「宇宙人」という巧妙な罠~ハルマゲドンへの道⑧~
およそ百年ほど前から、膨大な資金でもって宣伝されてきた「宇宙人」の存在。
今ではUFOといえば宇宙人の乗り物!古代の高度な遺物は宇宙人が作ったんだ!……という風潮がある。
しかも、宇宙人と言われて思い浮かべる姿はたいていグレイ型か白人型、お年寄りはクラゲ型かもしれないが、異様なまでに型にはまっている。それもこれも、映画や雑誌などでそういった姿が宣伝されてきたからである。

一見、無害なエンターテイメントネタと思われがちな「宇宙人」。
しかし、聖書預言の視点から考えると、宇宙人はひとつの罠として機能している可能性がある。
べつに、宇宙人映画を見たら地獄行とかそういうことではない。
それを言ったら「エイリアン」はおろか「ハンニバル」とか「ガンニバル」とかいうとんでもないヤツも見ちゃった筆者はもうおしまいなのだ。
そうじゃない。
ということで、今回は「宇宙人」のいったい何が聖書的に問題なのかを考えてみたい。
それでは、

UFOと宇宙人は切り離して考えるべき
まず思い出すべきことは、UFO(未確認飛行物体)イコール宇宙人の乗り物ではない、ということだ。
UFOイコール宇宙人の乗り物というイメージは映画や出版物によって作り出されたイメージであって、20世紀になって盛んに出資が行われてきた分野である。
UFO自体は古代から現在まで広く報告されているが、19世紀までは乗組員は「異国人」や「見慣れない輩」として報告されていた。つまり、同じ人間であった。運用していた側の証言としても、王や魔術師が乗っていたと伝えている。
テクノロジーの地域差は貧富差に重なるところがあり、現在でも庶民が自動車を普段使いしている地域と一部の裕福な人しか持てない地域とに分かれている。自動車を知らない人々がはじめてそれを目にした場合、自動車は未確認移動物体となる。UFOもこんな感じであった。
UFOは存在する。
だからといって宇宙人がいるかどうかはまったく別の話である。
まず、ここを抑えておくべきである。
宇宙人と進化論
聖書に宇宙人は登場しない。
神は天と地を創ってから最初の人アダムを創った。アダムの前には「人」と呼ばれる物質生命体はいなかったわけだ。
聖書の記述によれば、天地は創られてからまだ6千年かそこらである。 天も、だ。
じゃあ、天は宇宙のことじゃん、だから宇宙人の居場所はあるんだ!と考えたとしても、地上の人間より長い時間をかけて文明を発展させ進化した存在という定義は成り立たないことになる。
このように、しょっぱなから宇宙人と聖書は相性が悪い。
それもそのはず、宇宙人の存在をバックアップする理論には進化論などの「神の不在」が必要条件となる。

宇宙人が存在するには「条件が整えば発生しうる生命」と「広大な宇宙」という思想が不可欠である。
では、一定の条件がそろえば生命は自動的に発生できるのだろうか?
つきつめれば生命は神が創り出したのか、自然に発生したのか、のどちらかに行きつくこの問題。結論を言えば、生命が自然に発生する確率というのは限りなくゼロに近いことがわかっている。ほぼゼロである。
精巧な機械であるPCやスマホが自然に発生すると思う人はいないだろうが、人体はそれら人間が作る機械よりもパーツが多く精巧で、自己修復に増殖までするすさまじいマシーンなのだ。
ひとつの細胞だってすさまじく複雑なつくりをしている。落雷によって生命に欠かせないリン化合物を海水に溶出させることができた(かもしれない)、~だから生命が自然に発生するのは可能であるという類の言説は、「コンクリートの材料が手に入ったよ、放っとけば電気が通って乗り物が動いて大勢のスタッフが働くディズニーランドができるよね💛」と言っているようなもので、走り幅跳びで津軽海峡を飛び越える以上に無謀な飛躍である。人体はそれ自体も超複雑だが、無数の細菌の存在を必要としている複合施設でもある。箱だけできても生命ではなく死体になってしまうし、単独では生命を維持できない。生命を存続させるためのシステムが必要なのだ。
ひとつの細胞すら実験で生み出せていないのに、細胞同士を結合させるシステムはどうするのだろうか?このように、生命自然発生説に立ちはだかる壁は高いのである。
それをごまかすために、ここ半世紀のあいだに地球と宇宙の年齢はドラゴンボールの戦闘力ほどのインフレーションを見せてきた。
時間が解決してくれる、というわけだ。
さらには、生命は宇宙から来たんだ!宇宙人が人類を作ったんだ!といったたらいまわし理論も浮上した。

生命は宇宙から来た?ならば宇宙にいたその生命はいつどこで発生した?
──この答えがなければ、ただのたらいまわし論である。
生命が地球で誕生しようと宇宙で生まれようと、それが今だろうと百億年前だろうと、つきつめれば「創造」か「自然発生」かのどちらかになる。
パンスペルミア説などのたらいまわしは、その究極の問いに答えることを回避するための説ではないかと思っている。
サタン閣下の計略
悪魔サタン閣下の現在の目標は、ひとりでも多くの人間から新しく創り直された世界での永遠の生涯というチャンスを奪うことである。
単純に命を奪うことが目標なのではない。人々を神から離反させ、知ってか知らずか律法を破らせることを目標に働いているのだ。
閣下の視点で考えた場合、宇宙人を流行らせる目的のひとつは進化論を信じさせて聖書に対する信頼を損ねることである。
だが、それだけでは終わらない。
クリスチャンに対しても、彼らの理解力をぼやかして、聖書の教理を書かれたとおりに受け入れさせなくする効果が期待できるのだ。
クリスチャンの中には「オレは難しいことはわからないし、宇宙人がいるかどうかは知らないけれど、聖書を信じていることはたしかだよ。神様が望んでることは神様と隣人を愛することと律法を守ることだから、もし宇宙人を信じていたとしてもそれ自体はそんなに大した問題じゃないんじゃないかな」と言う御仁もいるだろう。
では、そんなとぼけた信者に問う。
宇宙”人”がいるならアダムも宇宙人の一人だったことになるわけだが、それならなぜアダムの子孫を惜しんで神が代わりに命を投げうつ必要があったのか?
キリスト教世界でも宇宙人を容認している教会は存在する。
宇宙人も神様がつくったことにすればよくない?……とのことだが、これを許容するとキリストの受難のすべてが茶番と化してしまうのだが、いいのだろうか?
アダムの子孫以外の人類がほかの場所にいるとすれば、最初からスペアが用意されていたことになる。すると、相対的にアダムの価値が低下し、人類を存続させるために命をなげうった神の行為が必要だったとは言えなくなってしまう。
罪を犯していない完全な人類が宇宙のほかの場所にいるのなら、完全だったアダムが罪を犯した時点で滅ぼせばよかったことになるからだ。
そうしないとフェアじゃない。
神様との約束事を守った人たちは、約束事を破ったアダムとその子孫が最終的に永遠の生を手にすることのできる道を備えられたのを見て、「え、破っても大丈夫じゃん?」「え、じゃ、オレたちが律法守ってる意味って…?」と疑問に思うはずだ。そして、その疑問はもっともだ。
このように、宇宙人と聖書を両立させようとすると、教理の理解にゆがみが生じるのである。
「宇宙人」というストーリーは良く練られた百年の計の可能性がある。
いや、現在の宇宙観はすでに古代から存在していた。ということは、サタン閣下の数千年がかりの陰謀であるのかもしれない。
しかし、まだこれでは終わらない。
宇宙人の存在はキリスト再臨の解釈にも影響を及ぼすのだ。
キリストの再臨と危険なロマン
では、預言の箇所からキリスト再臨時の情景を見てみよう。
だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見るのです。
(マタイ24章29-30節)
まず天体に異常が生じ⇒人の子のしるしが現れ⇒人の子(キリスト)が雲に乗って現れる。
人の子のしるしについてはこちらの記事に詳述。⇩
上の預言には「地上のあらゆる種族が」人の子が天からやって来るのを見る、と書かれている。
これは、キリストの再臨をすべての国から見ることができるということではないだろうか?
見よ、彼が雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺したものたちが、彼を見る。地上の諸族はみな彼のゆえに嘆く。しかり、アーメン。
(黙示録1章7節)
黙示録でもやはり「すべての目」が彼(キリスト)を見ることになっている。
もし、地が球体であった場合、天から降りてきたキリストをすべての目が見ることは不可能である。
可能になるのは、地が平らな場合である。
おっと、今はやりのフラットアース登場。
今回は宇宙人の話なので、地球の形についての説明は別の回にゆずる。
だが、「聖書と宇宙論は両立する」と言う聖職者に元宇宙大好きっ子だった身として言わせてもらう。いろいろと両立しません。

宇宙人の存在を信じることは神の存在の否定につながるため、神の主権を心地よいと思わない人々は「ロマン」という言葉を盾に取りながら、宇宙人の存在を信じたいと思いつづけるだろう。
権威筋は信じたい気持ちにつけこんで、演出や報道を行えばいいだけだ。
すると、最終的にどうなるか。
UFOが降臨したかのような演出を見せられた宇宙人を信じるクリスチャンたちは、「あ、やっぱり宇宙人いたじゃん」と思ってしまうのではないだろうか?
そして、聖書を読んだことのない人々は、キリストの再臨を見たときに、宇宙人が来た!と思いはしないだろうか?
キリストとその軍勢は空から再臨する。そして、神の敵を滅ぼす。
……この光景は映画「インデペンデンス・デイ」そのものである。
空からやって来た何者かが突然人々を滅ぼす。
空からの来訪者と戦う人々を英雄として感動的に描き、来訪者は醜い生物として描かれている。
この映画はキリスト再臨の場面を反転させたもののようにも思える。
題名のインデペンデンス・デイ(独立記念日)だが、もしかして神からの独立記念日という意味なのだろうか?……と勘ぐってしまった。
最近はわかりやすい反聖書映画が多いが、この映画はその辺かなり洗練されている。理性ではなく感情を揺り動かして説得しようとするのはサタン閣下の得意とするところだが、その点でも名作である。
最近は各国で宇宙軍の創設が流行っているようだし、これから何が起きるのか興味深く見守っている。
もし、宇宙人が敵対的存在であり、地球人は一致団結して彼らから地球を守るんだ!……という風潮が世間に出来上がっていた場合、空から降臨した何者かを見た人々はどうするのだろうか?
神と戦うのだろうか?

聖書に宇宙人を信じるなとは書いていない。
殺人や同性愛はダメだと書いてあるからわかりやすいが、見えやすい罠とともに仕掛けられたわかりにくい罠にとらわれる人は多いだろう。
一見ワクワクする宇宙人ネタの裏側には、できるだけ大勢の人々を永遠の死に導こうとする意図が隠されている……のかもしれない。
聖書に従うか、ロマンを求めるか、その選択は個人の自由である。

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