【藤原道長⑧】敏腕!道長プロデューサーにより 紫式部 が爆誕ッ
歴史のオモシロさを「人物相関図」を使って分かりやすくお伝えしているnoteです。
今回のシリーズは藤原道長。シリーズのまとめマガジンはコチラから↓
前回の記事では道長が自分の娘である藤原彰子(しょうし)を 一条天皇のもとに入内させ さらに権力を拡大していく様を描きました。記事はコチラ↓
今回の記事では 藤原道長のプロデュースによって彰子のもとに女流作家 紫式部が仕えることになります。
藤原定子が病死 悲しみに暮れる清少納言が「枕草子」で鎮魂
没落していく家族たちの悲劇に耐えかね 出家してしまった藤原定子。
一条天皇の唯一の正妻である「中宮(ちゅうぐう)」というポジションも藤原道長の娘である彰子に奪われるような形で、定子は「皇后」と呼ばれる后になっていました。悲しみ。。。
しかし彼女は出家の後も一条天皇に愛され続け 帝との間に3番目の子供を身ごもります。
ところが。
第三子の出産の後、病死してしまいます。
わずか24歳。

定子に仕えていた清少納言は悲しみに泣き叫びます。
そして「枕草子」の文章の中で 定子の華やかで聡明で明るい姿を書き残し 鎮魂するのでした。
1000年後の今も「枕草子」の中で 定子は笑顔で生き続けています。
なんてはかなく貴いのでしょう。。。枕草子。。。
定子を忘れられない一条帝 これはマズいッ! 道長ピンチです…
愛する妻を亡くした一条天皇もずっと悲しみの底。
中宮となっている彰子に振り向くことはありません。

これは道長にとってはピンチです。
せっかく娘を天皇の后にしたのに このままだと 自分の血筋の子供が生まれないからです。
才能豊かな女房たちときらびやかでユーモアにあふれる宮中を築いていた定子に比べ 彰子はまだ若いし(入内したのは11歳ですからね)、どちらかというと地味な雰囲気。
一条天皇は定子を思い出し ため息ばかりついています。
道長プロデュースで 紫式部が彰子の女房に
道長は娘である彰子が一条天皇に愛されるために 彰子にさらなる「教養」や「知性」を身に着けさせようとしました。
一条天皇は書物や芸術が大好きですからね。
道長は彰子に仕える女房として 才女と評判になっていた女性を雇うことに決めました。

それが藤原為時という道長の部下だった人物の娘です。
この人こそが「紫式部」と呼ばれることになる女性。
父である為時は漢文などの才にあふれる人物。
娘の紫式部もその才能を存分に受け継いでいました。
清少納言のお父さんも有名な歌人でしたね。
やっぱり子供って親の影響を受けるんだなーと感じます。
オメデタ! 一条天皇と彰子の間に子供が生まれ 道長おじいちゃんニンマリ
彰子は文芸の才能あふれる紫式部から漢文などを習い 知性あふれる女性に成長していきます。
紫式部がしたためた文学「源氏物語」も宮中で大の評判となり 彰子のまわりが華やかになってきました。
道長のプロデュース力のたまものですね。

そうした中で 一条天皇も彰子を次第に愛するようになっていきます。
そして見事 一条天皇と彰子の間には男の子が生まれました。
敦成(あつひら)と名付けられた子供は成長し後に、後一条天皇(ごいちじょうてんのう)となります。
こうして道長は 娘が天皇の子供を産み外戚となる 最強のポジションを得たのでした。
いわゆる「藤原スペシャル」という大技がキマったのです。

藤原スペシャルとは。
「天皇に自分の娘を嫁がせて子供を産ませる」
↓
「その子供を天皇として即位させる」
↓
「自分は天皇の祖父(外戚)として権勢をふるう」
これですね。
自分のお父さんの藤原兼家もこの技を使っていました。記事はコチラ↓
全て道長の思惑どおりですね。
こんなうまくいく??? というカンジがするくらいです。
道長だってツラいんよ 怨霊、そして愛する姉の死。。。
でも。
もちろん 藤原道長だって毎日がハッピーだったワケではありません。

左大臣というポジションとして宮中の人間関係も取り仕切らないといけないし。
相当ストレスフルな毎日だったようで病気で倒れたりしていいます。
怨霊に苦しめられた とも言われています。
出世街道を歩む道長には恨みを持っていた人物もたくさんいたでしょうからね。
怨霊。。。コワッ!!!
そして自分を引き立ててくれた最愛の姉・藤原詮子(せんし)の死などもありました。
栄光ロードをひた走る道長も苦しんでいたんですね。
次回の記事ではさらに道長が栄達していく姿を描きます。
まだ権力を手にするの!?ってカンジですが、、、、します。
だからこそ道長の名前は歴史に残ってるんですね。
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