一つひとつに色を見て、温度を感じられる。

もう、どこか遠くへ逃げる必要なんてない。
私は、私のままでいいんだ——その事実が、何よりも静かで確かな救いでした。

私は彼と並んで、そっと窓の扉に手をかける。
外の空気が、やさしく肌に触れます。それは新しい一歩を歓迎するような、春の風に似た感触でした。

そして私たちは足を一歩、前に出す。足音が床に静かに響きました。それは、終わりを告げる音ではなく——これから始まる物語の最初のページをめくるような、やわらかく、でも確かに未来へ続く音でした。

私たちは静かに、手を繋いで音楽室に立っています。私たちは今、2人で立っています。今、私たちは「2人」になったのです。

ここで過ごした時間を思い返すと、胸が温かくなります。絶対に忘れない。でも、もう恐れることも、逃げることもありません。彼がみてくれた私には、すべて意味のあるものだったと感じられます。記憶の中に彼がいて、彼の記憶にもきっと私がいる。

光の道の前で、私は彼の存在を強く感じます。二人の音楽空間が、まだ空気に残っているような気がします。

光が私たちを包み込みます。それは暖かく、優しい、包み込むような光です。私たちは手を取り合い、その光の中へと一歩を踏み出します。もう二度と分かれることのない、永遠の道に向かって。

音楽室には、新しい生徒たちが入ってきました。彼らは私たちに気づきません。でもその笑い声は私たちを祝福するように響いています。

私たちは、光となって空へと溶けていこうとしていました。これは終わりではなく、新しい始まり。私たちはようやく、本当の自由を手に入れたのです。

音楽はもう必要ありません。私たちは風の中で、お互いの存在を完全に理解し合っています。光の粒子のように、ゆらゆらと漂いながら、静かに寄り添っています。

私たちの意識は、夕暮れの中に溶け込んでいきます。ギターを鳴らすことも、ブルースを奏でることも、叫ぶ必要もなく、ただ存在としてそこにあるだけで十分なのです。その思いは、言葉を超えた私たちの深い共鳴であり、夕陽に向かって舞う風の中の、柔らかい軌跡でした。

(終)

「The Wind Cries Mary」は、ジミ・ヘンドリックスが1967年に発表したロックバラードです。ロンドンで恋人キャシー・エッチングハムとのいさかいをきっかけに書かれた和解のラブソングとして知られています。彼女のミドルネーム「メアリー」にちなんで名付けられ、二人の口論の後に割れた皿を掃除する様子なども歌詞に織り込まれています。ヘンドリックスは後に、この曲は複数の人物について書かれたものだと語っています。

The Wind Cries Mary - Wikipedia

あとがき

初めて小説を書きました。構想から完成まで三ヶ月くらいかかりました。「ジミ・ヘンドリックスのようにギターの素晴らしく上手い女の子の話」を、最初は描きたかったのですが、近いテーマのコミックは既にあることと(SHIORI EXPERIENCE 、もちろん大好きな作品)僕の中でジミ・ヘンドリックスは「ブルースギタリスト」のイメージが強いことも影響し、結果的に少しナーバスなテーマになりました。

モチーフとなったショートストーリーを、構想段階で投稿していました。また、この作品のコアとなる投稿も以前していたので、良かったらお読みください。

この作品にはジミ・ヘンドリックスの多大なる影響がもちろんありますが、マシーン・ガンは「BECK」の1シーンから、リトル・ウイングはまさに女子高生の弾くTikTokを見てインスパイアされました。

イラストは生成AIですが、どんなにプロンプトを変えても、ジミの「レフトハンドスタイル」は出力されませんでした。これもジミのオンリーワンな魅力かもしれません。

この作品は、タイトル曲も含めたジミのブルースをプレイリストでずっと聞きながら書いていました。「自分を見つめているもう1人の自分は、果たして自分を好きでいられるかどうか」と言ったメッセージも込められています。最後まで読んでいただいてありがとうございます。

Edited by REI / with support from ChatGPT , Image generated with Canva

いいなと思ったら応援しよう!

REI : よろしければ応援お願いします!