葦原の中つ国は日本じゃない?
~わくわく日本史♪~
記紀の記述を読んでいると、「?」の連続である。
その中でも、「?」度合いの大きいものの一つが、葦原の中つ国の所在。
タケミカヅチとフツヌシによって平定され、天照大神に派遣されたニニギノミコトが降り立った葦原中国。
そして、ニニギの5代あとの子孫神武天皇は「葦原中国を治めるにはどこに行けばいいか?」と話し合って東征をはじめるのである。
……ん?
今までどこにいたの?

ニニギは神武天皇(イワレビコ)の先祖でしょ?
神武天皇のパパは葦原の中つ国を治めていなかったの?
……という疑問が湧いてくる。
この矛盾を説明しうる状況として考えられるのは、
①ニニギのあと王朝交代が起きて国を追われていた。
②「葦原の中つ国」が指す範囲がひとつの国ではなくかなり広い地域である。
①………王朝が滅んで王様ではなくなっていたのなら、神武東征はリベンジマッチとなる。
②………葦原の中つ国の範囲が、たとえば「アジア」「ヨーロッパ」くらいざっくりした範囲であった場合、王朝から分離した勢力がほかの地域の支配に乗り出した、とも考えられる。
上の二つの説で、可能性が高いのは②の候補。
なぜなら、神武天皇は征服先の様子を把握していなかったからだ。
「王朝を取り戻す!」のノリなら、そこの支配者がだれで、そこまでどう行けばいいのか、教えてもらうまでもなく知っていたはず。でも、彼らは案内人を必要としていた。
彼らが攻め入ったのは、彼らがまったく知らない土地である。
高天原から降臨した先祖がいたのが葦原の中つ国。
その子孫が征服した土地も葦原の中つ国。
葦原の中つ国は、国ではなく地域なのでは?
中国と呼ばれる土地はふたつある。
古代中華の中原地域と、日本の中国地方。
ニニギは高天原から東へ移動して葦原の中つ国に降り立った。
神武天皇はそこからさらに東へ移動して、また葦原の中つ国に降り立った。
ニニギが降り立ったのは中華で、神武天皇が降り立ったのは日本。
このように考えられないだろうか?

じゃあ、葦原の中つ国って東アジアなの?
……でも、イザナギとイザナミは日本にある島々をつくったんだから、記紀に書かれた神話はすべて日本の中で起きたことなのでは?
そこがよくわからないところである。
記紀に記された地名は日本の中にそろっているような気はする。
しかし、人類は移住すると、新天地に故郷の地名や神話にある地名をつけがちなのだ。
アメリカ合衆国の地名を見ればよくわかるとおりである。
そして、移住先にも故郷で祭っていた神々の寺社を建てるのである。
インドの神々の寺社はインド内に無数にあるが、それらの神々のほとんどはインド出身ではない。日本の神々も同じかもしれない。
日本には「ナカ」のつく地名は多い。
「中」以外にも「那珂」の文字が使われている。那珂はさすがに当て字だろう。ということは、もしかすると中つ国の「ナカ」の意味は真ん中の「中」ではないのかもしれない。
「葦原の中つ国」。その意味とはいったいなんだろうか?
* * *
高天原の場所に関しては、こちらの本で触れています。
もくじのサンプルはこちらの記事の最後に貼りました。⇩
古代日本が実はイラン・インドとつながりの深い国であったことを周知できたらな思っています。

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